第26話
ファンレターをもらった。父の頃は直接家に届くものだったらしいが、今はほとんどが出版社に届くのだ。ファンレターをもらうのは、とてもうれしい。初めてもらったときからずっと、毎回新鮮にうれしい。一日一通ずつ読んでいきたいけれど、ついもらったその日に全部読んでしまう。
私の小説の読者は女の子が多いので、封筒や便箋も可愛らしいものが多い。内容は様々だ。自分が考えた物語の解釈、物語の続き。個人的な悩み。続編の希望。いろんなことが、いろんな字で、いろんな言葉で書いてある。でもみんな、私への言葉だ。それがとても不思議で、面白い。たくさんの知らない人と、それぞれにつながりがある。それは私にとって、よいことだ。今のところ。木崎が淹れてくれたつめたい緑茶を飲む。
そっけない茶封筒を開いて、中身を出す。そっけない白い便箋。たたんであるそれを開くと、濃く四角い大きな文字がびっしりと書いてあった。私はそれを読む。
読み終わって、私は便箋をたたむ。書かれてある文字を再び読まないように気を付けて。暑いのに、首の後ろだけが妙に熱っぽくて、それ以外の部分は冷たくなる。指先でつまんで、封筒に戻し、束から離れた場所に置く。花束のように華やかで可愛らしいファンレターの中に、それを置いておきたくなかった。
手に汗がまといついている。気分が悪い。重い体を動かして立ち上がり、手を洗う。ついでに顔も洗う。顔の表面はさっぱりとするけれど、芯にやっぱりいやなものがある。
大雑把に顔を拭いて、水滴をつけたまま戻る。他の手紙を読もうとして、でもうまく手が動かない。お茶をもう一口飲む。少しぬるくなっている。ゆっくりゆっくりそれを啜る。
結局のところ、と考える。結局のところ、私には、罪悪感があるのだ。自分が罪深い人間だという感覚。価値がないのに、価値がある人間であるかのように思いあがっている、という、感覚が。それは強固なもので、私の精神の土台にがっちりと絡みついている。取り払うことはもうできない。でも、忘れたいと思っている。だから人に「お前は罪深い」と言われると、反発する。でもそれが正しいのではないかと思ってしまう。どうしても。
戸が開く音がした。私は振り向かずにお茶を啜る。
「ゆすらさん」
呼ばれて、振り返る。呼ばれたことが嬉しい、と思う。私の名前を呼ぶ人がいる。
「かき氷食べますか?」
かき氷。
「うん!」
声が跳ねた。木崎が笑う。私は立ち上がり、木崎の後ろをついていく。
手首から肘の前あたりがじん、と重くてだるい。でも悪い感じではなかった。木匙でそろそろと掬い、口に入れる。甘くていい匂いで思い切り冷たくて、なんて贅沢なんだろう。つめたさと甘さが、腕の重さも軽くする。
「美味しいですね」
木崎の言葉にうなずく。私は桃の果肉を食べる。甘さと歯ごたえ。幸せだ。
「こういうかき氷は初めて作ったんですけど、なかなかいけますね」
少し熟れすぎた桃を安く買ったので、シロップにしてくれた。シロップというには密度が高くて、ピューレというほうが実態に近いかもしれない。それを、私が削った氷の上にたっぷりかけて食べる。
ふんわりとした氷の粒が輪郭を失いながらきらきらと光る。熱が氷を溶かす速さと競うように匙を入れる。遠慮のない冷たさにきんと頭が痛んで、でもそれも楽しい。
「おなかつめたい」
器の底にたまった甘い汁を飲み干して、呟く。木崎はふふ、と笑った。木崎のかき氷はまだ半分ぐらい残っている。
「僕ももうつめたいです」
「お茶淹れるね」
立ち上がる。
「助かります」
なんだか気が利いた行動が取れた気がして嬉しくなった。私の考えること、することには、ちゃんと意味がある。そう考えることができるのは、よいことだった。
少しだけ迷って、ほうじ茶にした。
「はい」
木崎の前において、自分も飲む。ひえきった内臓が一気にあたたかくなる。内側からいきなりこわばっていたいろいろなものをほどかれる快楽。不自然で少しうしろめたくて、でも気持ちがいい。
「おいしい」
木崎の言葉にうなずく。冷えがおさまったのか、木崎はまた匙を取る。私はあたたかいうちにと湯飲みを手で包む。
「話をしていい?」
すっかり気持ちよくなった体の、気持ちよくない部分だけを取り出すように言う。
「どうぞ」
木崎はなんの考えもなさそうに促す。私は笑う。この男を動揺させたり気分を害したりすることは、そもそも私には不可能なのかもしれない。そんなことさえ思う。
「手紙を読んでたんだけど、嫌なのが入ってて」
「はい」
「読んだら嫌な気分になった」
言葉にしたらたったそれだけだ。あの手紙は、私の小説がいかに稚拙かとても丁寧に分析していた。突拍子もない強引な解釈と否定しきれない意見が混じっていて、ばかばかしいと笑うことができなかった。悪意。執拗で、細やかな、悪意。島田ゆすらへの悪意は私自身の中に存在しているのに、それを外に見つけると、驚く。私にとって、悪意はそうそう他人に向けるものではないので。
「嫌な人もいますね」
木崎が悲し気に、でも穏やかに言う。私は頷く。嫌な人。そうなんだろう。その人は、私ではないのだ。私ではないから、私とは違う悪意の扱い方をする。その人が私を嫌いなのは、私にはあまりかかわりのないことだ。それだけなのだ。
「そうだね」
ほうじ茶を飲む。胃の中でまだつめたく光る氷を、あたたかいお茶が溶かす。
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