第5話 Grand Souvenir

 土曜日の朝。

 目が覚めて鏡を見ると、まるで死人のような顔をしていた。

 今、私を襲っているこの病は、ただビタミン剤を飲んでいれば収まるようなものではないようだ。

 深刻な身の危険を感じて、私は自宅を出た。

 向かう先は、かつて父が通っていた病院だ。

 車を走らせ、おおよそ2時間。

 私は懐かしい風景の中に戻ってきた。

 3年前、私はここで父の死を看取り、そしてここを離れた。

 古い総合病院のたたずまいは陰鬱で、この病院はまるで病を預かり貯め込む冥府の銀行のように思えた。

「お久しぶりです、巽さん……どうされました? ひどい顔色だ」

 医師は私の顔を見るなり不安げな声でそう言った。

「少し疲れていまして。それより、お聞きしたいことがあるのです」

 疲労と恐怖に加え、追い立てられるような焦燥感に苛まれた私の顔には、医者の目ならずとも死相が表れて見えたことだろう。

「私の父が死んだとき、何か……不審な点というか、気になることはありませんでしたか? 何でもいい。例えば、処方したのとは別の薬物を摂取しているようだったとか……」

 私の問いに、医師は困惑を見せた。

「いや、不審な点など何も……巽さんもご存知の通り、健吾けんごさんは長く心不全に悩まされておられました。死因としては、心不全に起因する脳血流の阻害……いわゆる脳梗塞です。慢性心不全に対する治療は主に薬物療法ですが、ご存知のように、健吾さんは病院を信用しておられず、お出ししたお薬もほとんど捨ててらっしゃったようです。代わりに市販のビタミン剤を服用されていたようですが……」

「父が、薬を捨てていた?」

 私がそう聞くと、医師はあからさまな警戒感を示した。

「何度も注意したでしょう? 健吾さんは、捨ててなどいない、ちゃんと飲んでいるとおっしゃっていましたが」

「すみません、最近健忘がありまして……その、ビタミン剤というのはもしかして、ビタミンCですか?」

 医師は私の問いにしばしきょとんとした顔をしていたが、やがてうなずいた。

「ええ、たしかビタミンCです。しかし巽さん、今はあなたのほうが心配だ。失礼ですが、一度診察を受けられたほうがよいのでは?」

「ああ、大丈夫。昨日精密検査を受けまして、今は結果待ちなのです。すみません、お手を煩わせました」

 私はそう言って診察室を辞した。

 父が薬を捨てていた?

 医師は「ご存知のように」と言っていた。私も当然そのことを知っているという口ぶりだ。しかし私は何も覚えていない。

 車に戻ると、携帯のベルが鳴った。

 松田からだ。

「社長、お休みのところ申し訳ありません。過去の資料が見つかりましたので、急ぎご入用かと思い、ご連絡させていただきました」

「ああ、ありがとう。何が見つかった?」

「会社設立前に別宅として借りられていたマンションですが、借主を会社の名義に変更後、借りたままとなっております。どなたかご親族がお住まいかと思ったのですが、電気のほかはガスや水道の契約が切られており、どうやら誰も住んでいないようなのです」

「別宅だって?」

 別宅……記憶に霧がかかったように、思い出せない。

「ご住所を申し上げましょうか?」

「ああ、頼む」

「S市中町2丁目1番地の3、グラン・スーヴニール404号です」

 メモを取り、ナビに住所を登録する。

「ありがとう。こちらこそ休みの日にすまない」

「いえ。社長、お気をつけて」

 松田からの電話を切ると、私は教えられた住所へと向かった。

 Grand Souvenirグラン・スーヴニール...

 フランス語で、“大切な思い出”。

 予定調和のようなものを感じ、不安を増大させながら、私は懐かしい街並みに車を走らせる。

 重要な記憶、失われた記憶を求めて。

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