#17 様々な背景と

 過去の神無月紫織に何があって――現在相対するみたいに、こんなにひねくれた人間になったのかは知らないけれど。

 それはオレの知る所や持ち得る能力の範疇と範囲を大きく越えているけれど。


 そういう個人的で即物的な色メガネを外してみれば何て事はない――面と向かう彼女は照れたり怒ったり――感情表現が少々極端なだけで、なんてことはない普通の少女に見える。


 故に神無月コイツはオレとは違うなと認識し直し、改める。


 限り無く似ている様で全く異なるもの。

 ある面から見れば同一でも、他面から見れば全然違う。


 相似と合同の違い。似ているが絶対的に合致しない。

 冷めた意見でそんなもんかと適当に結論付ける。


 だからと言って呆気無く切り捨てて、敢え無く見捨てる気にもなれない。

 あ~なんだ難しいな、生きるのって…。


「どうして、そんなに達観した笑顔を浮かべているの?」

「あうぇ?」

「どうして、そんなに可愛い声で反応したの?」


 不覚。オレみたいなデカい男がそんな声をあげたって誰も得しねぇよ。

 自分は勿論、周りの人間だって不快感しか…否、殺意しか抱かねぇよ。

 そんな愛くるしい言動が許されるのは、小さくて可愛い女の子だけだ。


 などと自己嫌悪をしていると軽快な電子音。

 どうやら受信が完了したらしいので、アドレス帳を確認してから携帯を閉じる。


「いや、ごめん。ちょっと意味不明な脳汁が出てた」

「コチラこそごめんなさい。ちょっと意味が分からないわ」


 5Gが聞こえるご時勢でも、こちらの電波は以心伝心とは行かないみたいだ。


「うん。そうだろうね。う~ん…掻い摘んで、噛み砕いて簡潔に説明すると、オレみたいな人間失格駄目人間に価値や需要はあるのかって話…かな?」


 あながち間違ってはいないのだけど、ここだけ抜粋すると我ながら頭の悪そうな自虐的考え事をしていたみたいだけど、その前はちょっとだけ深くて良い事を考えていたんだよ? 実際問題、極めてマジな話。


 神無月は首を軽く傾げた後、少しだけ思案して結構真面目にその考えを聞かせてくれた。


「そうね…需要があるかないかで言えば、需要多しってとこじゃないかしら(ぶっちゃけイケメンだし、引く手数多ってところじゃないかしら)」


 嘘でも方便でもないのが視えたので、何だかムズかゆい。普通に照れる。


 そんな本気で聞いたわけじゃない思い付きで口実な質問に真面目に答えてくれる神無月は、相当にいい奴か若しくは相当なアホなのだろう。


 対面している少年は割と死んだ顔をしていたと思うのだけど、神無月は構わずにつらつら進める。


「顔はそこそこ整っているし、制服の着崩し方にもセンスを感じる。察するに、普段の私服もお洒落に気を使ってるのが窺える。パッと見で身長は結構高くて……うん、適度に筋肉質みたいね」

「うおっ」


 いきなり上半身を触られた! しかも凄いエロティックに撫で回された! なんだか指遣いがとてもえっちで、いやらしい! ちょっとお巡りさん、ここに痴漢がいますよーッ!


 学校の先輩という立場を利用してのセクハラだから、パワハラを用いたセクハラが昼間の公園で執行されている。ハラスメントの二乗。被害者はオレ、加害者は言わずもがな。


 青少年の発した救難信号に我関せずで神無月改め、変態淑女はオレの評価を続ける。だから、そこまでガチに聞いたわけじゃないって。


「あくまで自己申告だけど勉強は出来るらしいし、こうして会話をする限り勉強それ以外の頭も悪くはないのでしょう。一人暮らし二年目なら家事も実家暮らしの同年代の子よりは出来るだろうし…あら意外にハイスペックね、斑目君」


 おおぅ、さっきから謎のべた褒めだ…。

 そういうのって普通に照れて対応に困るから、どんな顔をすればいいか分からないじゃないか。


 だけど、ごめん。期待に添えずに申し訳ないけれど、家事は欠片も上手くないんだ。専らカップ麺最高の生活なんだ。


「あ、でも整った外見の中身はひねくれているし、あなた根本的に性格が暗い気がするわ。あ、髪の毛は別ね」


 ピンと伸ばした人差し指を顎の辺りに添えて、実に可愛らしい雰囲気で毒を吐く神無月。コイツは節々に暴言を織り交ぜなきゃ会話出来ないのか?


「うるせぇよ。どうせひねくれ者の暗いヤツだよ。その唯一と言っていい――明るい金髪の理由だってそんなに明るいものじゃないですよ」


 本当台無しだ。べた褒めからの貶し文句。

 今の数分間で天国と地獄を経験したよ。


 この二日間で、神無月という人間の色々な面を知ったつもりだが、この女はサディスティックな仮面を被っている時が一番生き生きしている。すっごい楽しそう。


 その感想を裏付ける理由は到底存在しないのに、彼女の言葉はヒートアップの一途をひた進む。


「あら? その男子にしては長い金髪に、目立ちたがりのカッコつけ以外に意味があるのが凄い意外。心底びっくり」

「別にカッコつけでこんな金髪アタマにしてるわけじゃない。さっきも言った通り、ひねくれているにピッタリな暗い理由があるんだよ。それに長いといってもこの程度は『ミディアム』に分類される様なレベルだぜ?」


 愛読しているファッション雑誌によれば男でも長いヤツは本当に長い。それこそ女性である神無月と同じぐらい。世の中広い。凄い広いし大きい。


 どうにも風向きが悪いので、自然な感じに会話をシフトさせたいところだ。


「あ! じゃあ、お前のその長い黒髪にはどんな意味があるんだ?」

「そうね。特に理由もないけれど…強いて言えば日本人の女の子に生まれたからには、綺麗な長い髪って憧れじゃない?」


――嘘だ。今のは明確な嘘。


 今の神無月の台詞から虚構ノイズを除去してみれば、こう。


『昔、お母さんに言われたの。紫織は長い髪が似合うって』


 なるほどね。


 先に出た『家族がいる幸せを噛み締めろ』って言葉の裏にはこういう話があったわけだ。


 昔、母親に言われたことを愚直に守っているってことは――あてどない推測だけど――今はあの豪邸に一緒に住んでいるわけではないのだろうと思う。


 コイツは同居しているのにも関わらず母親の言いつけを素直に受け入れるような殊勝な性格には思えない。


 ならば離婚か或いは死別か。


 どちらにせよ、昨日は家族のことに深く触れようとしたら――それは神無月にとっての柔肌で逆鱗だったみたいだからな。

 そもそも人様の家庭の事情なんて部外者が訳知り顔で突っ込めない事柄だし、昨日の事を思い返せば軽々には踏み込めない。


 ならば論理的かつ理性的に浅く軽く流すことにしよう。

 人間は学習する生き物だ。昨日の二の舞はごめんだね。


「ふ~ん。そんなもんかね…。まぁケバケバした今風のコは苦手だから、そういった意味では結構好みだし、好きな髪型だね」

「なっ…うぅ…。あ、ありがとう」


 どうやらコイツは他人を拒絶するくせに、直球な好意に弱いらしいな。いや、好意に弱いからこそ他人を受け入れないのか?


 まぁどっちでもいいけれど。

 オレ自身の性質としては後者だけど、それこそどうでもいい。


 神無月は薄く紅の刺した顔を見せたくないのか、顔を下に向けている。


 こういうウブな所とか母親の言葉を実直に守る辺り、神無月は本来、結構真面目で健気な女の子らしい性格だったのかもな。それが今みたいになった経緯とか聞いてみたいけど、それはまた今度だな。


 とりあえず、今はフォローしときますか…。


「なぁ神無月。腹減ったし、どっかメシでもい…がっ、ああ?」


 は? 慣れないデートのお誘いを、最後まで紡げなかった。

 否、誰かに妨害された。頭を何かで殴られた…?


 くそっ思考が着いて行かない。状況を把握できない。

 どうして? どうしてっ?


 なんで真っ昼間の公園で背後から襲われなくちゃなんねぇんだよっ!

 全く解らねぇ。想像もつかねぇ。一つも意味が分からねぇ!


 逡巡する疑問符。消えない疑問符。

 そこで痛みが身体にリアルな感覚として知覚出来た。

 痛む頭を押さえて、下手人の顔を確認しようと振り向いた。


「っ! 誰だっ…この糞やろっ…ううおおおあァ?」


 振り向いた瞬間に眉間に二発目をぶち込まれた。


 額が割れたのか血が吹き出して、視界を覆う。

 苦痛に顔が歪む。意識が曖昧になる。


 空と地面がどちらにあるのか分からない。

 歯を食いしばることすら困難になる。緩む。


 自分がきちんと立っているのか自信が持てない。歪む。

 繋ぎ止められない。な…あんだよ…?


「な…んだって……い…え……おぁ…ぇっ」


 明滅し赤らむ視界の中、空を遠くに錯覚したその瞬間。

 揺れて前後不覚な視界が捉えたのは二人。


 真っ青に染め上げた顔と大きく開いた口を両手で覆い隠す神無月。


 そして彼女の隣にもう一人。


 僕の返り血で紅く染まっているゴルフクラブを持った壮年の男――それもいい感じに歳を召したロマンスグレーという言葉が似合いそうな一人の中年男性だった。


 そこで――――――、

 ――――途切れる。やがて、目覚める――。

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