#14 哲学的進化は運命論を追い越せない

 予定外の予定通り、ホームルーム後から普通に続くハズの一限目より授業をサボタージュしたオレは、当然ながら平時に比べて早過ぎる帰路に着いていた。

 考えるのは今後の人生設計とかならまだ救いようがあるけれど、下世話で下賤で愚かな身の上故にもっとどうでもいいことにリソースを割いていた。


「ホオジロザメのフカヒレスープってどんな味なのかな~」


 フカヒレに使われることの多いヨシキリザメよりは多少なりとも筋肉質のような気もするし、ひょっとしたら硬くてそんなに美味しくないのかもしれない。

 いや、ならばジンベイザメはどうなんだろう? というか、そもそもジンベイザメってサメなのか?

 スケールや食生活なんかを考慮すれば鯨に近そうなものだけど……あれ? それならヒレどころか普通に肉が食えるんじゃないか…? そうだな、鯨の肉は美味だと聞くし……ん~?


 そんな箸にも棒にも掛からない、今後の人生においておそらく全く益に成りそうもないことを益体なく考えて歩いていたと思う。

 どうもオレにはそういう節がある。現実逃避の一種だと専門家は笑うかもしれない。


 ちなみにオレの根城がある辺りは、わりかし住宅街だ。大小様々な家が乱立している。


 そんな家々の間を悠々と帰宅する最中、ホオジロザメのフカヒレについての考察からビッグバンとは何ぞや的な高尚な学問へと脳の働かせ方をシフトさせようとした時(どういう発想の飛躍でビッグバンに推移したのかは覚えていない)。


 極めていつも通りに帰宅途中に数ある家々の前を通っていた時だ。


 とある一軒の大きな洋風な家に――より詳しく言えば、その家の表札に目を奪われて脚を止めた。


 おそらく大理石で出来ているであろう思われる、熟練の職人芸を感じさせるその豪勢な表札には、ここ数日やけに縁のある名前が刻まれていた。神の無い月。そう『』と。


「まっま、おまま…マジ、で……?」


 何だよ、超ご近所さんじゃん。何で今まで気付かなかった? 他人に関心がないにも程があんだろ。毎日ここの前通ってんじゃん! アホ面で『デカいガレージだなぁ…。車何台入るんだろう…』とか言ってたじゃん! こんな珍しい苗字、そんなにいねぇよ。


 しかし、自己弁護をさせて頂くならばオレは――ウチの高校では結構有名っぽい神無月当人について何も知らない位だから仕方ないのかもしれない。あれ? 全然弁護出来てないや。外部への関心の欠如と好奇心の無さが露呈しただけな気がする。


 神無月邸の豪奢な門(取っ手部分これまた職人の心意気を感じる金属製の獅子がいる)の前で無様に佇んでいたら――意地悪な何かが狙いすました様にガチャリと小気味良い音が響いて――門の後方に位置する館の玄関が開いた。


 そして予想通りの人物が出てきて、予想外の言葉を吐いた。


「あら、斑目君じゃない。今朝ぶりね。私に何か御用? 家まで調べるとはなかなかストーカー気質がおありの様で」


 意外にフランクだっ! すっごい親し気だ!

 後半部の他者を傷付けることを主とした冷たい毒舌は相変わらずだけど、今朝の騒動となど何も無かったかのように普通に話しかけてきた!


 わからない…この女の思考が全く読めない。源泉たる彼女の人間性キャラクターが欠片も掴めない。


 困惑と混乱に返答が出来無い後輩を訝み、神無月は首を傾げる。


「と言うか、あなた学校は? 意外というか見た目通りというか、あなた結構不良なのね」

「なんつーか、色々言いたいことはあるけども今は呑み込もう。うん…とりあえず忘れない内に携帯返しとくわ。そして呑み込むとは言ったものの、一つだけ言わせてくれ――」


 まあ不良というのは見た目が金髪こんなで服装も好き放題フリーダムだし、誤解も偏見もよくされる。だからもういいとしよう。今更問い詰めない。だけどさ――、


 でも、それでも!

 それだからこそ守りたい人権というか矜持というか。何が何でも失いたくない一定の社会的な信用がある。


 オレはまだそれを喪失したくはない。故に叫ぶ!


「オレはストーカーじゃねぇ! ただ…家が近所なだけだ」

「あぁ、ありがとう。まぁ、あのコンビニを利用するということは、家はこの辺りなんでしょうね。では不良について何かコメントは?」


 魂の絶叫を華麗に躱し、携帯電話を普通に鞄にしまう氷像。

 会話が出来ているようで微妙に噛み合わない。やはりUMAの類なのか?

 雑念と疑問を飲み込んで、取り敢えず接触続行。


「その印象は、そんなに間違っちゃいないけど――素行で言うなら確かに優等生的では無いけど。正直テストでいい点が取れるタイプのインテリ系不良だから問題ない」


 人生において短く、ティーンにとっては永遠とも呼べる期間の大体は、テストの成績さえ良ければ結構何とかなるもんだ。

 え、内申? 出席日数? 教師の心象? アあ? 何それ食えんの? 美味しいの?


「そういうアンタも…お寝坊さんにしては結構にやんちゃな時間だと思うぜ?」


 見たところ神無月は制服じゃない。あれは完全な私服。

 流石にキュロットスカートにレギンスのジャケット姿での登校が許されるほどウチの校則はおおらかじゃない。


 染髪してる人間に吐ける台詞じゃないが、オレぐらいの明るさならソコソコいるので多分セーフ。若しくはグレーゾーン。


 神無月は顎に指を添えて考えるポーズ。何か本当に上っ面の振りポーズだけ。


「そうねぇ…私も頭がいいから、授業を受ける必要性を余り感じないというのが本音ね。加えてルックスも教師受けも良いから、自主休講も已む無しよね?」


 うおっ! 言い切りやがった。何だよコイツ、かっけーなぁ…。

 個人的な感動を度外視して、ここの男前発言だけ聞くと、こいつも完全なる社会不適合者だけどもっ!


 そう言えば、笹塚さんもさっき言ってたな、『神無月先輩は頭がいい』って。それは噂話の類ではなくて事実だったわけだ。流石女子! この手の情報源は確かだぜ!


 しかし、笹塚さんはこうも言っていたな。

 彼女は『他人に興味ない感じ』であるとも。


「まぁ概ね同感だな…で、今から神無月先輩は学校をサボって彼氏とデートですか?」

「あら、あなたがエスコートしてくれるの?」

「え?」

「なら、準備してくるからちょっと待っててね。


 他人に興味のない(はずの)少女は耳馴染みの無い謎の愛称を、今までの口調キャラとは真逆のトーンで言い残し、パタパタと家の中に戻っていってしまった。


「って何だよ、それっ!」


 ワンテンポ遅れてオレの絶叫が閑静な住宅街に響く。


 はぁ? 意味分かんねぇ。意味分かんねぇっ!

 何このシチュ。だってお前、今朝『関わるな』って言ったじゃん。時間にして二、三時間前にそう言ってたよな?

 だとすればお前のほうがよっぽど『お馬鹿さん』だよっ!


 大体、昨日まで赤の他人だったよな? それがいきなりデートする仲ですと? 飛躍にも程があんだろっ! 昨今の若者の貞操観念緩すぎでしょうが。慎ましき日本の大和撫子は何処にいったんだよ…。


 そういうアレコレから判断してあれだよな、これは逃げても許されるよな?


 確かに神無月をほっとけないと言ったけれど、これは何かが違う。致命的に捻れている。

 これはひどい。何かとんでも無いことに巻き込まれそうな予感がえらいする。もう他人にのはごめんだ。よ~し、逃げんべ!


「おまたせ、つっくん」


 はい、闘争…間違えた。逃走失敗ですよ、と。

 そして、気になる点があるんですけど…。


「いや、オレも今来たとこ…じゃなくてさ! 何なの? その『つっくん』ってさ…」


 まぁ大まかな予想はつくんだけどね(つっくんだけに)。

 でも一応。念のために聞いておきたい。

 どうせ『つかさ』の『つ』からとったとか、そんなもんだろうけどさ。


 もしかすると頭の良い子である神無月先輩なりの高尚で哲学的かつ、文学的な比喩表現や科学的見地、巧妙な社会風刺をも孕んだ崇高な意味が隠されている可能性も十分に有り得る。有り得るのか?


「つっくんの下の名前って『つかさ』でしょ? そこを文字って『つっくん』。あら、気に入らないかしら?」

「はい、大当たり入りました」


 別に嬉しくねぇけどな。


 つーか、いきなり普段のテンションに戻るなよ。その落差の激しさに着いていけねぇよ。

 世間にはギャップ萌えという言葉もあるけれど、これとは違う気がする。似て非なるものというよりも、偽で逆といった装い。


「つっくんが駄目ならば、『まーくん』とかはどう?」

「却下だ」

「どうしようもなくワガママね」


 どっちがだよ…。


 ほぼ初対面と言っても差し障り無い関係のお前に、そんな甘々な呼ばれ方を許すと思うのか? オレとお前はそんなイイカンジな関係じゃないだろ? マジでそんな筋合い無い。覚えがない。本気で気色悪いから、その誤ったノリを早急に廃止してくれ。



 こんな感じで、無益かつ無意味に人様の家の前で口論をしていたわけですよ。そして情けないことにオレは結構それに夢中だった。だからこそ失念していたわけ。


 ここが住宅街で、オレの家の近所で、叔母さん夫婦にとってもご近所だってことを。


「司ーどうしたー、サボりかー?」


 この声の主、やけに伸ばし棒を強調する話し方は……、


「や、やぁ…叔母…さん」


 振り返ればそこにいたのは…なんとっ! ビックリ!

 化け物とかならばどんなに良かったか。


 そこに居たのは姉代わり、二宮朱鷺子さんと…、


「おっ、司。そっちの美人さんは彼女か?」


 ニヤニヤしている若き不動産王。斑目司の兄的存在―――二宮清隆さんだった。


 これはなかなか最悪である。至上最悪などとは宣わない。

 もっと酷い目にあったことがあるから、それに比べれば何とかやれる。耐えられる。


 でも、流石にこの展開は無いだろう?

 あんまりにも、余りにも杜撰だよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る