#27 決して偽れない僕の姿
「ああぁぁっぁぁああああああああぅぅううう」
もう何度目になるかも解らないけど、直面する現実に適応できなくなって発狂した神無月紫音。その心は自意識が引き裂かれているよう。
狂乱の最中に浸る彼は床のゴルフクラブを拾い、目の前の少女――あろうことか自身の遺伝子、その
その濁った瞳には嘘で固めた愛情すらない。浮かんでいるのは敵意だけだ。
―――まぁ、させねぇけど。
「だから落ち着けっての。さっきも言っただろ? 『頭を冷やしたらどうだ?』って」
後ろから羽交い締めにする形で、神無月氏の進行を止める。音もなく、静かに凶器が床に落下する。
今まで何度もぶっ飛ばされた身で言うのも恐縮なんだけど、素人対素人ならばガタイのある方が圧倒的に有利なんだよ?
忘れていたかも知れないけど、一応語り部として多少の活躍はしたいと思う、人間味溢れる狭い心根もある。
憐れな父親は尚も絶叫を止めない。既に凶器を持っていない手を振り乱し、無様に暴れ回る。
「があぁぁっぁぁっぁああああああああああ」
適当に振り乱したであろう拳がオレの頭にヒット。
真新しい傷が開いたのか、再び血が眼前に真紅の帳を下ろす。
「ってぇ…ったく、いい大人がギャアギャアうるせぇな。これでも飲んで落ち着けよっ…!」
言うが早いか、右手に持っていた酒瓶をひっくり返す。神無月父の口の中にではなく、彼の頭の上で。
地球には重力というものがあって…って、こんな説明要らないか。
中身の入った瓶をフタの開いた状態でひっくり返せばどうなるかなんて小学生だって知っている。学問としての理科以前の問題、自明の理というか一般教養レベル。
「うわっぁ…ぺっっ。っせぇ! い、一体何だコレはっっ!」
ついでに瓶そのもので追撃。額は割れても瓶は割れない。これが高級品か…。
「おや、聡明なあなたは知らないのですか? なら教えてやるよ」
尊大な態度の未成年者による酒の講釈が声高らかに始まる。ここだけ見ると意味が分からない。
「今貴方が浸っているのは京都の名水を使ったシングルモルトの一二年モノ。ジャパニーズウイスキーの傑作シリーズ。香りも上品で、口当たりも最高。味は複雑で飽きが来ない。その代わり高い。ちなみに度数は四三だったかな?」
オレがウンチクを披露している間に、神無月は父親の正面から離脱してオレの横にいた。オレの左腕をしっかりと掴んでいる。コイツはコイツで抜け目無い。ちゃっかりしている。
こう言うと
「そ、そんな、ことは、知っているっ!」
「おや、それは失礼」
空になったばかりの高級酒の瓶を投げ捨てる。大きな窓が割れて(割って)、じめりと重い湿気を帯びた夜風が部屋に入り込んだ。住宅街独特の生活音を肌寒い風が運んでくる。
風情を幾ばくか楽しんだ後に、無様にのた打ち回る神無月紫音を開放してやる。もう肉体的な拘束なんていらないから。
オレは先程自由になったばかりの手で額の血を拭ってから、ポケットに入れておいたパッケージを取り出して、神無月紫音の煙草を一本咥えた。そして同じく彼のライターで火を灯す。
大丈夫、吸い方は知っている。人間に絶望したての頃に多少嗜んだから。別に誇らしげに語ることでもないけれど。
マズイ煙を大仰に吐き出して、愚かな彼に懇切丁寧に教えてやる。幼稚な策を一から順に明かしてやる。小粋な演出風。
「では、こんなことは知っていますか? 神無月紫音さん」
「なにをだぁぁあああああ」
我ながらパフォーマンスが過ぎると自負しているが、これくらい演技過剰な方がはったりとしては効果的だ。
もしかすると、演技過剰は生まれついてのものかも知れないからなお一層に仕様が無い。まあ知りようもないけれど。
「アンタはもう、終わってんだよ」
大袈裟に神無月の肩を抱き、こちらに引き寄せてから再び煙草に口を付ける。
突然だったので神無月は可愛らしい悲鳴を小さく上げたが、気にならなかったフリをした。
そして、わざとらしく煙と共に策をバラす。
「アンタの身体は今、ご自慢の高級ウイスキーまみれだろ?」
「お前のせいでなぁ!」
「仮にこの部屋のカーペットも同じだとすれば…?」
「なっ?」
神無月紫音は狭めていた視界を広げ、慌てて部屋中を見渡す。
その顔には驚愕の二文字が張り付いている。ってことは、もう目についたかな?
そこら中に転がる空瓶が…。びしょぬれになっているカーペットが。
借り物のライターをいじり無機質な音を鳴らす。
「もし仮に、現実的な仮定をするとして―――オレがこの火の付いた煙草をアンタに投げつければどうなると思う? いや別に、投げつけるのがアンタじゃないとダメって訳でもないけどさ」
「えや、やあやや、やえ…」
「その辺に投げたって同じことだ。何処に投げたってこの部屋ぐらいは軽く全焼するさ。みんな仲良く―――ほらほら一家心中キャンプファイヤーだ」
リアルな恐怖に慄き尻もちを付きながらも、なんとか
いや、平常心を失っても行動するその気概は立派かもな。
まあ、必ずしも立派な行動が最善の一手とは限らないけどね。正しいことと正解がイコールになるとは確定しないのが世間ってものだからな。
何せ残念ながら、そこにも僕は酒を撒いた。
オレは口を開けて笑い、男は歯を鳴らす。
「ははっ、投げる物にしたって別に
ふと思ってみれば、地面にへたり込む中年男性に高らかに演説をする男子高校生というのは、絵面的にオレが悪役に見えなくもない。
損な役回りだよ、全く。
そして、こんな無様な父親の姿を見て、娘である神無月はどう思うのだろうか? 横を見るのが少し、怖い。
「やめ、や、あ…」
年上の懇願をかき消すように右手を軽く横に振る。オレは悪魔的に笑い続ける。
「さぁ、どうする? 必死に頼み込めばヤメるかも知れない。懸命に笑わせれば気が変わるのかもしれない。愉快に逃げれば追うのが面倒臭くなるかも知れない…」
そう、生きることは選ぶことと同義だと何処かの誰かは言っていたような気がする。なかなかの至言だと思う。まあ個人的には好きな言葉では無いけれど、的を得たものだとは思う。
ゲームみたいに失敗してもセーブ箇所からやり直せればいいのだけど、
だからこそ価値あるものだと言えるのかも知れないけれど、重大な選択肢ほど早計に安易に適当に決めるのは躊躇われる。それは酷く煩わしいという事実。
ただ、そういった個人的な人生観を置いたところで、
両手を広げ、高らかに演説する。その開いた手から零れ落ちたのはウソかマコトか、それとも他人の人生か…。
かつての僕が失くし、いまのオレが創りだしたのは――――――
「さぁ、お前は何を選ぶ? これまでの短くない人生、何度も道を選んできただろう? たかが一回、
憐れな中年はビクッっと大きく身体全体を跳ねさせた後、細かく痙攣させている。
見上げる顔は余りに情けなくて、己の考えを持たずに神の言葉を待っている愚かな信徒のようだ。
そうか…欲しいのならばくれてやるよ、お前の逃げ道を。
「そうだなぁ~、オレのオススメは尻尾を巻いて無様に逃げることかな? もう疲れたし、追えない気がする。まあ次何処かで見かけたら殺すんだけど、現状疲労困憊でチカラがない」
「ほ、本当か? 本当に追わないんだなっ?」
自分の父親と同年代の男がチラつかされた人造の
かと言って、同情の上に救いを与えてやるつもりは毛頭無いけれど。
お前にもオレにも、そんな資格はない。
オレにお前を許す権利は無いし、お前に許しを受ける権利も無い。勿論全知全能気取りのカミサマなんかでも持ち合わせてはいない。
判決を下したのは他でもない、アンタの娘…神無月紫織だ。
「オイオイ、言葉遣いがなっていないんじゃないか? 言っておくと、オレは相当に短気で気まぐれなゆとり世代の少年だぜ? ひょっとすると、手が滑って煙草が飛んで行くかも知れない」
「ひぃっ?」
「三日三晩オレの前で土下座でもしてみるかぁ? ははっそれは愉快なことだなっ!」
勿論、何処ぞの教皇みたいに贖罪の余興に付き合ってやるつもりは毛頭ない。そんな手間は御免被る。今のはものの喩え、ただの虚言さ。
「ああ…地面にキスをしてアルコールを丹念に舐めとってみせてみろよぉ! 身も守れて酒が飲める、一石二鳥じゃないか」
仕切り直しに大きく手を広げて支配者のポーズ。
「さぁお前はどうしたい? 逃げるのなら今すぐ此処から立ち去れ。そして二度と戻って来るなッ! さっさと答えろッ! 沈黙は雄弁だ。なあ? 神無月紫音ッ!」
「わ、私は…」
もう後ろには下がれない神無月紫音に先程の様な余裕ぶった表情はない。今のコイツにロマンスグレーなんて形容詞は似合わないだろう。
「想像してみろよ」
「な、にを…だ」
唐突に話を投げられたからか、歯の根があっていない感じだ。
「何って…すぐ目の前の未来をだよ。オレが煙草を投げる。それがこのカーペットに落ちて燃え広がる。一気に炎は広がって部屋中を包み込む。その机もキャビネットも前衛的なキャンプファイヤーだ。そうしてそう時間も掛からずに酒まみれのアンタに燃え移る。シルク製のスーツのお値段がいくら高額だろうと関係ない。少しずつ皮膚がただれながら死んでいくのさ」
「ひぃつ」
こちらとしてはお前みたいなオッサンと心中なんて―――それこそ死んでもごめんだけどね。
「どうだろう。バーチャル世代のゲーム脳だからかな…? 他人の痛みが分からない。他人の苦しみが想像できない。『神無月紫音アンタ』の気持ちがこれっぽっちも理解らない…」
「なっ…あ」
うーん、揺さぶるのも限界かな?
さっきから神無月紫音は呻き声ばかりで一向に会話のキャッチボールが出来ていない。会話の一方通行。オレの哀しき片思いだ。
なかなか明確な回答を寄越さない神無月父に対して、いい加減に痺れを切らしたので、開いた右の手のひらを一本ずつ閉じていく動作を見せる。
親指から順に。顔には演技過剰気味の歪んだ笑顔を貼り付けて。
「ごお~、よ~ん」
まともに考える暇を与えないことが騙しの常套手段。
その歴史は古代ギリシアの時代まで遡ると聞く―――ごめん、それは知らない。適当に言ってみただけ。多分似たような手法は昔からあったと思うけど、根拠無き当て水量だ。
しかし、こういった手法は古典的だが、ヒトの思考が古代ギリシアやローマの頃からそこまで変化していないことは歴史が明確に証明しているので、二十一世紀の日本においても一定の効果が期待できるだろう。
冷静に正気の頭で考えさせてはならない。策を見破られるから。
しかし、狂気の頭にさせてはならない。策の意味がなくなるから。
笑顔で他者の命のカウントダウンをするオレの瞳はどんな風だったのだろう?
嘘から本音を掬う異能の色をしていたのかな? それとも現代社会に巣食う闇の色に堕ちていたのかな?
個人的な希望としては、誰かに絶望を与えてでも違う何かを救う輝きを帯びた色であって欲しいものだけども、どうだっていいことだ。
そこにどんな理由があろうとも、オレの行動が正当化されるはずもない。オレのやることは許されない。
どんな立派な大義名分のもとに戦争を起こしたところで、それに参加した時点で確実に正義は失われる。より分り易い、生活感溢れる所で言えば『喧嘩両成敗』的な?
つまりは完全な被害者には成れないということ。同情されるだけの可哀想な善ではいられない。表裏一体なんて机上の空論で、実際は混濁した同一物で同時に存在を定義することが出来る
何はともあれ、物語に参加した時点で既に悪の片翼とは、なんつーか諸々あれだよな―――やり切れないよなあ。
雑念を隠し、僕は高笑いのまま指を折る。静かに畳む。
「さ~ん。にぃ~」
「私は―――」
神無月紫音の言葉をわざとらしく遮る。
「い~っち」
オレが五本目の指を折り畳もうとしたところで、ゼロと宣言しカウントを終えようとしたところで、神無月紫音は動いた。ようやく重い腰を上げて選択した。
それは逃走の一手。
未練がましい表情で、正面に立ちいやらしく微笑む少年とそれに寄り添う娘の顔とにそれぞれ一瞥した後に部屋からすたこらさっさで逃げ出した。
その退場は御世辞にも颯爽とは言えず、日頃の運動不足が見え隠れするよたよたとした走り方で、大変何とも言えない感じであった。
物語のボスとしては物足りないし、壁を乗り越えたにしては味気ない結末。
だが人生なんてこんなもんだろ? まあまあの出来さ。オレにしては良く
門を乱暴に開け放った様な大きな音が聞こえると、情け無く腰を落とした。
腕に引っ付いていた神無月も必然それに釣られてへたへたと座り込む。
根元付近まで燃えてしまった煙草を足元にあった空き瓶に入れた。
幾らか中身が残っていたのか、少しばかり火が大きく燃え上がった。
だが、人造の蛍火はすぐに儚く消え失せた。
セミの一生よりも短く、何の意味も価値もない、産まれる必要のなかった生命―――ごめん。
「…バーカ、追いかけられるわけ無いだろ。こっちはもう―――ほんとに限界だっつーの」
事実、暫くの間は立てそうもない。オレの太いとは言い難い薄弱な神経は言葉通りに限界だったようだ。
こんな劇的で危機的な状況に陥る度に『もっと図太くなれないものかな』とは思うけれど、そもそも自身の持つ神経がもっと鈍ければこんな危機的状況には陥らないだろうなと思い直す。こういうのをマッチポンプって言うのだっけ?
余りにも無意味な独白は続く。
「そもそもお前を燃やしたり、追いかけたりする理由なんてオレには――僕にはさあ……ほとんどねえよ」
謂れの無い過剰な暴力的制裁を加えられたりもしたが、それは与えた精神的ダメージと相殺でチャラってことにしておいてやるよ。
そもそも、今までの舞台はオレが主演の駄作じゃなくて、あくまで神無月紫織の為のものだからな。
所詮オレに与えられた役割なんてのは、神無月の救いにちょっとばかり余計な口と手を入れた傍観者だ――なんてね。ったく…誰に向けての言い訳なんだか…。
壁に身体を預けて、入口の方に右手の中指を突き立てる。
その不格好で秀作な様はどう好意的に見ても、子供の頃に憧れた唯一無二の
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