#32 少年の背負う原罪めいた罪と咎

 無遠慮に律儀な差し込む夕陽もそろそろ引っ込もうかと考え始めた時分。

 自称、か弱い女である代表にだか筆頭だかにパワハラ気味に押し入られた可哀相な男子高校生。

 その狭い部屋に、持ち主たる携帯電話の無機質なアラーム音がけたましく鳴り響いた。


 って…ん……あ?

  ああ……ええ、あ、もうそんな時間か…。


 ああ、夢…見なかったな。

 曲がりなりにも人一人の人生を少なからず変えちまったのに、意外と何も感じていないのか…?


 寝ぼけた頭で漠然とした感想を漫然と抱きながら、いまなお鳴り響くアラームを止めようと寝惚け眼で枕元を探るが、オレの手は一向に目標の対象物にぶつからない。


 そう言えば、聞こえる音がやけに遠いような――把握する目線が就寝前よりやけに高いような…。


「っって?」


 布団を跳ね上げて一気に上半身を起こす。そんでもって瞬時に判断。この状況は…?

 何故かは分からないけれど、仔細は一切覚えてないけれど。

 イヤな予感がビシバシする。現代のユビキタスだかソクラテスだかが溢れて埋没するこの社会の中で、埋もれてしまったはずの動物的な直感が警告を打ち鳴らしているような気がする。


 うっすらではない量の冷や汗が背中を通り抜ける。

 不意に心配になり、左右を見渡すが誰もいない。完全には覚醒し切っていない頭に懸命に覚醒を促す。一体何がどうなって、あれがどういう状況だ?


 そもそも何故オレはベッドにいる?

 そして、この横のスペースはどうして不自然に空いている?


 やべぇ…。

 通り抜けたはずの冷や汗が規模を大きくしてカムバック。とんだUターンラッシュに最悪の想像をしてしまった。IターンとかUターンだとか言うやつだきっと!


 いやでもまて。もしかして……やらかした…のか?

  否、寝ぼけてベッドに移動しただけだ。うん。そうに違いない。きっとそうだ。それ以外には有り得ない。

 今まで知らない自分が語っていたけれど、オレって意外とダイナミックな寝相の持ち主だったわ。うん、すっかり忘れていたけど、多分そんな初期設定があったはずだ。


 けれど、もし仮に、西から登ったお日様が東に沈む位に有り得ない仮定をするとして…ヤッちゃってたらどうしようっ? アレか? オレは無意識レベルで悪魔の所業をするほどに外道なのか?


 やべぇ…自分に自信が持てない。


 神無月が寝る前に言っていた『一緒に寝ないの?』という言葉が激しくフラッシュバックする果ての見えない後悔と懺悔のループに沈み込む。


 頭を激しく抱え込んでいたオレは玄関の開く音に、必要以上の過敏な反応をしてしまった。

 ともすれば無理のない反応であったのかも知れないが、サバンナで敵を警戒する草食動物だってここまでじゃない気もする。


 このタイミングでオレの部屋に入ってくるのは…、


「あっ、ただいま斑目君。もう起きたのね」

「おおおう。お、お?おか…えり」


 そりゃあ神無月紫織、その人だよね。

 靴を脱ぎ、寝室兼居間に入ってきた神無月は――荷物が重かったのだろうか――手で顔を扇ぎながら、そこそこ大きなビニール袋を机の上にどかっと置いた。


「私は少し前に起きたから、コンビニに行って適当に買ってきたの。何か要る?」


 袋からペットボトルの紅茶を取り出して、飲み始める。

 頬に絆創膏が貼ってある以外はおよそクールとしか表現しようのないそのご尊顔は化粧がどうこうでは無く――なんかこう就寝前に比べて何処となくツヤツヤしている気がする。


 まさかな…いや、仮に同じベッドで一緒に寝たのだとしても、それだけだ。単に一緒の寝具に寝ただけ。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。

 頼むから『それだけ』だと信じさせてくれっ!


 雑念を振り払おうと頭を軽く振ってから、緊張で口の中がカラカラに乾いていたこともあったので、神無月に習い袋を探る。


「じ、じゃあ、コレ貰うな」


 口内における急速な砂漠化の進行を物理的に阻止できそうなミネラルウォーターを見つけたので、それを一気に半分ほど飲み干した。程良く回る程度に潤いは得た。心の安寧は…得られるのか?


「そ、それで聞きたいんだけど…何でオレはベッドにいんの? 確か床で紳士的に寝ていたと思うんだけどさ…」


 先程からドモリまくりの声に、菓子パンを食べようとしていた少女の手がピタリと止まって、そのままぐるりとこちらを向いた。

 その動作は機械的で、顔はえらく真面目で。恐らく真剣と書いてマジと読ませるぐらいに真剣マジだった。


「あなた……覚えていないの…?」

「えっっ? ちなみに…何を…?」


 少し下の方を向き、顔を赤らめる神無月。そして、ゆっくりと口を動かし言葉を紡いだ。


―――オレとしては全く嬉しくない言葉を。


「ベッドでそろそろ眠りに落ちそうだった私に…音を殺さずに近づいて……」


 意図せず生唾を飲み込んだ。

 気分的には判決を待つ被告人のようであるが、状況的には違うはずだ。多分! まだだ。まだ決まったわけじゃない。誓ってオレは何もしていないはずだ。


 しかし、神無月は一向に目を合わせてくれない。これは…まさか…。


「近づいて?」


 意味深長に言葉を区切った神無月を促す。神無月はオレから視線を逸らして、現実を厳しく叩き付ける。


「荒ぶる獣のように私を…その………お、女にしたわ」


 はいオレの人生終わったー。次回からは監察編になるし、そのうちに監獄編が始まるよ~。

 いやいや本当にマジで? ガチで?

 もしも、もしもしそうならば、寝相悪すぎね? いや、そんなダイナミックかつセクシャルな寝ぼけ方があってたまるかっ!


 しかし、どうするっ? 事実ならば責任をとるべきだろうか? ケツのポケットの中の四角い感触がひどく煩わしい。

 っ! これが未開封のままってことは、もしかしてオレ…避妊してない可能性があるっ? マジでピンチ。


 ここ数日の女運の無さといったら…ああ傾国の女ってこんな感じなのかなぁ~。

 まあ傾いたのは国じゃなくてオレの人生くらいのもんだけども……待てっ、現実逃避している場合じゃない。考えろ、考えるんだ。


 ああ家鳴りがうるさい…。

 って鉄筋コンクリート造の家で家鳴りっ?

 んな訳無いだろ。落ち着け、落ち着くんだオレ。思考が右往左往してんぞ! 常識で思考しろ! 上っ面のクールさがお前の数少ない売りだろ? なるほど仮面それが剥がれたらこうなるのか。


 つまりはこれがオレの本性…じゃなくってさ!

 だあっもう纏まんねぇ。もういっそのこと開き直りで居直るか?

 いや、駄目だろっ! 何の解決にもならない。

 大体、避妊してない責任を否認するとか、どんな非人だよ。この『字面でしか判断できないジョークシリーズ』って流行るかな?

 流行らねぇよな…くだらないこと考えた。論点はそこじゃねぇよ。


 くそう、誰か童貞(元)のオレに打開策を授けてくれっ!

 このまま彼女いない歴イコール年齢のオレが考えた所で答えが導き出せるとも思えない。とりあえず詳しく話を聞こう。うん。それがいい。決して問題の先送りじゃないよ? 現状を確認しないことには何も始まらないと多分昔の人は言ったはずだ。


「う、う、う嘘だよ…な? どっきりだろ…?」

「…………」


 沈黙が痛い。言葉は人を傷付ける凶器だというけれど、沈黙だって十分同等に、若しくはそれ以上に代替できる。


 しかし、少女が長過ぎる沈黙を守ったところで、オレはそれを責められない。それを咎められる立場にはない。容疑者であるオレに被害者である神無月を糾弾する権利はない。


 しかし、権利は無いとは言ってもあくまで容疑が掛かっているからであり、嫌疑では無いと信じたい…別に疑いに好き嫌いは関係ないし、好意による罪とかあるわけないし、そもそもの根本的な問題として、犯した罪が消えるわけでもないけれど、何となく気分の問題で。


「言い辛いだろうけど、頼むよ。……嘘だって言ってくれ」


 甲斐性なしの情け無い懇願。

 ここに来て叔母さんの『避妊はしっかり』という言葉が責任の二文字と共に脳裏に重くのしかかる。何の伏線だよ。


 っつ、心臓の鼓動がやけに煩わしい。

 そんなに『オレは生きてるよ!』みたいな主張をしなくても分かっているから! お前オレは生命活動を維持してるって実感しているから!


 分からないのは今の状況とオレが神無月に何をやらかしたのかってことだから! 人を拒絶していたはずのオレが何故こんな状況に? それすら冷徹に出来無いのがオレの弱さなんですかね…。


「冗談…だろ?」


 神無月はここでオレの瞳を見つめて一言。


「まぁ嘘なのだけど」

「……?」


 ん? しばらく耳掃除をしていないからかな、ちょっと良く聞き取れなかったな~。もう一度言ってもらえると、大変助かるんだけどな~。いやあ耳鼻科とか行くべきなのかなあ。


「だから嘘だってば。私の方が先に起きたから、あなたをベッドに移しただけ」

「……」


 あれだ、二の句が継げないってやつ? ん? 思考が着いて行かない。

 初心な少年の反応を楽しむように、オレとは対照的に悠々と二の句を継いで行く神無月。


「ほぼ成人男性のあなたを移動させるのは、なかなか骨の折れる作業だったけれど、何と言うかほんのささやかなお礼?」


 元・氷像の少女は器用に片目を閉じてから、人差し指を口に当てて悪戯に笑う。スゲェ可愛い。ここだけ見れば滅茶苦茶絵になる。有名女優が演じる映画のワンシーンにでも見える。


 でも、手放しでその偉大さを賞賛出来無いのは何故だろうか? きっとその訳は、オレの心が狭いからとかそういうオレの内部に起因するものではないことだけは確かである。


「はぁああぁぁあああ~~~~」


 人生においてワーストなのかトップなのかは判断できないけれど、何かしらのランキング上位に入るんじゃないのかと思うほど深い溜め息を吐き出しながら、肩ごとガクリと身体を落とす。


 心の底からホッとした。完全に騙された怒りとか情け無さとか、『何で嘘が見抜けなかったんだよ』とか色々渦巻く思いはあったけれど、本当に良かった。マジで良かった。性犯罪者にならずに済んで、マジで安心した。監獄編とか勘弁だからな。


「あら、怒らないのね。斑目君、暗い割に器が大きいのね」

「そりゃどーも。でも残念。その実、怒る気力も湧かないってのが真相。実際問題、察しのとおり、オレの器は浅くて小さいよ」


 飲みかけのペットボトルから水分を摂取して、乾いた身体を潤してから適当に手を振る。もうイイよ、何でも。

 神無月は屈託の無い笑顔を見せる。ずっとそういう笑顔かおしてればいいのにと何処かでオレを見つめる僕は思った。


「そうやって自分を卑下するのは良くないわ。あなたはあなたが自分で思っているよりも、ずっと素敵な男の子よ?」

「そいつはドウモ。では素敵な男の子から美人系先輩にアドバイスをひとつ」


 何もかもどうでも良くなったけど、安心したら空腹がやって来た。

 何か食う物無いかな~とか思いながら、袋を漁る。おっ、チョコバー発見! やっぱり、手っ取り早くカロリーを摂取するならチョコだよな。安価でそこそこの満腹感を得られる一人暮らしの友。


 米国産のチョコバーを一齧りしてから、びしりと目の前の少女を指差す。


「あんまり純情な青少年の心を弄ぶなよ。相手が紳士オレだから良かったものの…。いつか取り返しの付かないような手ひどくて手痛いしっぺ返しをくらわせるぞ?」

「あなたが私にくらわせるの?」


 キョトン顔からの真面目な返答。おっと失言めいた発言だった。


「あ、ごめん。深層心理下の無意識による発言だった。正しくは『しっぺ返しを何時かくらうぞ?』ね」


 いや無意識って怖いよね。

 意識していない分、悪意を持った嘘よりも性質タチが悪い。より本音に近いモノになることがしばしばある。


 つーか、その論理で行くと、オレは結構神無月を恨んでいるらしいな。少なくとも好意的には思っていないことになる。

 同属嫌悪? まあ理論なんてあくまで公式に当てはめた格式ある回答しか出せないからなぁ。オレみたいな非常識にはどうなんだろう?


 当て嵌まったりしてたらそれはそれで悪くない。

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