第4話 カシミール雑貨店
翌日、病院で精密検査を受けたついでに、カードに記された雑貨店に赴いた。あの発作は、どうしても通常の意味での病によるものとは思われなかった。
ポケットにビタミンCの錠剤をたっぷりと入れ、雑居ビルのエレベーターに乗る。
カシミール雑貨店。
きらびやかな装飾品や香、仏具などが、店の外にも並べられている。見た目はごく普通のインド雑貨を売る店だ。
私は自分のしていることに疑問を感じながらも、ゆっくりと扉を開く。
「いらっしゃいませ」
狭く暗い店内で私を出迎えたのは、あの時の女だった。
「あら、巽さん。“ビタミンC”をお求めに?」
女は私の顔を見るなり、笑いながらそう言った。
「……どういうことだ。説明しろ。私の体に何が起こっている!?」
私は、自分が激しているのを感じた。
落ち着け。冷静になるんだ。
感情をコントロールしろ。
女が私の問いに答える。
「巽さん、ビタミンCは生体に必須の栄養素です。これが欠乏すると、人は壊血病を起こし、最悪の場合、死に至ります」
私は激昂して反論する。
「そんなことはわかっている! 私の症状は壊血病なんかじゃない。そもそも壊血病になるような食事はしていない。ビタミンCが欠乏するようなことが起こるはずがないんだ!」
女が笑う。
「そう、その通りですよ、巽さん。あなたの体に何が起こったのか、私は知りませんけれど、それはビタミンCの欠乏症ではありません」
困惑する私をよそに、女は笑いながら続ける。
「言ったでしょう、あなたには“ビタミンC”が必要なのです」
怒りを通り越して、私は次第に恐怖を感じるようになってきた。
「何を言っているんだ? 私はどうすればいい?」
女は私を値踏みするような目で見ながら、こう言った。
「知っているでしょう? ただ忘れているだけ」
それから女は、店の奥に入り、何かを取って戻ってきた。
「あなた自身に思い出してもらわないと、意味がないんですよ」
そう言って、女は鍵を差し出す。
「よく思い出して。3年前にあなたが何をしていたか」
3年前……?
女は私に鍵を押しつけると、突き放すように言った。
「おい、なんだこの鍵は。どこの鍵だ?」
「今日はここまで。思いだしたらまた来てください」
取りつく島もなく、私は雑貨店を出た。
3年前といえば、私が今の会社を立ち上げた時期だ。
父が死に、その遺産を原資に出資者を募り、ファンドをつくった。
私は会社に戻り、過去の記録を漁る。
「松田、きみが会社に入ったのは何年前だったかな?」
「1年半前です。過去の帳簿をお探しですか?」
そうだ。松田はファンド立ち上げ時のことはよく知らない。過去の記録から、私自身で調べるべきだ。
「会社立ち上げの際の記録を探している。些細なものでもいいので、何か私が忘れているような資料があれば、届けてくれ」
「わかりました。探してみます」
3年前、私は父の仕事を手伝っていた。家業は小さな地銀であったけれども、父は頭取としてかなりの心労を負っていた。父が心臓を患ってからは、私が父の代役を務めることも少なくなかった。
父。
私の父。
優しかった父。
しかし銀行の経営は息の詰まるものだった。澱み切った地方行政に、細りゆく未来しか見えない地場産業。私は少しでも早く、この仕事から抜け出したかった。
父の死をきっかけに、私は相続したすべての株式を売却し、経営権を手放した。
当時の資料を眺めていると、松田が私を呼んだ。
「ナガセの社長からお電話ですが……」
「ナガセから?」
受話器を取る必要は無かった。私は何を期待したのだろう。あの女社長から、今の私の状況に対する何らかのヒントが得られるとでも思ったのだろうか。ともかく私は電話に出た。
「巽社長、お願いします。もう一度、再建計画をご検討いただきたいのです」
長瀬が口にしたのは、私の望むような言葉ではなかった。むしろありきたりな、価値のない、無意味な話だ。
「長瀬さん、その話はもう……」
「お願いします。父の愛した会社を、このまま終わらせたくないのです」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で再び激しい嫌悪感が鎌首をもたげ始めた。
……この不可解な嫌悪感。
私はなぜ、彼女に対し、こうも嫌悪を掻き立てられるのだろう。
父の愛した会社?
私は……
「巽社長?」
電話口から長瀬の声が歪んで聞こえる。
強烈な眩暈。
頭痛。
私は震える手で、ポケットからビタミンCを取り出し、口に放り込む。
「巽社長、どうされたのですか? 苦し気な声が……」
「いえ、大丈夫。少しコーヒーをこぼしてしまいまして。再建計画については、メールで送っておいてください。一応、目は通しておきます」
「せめてお会いして……」
「それには及びません。取締役会の決定に従ってください」
私はそう言って電話を切った。
ビタミンCを飲み下しても、まだ気分が悪い。
少し眠ろう。
今日はひどく疲れた。
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