#24 敵対する理由
「おい、神無月っ!」
言葉尻に勢いままにすぐに駆け寄ろうと思ったが、後ろで腕を捕縛されているせいで、脳内のイメージよりはずっと不器用で、挙げ句満足に走れず――華麗に無様に転ぶ。
伝達の不自由な身体に苦戦し、格闘しながらも彼女の元に辿り着き、駆け寄る以上の苦労をして彼女に掛かっていた毛布を剥ぎ取り、呼びかける。
「大丈夫か? おい、神無月ッ!」
「ぅ、ん…」
「起きろって、なあ!」
オレの必死な様を肴に、神無月父は優雅にグラスを傾けている。
それどころか、机の上に灰皿と煙草を引き寄せて高そうなライターで火を点けている。
愛娘がぐったりしてるのに、どうしてそんな態度がとれるんだよ? おかしいだろ……ふっざけんなッ!
「お前、神無月の親父なんだろッ? てめえ、実の娘に、何しやがったァっ!!」
「何って…『躾』だよ?」
何の躊躇いもなくそう答えやがった。
何の悪びれもなく、それが当然とばかりに一切の嘘も無く、心の底から信じていることを口にした。
フザケンナ。
うそだろ…? これが…、こんなのが『しつけ』だって?
あんたはそういうのか????
沸点を超えた心情はゆうに言葉を超えて、ただただ感情を吐き出す。
「これの何処が躾だよ? どう考えたって、度を超え過ぎだろうがァ!」
実の子供の顔に――明確なアザが残るような暴力が躾でまかり通るのならば、現代社会において
「人の家庭の教育方針に、口を挟まないで欲しいな…」
背筋が凍った。体の芯から戦慄した。瞬間理解したんだ。
正気の状態が既に狂気。
そんなの絶対おかしいよ……神無月はこんな歪んだやつと一緒に暮らしているのか?
「う、ん…ぅ~ん」
おぞましくに気圧されパニック状態の意識。神無月の呻き声で我に返った。
この際、自身の状態はどうでもいい。捨て置けよ!!!
まずは気が付いた神無月の安否を確認しなければ…。
「神無月、目が覚めたのかくあっつ?」
「沙織ぃ、目が醒めたのか?」
半覚醒の少女の意識の有無なんかを確かめようとしたが、再び神無月父に吹き飛ばされる。
そんな場合じゃないけれど確信した。コイツらは間違い無く親娘だ。
ま、待てよ…? 沙織…? 誰だ? ココに倒れているのは神無月紫織のはずだろ?
「沙織、沙織っ!」
オレに湧いた大きな疑問符をよそに、神無月父は心底心配そうに娘の身体を揺らす。
その口で別の人物の名前を呼びながら。
止め処なく戸惑ってしまう。どうにも腑に落ちないちぐはぐ感。どうして? なんでっ?
「お、父さん…私はお母さんじゃないよ? 紫織だよ?」
「解っているよ…紫織…」
何だコレ? さっぱり解らない。どちらも嘘は言っていない。
なのに、どうも納得出来ない。しっくりこないし釈然としない。茶番の意味が分からない。
今のやりとりでオレが理解出来たのは、『沙織』というのは神無月紫織の母親であるということぐらいだ。
理解が状況に追いつかないまま、オレの思考は右往左往であっちこっち。
にっちもさっちもいかない少年とは無関係に神無月家のホームドラマは進んで行く。
まるで世界に
「愛しい我が娘…。大丈夫。お前を弄ぶ輩は、私が消し去っておくから」
神無月父と視線があった。彼はゴルフクラブを持ち直し呟く。
そんな狂気の父親を必死に止めようとする少女。
「ヤメてっ! 斑目君は何の関係もないからっ! 私にその気もないからっ!」
ダウト。…全くこういうのが視えちゃうから厄介なんだよ。正に
オレの瞳が暴くのは何も悪意だけじゃない。
その逆の創られた悪意の裏の善意だって分かってしまう。知りたくもないのに、視えてしまう。
それは『優しさ恐怖症』のオレにとって有害な毒でしか無いけれど、ココロの弱い僕は放って置けなくなっちまう。それが自分に似たヤツのものだと尚更寝覚めが悪い。
彼の目には娘は悪い男に騙されているようにでも見えているのか、神無月父は娘の懇願など何のそので、冷徹に諭そうとする。その顔には醜悪な笑みが張り付いていた。
「お前にその気がなくとも、彼も同じとは限らないだろう? 斑目君…だったかな? 君はどうなんだい?」
神無月に向けていた視線が戻って来る。その眼差しは娘に向けたそれとは真逆で冷たかった。
さて、どうしよう…。
「どうだろうね? ところで、えーっと、神無月さんでいいのかな?」
「私かね? 私の名前は紫音。神無月紫音だよ」
えらくハイカラな名前だね。
って、ああ…なるほど。紫音の『紫』と沙織の『織』をとって『紫織』ね。いい名前じゃないか、神無月紫織。
「素敵なお名前ですね。でも、やはり年長の方を呼び捨てには出来無いので神無月さんと」
「好きにしたまえ。どうせ呼ぶのも後数回だろう」
やばい…コイツ完全にオレを殺す気だよ…。
明確な殺意にビビった頭に戦略的撤退と名目した逃走という情けない選択肢が浮かんだ時、視界の隅に綺麗な顔を涙でグシャグシャに歪めた神無月紫織を捉えてしまった。
分り易い怯えの表情。オレの恐怖とは比較にならない感情の揺れ。よっぽど父親が怖いのだろう。じゃなきゃ、あの神無月が黙って暴行を受け入れるとは思えない。小さく舌を打つ。
くっそ、死ねないし、逃げれねぇな。
今ココでオレが死ねば神無月はもう戻れない。逃げても同じ。アイツを救うと決めただろ? 知恵を絞れ!
「では神無月さん。どうせオレを殺すのは大した手間ではないでしょう? なら少しだけお話しませんか? 冥土の土産兼遺言替わりの豪華仕様です」
「まぁいいだろう。暇つぶしぐらいにはなる」
一欠片の相互理解も無い男との益無き対話の開始。
恭しく言葉を吐き出す。
「ありがとうございます。神無月さん、最初から疑問だったのですが、オレ達がいるこの場所は神無月さんのご自宅でしょうか? 凝った調度品が多いように見受けられますが…」
「ほう、君は本当に物知りだな。ここにあるものの価値が分かるのか?」
よし、乗ってきた。この手のタイプは自己顕示欲が強ってのは本当らしいな。フィクションの中だけのテンプレかと思っていた。
神無月紫音は明らかに表情を緩めた。まあその理由は絶対的優位に裏付けされた余裕からだろうけど、油断は油断だ。その本質に対して差異は無い。
「ええ多少は。この部屋のカーペットはキリムですし、そこにあるのなんて魯山人の花器ですよね? どちらも値が張る一品だと思うですけど、お仕事は一体何を?」
「おお話せるじゃないか! そうだね、仕事は一応――具体名は伏せるが外資系貿易会社において、恐れ多くも権威ある
散々ボカしてはいるが、傲慢と軽蔑の目は隠せない。
要は外資系企業の役員様って訳か――その言葉の響きは不快感と妬みしか産まない。
揺れる感情。表に出せば付け込まれる。故に、隠す。
「そうですか。具体的な仕事は良く知りませんが、やり甲斐と給料はいいと聞きます。しかし…」
「しかし?」
オレは言葉を大きく手を広げた――様な気持ちで語りだす。
「こんなことをして、貴方の立場は大丈夫なのでしょうか?」
「? どういうことだね、斑目君」
雰囲気が変わった。やはり、こういった空気には敏感らしい。
尤もそうでなければ、競争激化の外資系企業の幹部には成れないし、こんないい家にも住めないだろう…まあ全部想像混じりだけど。
「そうですね…具体的に言えば、家庭内暴力に青少年の拉致監禁。貴方が『殴り男』だとすれば、当然それらの罪が加算されます。そんなことをして、貴方の社会的地位は大丈夫なのでしょうか?」
「はっははは…おもしろいことを言うね。紫織のは躾だし、君は殺せば正に死人に口なしだろう? 一体何処に私を脅かす要素があるんだい?(どうする? 殺人が露呈するのはマズイ。死体が見つかる可能性もある。そうなれば、私の築いてきた地位がっ)」
はい、本音頂き。
しかしまあ、頂いたところでどうしたものか…いかんせん事態は全く好転してやいない。
なんせ、アイツはいつでもオレを殺せる状況にある。
基本的には一市民の高校生でしかないオレに凶気と凶器を持った犯人を無効に出来るような戦闘力などあるはずがない。実は伝説の傭兵部隊の最年少リーダーだった――なんてとんでもない、トンデモ裏設定も持っていない。
となると本来
であれば、とりあえず時間が欲しい。
例え問題の先延ばしだとしても、少しでも多く考える時間が。
そんな感じで状況に窮したので、苦し紛れのその場しのぎで含みを持たせた笑みを無駄に粋がって浮かべてみた。
「更に殺人罪が増えましたね。それは仮にオレが死んだとしても、そこにいる娘さんが立証してくれますよ」
突然会話の中に名前が出てきた彼女は大きく肩を跳ねさせて、こちらを見た。その作りの良い顔を歪めるその様は――不謹慎なのは承知の上だが、とても儚げで綺麗だった。
「ははっは、それこそ有り得ないっ! 紫織は私に従順だ。育ててやっている恩もある」
「つまり、娘さんは貴方の所有物だと?」
「突飛な解釈をするね。そう言うと些か語弊があるが…しかし、まぁそうとも言えるかも知れないな」
「…だから自分の社会的地位の為には傷つけていいと?」
「当然だ。何より自分が可愛い。人間という生物は我が身可愛さで他人を傷つけてしまうものだ。その対象が娘でも例外ではない」
高らかに講釈を垂れる神無月紫音は多分、オレの歯軋りに気が付かなかった。
「どうせ人は生きているだけで傷付け合う。ならば、自分がなるべく傷を受けないよう立ち回るのは至極当然だと思うが?」
頭の中で何かがハジけた。或いは収縮したのかも知れない。
それは神無月父がオレにとって許せない人種だと判断したから。自らの保身の為に、自分の罪を丸山に着せたあのクラスメイトたちと同じだから。
人は傷付け合わずには生きていけない。だとしても故意に傷付けていい道理などあっていいものではない。
「…知っていますか? 神無月さん。衣食住を提供するだけの人間は親とは言わないんですよ」
「何? 君は一体何が言いたいんだい?」
「それは愛玩を目的とした『飼い主』だ」
そんな自分の匣庭の風景を剪定するような行為が子育てな訳がない。
娘を閉じ込めたドールハウスを見て、悦に浸る様な人物が親であってたまるか。大人子供以前の問題。
確かにその中では神無月の生活は保証されているだろう。でもっ、そんなの何になる?
人はパン無しでは生きられない、それは真理だ。
だがしかし、パンだけの生活を嬉々として謳歌出来るのか?
そんなもの断然否だ。議論する余地もない、そんな時間が惜しい程に完全な否。
これは持論というか完全にオレのエゴイズムだけれど―――ヒトはパン無しでは生命を維持できない。これは明らかだ。
でもっ―――それでも、パンだけで生きていくぐらいなら死んだほうが百倍マシだ。
完全な偏見を僕は神無月紫音に押し付ける。
「何だと?」
「そして、その中でもアンタは最もロクでもない部類に入る」
敬語を使う必要はもう無い。
最も、最初から彼に対する敬意など欠片もなかったけど。形だけのハリボテな敬語。
「自分勝手に可愛がって、必要が無くなったら躊躇い無く切り捨てる。こんな分り易いクズそうはいねぇよなぁ」
「ガキがっ! お前みたいな子育ての『こ』の字も知らん若造に親の愛は理解出来んのだっ!」
確かに子育てを経験したことのないガキには理解出来ていないことかも知れない。
子供が言うには説得力不足が否め無いことだろう。でも…、
「所で一体全体、アンタの言う『愛』ってのは、一体誰に向けているモノなんだろうな…」
「何を言っているんだね、斑目君? モチロン娘の紫織に向けた愛情だよ」
大袈裟に両手を広げ、自らの愛を体現する神無月紫音は、立派な親には視えなかった。
思わず笑いが込み上げて来た。
「おい、何がおかしいっ?」
「ああごめん。自分のことなのにアンタは何も理解っちゃいないんだなと思って。いや、むしろ自分のことだからこそ理解らないのかもな」
観測者は自身の観測者には成り得ないってやつかな?
オレも含めて、自分のことを真に客観視出来る奴はそうはいねぇもんだよな。
でもさ、神無月紫音――殴り男――神無月紫織の父親――お前の幻想の正体は、オレの最も嫌いなものなんだよ。それだけは主観的に判断させてもらおうか…。
「アンタが『親の愛』と謳ったその感情はそんなに大層なモノじゃない」
むしろ親の愛(笑)みたいな? てんで的外れ、一切合切符号しない。
「人生経験をたくさん積んだアンタの言う愛とやらはただの『
こう言い放ったものの、別に自己愛を全部否定したりはしない。自分の身が何よりも大切なのは当然だ。
その厳しい言葉は『他人のために生きるんだー』なんて綺麗事めいた偽善よりは余程理解できる。
それは大昔から遺伝子に刻まれた生命としての本能で、無くてはならない心の防護壁。誰だって我が身は可愛いもんさ。
でも、行き過ぎた自己愛を言い訳にして、他者を傷つけることだけは絶対に認めない。自分を傷つけない為に、
もちろんそういった汚い面はオレも持っている。むしろ他人より多く保有しているぐらいだと自負している。やはりそこでも神無月親娘との共通点が見えるのが気に食わないが認めるさ。それは確固たる事実。厳然たる現実。
でも、オレと神無月紫音は違う。我が身が可愛いその一方でオレはそんな自分を恥じていて嫌悪し憎悪している。守る価値も無い自分を必死に守る矛盾を抱え込んでいる。それこそ死にたいぐらいに絶望している。
クソみたいなそれを、さも立派なもののように見せびらかしたりは出来ない。誇示なんか出来るはずもない。
どれだけの人数がその醜悪な行動を是としようとも、それは人として最悪で最低なんだよ。
それが、世界に求められる正しい人間の在り方だとでも言うのならば、オレは永久に間違いでいい。望むところだ。
むしろそんな糞みたいな正解は願い下げだ。オレは一生間違え続けるさ。
だから僕と彼とは限りなく平行線。接しているように視えてもそれは気のせいで。見る角度を変えれば永遠を感じるほどに膨大な距離が空いていると思いたい。
醜悪なアンタが
自己満足や自己嫌悪の同属嫌悪、救済活動なんて四文字で知的に誤魔化してみた所で、詰まるところ――根底にあるのは恐らく原始的で幼稚な『なんかアイツは気に入らない』というありふれた感情なのだろうけども。
僕は心の底から神無月紫音が嫌いである。
それは生命を賭して敵対し、否定するには十分な理由だ。
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