#16 僕の鏡の割れる音

 若干の錯綜をはらんだオレが選んだ逃避先は今朝の公園(ちなみに神無月の家から超近い)。そして座っているのは今朝のベンチ。


 午前中の公園に学生服の男子高校生と私服のお姉さん系美少女がいるというのは、些か注目を集めそうなものだけれど――幸か不幸か公園に人影は信じられない程に疎らで――そんなに、必要以上に気を張らずとも大丈夫そうだ。


 よっしゃ状況確認終了。次のステップに進む。


「でさ…お前どういうつもりだよ?」


 当然の事として、神無月に先程の愚行について詰問しました。


「どうって言われても…楽しくお喋りしたわ」


 嘘だ。楽しくお喋りしたのは事実でも、そこには隠された本音があったはずだ。じゃなかったらあんな風に心は揺れない。


 なので追伸。


「じゃあその前だ…。何でお前がデートすんの? オレらは昨日知り合ったばっかの浅い仲。ドゥユーアンダスタン?」

「したいから…それだけではダメ…?」

「理由になってねぇ」


 速攻で一刀両断したら、神無月がわざとらしく顔を歪めた。


「そう…だよねっ。こんな貧相な身体の女となんか嫌…だよね?」


 ここで舞台に登場しますは可愛い女子のみが使える奥義、上目遣い! これが年上のお姉さんの魅力なのか?


 ありきたりな嘘を含んでいると視えているのに、尚この威力。ハンパねぇ。美少女ってホントずるい。そこまで理解してなお、心に波が強く立つ。


 だけど…普通に思ったことがついとばかりに思わず口をつく。


「あぁ…そうか、うん分かった。お前は馬鹿なんだな」

「失礼ね。先程言ったでしょう? 私は賢いと」


 先程までとは態度をガラっと変えてきた。


 ってことは、さっき滲んだように見えた涙はニセモノだってことか…。


 アブネー、脳裏に軽率に浮かんだ『いや、貧乳は貧乳で需要があるよ』とか『なんて言うか…大和撫子的じゃん?』なんて余計かつ意味不明な事を言わなくて良かった。至らぬフォローを吹いた結果のその先が泥沼なんて展開はどうにか避けたい年頃なんだ。


「知ってるか? 真に賢い人は、自らの至らなさを自覚しているらしいぞ。お前はどうだ? 自分の欠点を受け入れる真の賢人か否か?」


 微妙に故事とは異なっているけれど、かと言って大きく離れてはいないだろう。

 この教えを弟子に伝えて、後世に残した偉い先生はきっと懐も深いだろうからその程度の些事は許してくれるさ。


 しかし、期待していたギャグ的な反応とは真逆の、いたくシリアスな解答が返ってきた。


 それは出会った時の様な陰のある冷たい声色だった。


「…ならば、私は真の賢人に近くて遠い存在ね。半端に賢いから、自分の愚かさに気付いてしまう。でも、賢さが半端だから気が付いてもどうしようもない。本当に…どうしようもない…」


 声が出なかった。言葉にならなかった。

 神無月は鏡に映った自分? ふざけんな。


―――コイツとオレは相似だ。


 マジでそっくりなんだけれど、一緒ではない。

 限りなく合同に近い相似とでも評するべきだろうか?

 高さの違う合同図形なのか。ともかく似て非なるもの。

 オレは『非情の瞳』で、嘘が見抜ける。隠された心音が視える。


 でも、


 ソレ以上のことは出来ない。視えたところで、その事実を変えることは出来ない。その心を変えることは出来ない。

 視たくもないモノを勝手に視せられて、その挙句に自分の無力を思い知らされるだけ。


 ならば初めから視えなければ。最初から『非情の瞳』こんなものなんて僕に無ければっ!


 似た者同士のオレ達だけど、最初オレは神無月に嫌悪感を抱いた。彼女は逆にオレに対してシンパシーを感じた。


 それは表裏一体で紙一重。


 微妙なルート選択によっては互いの感想が逆だったかも知れないし同一であったのかも知れない。


 オレたちみたいな人間の間に本来聳えるはずの拒絶と無関心の壁が低かったのも、同族に対して無意識に警戒のレベルを下げたからだろう。普通は無関心でスルーだ。


 だけど、オレが神無月に罵詈雑言を吐かれてまで彼女の陰を薄めようと思ったのは、シンパシーを感じたからではない。


 その行動の根底にあったのは自己満足。現在悟った。それは正真正銘、ただのオナニーでしかなかったことが分かってしまった。本能的に理解出来てしまった。


 オレは他人オレを慰めることで――自分の醜いエゴを自分に限り無く近い人間性を持った他人に押し付けることで、その鬱憤を晴らそうとした。


 最低だ。人間性が醜悪過ぎる。ジブンとセカイが混ざる。その境界がわからなくなる。


「どうしたの? 顔色が優れないようだけど…」


 ヤメテクレ。本心から心配しないでくれ。

 オレの知っている心配とは違う。オレに視える悪意を隠す善意とは違う。

 純粋な優しさ。だからこそ自身の醜さが際立つ。

 まるで純白のハンカチに墨汁を垂らすみたいなアンバランス。

 汚い世界に溢れるものとはチガウ。


 しかもそれを言っているのが自分に相似の女だ。


 それが僕には堪らない、絶え間なくて耐え難い。沈み込む様な吐き気が催してくる、胸が圧迫されて正気が保てなくなる。


 何でだ? どうしてオレと似たヤツが掛け値なしに善良な人間なんだよ? ならばオレはどうなんだ? その善良な女の子に似ているオレは勧善懲悪的に立派な人間か?


 自分が大嫌いな癖に、それでも尚自分を慰めて守ろうとするオレはどんなヤツだ?

 自己否定に自己愛を重ねて、その隙間を埋めるような矛盾だらけの僕は何なんだ?


 上手く動かない頭で必死に身体に命令を送り、ジェスチャーで大丈夫だという意思を彼女に伝えたが、神無月は信じてくれない。


 どうやらオレは見抜くのは得意でも、つくのは苦手らしい。


「どう見たって大丈夫そうには見えないわ。今にも死にそうだもの。えっと、救急車でも呼べばいいのかしら…」


 返したばかりの携帯をバッグから取り出した神無月の細い手を掴む。思いの外、力が入っていたらしい。神無月は小さく呻き声をあげた。ごめん。


「はぁっ…だ、だ大…丈夫。救急車は、いいよ。その内……直に、治まるからっ!」

「いや、でもっ…」

「本当に大丈夫だから。それより…」


 彼女の手首を握り締めていた右腕から力を抜き、そのままポケットに移動させて携帯を取り出す。精一杯誤魔化す。状況を茶化す。


「それよりも…折角ケータイを出したんだから、ついでに番号交換しようぜ?」

「へ?」


 精一杯の笑顔を作って、この場を茶化す。それが僕の僕なりの処世術。


「いい…だろっ? 今の今まで聞くタイミング無くてさ…折角知り合えたんだし…」

「ま、まぁ別に構わないけど…あなた…」

「…何?」

「あなた…こうやって女の子を口説いているの?」


 は? なんだか一気に素に戻った。


 オレの発言の何処をどうやったらそういう発想に至るんだよ。


 やっぱり、高校生の頭ん中なんて男子も女子もそんなものなんだろうか?


 ありもしない幻想フラグを脳内で勝手に立てて…勘違いして。


 と言うかもしもその通りだとしたも、たかがアドレスの為に命懸け過ぎだろオレ。そんなに愉快に素敵に生きているつもりは無い。


 素に戻ったものの、混乱とかもあって頭が上手く回らないので、取り繕わず思ったまま本音を伝える。


「違ぇよ。神無月だから聞くんだ。お前だから、君だから知りたいんだよ」

「なっ!あなたっ…何をい…って。その…」

「よく分かんねぇけど…ホラ。ケータイ出せよ…」


 大分平静を取り戻したつもりだけど、イマイチ神無月の言いたいことが分からないな。


 頭をグシャグシャ掻きむしりながら、俯き何やらよく分からない言語を話す神無月の携帯に、自分のデータを送信した。


「送信完了っと。次お前送ってくれよ」

「…うん」


 そう言って携帯を操作する神無月は、『深窓の氷像』などと呼ばれる社会と隔絶した存在ではなく、笹塚さんみたいな年相応の普通の女の子に見えた。

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