#3 邂逅と罵倒。その果てに構築される関係

「さ~て、今日も退屈で絶望的な一日でしたよ、と」


 頼りない夕陽がそろそろ沈む準備でも始めようかとしている時刻。

 孤高の少年は一人寂しく孤独を従え家路に着いていた。


 いつも通りの景色。普段どおりの風景。何も変わらない日常。

 どれだけ望んでも、劇的な変容など望めない光景。


 国道に面した歩道を歩きながら、嘆いていた。

 ただ、心は泣いていた。なんて嘘だ。そうに決まっている。


 多分『それ』はもう枯れてしまった思い。

 失くしてしまいたいと過去に願ったもの。

 少なくとも、その時、その瞬間まではそう思っていた。


 帰宅途中の擦れた少年の目を引いたもの。


 それは昼過ぎまで空に覆い被さっていた厚い雨雲を押しのけてその存在を誇示する夕陽ではなく、横断歩道に立ち尽くす一人の少女。


 いや、立ち尽くすという表現は適切ではない。

 何故ならば、その少女が渡りたいであろう信号は赤だったから。


 立ち尽くすも何も交通量の多い道路で、正対する信号が赤を示していれば、そこを横切り様がない。


 だから、正しく描写すればただの信号待ちの女子高校生がいた、だ。

 この下校時刻の通学路においては何の不思議もない光景。


 平日のこの時間には掃いて捨てるほどもいる信号待ちの少女――よく見れば、ウチの高校の制服を着ているその少女は一目で判るほど整った顔立ちで、道を歩いていたら十人中八人くらいは振り返って二度見するだろうってぐらいに美人さんだった。


 そんな少女はパッと見スタイルも良く――若干胸にボリュームが足りない感じだが、長く綺麗な黒髪をしている。


 姫カットってやつかな? いや、なんだが前髪がギザっとシャギーしてるから違うのかも。つーか、女性の髪型とか長さ以外は全然判別出来ないし…。


 兎にも角にも、その顔面に乗った髪型の正式名称を置いた所で――整った造形であることに違いはないのでやっぱり注視してしまう様な女性だった。


 故にその容姿だけは掃いて捨てるほどにはいないと訂正しておくべきだろう。


 悲しげに夕陽をバックに憂い顔で佇むその様は驚くほどに絵になっていて。

 例えるなら、教科書に載るぐらいに有名な――それは有名な一枚の完成されて美しい絵画を見ているような気分になった。


「へぇ、世の中には美人がいるもんだ」


 そんな俗物的な感想に脳細胞を使用しながら――揚々とまで言えないし、爛々とは行かないまでも――それでも気持ち、テンションを上げて普通に通り過ぎようとしたその時――その美女は唐突に、それでいて当然なことのようにフラっと自然に道路に飛び込んだ。


 それはもう自然な動作で危険地帯に華奢なその身を投げ出したので、一瞬何が起こったのか理解するのを拒否する自分がいた。


 しかし、物理的にも精神的にも一歩引いて、状況を鑑みれば、絵画から飛び出した彼女を待ち受けるのは子供でも解るような明確な終点。


 数メートル離れたところには明らかに法定速度をオーバーしてつつも、国家権力に取り締まられることはないであろう、ごく一般的な速度で通過しようとする軽自動車がいる。


 なんだよ…それっ、一体どこのトレンディドラマだよ!


「ふ、ざっけんなッ!」


 そんな既視感溢れて、たまらなく陳腐な脚本の三流ドラマに参加したのは他ならぬ自分自身だということに意識は向かなかった。


 何故かって?

 そんなの自分でも驚くような声の大きさで――自分でも信じられない程に沸騰した血液に従って――短絡的な行動に出た自分がいたからだ!


 少女の細い手首を思い切り掴み、こちら側に一気に引き戻す。少女の長い髪が、それ自体に意思を持っているかの様に頭を支点にしてアチラコチラに跳ね回る。


 それを確認するや否や――いや、確認なんてしていない。そんな悠長なことを呑気に確認する余裕は無かった。名も知らぬ彼女の命以前に自分の命がかかっているのだ。


 普段はそんなに『生』に対して固執している命でも無いけれど、犬死にの無駄死には御免被りたい。


 もつれあうようにして派手に歩道に倒れ込んだ。


 専門家の監修におけるスタントなしの生身での活劇。

 殺人鬼候補筆頭であった車からの遅すぎる警告―――怒りのクラクションの音が大きく、遠くに聞こえた。


「いっつぅ…!」


 痛い。受身など取る暇はなくて硬いアスファルトで背中を強く打った。


 リュックを背負っていたとは言え、それの中身はほぼ空。

 結果、衝突のダメージを結構ダイレクトに受けた。その衝撃で肺から無理矢理に空気が抜け出した。初めての感覚。


 それにつけても、道路に打ち付けたその身体は普通に痛い。


 しかし、『痛い』と感じこと、即ちオレはまだ生きていると実感する。

 尤も痛みによって実感するぐらいなら、命などくれてやると不謹慎ながら思った。


「ぜぇ…はっ……おい、アンタ! どういうつもりだよ、死にたいのか?」


 地べたに座ったままなので余り格好は付かないのだけど、息も絶え絶えに思わず怒鳴りつける。

 とりあえず自身と彼女の身の安全を確認したら、俄然怒りが湧いてきたのだ。


 突発的な危機に対しての憤怒。その原因を引き起こした彼女に対しての理不尽な怒りが渦巻いている。


 満身創痍な状態なのは彼女も同じハズなのに、少女は何もなかったかのように無表情で口をきつく結び、オレを真っ直ぐに睨みつけて努めて冷静に、極めて冷淡に、手酷く冷酷に一言告げた。


 余談になるが、その時の彼女の瞳はとても綺麗で悲しげな色をしていた。


 釣り目がちの瞳の中に宿るその氷の刃は触れれば切れてしまいそうで、でもその刃は相手を傷つけるだけではなく、その鋭利な刃物は多分彼女自身にも向いていて。


 一点の曇りもないようで、ひたすらに濁りっぱなしのようなその瞳に正直ゾッとした。


 何故かは解らなかったけどその瞳を直視するのが恐ろしかったし怖かった。


 そんな個人的な感想はさておき、兎にも角にも彼女はハッキリとオレに言ったんだ。


「邪魔しないで。死ね、フェミニスト気取りのお節介野郎」


 はい?


 言いたいことはそれだけだったと言わんばかりに、黒髪の彼女は背を向け、さっさと歩き出してしまった。オレが掴んだ右腕を汚れでも払うみたいに逆の手で叩きながら。


 ちょい待てよ。その言葉が微量の嘘を含んでいることは視えた。


 でも、今はそんな枝葉はどうでもいい。


 怒りが未知と恐怖を凌駕した。少しばかり可愛いからって調子に乗んなよ? 可愛いだけでこの世間の荒波を渡って行けると思うなよ。


 そんな優しい世間ならばオレはここまで壊れなかった。そんなセカイなら僕はここまで歪まなかった。


 久々に感情が振り切り昂ぶった。演じることも忘れて漫然と叫んだ。


「別に自分の行動を美化するわけじゃねぇけどさ。それでも、命の恩人に投げかける言葉にしては辛辣すぎやしねぇか? なあ? オイ。こっち向けよ!」


 右手で彼女の肩――触るまでは気付かなかったが、見た目以上に細い肩を長い髪ごしに思い切り掴み、無理矢理にこちらを向かせる。


 二人の視線が交差する。睫毛長いななんて、場違いな感想も現在はいい。


「大体わかってんのか? 信号が赤なのに渡ろうとすれば死ぬに決まってんだろッ! 小学生だって理解してる。アンタの親はそんなアタリマエも教えてくれなかったのか?」


 そんな立派な言葉を吐いた後、自分を省みて、そして自らを嘲笑う。


―――大層な説教をかませる程に、お前は出来た人間か?


 んな訳あるかよ…。


 だって、そうだろ? 『いのちを大切に』とか『生きていることは、それだけで素晴らしい』なんてオレが一番嫌いな言葉で、欠片も体現してやしないじゃないか。


『人間の命はただの一つの命であり、それ以上でも以下でもない』だとか『人は死に向かって生きている』


 なんて後ろ向きな言葉のほうが余程ストンと腑に落ちる。自身の暗い経験を呪い、それなりにヘコむ。


 しかし、オレの自虐行為とは関係なく、その瞬間、確かに感じた。


 空っぽのはずの彼女の心の水盆に波打つことを。彼女の瞳に感情の色が暗く重く浮かんだことを。


「…っ! そんなのっ…」

「あぁ?」

「…何でもない。二度と私に姿を見せるな。死になさい、変態」


 なっ…なんだよコイツ。マジで意味わかんねえ。


―――でも一瞬だけ、言い淀んだその瞬間だけ、彼女の『中身』が視えた。


 だけども、それにしたって変態って評価はどうよ? 身体を触ったからか? そうなのか? ちょっと腕と肩に触ったぐらいで変態扱いを受けるこの世の中…どうかしてるぜポイズン。


 つーか、車道に飛び込むデンジャー系美少女なんかと進んで関わりたいとは思わねぇよ。オレはソコまで命知らずの冒険野郎ではない。


 大体、同じ高校に通っているのだから、姿を見せるなってのは無理な注文だ。


 教室移動の際などに一方的に見つけられることだってあるかも知れない。その逆も十二分に有りうる話だ。


 だから、アイツの要求は土台無理な話。実現不可能な要求。


 しかし、だからと言って、悲観したりはしないけどな。


 だって、もう関係ないだろう?


 もし、仮に、そう有り得なくはない話を仮定したとして、もう一度何処かで出会ったとしてもただそれだけ。


 隣人とすれ違ったって何の発展もない。


 オレとアイツの奇妙な縁は此処で終わり、この場限り、先には繋がらない。


 一期一会の気楽な関係。小説とは違って、奇妙な隣人とは距離を置いてそれまでさ。そう思っていたし、そのつもりでいた。


 そう、

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