#36 変容する心境、動かない過去

 気が遠く成る程に遠い空を見上げて、己の不幸を呪っていた詩人に構わずに何やらピーチクパーチク囀る丸山。

 ポエットとしては興味も関心も無いので、ガンガン左から右に流れていく。釈迦に説法。馬の耳に念仏――オレの耳に丸山。ここに一つのコトワザが誕生した瞬間だった。


「―――でねぇ海を見に来たんだけど――――結構――――って斑目くん聞いてんの?」

「あ、ああ…オレも丁度そう思っていた」


 突然名前を呼ばれ、如何にも『話を聞いていませんでした』的な相づちを打ってしまった。

 そこで改めて丸山の姿をきちんと見た。真剣に網膜に入れたその出で立ちはと言えば、流行の化粧と服装に身を包み、ブランド物のバックを肩に提げている。


 偏見だけど、見るからに自分を持っていない、周りと同調することだけに全てを懸けているような頭の悪い連中が好みそうな感じ。くだらねぇ。


「お~い、ひろみぃ~。早く行こうぜ~」


 意外と長く話し込んでいるのに痺れを切らしたのか、運転席からこれまた随分と軽薄そうな男が降りてきた。

 男にしては明らかに長過ぎる髪をワックスとスプレーを使ってツンツンに盛っているソイツは、おそらく年上だろうと推測した。何となく顔立ちがそうっぽい――てか大体、車を運転している時点で無免でも無い限り確実に年上。


 しかし、それにしても…、


 コイツ小せぇ~、この男一六五無いんじゃないか?


 彼女?に手を出しているように見えるオレにすっごい剣幕でガンを飛ばしているのだけど、何よりも背の小ささの方が気になって笑いそう。


 オレが一八二センチあるから、少なくとも十三、四センチ以上は差がありそうだ。そんな体格差で絡まれるオレ…結構なシュールレアリズム。


「ぷっ」


 やべっ、耐え切れずに吹き出してしまった。それが気に触ったのだろう(当然だ)、チビ男は精一杯迫力のある声で怒鳴り上げながら、不躾にもオレの胸ぐらを掴む。


「あぁん? テメェ何笑ってんだよ?」

「あ?」


 ちょっとイラッとした。

 オレの機嫌も常に最高潮に穏やかってわけじゃない。むしろ今は望まぬ邂逅で最高に不機嫌になっている。人並み以上に怒りも覚える心理状態。

 つまり正当防衛と言って然るべきな状況だろう。うん、違いない。オレは被害者だ。だからこれは正当防衛。


 オレの胸の前に突き出されているチビ男の腕を掴み、みしりと力を込める。


「あぁ? 何だよ、オレが笑っちゃダメなルールでもあんのか? クズが女の前だからってカッコつけんなよ。踏み潰すぞ、この微生物チビが」


 静かに、どう足掻いても正義の味方には聞こえない台詞を言い切ったところで、更に力を入れる。ギリギリとチビ男の右腕から骨の軋む悲鳴が聞こえている。


 余談兼自慢になるが基本的にぼっちで暇人な身の上であるオレは時間を高頻度で持て余している為、筋トレを結構ガチでやっている。イコール、割りと筋肉質な肉体の持ち主。


「つっ!」


 舌を小さく鳴らして、オレから腕を離す。それを確認したところでオレも力を抜いて、チビ男の腕を開放してやる。


 だっせぇな…。


 ビビるくらいなら最初から絡んでくるなよ。無意味に自分を傷つけるだけだぜ? 自分はもっと大事にすべきだと思うよ。


 傷む右手をぶんぶん振っているチビ男とオレとを数回見比べた丸山は、こんなことを言い出した。


「う~ん。アンタもういいや。だせぇし格好悪い。斑目くんのが全然男前だし」

「「は?」」


 うおっ、不覚にもチビ男と不愉快にハモってしまった。

 オレとチビ男は顔を見合わせた後、素っ頓狂な言葉を吐いたバカ女に視線を映す。謎のシンクロニシティ。

 この素晴らしき馬鹿に対して言いたい暴言ことなんかが若干数あったけど、その権利をひとまず一瞬前まで彼氏であった(暫定)チビ男――もの凄くアホな顔になっている男――にまずは譲ってやろう。


「ちょっと待てよ…いきなり意味わ…」

「だってアンタチビだし、今のちょーダサかったじゃん」


 そう言って丸山はチビ男を心理的に置いてけぼりにしておいて、オレの目の前に非常に演技臭い感じで立ちはだかる。


 にっこり微笑んで、聞きたくもない言葉を吐いた。


「ねぇ斑目くん。彼女いないんなら付きあおうよ」


 凄い既視感。所謂デジャヴ。


 その言葉が引金となって色々と思い出したくもない、思い出さずにいられない過去が脳裏にフラッシュバック。凄惨な記憶が鮮明に蘇る。思い出したくない過去。忘れたくない憎悪オモイ。変わることのないと思っていた絶望。


 しかし、何故だろう…あれだけの思い入れがあった記憶の発端である丸山に対して、そんなに特筆すべき感情が芽生えないのは…。


 彼女と出会えば何かしらの思いを抱くものだと思っていた。怒りだったり憎しみだったり恐怖だったり…そういった黒い感情がそこまで湧き上がらない。殆ど噴き出さない。


 オレの性格を鑑みれば、丸山の目玉に煙草を押し当てたい衝動に駆られたり、アキレス腱をきれいに切り刻んで醤油漬けにした挙句、その下品な口に押し込んで差し上げたいと望むものだと思ったものだけれど…。


 うーん、別段そんな快楽が欲しいとは思えないんだよな…。


 その理由は今、オレの瞳に見えている金髪の元同級生が救いようのないただのアホ女だからか?


 うん、一旦そう認識してしまえば現在はそれ以外の何者にも視えない。

 畏怖すべき対象でも無ければ、憎しみをぶつける相手だというのも違う。


 もちろん全然そういった類の感情が無いといえば、それは嘘になるけれど何かが致命的に異なっている。


 哀れみこそすれ、憎みきれないとでも言えばいいのだろうか…?

 得体の知れない何かが確実にオレのピントをズラしている。あー、わっけ分かんねぇ。本当にややこしいな、心ってのは…。


 でも現在一七歳であるオレの瞳には何かが視えている。

 中学生の頃には視えなかった真実ってやつが。今の今まで解らなかったオレの思いが。


 間違いなく視えているのだろう。

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