#23 最悪への回帰

「ん…あ…あぁ…」


 随分と長い間、夢を見ていた気がする。

 或いは過去か未来か。少なくとも現在じゃない時空のどっか。


 それも人生における最悪な思い出だけを抽出・圧縮したような、とっておきのエスプレッソ。どう前向きに見積もった所で、決してハッピーとは言えない暗い感じ。


 重く閉じそうになる眼から大きく洒落た窓を通して見える景色の空気は黒く、もう夜のそれだ。


 暗い部屋に薄く―――月明かりか街灯の人工的な光なのかは判断できない――ぼんやりとしたアカリが差している。今は…何時だ…?


 それにしても寝心地の悪い寝床だ。


 そんな頭の悪い、本能的な欲求から来る感想を抱いた直後に気付いた。思い直した。どうやらオレは床に転がっているらしい。ごろんと雑魚寝状態。

 床に敷いてあるのは如何にも高そうな肌触りのカーペットのようだが、それを以てしても床の硬さは誤魔化せない。


 ん? つーか…ココは…何処だ? あァ? 手が動かねぇ。


 動かせない両手をどうにかするのは後回し。とりあえず何故こんなことになったのかが分からない。

 手は縛られていても頭脳労働は出来るのだし、ここはひとまず状況把握に務めるのが吉だろうな。

 焦って行動したって良いことにはならないし、そもそも行動には外部的な制限がかかっている。それに『焦らない焦らない』とか言う名言をかの高名な一休和尚も言っていた。


 若干茫洋として暗幕がかかっている頭で順に思い出してみよう。

 さながらチェックリストの空白を一つずつ埋めていくように地道に。


 えーっと、まず朝起きて…。いや、さすがに遡り過ぎだな。

 確か…神無月と公園で話していて、それで…それから……それから?


「つっ?」


 頭が痛む。具体的には後頭部あたりと左眉の上の方。痛みが引き金となったのか、段々と思い出してきた。


 公園で殴られたんだった。それを知覚しなければ、そのまま痛みが来なかったのかな?

 そんなわけないよな。うわぁ…血が髪に張り付いてガビガビな感じがする。でも、もう血は止まったようだな。じゃなきゃ、出血多量でとっくに死んでいるだろう。


「ようやくのお目覚めかな? ぐっすり眠っていたようだが、いい夢でも見ていたのかな?」


 あぁん?


 薄暗くて良く見えないけれど、目の前にあるやたらデカイ机のようなものに声の主は座っているらしい。その影は揺れていて曖昧で、それでも確かな存在感を持ってそこにいた。


 脚は縛られていないようなので、モゾモゾと惨めに這いずり男がいるであろう方に正対し、壁に背中を預けて座り直した。とりあえず意味もなく虚勢を張ってみた。


「…そうだな。最高に愉快な悪夢ユメだったと思うぜ?」

「それはいい事だ。現実ではどうにもならないことも、夢の世界においてはその限りではないからな」


 まだ目が暗順応し切れていないが、それでも血の足りない頭は若干回ってきたような気がする。


 そうして気付いた。一緒にいたはずの神無月は何処にいる?


「それには同意するよ。確かに現実ってやつは、どうしてなかなか思い通りに行かないもんだよな」

「ほう…若いのによく解っているじゃないか。それに度胸もあるようだ。普通はもっと動揺し、恐怖でパニックになったり、警察を呼ぼうとしたりするものだが…」


 会話を続けながら状況の整理と推論を立て続ける。というか疑問が噴き出していたのでそれどころではなかったのが真相だが。


 コイツは何が目的だ? 何故オレを殴って気絶させ、監禁している? 身代金目的の誘拐なのか? どうして手だけを縛っている? 自立歩行が出来るのなら逃げれなく無い。神無月は何処に居る? 日中は一緒にいたはずだ。つーかそもそも誰だよお前。


「ふっ、なかなか苦労しているようだな。まぁ少なくとも君の意思に関わらず、警察に関しては…呼べないがね」


 上から目線でそう言って、片手で何かを持て遊ぶ。

 何か長方形のもの―――咄嗟にポケットの感触を確かめてみても――最も手が使えないので正確ではないが、携帯が入っていない。意外と抜かりねぇな、畜生。


 悔しさを紛らわしがてら、情報収集も兼ねて語りかける。


「さっきアンタはオレを『物知り』だって言ったよな? 他にも色々と知ってることはあるんだぜ?」

「傾聴させて頂こうか…」


 カランと硬質な音が響いた。酒でも飲んでいるのか? そういう目で見ると、男が座っているテーブルには酒瓶の様なものが見えるような気がする。いや、正確には解らないけど。


「…アンタ『殴り男』だろ?」


 男はオレの言葉に対して、いまいちピンと来ていない感じだ。

 構わずに、推論だけな当て推量の話を続ける。


「まぁ知らないだろうな。『殴り男』ってのは、オレの通ってる海堂高校でちょっとした盛り上がりを見せている都市伝説的な噂話の登場人物なんだよ」

「誰がつけたのか知らないが、全くセンスを感じないネーミングだな」


 それについても同感だね。なんだかアンタとは気が合いそうだ。

 でも、それは横に置いといて…


「とにかくその『殴り男』はウチの三年生のチャラい生徒ばかりを、その名の通りに鈍器か何かで殴りつけるらしいんだ。目も当てられないくらい再起不能グチャグチャにね」

「ほう。そいつは怖いな」


 男はグラスを口に当てて、肩をすくめながら嘯く。この程度の危機ハッタリはいくらでも乗り越えてきたであろう経験か、尻尾を簡単には見せてくれない。


 或いはオレの推理が勘違いの見当違いという線も消えない。訝しみの長いレール。


「んで、そいつの特徴はロマンスグレーな中年の男らしいんだよ」

「確かに私は世間一般ではロマンスグレーと呼ばれても仕方ない妙齢の男だね。君と同じぐらいの娘がいる」

「そして、そいつはどうやら――ここ最近にも犯行に及んだらしい……例えば一昨日とか」


 一瞬、こめかみあたりが動いたような気がした。


 それが視認出来るってことは、どうやら目が慣れてきたらしいな。今は酒のラベルもハッキリ見える。国産のシングルモルトウイスキーの一八年ものだ。それはそれはお高いヤツ。


 もしかしたらと部屋の中を見渡せば、それと同等以上のお値段の酒がズラッと並んでいる棚があった。何となく予想はついていたけれど金持ちか…。身代金の線は消えたな。


「それを踏まえた上で聞きたいんだけど…アンタの娘さん。?」


 その瞬間に男の放つ柔和な空気が消え失せた。


 大きな音と共に立ち上がり、テーブルに立てかけていたゴルフクラブを手に取って、鬼の形相でオレに一気に詰め寄ってきた。


 オレの胸倉を掴み、無理矢理に立たせて怒鳴りつける。

 このオヤジ、オレより小さいのになんて力だ。日頃の鍛錬の賜物か、それとも感情の爆発による火事場のクソ力的な腕力か…。


「気安くっ、娘の、名前を口に、するなっっ!」

「がぁっ…っ。じ、じゃあ、アンタの…その大事なっ…娘さんは何処に居るんだ!」


 推論の正しさを喜ぶヒマなど無く、手荒に投げ飛ばされた。

 簀巻きの状態で受身を取れるハズもなく、為す術もなく壁に叩き付けられて一瞬呼吸が止まる。真っ暗な部屋に呻き声が小さく染み渡る。


 ったく、この親娘はオレの呼吸を止めるのが趣味なのか?


『殴り男(仮)』改め神無月父は乱れたスーツを直し、同時に口調も直した。


「全く…可愛い愛娘に言い寄るゴミ虫を殺しただけで犯罪者呼ばわりか…。生きづらく世知辛い、親に厳しい世の中だな」


 評する『世知辛い世の中』という点についてもやっぱり同感だな…。

 どうやら神無月親娘とオレの人間性は結構似ているらしいな。


 でも、今はそんな些事、どうでもいい。


「いいから答えろよ! 神無月紫織は何処だッ!」


 やれやれと肩をすくめるジェスチャーをして、オレのすぐ横の空間を指差す。

 それは無知な子供をあやすような、それでいて嘲るような表情。


「見えないかな? 君のすぐ横で寝ているよ?」

「えっ?」


 首だけを動かし左右を見渡した。そこに神無月は確かにそこにいた。


「眠り姫の可愛い顔が見えにくいかな?」


 狂気の男は壁に備え付けられていた電灯のスイッチを入れる。

 天井からぶら下がっている豪奢なシャンデリア風の照明に明かりが灯り、窓際の壁に身体を預けている神無月の顔が確認できた。


 しかし、その顔はオレが最後に見たものとは異なっていた。


 綺麗に整えられていたその黒髪は乱れて、直球な好意を向けられればすぐに赤くなる。

 華奢な肩に乗った整ったその顔立ち、至るところに真新しいアザのようなものが幾つもあった。


 最悪の想像が現実に追いつく。

 在ってはならないパンドラめいたリアルがそこにはあった。

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