#6 致命的なフォビア
車道に突っ込んだ挙げ句、罵詈雑言をくれやがった女性。
そんな破天荒な形容を過去に置いた汎用人型放射冷却発生器のバイトさんと――とんだ縁による再会を果たしつ――基本的に無事目的を達成した。まぁ、端的に申せば朝メシを無事ゲットしたってことですね。
無料にビニール袋をプラプラと不満丸出しで揺らしながら、家の前を潜ろうとしたとき、声をかけられた。
「おーっす、司! 朝早いね、どうした~?」
振り返らなくたって分かる。長音符を強調し、耳が痛む程の大きな声の主は…
「おはよう、叔母さん。そっちこそ、今日も早いね」
「叔母さんっていうなよー。私はまだ二十代だ。それに
掃除でもしていたのか、右手に箒を持っている姿が妙にミスマッチなこの女性は二宮朱鷺子さん。二十代後半に入ったばかりの人妻。オレが一人暮らしをするために必要な手筈を整えてくれた恩人の一人。
この人達がいなければ、オレは高校を卒業するまで
しかし、青少年は朝帰りなんて青春を満喫してたわけじゃない。
青い春どころかむしろ黒い冬に遭遇したので苦笑いが出た。
「それは恥ずかしいっていつも言ってんじゃん。ってか叔母さん…そんなアブノーマルな性癖を持ってるの? 普通にドン引くよ?」
高校生に『お姉様』の呼び名を強要する二十うん歳人妻ってキャッチフレーズからは、まともな印象は受けない。身の危険しか感じない。
まあ勿論それは叔母さんなりのアダルティなジョークだったわけで、すぐに「お姉様は嘘だよ」と苦笑交じりに訂正した。
良かった、マジでホッとした。
本当に本音だった場合は、本気で付き合い方というか距離間を本格的に測り直す必要が出てくる所だった。
「それに…朝帰りだったらいいんだろうけどね。生憎…」
そう言って右手の袋を叔母さんの前に突き出して、軽く揺らす。
「朝メシの調達だよ」
大きくコンビニの名前が入った袋を見て理解したのか頷いて、それから下品な笑いを浮かべた。
「で、そのコンビニの店員さんに唾を付けてきたと。流石っすねー司さんは」
変に鋭い。微妙に近からず遠からずってやつだ。異性の店員さんと一悶着あったのは事実だ。
しかしその実、ロマンチックなものよりかは、どちらかと言えばサディスティック。いや、それなりにドラマチックではあったのかもしれないけどさ…。
「発想の飛躍と表現の卑猥さがヤバいね。それじゃあ叔母さんよりもおばさんとかオバサンって感じ?」
「何その字面でしか判断出来ない解読困難な暴言はっ? でもあえて言うなら三番目で!」
ノリは間違い無く十代以上のレスポンスだよ。化粧のノリの方は知らないけどさ。
そんな感じのくだらない上に無駄に敵を作るジョークを思い付いたりもしたけど…まあ言わない。余計な一言は、危ない。
「ってかさー。朝メシなら言えよ。ウチはここからすぐだし。普通にあたしが作ってやるのに…」
屈託ない笑顔でスッと内側に入ってきた。こういう懐の深さというか、温かみみたいなものは年の功か…。
でも――これ以上は駄目なんだよ。『甘え』じゃなくて『依存』になる。
今でも十分に甘えていると言えるけれど、自分の中ではそれを『利用』と定義して誤魔化した。偽悪的な虚偽を用いて何とか折り合いをつけた。
でもこれ以上は誤魔化し切れない。この辺を断るのが――叔母さん夫婦に対する絶対服従の『例外』。自身の中で僕が勝手に引いたルール。
「ありがたいけど、ただでさえ迷惑かけてるんだから、これ以上は申し訳なさすぎるよ」
「そんな連れないこと言うなってー。姉さん…あんたの母さんにどう言われてるかは知らないけどさー、あたしは司のことを弟みたいに思ってるし。あ、モチロン清隆さんもね」
やめてくれ。そんなにやさしくしないでくれ。
胸が締め付けられる。誰かに優しくしてもらえるほど上等な人間じゃない。誰にも優しさを向けられない僕が、誰かに優しくされたいだなんて思う方がどうかしている。不合理極まりない。おかしいよ。
優しくされるのが怖い『優しさ恐怖症』。
優秀な人間かも知れないけど、高尚な人じゃない。人間的に致命的な欠陥があるんだよ。
大抵のことは上手くやれる自負はあるけれど、やった本人の心はそれに比例してどんどん『いびつ』になっていくんだ。
叔母さんは清らかな青少年に悪影響を及ぼすこと受け合いの黒いオーラを漂わせながら、大胆不敵に嫌らしくニヤリと笑う。
「まぁあんたがいいんなら別に無理強いはしないけどさ。なんか悩みがあったら言いいなよー? 清隆さんが何とかするから。ふふっ、主にオトナの
まぁ、この街に来た理由が理由なだけに、いくら弟同然に扱っているつもりでもあくまで他人には踏み切れないところがあるのだろう。
そういう類の善意を利用する
本当に、僕の原形が無くなるくらいに、人格が崩れるくらいに。きっと。いずれ、そうなる。そうなって然るべきだ。
そして、二宮夫婦がオレを『子供』とは言わずに、『弟』と呼ぶことには歳の差が小さいってだけではない、もっと明確で『暗い理由』があると思う。
あの人達は結婚してもうすぐ八年になる。
その年月の間に愛する者同士の結晶が欲しいという欲求が生まれたことは一度も無いのか?
あの夫婦は甥とは言え、赤の他人も同然な人間を弟として可愛がってくれていることから特別子供嫌いって訳でもないはずだ。
加えて二宮夫婦に経済的な問題もない。むしろ富裕層であるさえ言える。
にも関わらず、二人の間に子供はいない。
邪推であって欲しいけど、そこから導き出される答えは多分………。
オレはそんな二人を残念に思いながらも、そんな二人の心の弱い部分も利用出来るかもしれないと考えている。救いようがない程の糞野郎。
自己嫌悪に捉えられてばかりもいられない。
会話を終結に持っていくために、小さく肩をすくめて茶化す。
「ならやっぱり相談出来無いや。相談事よりも厄介な秘密になりそうだし」
「確かにね。間違いないわ。おっと、結構話し込んじゃったね。清隆さんが起きちゃう」
腕時計を見ながら、叔母さんは置き土産とばかりに一言告げて、風の様に旦那さんの待つ自宅に帰っていった。
「避妊はしっかりなー。若人よ」
「心配には及ばないよ。相手がいないから…」
偽悪的な悪人の悲しい返答が無事に届いたかは、わからない。
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