地図の無い世界

空美々猫

ここはどこだろう?


僕は見たことも無い風景を前に呆然としていた。


いつもの道を歩いているつもりだったのに、路地を曲がったところで風景は一変した。




振り向くと、さっき通った道が全然違う場所になっている。


いや、正確に言えば、同じ道のはずなのに、何らかの違和感を感じる。


その違和感はたまらなく僕の居心地を悪くさせ、元来た道を戻るのは、今の僕にはとても不吉なものに感じるのだ。




では路地を曲がった後の風景はどうかと言えば、先ほどまでの舗装された道が突如として消えているのだ。


そこはまだ整地されておらず、つまりは混沌がポンと置かれているような、そんな有様になっている。




とりあえず僕は一歩を踏み出す。


踏み出した後には、まるでジャングルの中にできた獣道のような跡が残る。


さらに一歩踏み出す。


やはり同じように獣道が一歩分生成されていく。




僕は自分の骨を削って作ったコンパスを取り出してみた。


コンパスの針は揺れて安定しない。


針はどうやら北を指しているわけではないらしい。


しかし、漠然とした方向だけは指し示しているようだ。




もちろん北を指さないコンパスなんて、普通なら使い物にならないだろう。


でも、何と言ってもこのコンパスは、僕の骨を削って作ったものなのだ。


それが、たとえ北を指さないものだったとしても、僕がコンパスに従う根拠にはなるんじゃないかという気がした。




しばらくコンパスの指し示す方へ歩いていく。


振り向くと、今来た道は薄いベール越しに眺めているよな、奇妙な感覚がする。


それはセピア色に褪せてしまった写真を眺めている時の、ノスタルジックな感覚に近い。


写真に写っている笑顔はとても懐かしく、しかめっ面も今はなんだか愛おしい。




僕はコンパスを握る手に目をやった。


この右手は、彼女の肉で造られている。


右手には彼女の体温が残り香のように残っている。


左手を見る。こちらには友人の骨が埋め込まれていた。


骨は僕に「がんばれよ」、「君は君でいいんだよ」と囁いているようだった。


そして僕の身体中には先生の血が流れている。


血は僕の身体を巡り、僕の人生を温めてくれている気がした。




今や僕は、「独立した個」とは呼べない存在になっている。


僕の身体は、いろんな人の血や肉や骨が混ざっており、それは僕であり、僕でない。


誰かであり、誰でもない。




そして今、僕なるものは、さらに一歩、足を踏み出そうとしている。


僕はたぶん、さらにいろんなものが混ざっていくことになるだろう。




かつて僕は、僕ではなかった。


誰でもなかった。


でも、ある時、僕は僕になっていた。




僕はこの旅を行く中で、だんだんと僕ではなくなっていくだろう。


そして最後にはきっと、また、誰でもなくなっていくのだ。

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地図の無い世界 空美々猫 @yumesumudou

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