#30 気疲れの多い事後処理
目立たない様に三位をひたすらに取り続ける爆弾魔の男程じゃないけれど、なるたけ静かに暮らしていきたいと常々程々に思っているオレはこんなドキドキラブコメディを日々の生活の中に求めちゃいない。
勿論、かつて我が身にトラウマを刻んだ三年前の様なハートフルボッコメディを求めている訳でもない。これは蛇足かな。
ポケットに入れっぱなしだった神無月紫音の遺品である煙草に火を点けて、深く煙を吐く。その場しのぎだとしても少しでも気分を落ち着けたかったから。
所で全く関係ないけどさ、このライター記念に貰ってもいいかな? デュポンのライターとかあんまり見ないからな。それにオレは信念をモノに残して、刻んでおくタイプだし――なんて邪な小悪党的思考に横槍が入る。
「ちょっとヤメてくれる? その匂いにあまりいい思い出はないのだから…」
こうして口に出せるというのは、神無月の中で少しは折り合いが着いたと解釈していいのかな?
それは当事者兼部外者としては余りにも無責任な前向きかも知れないが、無意味な後ろ向きよりはいいだろうとせいぜい自分を誤魔化すことにしよう。
余り難しい顔をするのも何なので、茶化しがてらに非難の目を贈る。
「まぁ、そう言うなよ。今、紫煙を吸って吐いてるのには――ストレス社会におけるお前の責任が多分に含まれていると思うぜ?」
「な、何よ…それに元々はあなたにデリカシーが無いからでしょう?」
そう言い、ほっぺたをぷーっと膨らませる少女(高校三年生)。おいおい、『深窓の氷像』って設定はいずこに? 持ち得る神無月のキャラが絶賛崩壊中。
それに伴って崩れ落ちた『少年の年上に対する幻想』の落下にご注意下さい。いやね? オレも少なからず人並みに持っていたんだよ? 年上美人へ対する壮大な幻想をさ…うん。
スイッチとレールを切り替えよう。
崩れてしまったものは仕方が無い。もう戻らないから。
覆水盆に返らず、何かの間違いで返った所でそれは元あったカタチとはかけ離れたものさ。
「でさ、神無月。ちょっと真面目な話をしようぜ」
「何? 結婚の話? そうねぇ…」
オレが言うのもなんだけど、茶化すなよ。
話が脱線したら戻って来るのに、時間を果てしなく消費するだろうが。何度も繰り返し言うみたいだけど、一見して無駄なのはあまり好きじゃないんだよ。
灰皿が見つからないので、適当に床に灰を落とす。いい加減、そこら中に撒いた酒も気化してるだろう。その為に窓を割ったんだし。
「…お前、これからどうするんだ?」
返答がない。
なので独白に近い語りをひた続ける。
「親父は…その…もういないし、今更母親の所にも行けないんだろ?」
厳密に言えば、親父の方は昨晩オレが追い立てたのだけど。『二度とツラを見せるな』的なことを言い放ちながら。
母親の方は…昨夜の話から察するに、仕事人間の神無月紫音に愛想を尽かして出ていったらしい。加えて、娘たる神無月の雰囲気から察するに、余り密に連絡をとっている訳でもなさそうだ。
だけど、
「かと言ってこの家で独りで生きていくのは無理だし…」
義務教育を超えた学業をこなしつつ、早朝のコンビニバイトでこれからの生計を立てるのは――不可能とは言わないまでも、それなりに困難を極めるだろう。
この辺りに残った現実的な問題が、この結末を純粋なハッピーエンドとは思えない理由の一つ。
オレが大した矜持も明確な目的も確固たる正義も無く、一人の少女の歪でも明日の生活におびえることはなかった日常をぶっ壊したのは確かだから。
もしもフィクションの中に生きるヒーローなら、そんな心配なんてさせない位に彼女を完璧に救えたのだろう。
でも大変口惜しいことにオレはそういった英雄の器では無い。それは大層甲斐性のない話だ。
「その心配はないわ。私に考えがある」
「それで考えたんだけど…って、え?」
って? え? マジでっ? ナニソレ、オレの一晩無駄じゃん! ザッツ無駄骨?
いや、まだだ。ここで神無月の提案に何かしら難癖をつければ、オレの不眠不休は無駄にならずに済む。さあ言ってみろよ、神無月ぃっ!
「この家にあの男が戻って来る可能性があるので、とりあえずこの家を売ってお金にします。それで当面は生活できるはず。家もそれで借りる」
あぁ意外と、予想よりは現実的なプランだった。
神無月のことだから『班目くんに嫁入りします!』とか意味不明な供述をしだすんじゃないかと身構えていたのだけど、どうやらそれは杞憂だったらしい。
まぁ『身元保証人とかいなきゃ売却とか無理じゃね?』とか『第一お前未成年じゃん』だとか色々突っ込む隙はあるけど、方向性としては悪くない。
この家はデカイし、父親の趣味なのか調度品も高いのが多いから、売却できればそこそこまとまった金が入るだろう。ライターも渡して足しにするべきかな…。
ただ、そのドヤ顔がムカつく。
深い溜息をついてから、現在思い付いたことを告げる。
これ以上二宮夫妻に甘えるのは嫌なのだけど、今回は神無月の生活が掛かっている。オレの
その分はまだいいのだけど、結局オレの一晩は意味ナシだったことが今は何より口惜しい。
「…色々言いたいことはあるけど、それならオレが清隆さんに頼んでみるよ…」
「清隆さんって…斑目君の保護者代わりの? 昨日会った…」
唐突に出てきたオレの兄代わりが何の関係があるのかと言わんばかりに首を大きく傾げる神無月に説明を補足していく。
「清隆さんの職業は一応不動産関係だから家も紹介してくれるだろし、年齢的な問題の色々も多分何とかしてくれる。親類の紹介だし、何てったって
なるほどと顎に手を当てて頷く神無月に更なる代案を提示したが、これが若干悪手だった。
「最悪、オレと一緒のところに住めばいい」
「いいいいいい、いっ一緒? そおお、そ、それって…同棲…?」
ああもう、なんか頭痛い。あれだよな…コイツ基本的に性に貪欲だし、根本的に耳年増ってやつだよな…多分。
確かにオレの言い方も悪かったのかも知れない。どうやったって誤解を招く様な物言いだったのかも知れない。
しかし、それを差し引いても彼女の耳は些かポジティブシンキング――いや耳だからポジティブリスニングが過ぎると思う。花畑でハッピーなご機嫌聴覚だと思う。
だから、言葉がトゲまみれで溜息を多分に含むのは致し方無いことだと思うんだ。
「ばーか、違ぇよ。オレと同じアパートの隣の部屋にでも住むか?って意味。あれか? 年中発情期ってやつですか?」
「違うわよっ! それに斑目君…まだ懲りていないようね…」
禍々しいオーラを放ちながら、ゆらりと立ち上がろうとする神無月。
綺麗系先輩の胸部付近絶景ツアーご招待の次はオレに何をする気だっ? いやっ、興味が破片もないなんて賢者のように立派なことは言わないよ? つーか言えないよ? でもなんつーか、そろそろオレの貞操が本格的に危ないっ!
「待てっ! 落ち着けっ! ごめん、先程の発言は大きなミステイク! あれだっ、お前は何処に出しても恥ずかしい程に天下無双に高貴で貞淑な淑女だあっ!」
神無月は伸ばしかけた手をすっと引っ込め、座り直す(心なしか先程までよりも距離が近い気はするが)。
マジで一体お前はオレをどうしたいんだ?
いやまあ何となく視えているし、ここまでされれば普通に察しはつくのだけど。一言で言うのなら、笹塚さんの言っていたように恋心を弄ぶのは良くないねって感じ。良い子のみんな、お兄さんとの約束だ。
「分かればいいのよ。そうねぇ…次失言が飛び出したら…」
やめてっ! 瞳をギラリと光らせないでっ! 含み顔で舌なめずりをしないでっ!
そんなピュアボーイを呑み込む蛇の瞳はなんか無駄にドキドキしちゃうから是非ともヤメて欲しい。
「じ、じゃあ、とりあえずオレが清隆さんに相談するってことでっ! 結果はおいおい。じゃあオレ帰るわ! 大変長い時間お邪魔しましたっ!」
何をされるか分かったもんじゃないので、急いで立ち上がって家に帰ろうとしたら、手を思い切り掴まれた。急な反動で倒れそうになったが、倒れた先にあるのは見え透いた貞操の危機だったので何とか踏ん張った。かろうじて踏み止まった。若干、人間の可動の限界を超えた気がする。
「ちょっと待ちなさいよ。斑目君の相談が終わるまでの間、私は一人でどうすればいいのよ? 少しは助けてくれてもいいんじゃない? というか助けなさいよ」
いや、そんな上から目線の高圧的救助要請とかお断りだよとは言えずに、なぁなぁで切り上げようと努める。
心身共に活動限界を迎えちゃって、自宅のベッドが本気で恋しいんだってっ!
「現在は眠気で頭まわんないんか…らさ、なんか、あ…それも、後々のおいおいってことで。じゃあ、そのアレ、マジでまた後日――」
「だから待ちなさいってば。こんな広い家に私みたいなか弱くて、可憐で、美人な女子高生を独りで残しておく気?」
当然阻まれましたよ。えぇ。
オレの瞳に写る天国への階段はか弱くて、可憐で、美人な女子高生に邪魔されましたよ。
何度も繰り返しになるけれど、瞳以外は基本的に普通に根暗な高校生であるオレには、昨夜の出来事は余りにもエキセントリックで、異常事態であり、例外中の例外中のであった。その中で極度の緊張を強いられれば必然無理がたたる。
オレの過去とか鑑みて貰えれば一目瞭然なのだけど、基本的に有するメンタルは豆腐なのだ。神無月の様に鬼メンタルとは違って虚弱メンタルにはしんどいんだって。本当にマジでガチで。ぴえん、眠い…。
「今の状況を鑑みる限り、『か弱い』ってのは違うんじゃないか? わりかし逞しく生きれてんじゃん!」
「じゃあ他は私に当てはまるのね。やだ、照れるじゃない」
転んでもタダじゃ起きない女だ。やっぱり逞しいじゃん。過激で過度ななポジティブ思考。
辛い場所から目を逸らして逃げ出したペシミスト的なオレなんかよりよっぽど強く生きてるよ。ならばやはり独りきりでも大丈夫さ。
「そうだね。神無月は可憐で美人な女子高生だよ。では、おつかれっしたー」
先の言葉を訂正し、丁寧に頭を下げてから背を向ける。また邪魔されることは予想していたけど、首だけを力づくで一八〇度近く回されるとは思わなかった。
か弱くて、可憐で、美人を自称するタフネス女子高生に、高純度の力技で人体の可動域を無理矢理に超えさせられた。
人の首を自分の方に無理やり向かせた神無月は間髪入れずに要求する。
「私をあなたの部屋連れて行きなさい。返事はYes or Dieよ?」
「ふ、ふぁ…あ、い……」
女の子からのアフターのお誘い(恐喝)を間抜けな声で了承する。何の因果か、お持ち帰りが決定してしまった(全然オレの望むところではない)。
何だかんで流されやすい、情け無い自分に嫌気がさす。もう刺し過ぎて剣山状態のハリネズミ状態。これ以上ないって位に四面楚歌。
一応もう一回、確認の為に言っておくけど、オレは静かに暮らしたい。
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