第3話 すまなかったな!

血のりをすっかり片付け終えると、ヨームは全員分のお茶を淹れ、テーブルに着いた。


「相変わらずだな、お前は。急に尋ねたというのによくあれだけ機転を利かせられるものだ」

「ふぉっふぉっふぉっ。生きている時間だけは、長いですからねぇ」

「もう!本当に心配したんだからな!てか、死んだかと思ったんだからな!」

「脈くらい確認しろ」

「だって、あんな血が広がったら死んだと思うよ!」

「ふぉっふぉっ。やはりあの液体は有効じゃな」


ヨームがお茶をすすりながら愉快そうに笑う。


「して、姫様はなんの御用で街まで?」

「国民の生活の視察かな。王宮にこもっていては何もわからん」

「ふむ、なるほど。そういえ3週間後には半年に一度の大規模な会議が行われますな。今までの政策が見直される大事な会議です」

「ああ、そうだ。私は、そこで商人の規制の緩和を実現させたい」

「ほお…」

「今現在、街や国を行き来したい商人は、国の許可を申請しなければならない。だが、その許可が下りることはほとんどない。表向きは、物流の混乱を防ぐ為となっているが…」

「商人と政務官の癒着…ですかな」

「そうだ。商人が国に払う税金以外にも、個人的に貴族たちに金を払う」

「なるほどなー。商人たちは物流を独占できる。貴族たちは金がもらえるってわけか」

「それだけならまだ良かった。最近は、欲を出し始めた商人が売値を上げてきてる。他の商人はそいつらから買うしかないから、どうしようもない」

「だから、最近物価が上がってるのか」


ルークの眉間にしわが寄る。


「このままじゃ今にこの国はだめになる。なんとかしなくては…!」


部屋に沈黙が落ちる。


「あまり思い詰めてはいけませんよ、姫」


ヨームが穏やかに言った。


「アウステロ国は小国なれど、たった1人の力で国を変えることはできません。1人で気負いすぎてはなりませんよ」


ヨームの柔らかな眼差しに、ふっと力を抜くルーク。わずかにほほ笑みながらカップをとる。


「そうだな。あまり気負いすぎてはうまくいくものもうまくいかん」

「ふぉっふぉっ。そうですぞ。政治に関しては何もできませぬが、何かあったらいつでもうちに来てくださいな。愚痴くらいならいつでも聞きますぞ」

「ああ。ありがとう」

「ああ…、といっても、もうトグサが居なくなりますからなぁ。寂しくなる」

「トグサが居なくなる…?」


トグサがぎくりとした顔をする。


「おや?聞いていないのですか?わしはてっきり…」

「いや、ほら。最近会う機会がなかったからさ!」


トグサが言い訳のように、口早にしゃべる。

ルークが眉をひそめる。


「どういうことだ。どこかに旅行にでもいくのか?」

「いや…違うけど…」


トグサが後ろ頭をかく。


「なんなんだ。はっきりしろ」


いもしれぬ不安に、ルークの語気が強まる。

トグサがルークの様子をうかがいながら、迷うように言葉を紡ぐ。


「う…ん…。おれ、引っ越すんだ」

「引っ越す?ヨームも一緒にか?」


まさに寝耳に水の情報に、驚きを隠せない。


「いや…、おれだけ」

「は?何のためにだ?」

「スコバリアに細工師の養成所があるんだ。定員があってなかなか入れないんだけど、先月怪我で辞めた人がいるらしくて。よかったら来ないかって」

「スコバリア?ここから半日はかかるじゃないか!?」


ルークがガタンッと立ち上がる。


「そもそも、お前、今日城に自分を売り込みに来たって言ってたろ!?」

「うん、だからサデローロを離れる前に顔を覚えてもらおうと思って。スコバリアの養成所に行けるってだけで注目してもらえるし」

「…っ!」


黙り込むルーク。

トグサと視線が合う。


「ごめんな?」


トグサが本当に申し訳なさそうに謝った。


「―っ別に!お前が居なくなろうと知ったことないね!」


ルークが視線を切る。


「ヨーム。世話になった。また来るよ」

「ああ、それはいいが…」


ヨームが言い終える前に、ルークはバタンと扉を閉めた。


「ルーク!待てよ!」


トグサが慌てて追いかける。


「トグサ、すまぬ。てっきり、もう伝えているんだとばかり」

「大丈夫だよ、じいちゃん。おれとルークだもん。でも、ちょっと遅くなるかも!」

「ああ、気をつけてな」


バタン、と今度はトグサが扉を閉じた。










トグサが引っ越す?


スコバリアに?


そんなの一度も聞いたことないぞ!



悶々と考え込みながら、大通りを歩くルーク。

ほとんど前を歩いていなかったので、どんっと人にぶつかった。


「いってぇな!何しやがるんだ!」

「あ、ああ。すまない」


ルークが急いで謝る。


「ごめんで済むかボケェ!」


男が唾を飛ばしながら叫んだ。

男は平民にしては珍しい絹の服を身にまとい、首や指には豪華な装飾品を身に着けていた。裕福な家の者のようだ。

まだ明るいというのに酔っぱらっている。


「本当にすまない」


ルークがもう一度謝る。


「あ~ん。あんだ、お前。気に入らねぇな~。本当に悪いと思ってんのか!?」


隠していたが、不快感が顔に出ていたようだ。


「ああ、悪いとは思っている。だが、こんな昼間から酒を匂わせて大通りを歩くのはどうかとも思う。他の人達の迷惑だ」


一瞬何を言われたのか分からないように男は固まったが、しばらくするとみるみるうちに顔が真っ赤になった。


「な、な、お前~。おれがだれか分かってんのか!?」

「知らないな。そんなブタのような顔一度見たら忘れないと思うのだが」


ルークが冷ややかに言い放つ。

男の頬がぴくぴくとひきつる。


「こ、このあまぁ!!」


男がこぶしを振り上げた。

ルークは男のこぶしをすっと横によけると、そのブタ鼻にパンチをぶちかまそうとした。

ところが、あと数ミリというところで体が後ろに引っ張られた。


「!?」

「走れ!」


トグサがルークを引きずるように走る。

ルークは無言でトグサの手を振り払うと、走り出した。






「はあ、はあ、はあ」


ルークが肩で息をする。

大通りを抜け、比較的人通りの少ない道に出る。ブタ男は途中まで追ってきていたようだが、すぐに力尽きたようだ。


「ルーク、大丈夫か。水飲めるか」


自分よりもはるかに平気そうなトグサを見て、いらただし気に水をひったくる。一気にすべて飲み干すと、空になった袋をトグサに投げつけた。


「礼など言わんぞ。あの場くらい切り抜けられた」


ルークがトゲトゲしく言う。

トグサが眉根を寄せた。


「切り抜けられたって。あの男を殴って?それで切り抜けられたってこと?」

「そうだ」

「あの男はこの辺の商人を取り仕切る男の息子だよ。そんなことしたら大変な騒ぎだ」

「ああ、なるほど。だから誰も文句を言わないのか。あんな時間から酔っぱらっている男を」


ルークが鼻で笑う。


「あんなところで騒ぎを起こしたらとんでもないぞ!君の正体がばれたらどうするんだ!」

「はっ!誰も気づかないさ。ここ数年、この国のは王宮にこもりっぱなしだ。はいつも体調が悪いようで、公式行事もなにも全てがこなしているからな。国民の目にはエイリスク様が真の国王に映っているだろうよ!」


ルークが自虐的に笑う。


「…やめよう。こんなところで話すことじゃない」


トグサが周りを見回しながら言った。ちょうど周りに人はいなかったが、いつ誰に聞かれるか分からない。


「ああ、そうだな。じゃあ、お前と話すことは何もない。じゃあな」


ルークが踵を返す。


「待てよ!」


トグサがルークの腕をつかんだ。


「はなせ!」


振り払おうとするが、力が強くて振り払えない。そのことに、ますます逆上したルークが叫ぶ。


「お前、自分が何しているか分かっているのか!いくら実権がないと言っても、お前を牢屋に入れる…」


気付いた時にはルークはトグサの腕の中にいた。

唇をトグサの唇でふさがれて…。

頭が真っ白になる。

唇が離れたと思うと、もう一度口づけされる。


「ふ…んんっ…」


自分のものとは思えないような声に、顔が熱くなる。

トグサの後ろを2人の女が通り過ぎた。


「やだ!見た?あの2人」

「見た見た!キスしてた!」


少し向こうで彼女らが興奮しているのが聞こえると、やっとトグサの唇が離れた。

自由になった途端、ルークはこぶしを握り、思い切りトグサの顔にはなった。


「あぺっぱぁ!!」


トグサが変な叫び声をあげて倒れこむ。


「あいててて…。ひどいなぁるーちゃん」

「何のつもりだ」


ルークが冷たい目でトグサを見下ろす。


「だって、人が来てんのにるーちゃんあんなこと叫ぶんだもん。本当にばれちゃうかと思ったじゃないか」

「…だ、だが。わざわざあんなことしなくても、止められるだろう!」

「どうやってさー。るーちゃんキレちゃってたし、無理矢理口塞いだらおれが強姦してるみたいになって、結局騒ぎになっちゃうよ」

「うっ…」


トグサの正論に何も言い返せない。


「さて、2度も助けてもらった相手を勘違いで殴ってしまいました」


トグサが立ち上がりながらなぞなぞ口調で話す。


「そんなときに言うべき言葉は?」


ルークが、口をパクパクさせる。


「す…!」

「す?」

「…すまなかったな!」


ルークが顔を真っ赤にさせながら、どなった。


「よくできました」


ルークの苦虫をかみつぶしたような顔に、トグサは必死に笑いを抑えるのだった。

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