SideStory

#A:プルタブの指輪

 細長いガラス瓶の中に、歪な形の輪が樹脂で固められて入っている。

 傷だらけで、太さも一定ではなくて、知らない人間が見たらゴミにしか見えないような輪は、「結婚指輪」だった。

 樹脂も綺麗なものではなく、瓶の後ろに置かれているモニタの光が入り込むと、樹脂の中の不純物がよく見えた。


「アゲハ」


 モニタを食い入るように見つめる。

 定点カメラの画質は荒く、偶に映像が途切れることがある。

 だから少しでも見逃してはならない。

 父親と会える唯一の時間を逃すわけにはいかない。


「アゲハ」

「……パパが帰るまで待ってよ」

「違う。モニタに目を近づけすぎだ」


 母親に指摘されて、双葉朱羽(フタバアゲハ)は我に返る。

 モニタから離れて座り直すと、母親は納得したように、飲みかけの珈琲を再び口へと運んだ。

 コートリア惑星群、第一惑星フラスコ。

 そこに建つフェリノルダ研究所が、彼女の住まいだった。


「ねぇ、ママ」

「なんだ」


 モニタの中をゆっくりと、大きな宇宙船が通過する。

 十五年前に、死にかけの地球から人々を救うべく飛び立った宇宙船「サンライズ」。

 アゲハの住むコートリア惑星群に人々を下ろした後は、こうして殆ど誰にも知られることなく、惑星間を漂っている。

 宇宙船には人は誰も乗っていない。

 操縦をしているのは電子頭脳であり、それはサンライズに乗っていた一人の人間の脳を使って作られた。


「パパがいつもより元気がないわ。0.01ノット、毎秒速に乱れが生じている」

「そうか。ミズムラにまた頼むかな」


 「父親」を一日に一度、モニタで確認するのは、アゲハの大事な役割だった。人間であった頃の父親をアゲハは見たことがない。だが、母親曰く、非常に男らしく、頼りがいがある人間だったと言う。

 サンライズに乗った人類たちを救うべく、我が身を犠牲とした父親のことを、アゲハは誇らしく思っていた。


「ミズムラさんは今日は来るかしら?」

「どうだろうね。彼も私に負けず劣らず、気まぐれだから」


 モニタから宇宙船が姿を消して、真っ暗な空間となった。

 アゲハの、母親によく似た猫のような瞳と、恐らく父親に似た豊かな栗色の髪がそこに映る。


「そういえば、この結婚指輪って何で出来てるの?」


 両親たちが結婚式を挙げたのは、サンライズの船中だった。

 アゲハは生まれて間もない頃なので、全く記憶にない。

 あるトラブルにより、両親たちは大きな決断をして、そして互いが一緒にいられる最後の日を結婚式にした。


「ん?」

「今まで特に気にしたことなかったけど、指輪ってもっと太さが均一なんじゃないの?」


 人々がコートリア惑星群に移住してから、まだ十年と少し。

 皆、生きることに必死で、装飾品の類には無頓着となっていた。

 だからアゲハもこれまで、指輪というものの形状に疑問を抱いたことはなかったが、最近大人から教えてもらった。

 それはアゲハの知っている、樹脂の中の指輪とはあまりにかけ離れていた。


「あぁ、それはプルタブだよ」

「ぷる?」

「缶飲料の開け口に使われていた金具のことだ。指輪代わりになるものがないか、宇宙船の中を必死に探してね。ナットじゃ太すぎるし、針金では細すぎる」


 母親のアキホは懐かしむような口調で当時のことを物語る。

 その姿は、二十代のまま変わらない。

 これから先、アゲハが母親の外見年齢を通り越して老いていっても、アキホは老いることがない。

 その理由も理屈もアゲハは知っているが、自分がそうなりたいとは思わなかった。


「でも指輪は絶対にしたかったんだ。私が唯一我儘を言ったのでね、ミズムラが廃棄室のスクラップの山を漁って、プルタブを持ってきた。彼は手先がとても器用だから、それを使って指輪を作ってくれたのさ」

「でも随分歪んでるじゃない。工具が無かったの?」

「いや。作って貰った時にはちゃんと綺麗な形をしていたよ。歪んだのは私が、ジョセフと手を握ったからさ。あんまり長く握っていたから歪んでしまってね」


 楽しそうに笑う母親は、その後の悲劇的な別れのことなど忘れているかのようだった。

 忘れたという表現がそもそもおかしいのかもしれない、とアゲハは思い直す。母親にとって父親は、いなくなったわけではないし、死んだわけでもない。ただ少し形が変わっただけなのだろう。


「別に指輪なんてなくとも、ジョセフが私を嫌いになるわけはないが、ミズムラが折角作ってくれたのでね」

「ふーん」


 離れていても形が変わっても、両親達は愛し合っている。

 思春期を迎えたアゲハは、それを誇らしいと思う一方で、嫉妬に似た何かも感じていた。






「プルタブの指輪?」


 研究所に出入りをしている、水村純(ミズムラジュン)はアゲハの質問に対して数秒考え込んだ。


「あぁ、あれですか?まだ持ってるなんて、所長にしては珍しいですね」

「指輪なんてなくてもいいけど、ミズムラさんに作って貰ったからって言ってた」

「なーるほどぉ。所長らしい」


 ジュンは今年で四十になる男で、コートリアに移住してから家庭を持ち、子供もいるが、男手のない研究所のことを気にして頻繁に顔を出していた。

 意思の強そうな眉が特徴的で、大きな口元がそれを更に誇張している。


「前も話しましたけどね。俺はサンライズには一番最後に乗ったんですよ。それまで地下道でドラッグ作っては売り捌き、捌いては作りを繰り返してたんですけど、相棒だった奴が狂ってね」


 研究所前に置かれた、研究資材の検分をしながらジュンは続ける。


「狂った相棒を見捨てて逃げた先に、偶然サンライズがあったんです。それでジョセフさんに乗せてもらってね。恩返ししたかったもんだから。指輪がしたいと所長が言った時にはチャンスだと思ったんですよ」

「幸せそうだった?」

「えぇ、とても」

「ママが羨ましい」


 ジュンはそれを聞いて、微笑ましい気持ちでアゲハを見返す。

 素直なアゲハは、研究所に出入りをする多くの関係者から可愛がられていた。


「羨ましいですか」

「パパはとても立派な人だけど、私は会ったことはないし。ママはパパに愛されている自信があるから離れていても平気だけど、私は必死になって、あのモニタを見ていないと、パパとの繋がりが切れちゃう気がするの」

「お嬢さんはとても愛されていましたよ。だからジョセフさんはあの道を選んだんです」

「でもきっと私は、プルタブの指輪を誰かから貰っても喜べないし、それが無くなるのが怖くなると思う」

「それはどうして?」


 ジュンの問いかけに、アゲハは左手で口を覆うようにして考え込む。

 母親ほどではないが優秀な頭脳の中に、いくつもの言葉が飛び交っては消えていく。


「多分、私が物事の表面しか見ていないからね。ママにとってあの指輪は結婚という夢で出来たものなの。スクラップの山から見つけた金属片で出来たものじゃなくて。でも私はそれを理解出来てない」

「賢すぎるのも問題ですねぇ。その若さでそこまで考えますか」

「……ねぇ、ミズムラさん」

「なんですか」

「私にプルタブを頂戴」

「は?」


 ジュンは困惑した表情で聞き返す。


「今の話と矛盾していませんかね?プルタブの指輪は欲しくないんでしょう?」

「ママは本当に指輪が欲しかったの。でも結婚式の想い出があるから、もう指輪は要らないんだと思う。私も物質的なことに固執するんじゃなくて、そこから先のものが欲しい。だから、今の気持ちを忘れないためにプルタブを頂戴」


 突拍子もない申し出にジュンは呆気に取られたものの、ある意味とても子供らしい発想に思わず笑みを浮かべた。


 二十年前、世界が闇に包まれて氷に覆われた時、人々は五年間もの間、地下で荒んだ暮らしを送っていた。

 ジュンはそこでドロップと呼ばれる薬物を作って、日々の糧を得ていた。あの場所には未来なんて一欠けらもなかった。指輪も宝石も札束も、しなびた野菜に比べたらゴミクズも同然の世界だった。


 サンライズに乗って飛び立ち、コートリアに移住した後も、厳しい生活は続いた。強すぎる太陽光を避けながら居住区を作り、野菜を育てては失敗することを繰り返しながら、必死に生きて来た。


 こうして子供が、生存以外のことに夢と希望を見出すのは、この世界が幸福である証だった。

 小難しい理屈を捻りまわして、自分への訓示のためにスクラップを欲しがる少女は、あの五年間の地獄にも、その後の開発期にも存在出来なかった。

 今だからこそ、少女は其処に存在していられる。ジュンにはアゲハという存在がとても喜ばしいものに見えた。


「いいですよ、と言いたいところだけど、プルタブはもうこの世界に無いんですよ。聞いたことないでしょう。金属で出来た飲料水を入れる容器なんて」

「ないけど……」

「コートリアには鉱山が殆どないようですからね。金属加工の装置もないし」


 アゲハは目の前で欲しかったものが取り上げられた子供のように、落胆した表情になる。


「そんな顔しないでくださいよ。天才科学者と同じ顔で落ち込まれると、隕石でも飛んでくるみたいだ。ハルゼルの二の舞は御免こうむります」

「いい考えだと思ったのに」

「大体、お嬢さんはプルタブ自体見たことないでしょう。作って欲しいなら、ちゃんと設計図をくれないと」

「でもミズムラさんは知ってるじゃない」

「さぁ、遠い昔のことなんで忘れましたね」

「意地悪」


 頬を膨らませたアゲハだったが、すぐに思い直したように顔を輝かせると、両手を打ち鳴らした。


「じゃあ設計図持ってきたら作ってくれるのね?」

「物好きだなぁ、お嬢さんも」

「私も旧星で生まれた人間だもの。当時の文化には興味があるし。ねぇ、そうしたら作ってくれる?ちゃんと依頼料は出すわ」

「いや、別に要りませんけど。……あぁ、そうだ」


 ジュンはあることを思い出して、目を瞬かせた。


「実は所長とは話をしているんですが、フラスコ以外の惑星も居住地に出来る様になったら、サンライズの最後に関わった人間はバラバラに居住することにしたんです」

「どうして?」

「誰かにジョセフさんを利用されないようにですよ。秘密を知っているのは少ないほうがいい。それで、乗客名簿からも追えなくするように、苗字を変えようと思いましてね」

「ミズムラさんの?」

「俺以外にもいますけど。でも良い名前が思いつかなくてねぇ。お嬢さん、考えてくれますか?」


 アゲハはすぐに頷いた。


「かっこいい名前を考えてあげる」

「カッコよくなくていいですよ。なるべく今のに近い方がいいですね。いきなりガラッと変わると、わからなくなる」

「大丈夫よ、任せて。設計図も新しい名前も、ちゃんと考えるから」


 そう言い終わると、アゲハは研究所の方に踵を返す。


「お嬢さん、もう戻るんですか?」

「一秒でも早く完成させたいの。ミズムラさん、約束忘れちゃうことが多いんだもの。忘れる暇もないぐらい、早く設計図を持っていくわ」


 失った玩具を再び取り戻したアゲハは、足取りも軽く研究所の中に戻って行った。

 残されたジュンは苦笑いをして、本来の目的である研究資材の検分に意識を戻す。


「あの様子じゃ、一週間以内には持ってきそうだな。好奇心だけは所長よりも上だし。俺もそれまでに金属加工の方法を思い出しておくか」


 コートリア歴十五年目。

 未だに滅んだ地球に未練を残す者もいる中で、未来だけ見据えている者もいる。

 近いうちに、「ジュン・ミーズラン」となる男は楽しい予感に口笛を吹きながら、重い機材に手を伸ばした。

 

END

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