Wake Me Up When November Ends

2+1の兄弟

「らーしゃーせー」


「……」


「ざいーす。 ちらカバーぁつけしますかー」


「……」


「っしたー。 またぉっしくださぁっせー」


「……。……あのさぁ、麻太よぉ」


「ぁい?」


 薄暗い照明の元、二人の人間が見つめ合う。

 相手が可愛い女の子であれば大歓迎なのだが、まこと残念なことにメガネ髭面兄さんと頭がボサボサな根暗男では絵面が酷すぎる。


「もうちょっと愛想、よくできない?」


「店員に愛想求めるような時代は終わりました。どこぞのレンタル屋みたいにセルフレジ導入しましょう。 人件費も削れるし作業量も減りますよ」


「……削られる人件費お前しかいないけどなあっ」


 インクの匂いが充満した店内。

 電子書籍がかなり普及している現代、何故わざわざこんな寂れた個人の本屋が営業を続けられているのか不思議である。 

 都内近郊で、大学も高校も多い土地だというのにその客足は店内を見れば一目瞭然。もう夕方だというのにレジを打ったのは先ほどの客で四人目だ。


「うちも余裕ねえんだから、お前のせいでこれ以上客足遠のいたらどうすんだよ」


「お隣のカフェが繁盛してるからちっとぐらい大丈夫ですって。 いやあ、妹様々ですなあ」


 店長の妹が幼馴染で、うちとは家族ぐるみの付き合いだ。

 『藤美書店』二代目だった彼の両親は去年の二月、子供達にも、うちの家族にも何も言わずに蒸発した。


 店長、藤美博美(ふじみひろみ)さんは少し長めの旅行に行ってるんだよと笑っていた。

 彼は大学卒業した後、内定している企業を蹴って両親の店を継いだ。だがこのご時世、やはり本屋というのは儲からない。

 だから、ごっそり残っていた両親の貯金で、倉庫を小さいカフェに改装した。

 その改装作業にも駆り出されたものだ。大学も行かずにふらふらしていた自分を、社会に繋ぎとめるためだとかなんとか言っていたがまあ、人手と金がなかったところに安く使える駒が都合よくいたというところだろう。

 まだ二十代も四つしか数えていないというのに、お陰で貫禄は三十代のそれだ。


「はあ。 とりあえず明日の品出し用に整理しといてくれや。 終わったらカフェの方手伝い頼む」


 半ば諦めたように大きなため息を吐かれる。


「そういえばさっき納品行った時に駅前に警察やらなんやらいっぱい来てましたけど、あれなんですかね」


「なんか事故あったらしいぞ。 車が歩道に突っ込んだとかなんとかで」


「おっかないですね」


「死人は出てないらしいけどな。 運転手の兄ちゃんは結構ヤバかったんだと」


 ドライバーは自分が鉄の塊を高速で動かしているという自覚を持って欲しいものだ。

 週刊誌を適当に整頓しながら一人憤ってみる。相変わらずの陰気なネタで埋め尽くされた表紙に、この国の行方を憂いてみたりもする。行方不明事件だとか、いじめ隠蔽だとか、このような媒体で見れば見るほど現実味が失せていく気がするのだ。

 ……などと考えていたら全身が痒くなってきた。


「もう冬ですからね、この辺路面凍結しやすいし」


「お前も気をつけろよ? こんだけ車がビュンビュン走ってんだから、歩道が安全とか言ってらんないぞ。 特にお前、いつもイヤホンつけながら歩いてんだから」


「……死ぬ時はぽっくり逝きたいもんですね。 今度みんなで奈良にでも行きましょうか」


「なんで奈良なんだ?」


「ほら、有名なお寺あるでしょう? 吉田寺でしたっけ」


「……ああ、ぽっくり寺か。 俺はもっと死に際も醜く足掻いて生に執着したいもんだね」


 ああ、確かに博美さんにはその方が合っているような気がする。


「スペース、こんなもんでいいですかね」


「あーいいぞ。あと適当にこっちでレイアウトも変えるから。 じゃあカフェの方よろしく」


「ぁーい」


 控え室なんて上等なものがあるはずもなく、彼ら藤美兄妹の住居の居間へ着替えのために戻る。

 カフェの方の接客も私服エプロンでいいじゃないかと妹君に進言したことはあるのだが、なんともそれはお気に召さないらしい。

 ウイングカラーのシャツにタックの入ったパンツという、なんとも洒落た格好で接客をしなければならない。これがまた肩がこるのだ。


 ……。


 煙草に火をつけて少し休憩を入れながらスマートフォンでニュース系サイトを眺めると、先ほどの週刊誌と内容はあまり変わらない。

 オカルトなどもまとめているサイトであるが故に、そもそもこのサイトに掲載されているニュースが信頼におけるものかと言われれば、それは疑問系ではあるのだが。


 煙草は一口目が一番美味で、半ばまでは煙の味を楽しめる。それを過ぎれば辛くなり、フィルター付近まもはや別物だ。

 4割ほど残して揉消すのはもったいない吸い方だとは思うが、美味しいものは美味しい場所だけいただくのが信条だ。


「……こっちがヒーコラ働いてるのを眺めて休憩? ていうか居間で煙草吸うなって言ったじゃん」


 書店への入り口から少し離れた勝手口、タッパーを持った女が声をかけてきた。

 博美さんの妹であり腐れ縁に近い幼馴染。


「労働基準法って知ってますか? 朝から働いて休憩時間が昼飯の三十分しかもらえないとかありえんろ」


「うちと書店は別経営だから。 掛け持ちして他の仕事の後にそんな文句を言われても、私は知ったこっちゃないわ」


「お兄さーん、おたくの暴君どうにかしてくださーい!」


「ほら、終わったらご飯出したげるから早くきて!」


 わざと聞こえるように大きくため息をした。

 彼女、博美さん妹の美苗(みな)は一瞬ムッとするも、本当に忙しいのだろう。てこてこカフェの方へ戻って行ってしまった。


 端末を居間のコタツの上に放り投げたまま勝手口の暖簾をくぐる。

 そこはそのままカフェの厨房につながっているのである。


「ダラダラしないっ。 もう直ぐムッシュできるから三番テーブルのお客様に。 一緒にアイリッシュコーヒーね。 飲み物もう作り始めちゃっていいよ」


「はいはい……」


 厨房から暖簾をくぐってカウンターに入った途端、これだ。

 見渡せばカウンターもテーブル席もそこそこ埋まっている。週末でもないというのに、この混み方は少し妙だった。


「なあ美苗さあ、なんでこんなに混んでんの? この時間ってそんなに忙しくないろ」


 お湯で温めたグラスにザラメとジェムソン、そしてここ『wisteria Cafe』特製ブレンドを七分目まで注ぐ。その上に固めのホイップを落とせば完成だが、美苗の手元でムッシュの出来具合を見ながら、いったん作業を止めた。


「そこの大学でなんかやってるんだってさ」


 なるほど、そこの客が流れてきてるのか。

 カウンター席もいつもの常連じゃなく、見知らぬおっさん達である点も納得できた。


「なんかって何さ。 勉強会?」


「そんなの知らないったら。 聞いてみたら? あんたに大学レベルの教養があるのならだけど」


 どうやらムッシュが焼きあがりそうだ、ホイップを乗せてしまおう。

 砕いたナッツと香りづけのブランデー入りである。 自分がカウンターで休憩がてら飲んでいたのを、常連ににひったくられて以外と好評だったので、そのままレシピ化したものだ。


 そのままお盆に乗せて、カウンター前で盛り付けの終わったムッシュを客席まで運ぶ。いつもはテーブル席が満席になることはないのだが、今日はそのせいで随分と歩きにくい。


「えー、クロック・ムッシュとアイリッシュコーヒーの方ぁ……」


「……ということになので、現在の日本人のルーツは大陸にあるというのが定説なわけです」


「なるほど。 原住民(ネイティブ)を北に押しやっていったと。 確かにアイヌを日本の原住民と見るのは私も書籍で読んだが……」


 席ではテーブルいっぱいに本や紙が散らばっており、その上で日本人と、小さい椅子に窮屈そうに尻を収めている外人が何かを話し込んでいた。

 割と熱が入っているようで、声をかけても気づいていない。


「あのぉ」


「そうなるのならば、シントーで崇められている神は大陸の人物なのでしょうか」


「どうでしょうか。 自然信仰も含まれているので何とも言えませんが、例えば大国主にモデルがいるとするのならば、おそらく大陸の人物でしょう。 まあ、定住先を求めた移民でしょうね。 メジャーな神の天照大御神などはおそらく自然信仰が生み出したものだと思われます」


「しかし原住民をアイヌとするのならば……」


 雑学として神話や神代の日本の話は好きだが、今はこのアイリッシュコーヒーのホイップが溶ける前に客に出すことが先決だ。


「お料理お持ちしましたー!」


「うわ、ああ。ごめんごめん、ちょっと夢中になっちゃって」


 人の良さそうな眼鏡の日本人がテーブルを片付ける。

 それを待っている間、外人がこちらの顔をじろじろと見ているのに気づいて、あまりの居心地の悪さに口を開いた。


「あの、何か?」


「あなたは神を信じますか?」


 なんとも胡散臭い文句だ。

 それが流暢な日本語を話す外人と来たもんだから、余計に胡散臭い。

 壺を売りつけられないうちに早く立ち去りたくも、トロい眼鏡は紙を床に落とすわ、本を落とすわ、一人で賑やかだ。


「あ、ははぁ。 ごめんね、この方ちょっと変わっていて……」


 ぐしゃぐしゃと鞄に物を詰めているが、それは大事な書類ではないのだろうか。

 急かしてしまっているようで申し訳ない。


「今日はこちらの方の大学でセミナーがあったのですよ」


 外人がその大きな手で眼鏡を示す。

 学生……だろうか。年齢が読みにくい顔立ちだ。


「なるほどね……」


 ようやく空いた隙間に料理を置いておく。


「信仰なんてしてませんよ。 神様は在(あ)るものでしょう」


 多分、日本人の感覚としてはこれが大多数を占める回答だろう。

 信心なんて物は持ち合わせていないが、そこに何か超越的なものが在るという感覚。

 しかし、キリスト教のように一神教であったり、偶像崇拝となるとまた別なのかもしれない。

 失言だったかもと外人を見ると、これが殊の外嬉しそうな顔をしていた。


「やはり根付いている。 これだから日本は素晴らしいのです。 日本のキリシタンたちが独自の神を作り上げたというのも頷ける」


 そんな本を読んだことがある。

 鎖国の時代にポルトガルから危険を冒して布教しに来た宣教師たちが、自分たちの布教は意味がないと気づいて棄教してしまう話。

 あの話のオチも、今言ったようにキリストを崇拝するわけではなく、キリストという新しい神を作ってしまった、といったものだった気がする。


「神は在るものだ。 とてもいい言葉です」


 男性は胸に手を当て、噛み締めるように言葉を繰り返した。


「……なんですか、このおっさん」


「あははぁ、なかなかいうね、君は……」


 と、あまり長話をしていられない。

 美苗がまな板を包丁の背で叩く音が聞こえる。早く戻ってこいという合図だ。


「あ、すみません。 ではごゆっくりー」


 外人が何か声かけたそうに口を開いたが、なにやら長話に付き合わされそうだったので見ないふりをした。


 それから二十時ぐらいまでは非常に忙しい時間だった。

 書店を早めに閉めた博美さんも駆けつけるほどには。正直、藤美家の家計は妹が切り盛りするカフェで成り立っていると言っても過言ではない。

 なんせ書店の売り上げは一日に一万いけばいい方。仕入れで赤字なのだ。悲惨すぎて目も当てられないが、カフェの売り上げはそれをカバーして有り余る。

 朝は大学生や社会人のモーニングや軽食、昼はテイクアウトで弁当、夜はまったりと、しかし今日のように忙しい日もあるというのだから。


 だから自分もカフェの方に引っ張り出される方が多いのだが、話し相手がいないと寂しいとゴネる博美さんなのだった。

 おかげで着替えが本当に面倒くさい。

 ほこりがつくからと書店にはカフェの服装で入れないし、私服でカフェに出るなという兄妹、ひいては妹君をどうにかして欲しいと思う。


 ともあれ、あとはカフェの掃除を手伝って、本屋の品出し少し手伝って終わりだ。

 

 ……。


「二人ともお疲れ様。 今ご飯用意するからこれ飲んでて」


 と、目の前に出でたるは……シロップの入ったミルクとコーヒーの二層が美しい、コンレチェだ。氷が入っているならグラッセだろう。

 一口飲めば強い苦めのブレンドと、その下から出てくる甘いミルクが口の中で混ざる。


「っはぁ。 やっぱコーヒーは苦くて香り高いものがいいよなぁ」


「俺はもっとスッキリしたやつのほうがいい。 麻太、お前時々おっさんだよな」


「兄貴のはちゃんと軽めの焙煎豆使ったやつだって。 トマトと鶏肉のキッシュあと少しで終わるからこれでいい?」


「あーもうなんでもいい。 あ、クスクスとラタトゥーユもつけて」


「いや売り物だから……。 ま、今日はおかげで儲けたからねー。特別にオッケーしちゃおう」


「その分しっかりと給料から差し引きだからな」


「はい? こりゃ労基黙ってませんわ、ストだスト!」


 もう十五年近い付き合いだ。

 博美さんには敬語を使わんでもいいぞ、と言われても、それでも意地になって使い続けるのには意味がある。

 恥ずかしくて本人には言えたものではないが。


「そいや藤美さん」


「「どっちの?」」


「あ、いや両方……」


 妙にこの人たち仲いいんだよなあ……。

 まあ、肉親が二人だけになって、協力し合って生きていかなきゃならない気持ちはわからないが、きっとそこらの兄妹とは比べ物にならない絆があるのだろう。


 自分の中で、何か引っかかっていたこと。

 それを二人の意見も聞いてみたかった。それは昼間、あの外人に質問されたことだ。


「あなたたちは、神を信じていますか?」

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