#21 決して忘れぬ悪夢④
「ねぇ叔母さん、清隆さん…。ちょっといいかな?」
ウチの家族が出払ったのを見計らって、二宮夫妻に話を持ちかけた。道中、車の中で考えた穴だらけの策を聴いてもらう為に。
「何々? どうしたー、司君」
「おいおい、親には言えない話か?」
「…うん。あのさ…オレ海堂高校に行きたいんだ」
真っ暗な夏休み。進路を決めるには些か早い時期だ。案の定、二人はポカンとした表情をした。
「な、どーいうことだ?」
「まず、順を追って話すから、口を挟まずにひと通り聞いて欲しい」
ガキにしてはえらく真剣な顔をしていて圧倒されたと、後々清隆さんから聞いた。
叔母さんにソファーへと促されたので、そこに座り二宮夫妻と対面する。
オレはシカトされた下りから話し始めた。もちろん、『非情の瞳』の所は改変した。
「…ってわけで現在はそれはもう無くなったんだけど、代わりにオレはクラスの人間に対して不信感を抱くようになった」
胸がズキリと軋んだ。今でさえ完全に断ち切れていないのだから当然だ。
「そして、もう一つ得たものがある。それは部活をヤメたことによる莫大な時間だ。オレは正直、自分で言うのもアレだけど元々勉強が出来無いってわけじゃない。県内の高校なら多分大体受かるって自負はある。でも、県外の海堂高校はそうはいかない。だから、オレはこの時間を勉強に当てる。そして、まだ受験までは一年もある。今から始めれば海堂高校にだって受かると思う」
この理論には確証はない。でも、実現可能なものとして論理を進めなければならない。
「そして叔母さん達にお願いしたいのは二つ。まず、ウチの親に海堂高校に行きたいといえば反対されるだろうから、そこでオレを擁護して欲しい」
人頼みのチーズ理論。正直ダメ元だった。
「次に、もし説得に成功した場合、オレは親元を離れることになる。その際に、住居をお願いしたいんです。清隆さんはそういう仕事についているし、口利きも素人よりは断然信頼できる」
うん。今思えば酷いお願い。よく聞いてくれたものだ。
「…オレはもうアイツらと一緒に学校に行きたくない。同じ空気を吸うのもいやだ。だから、県外に逃げるしか無いんだ」
勿論分かっていた。県外に逃亡したところで世界から醜い人間が居なくなる訳じゃない。何処に行ったって人間はいる。そいつらもきっと保身の為に嘘をつく。結局『この瞳』がある限り、ずっと付き纏う問題。
でも…それでも、被害者のフリをしたクズと知ってしまった同級生ヤツらと一緒に進学したくなかった。
問題の先延ばしでも現実逃避でも、例え無意味な逃走劇だとしてもそれに縋るしかなかった。
二宮夫妻はしばらく口をつぐんでいたが、その内清隆さんがぼそりと尋ねてきた。
「司君。その話、受けて俺に…俺達にメリットはあるか?」
それは初めて聞く、冷たい声だった。
無知な子供には出せない、経験を積んだ大人の圧力。心が折れそうだ。冷や汗が噴き出す。
でも、その質問は予想していた。
「メリットは…ない。だけど、こういうオレが清隆さん達を信頼しているという証拠にはなると思う」
清隆さんは腕を組んだまま喋らない。
「お願いしますっ!」
慣れない沈黙に耐え切れずに頭を下げる。情け無い事に、どうすればいいのか分からなかった。
しかし、その重たい時間は早々に切り裂かれた。
「そうだな…」
「え?」
頭を上げる。テンパった自身の目に入った清隆さんは難しげに組んでいた腕を解き、優しい顔になっていた。
「まぁその話を受けてやってもいい」
「本当に?」
思わず身を乗り出したオレを押し留める様な形で、右手を突き出す。
「ただし、条件がある。今のお前の論理には不確定要素が多過ぎる。そんな動くかどうかも解らない船には乗れねぇ。だから、お前はまず俺に見せてくれ。お前の策に乗るのが吉という証拠を見せて欲しい」
「どうすればいいの?」
光が見えてきた。差し詰めカンダタに垂らされた蜘蛛の糸といったところか…。掴めるか?
あるいはノアの方舟。
「それはあれだ。……何だ?」
開いた口が塞がらない。え? 何かしらの条件を提示されるんじゃなかったのか?
どうしようといった感じで首を傾げる旦那さんに代わって、叔母さんが条件を出してきた。
「そうねー…じゃあこういうのはどう?」
「どういうの?」
「三年になれば模試とかあるじゃん? その最初の模試で志望校に海堂を書いて、それがA判定だったら可能性アリとして、あたし達はその話に乗る? どう?」
「乗った!」
じゃあこの話は一旦終了ねと、叔母さんは席を立とうとした。
「あ、ちょっと待って」
「んー? どうしたー?」
叔母さんは訝しげに聞き返してきた。
「あとさ…この話はウチの親には内緒にして欲しいんだ…」
二宮夫妻は顔を見合わせて、目をパチパチさせている。意図が掴めなかったのかも知れない。
「いや、進路の話を親に隠すのは間違ってるとは思うけど、その…無駄な心配とか掛けたくないし…」
オレとしては結構真面目な告白のつもりだったのにも関わらず、二人は盛大に吹き出した。大の大人二人にガチで爆笑されたので、子供心にそこそこ傷ついた。
そんな心情が表情に出ていたのだろう、二宮夫婦は笑いを噛み殺しながら謝罪した。
「はっははは、わりぃ。お前が真剣だってことは分かってるんだ。けどさぁ…」
「けど…?」
「それならお願いは二つじゃなくて三つだろ?」
そう考えると、その通りですとしか言えない。二人は『いや、真剣な顔が可笑しくてさぁ~』と茶化す。やらかしたーっ! 凡ミス過ぎて、スゲェ恥ずい。うわ、ダセェ~。かっこわるい。でも中学生を苛める大人も同等にかっこわるいと思うのです。
バツが悪くて髪を掻き毟っているオレに叔母さんは優しく微笑んだ。
「まぁまぁ、姉さん達を説得してみせるし、勉強頑張れよー、司」
「え?」
自然に涙が頬を伝った。陳腐でありふれた場面かも知れないけれど凄く安心した、それと同時におびただしい――この世のありとあらゆる最悪を全て集めたんじゃないかと思えるぐらいの恐怖がオレを満たした。
猜疑心と不信感とで生成された心に、純粋な優しさが注ぎこまれた。さながらガラスのコップに熱湯を注ぐような行為。つまりは相容れない。
―――その結果、オレは意識を失った。
多分耐え切れなかったんだと思う。短い間とは言え、人生の
それからオレはヒトの善意を真正面からは受け取らないようにしようと思った。
信頼を茶化し、博愛を疑い、愛情を躱して、好意を受け流すような醜い固定観念で凝り固まったスタンスを取ることにしたんだ。
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