惑星#00

淡島かりす

#01:惑星ゼロと学者達

 広い宇宙には数多くの惑星があり、数多くの恒星があり、生命があり、生死がある。

 しかしその中の一つの惑星しか、自分達は知らない。そしてその惑星も、今では誰も近づけない領域にある。

 レイト・バルバランは在り来たりの思想を頭の中で転がしながら、退屈な講習をなんとか乗り越えようと努力していた。

 四角い部屋の教壇には、中年の男が立っており、背面の大きなモニタに文字や数式を展開しながら宇宙法則についての初等講義を行っている。

 第五惑星「ベリル」にある宇宙機構高等学校は、この世界でも最高水準を誇る進学校であり、多くの宇宙飛行士や天文学者を輩出してきた宇宙機構大学の付属校でもある。

 小さな複数の惑星により連結された世界において、優秀な生徒を集めるということには大きな意義があり、教師側としても優秀な人材が集まりやすい。

 惑星同士の連絡、交通は実に簡易なものとは言え、人間の心情としては少しでも近く、少しでも便利な場所に住みたいというもので、第五惑星はアカデミックな町並みと市民が多数を占めている状態だった。


「では次に旧星についてだが……」


 教師のその言葉に、レイトは目を見開いた。今まで脱力状態だった脳髄を働かせ、手を上げて口を開く。


「先生」


 教師はその声を聴いて目を向けたが、発言者がレイトであることを認めると、一瞬だけ眉間に皺を寄せた。


「旧星時代って、夜はどうやって決めていたの?」

「それはだな……太陽が沈んで月が見えたら夜と言っていたんだ」

「じゃあ旧星って、空が見えたってこと?あんな殻みたいなのなかったの?」


 レイトは窓から外を指差した。遥か上空を覆っている白い「外殻(ガイカク)」は、この惑星では見慣れた光景だった。


「そうらしい」

「月って明るいの?」

「太陽には負けるが、結構明るかったようだぞ」

「月ってここから見える?」

「見えないのは知っているだろう。そう授業で話したはずだ」

「でもさ、月って旧星と地球の間にあるんじゃないの?」

「そうとも限らないさ。月は旧星の衛星だ。旧星と一緒に回っているんだよ」

「でも絶対見えないってことはないでしょ?どこなら見えるの?」

「ベリルから見れないのは確かだな。隣のシータからも見えない」

「じゃあゼロからは見れる?」


 教師は今度こそ眉間にはっきりと皺を刻んだ。


「バルバラン。お前は何かというとゼロのことばかり口にする。ゼロを桃源郷、理想郷か何かだと思っているんじゃないか?」

「そうじゃないけどさ」

「いいか、皆」


 教師は教室内の生徒全員に視線をめぐらせた。


「バルバランのようにゼロに入りたがる者もいるかもしれないが、教師として、いや大人として言っておく。あそこには何もないんだ。入ろうとするだけ時間の無駄だし、そもそも立入禁止区域に入ろうだなんて心構えが頂けない。最近ではゼロを開放しろなどという……」


 その時、天井の拡声器から授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。教師は肩を竦めると、教卓の上の参考書や電子模型をかき集めた。


「今日の授業はここまで。次の頭には小テストを行うから、各自復習しておくように。……それとバルバラン」

「はい?」

「後で私の研究室に来なさい」


 教師が出て行くと、レイトの周りに友人たちが群がった。


「とうとうお呼び出しかー。短い命だったな」

「勝手に処刑するなよ」

「でもほら、ゼロの秘密を知ったものは処刑されるって噂じゃん?」


 ゼロ。それは第0惑星と呼ばれる謎の惑星を指す。

 それぞれの惑星は次元トンネル、重力通路やエアレールで連結されているが、ゼロだけは違う。その惑星だけはどこにも繋がらず、どこからも全貌を見ることは出来ない。

 多角形状に連結された惑星群の間にあると言われているが、正確な位置や質量、形状は何も知られていない。


「ゼロなんてさ、偶然コロニーの周りを飛んでるだけの小惑星だって」


 友人の一人が呆れたように言うが、レイトはそれに賛同することは出来なかった。

 ただの小惑星であれば、中枢機関がそう発表しているはずで、それがないということは、ゼロには何かの意味があると見て間違いない。

 サイバーネット上ではゼロに関する様々な説が飛び交っているものの、どれも決め手にかけていて、それというのもコロニーの中にゼロに関する文献が一つとしてないことが原因だった。


「ゼロには何かあるはずなんだ」


 レイトは独白するかのように呟くと、自分の荷物をまとめて立ち上がった。


「おーい、レイトくーん。先生に怒られても泣くなよー」

「誰が泣くかぁ!」

「幼稚舎の時には泣いてたくせに

「三歳の思い出ほじくり返すな!」


 教室を出て、無重力エレベータへと向かう。右手首に嵌めた認証バングルに、情報を手早く打ち込むと、エレベータの傍らにあるパネルにバングルを翳した。小さな音と共に中の情報が読み込まれて、自分の名前と目的地がパネルに表示される。

 この世界の殆どの人間が使っている認証バングルは、個人情報が組み込まれている他、交通機関の利用や簡易通信機能までついている。学校では主に立ち入り制限のある部屋への解除道具としての役割が強い。

 放課後になってまだ数分と経っていないのに、廊下は生徒達で溢れかえっていた。それでも、職員棟に向かう者は殆どいないようで、エレベータは途中で止められることなく目的地に到着した。

 生徒棟は地面に対して垂直に建てられているが、職員室や教師の個室は反重力によって宙に浮いており、エレベータでしか行き来できないようになっている。音もなくエレベータが停止して、扉が左右に開いた。

 六角柱の形状をした部屋が目の前に現れる。レイトはドアの横にあるモニタを覗き込んで、「Call」と書かれたボタンを押した。


「バルバランです」

「来たか。入れ」


 部屋の中に招き入れられたレイトは、なんとなく中を見回した。

 壁一面の書物、宙に浮いた半透明の描画用液晶。そこにはレイトでは理解の出来ない数式が折り重なるように書かれていて、おそらく書いた本人以外は解読できない状態になっていた。

 中央には赤い革張りのソファーと木製のテーブルが置かれている。大気中の酸素や水素を加工して作られた家具が一般的な中、旧星時代の技術で作られた家具を持っている人間はごく少数に限られる。レイトはアンティークに興味はないが、それでも普段見ることがない家具に目を惹かれた。

 だがそれよりも気になったのは、赤いソファに不遜な態度で腰を下ろした女だった。小柄で痩身、真っ黒な長い髪を腰まで垂らし、裾にレースを軽くあしらった白いワンピースを着ている。

 向かいのソファーには教師であるバトラー・ランセンが腰掛けているが、この学校の中でも古株であるはずのバトラーが女に対して随分と遜った態度を取っていた。


「カレンと比べてお前はちっとも成長しないな、バトラー。先月の論文を読んだが、何だあれは?前半は悪くなかったが、後半はどこかで読んだ論文の二番煎じだ。書きやすいものばかり書いているから脳みその成長が止まるんだぞ」


 女は小馬鹿にしきった顔でバトラーを見下す。バトラーはというと、恐縮した顔でそこに座っていた。


「申し訳ありません。先生が私の論文をご覧になっているとは思いませんで……」

「私が見ていると知ったら、まともなものが書けたとでも言いたそうだな」

「いや、その……」

「浅はかな嘘は止すことだ」


 そこで女は初めてレイトに気づいたようだった。


「おい、バトラー。これが例の教え子か」

「あ、はい。紹介します。レイト・バルバランです」


 教師に促されて、レイトは軽く微笑んだ。


「バルバラン?……もしかしてお父上は宇宙機構大学の教授をされているのではないか?」

「そうです。バルバラン教授のご子息です」

「ほう。彼は大した男だよ。サイトーの弟子とは思えないほど聡明だ」

「先生は相変わらずサイトー先生が嫌いなんですね」


 バトラーが笑いながら言うと、女は片眉を持ち上げた。


「あいつが死んだら優しくするさ。死者には基本的に寛容だ、私は」

「センセー、どうして俺呼ばれたの?」


 レイトの疑問符に、バトラーは何か言おうとしたが、その前に女が口を開いた。


「ゼロに興味があるようだな」

「え?」

「まぁ座れ。バトラーの横でいい」


 女に促される形でソファーに腰を下ろしたレイトは、改めて真正面から女を見た。

 猫のような大きな瞳、意志の強そうな眉毛。鼻の形や肌の色は、第七惑星「ミヤビ」でよく見られる人種と似通っていた。


「名乗るのが遅れていたな。私はアキホ・F・フェリノルダだ。そっちのバトラーが大学時代のゼミの担任だ」

「フェリノルダ……フェリノルダ所長?」


 その名前を聞いてレイトは目を丸くした。

 多少学問をかじった人間であれば、否、日頃からニュースを見るものであれば知らないでは済まされない。唯一にして至高と言われる研究所、「ラボ・フェリノルダ」。

 今まで宇宙に関する凡ゆる論文が発表され、凡ゆるシステムの基礎理論が生み出された場所。しかもそれは全て一人の頭脳から導かれている。

 研究所のたった一人の職員にして所長たる人間は、いわばこの世界の救世主であり、誰もが憧れる存在だった。

 大学教授を勤める父親の部屋にも、ラボ発信の論文が揃っているし、月に一度届く会報にもその存在は認められる。

 だがレイトは感激するより先に、唖然としてしまって何も言葉を発せなかった。それを見た教師が不思議そうな顔をする。


「どうした?」

「………本当にフェリノルダ所長?」

「お前は失礼なことを言うな。正真正銘、ご本人だ」

「だって、若すぎるよ」


 アキホはそれを聞いて鼻で笑った。


「それはありがとう。これでも結構年を取っているのだがな。やはり若い時分より使っている宇宙天糸瓜(ウチュウヘチマ)の効果と言えよう」

「先生は俺たちにも年を教えてくれないんだ」

「当たり前だ。妙齢の女性の年齢を聞くな」

「それを二十年前から言ってるではないですか」


 バトラーの指摘に、アキホは無言を貫いた。黒髪を指で絡めながら、視線を壁へと向ける。


「ゼロを知ってどうする」

「え?」

「知識には目的が必要だ。それが例え嘘の知識であったとしても。お前はゼロを知ってどうする?」

「そんなこと言われても……」

「ゼロに移住するか?友人に言いふらすか?写真でも取って週刊誌に売りつけるか?目的とは大切な一つの学習要素。それがないものには知識は与えられない。そのくらいの理屈はわかるだろう」


 アキホの視線はレイトには向いていなかったが、横顔からでもその根底にある意志の強さは感じ取れた。

 中途半端な答えなどしたら、即座に見捨てると、そう言いたげな目だった。

 レイトは頭の中を必死で整理する。元々聡明な少年ではあったが、自己の行動を制御するには少々幼い部分が残っていた。幼い頃に父親から寝物語に聞かされた「ゼロ」のことを今まで執拗に求めている理由。それは単純な好奇心とは少し違った。


「………存在する理由を知りたいんだ」

「うん?」

「ゼロが本当にあるかどうかなんて、二の次なんだ。それが噂話にせよ実際にあるにせよ、今俺たちが見えないのには変わりないでしょう?だから存在しないということを言い切るのは簡単なんだよ。だって存在する証拠がないんだから。でも俺は……多分…ゼロが何らかの形で存在している理由を知りたいんだと思う。伝説であればそれが生まれた理由を、本当であればそれが隠された理由を。俺は惑星ゼロそのものじゃなくて、ゼロが持つ歴史に興味があるんだと…思、う…」


 言っているうちに、自分でも何を言っているのかいまいちわからなくなった。尻すぼみになった言葉の行方を追うように視線を彷徨わせる。しかしその言葉に返ってきたのは肯定でも否定でもなく、嘲りでもなければ憐憫でもなかった。

 アキホは愉快そうに声を立てて笑ったのだった。


「これは面白い。実に面白いぞ。聞いたか、バトラー。この少年は「資格」を持っているのかもしれない」

「………」


 教師はなぜか不機嫌そうな顔をして何も答えなかった。

 女は不機嫌な教え子に興味などないのか、ソファーに体重を預けて、若い女がよくするように軽く体を丸めて笑う。


「レイト・バルバラン。私はゼロを知っている。否、知り尽くしていると言っても良い」

「………!」


 レイトは心のどこかで待っていたその台詞に背筋を伸ばすと、口を開いた。しかし相手は発言を許さずに続ける。


「だがまだお前は未熟だ。ゼロの真実を教えるわけにはいかない。本当に知りたいなら……宇宙機構大学で私のゼミに入るといい。あそこの教授はやめたが、まだ講義は一つ持っている。毎年応募者が殺到するから試験を設けているんだが……まぁお前の意気込みが本当なら、試験はクリアできるだろう。そして、私のところで学び続ければ必ず……ゼロのことがわかる」


 女はゆっくり立ち上がると、出口に向かって歩き出した。教師は慌ててそれを追いかける。


「今日は愉快だったぞ、バトラー。彼が私のゼミに来てくれるのを楽しみに、あと十年ほど生きてみるとしよう」

「先生、しかし彼は……」


 否定的な響きを持って発言した男に、アキホは肩を竦めた。


「希望を持つのも許されないのか?私はいつもいつも期待しているんだ。誰がゼロを知ってくれるだろうとな」


 出入り口の扉を開いて、女は少し振り返った。レイトを見て、そしてバトラーを見る。


「私はお前達にも期待していたんだぞ。お前たちのうち誰か一人はゼロのことを知ってくれるのではないか、私のラボに来てくれるのではないかと」

「………すみません、先生」

「謝る必要などない。私はずっと待っているだけだ。ゼロを知る者が現れることを」


 女は扉の前に到着したエレベータに乗り込むと、ミヤビ式の挨拶をして二人の視界から消え去った。バトラーは暫くその場に立ち尽くしていたが、まだ部屋の中に自分の生徒が残っていることを思い出すと、再びソファーのところに戻ってきた。


「先生はゼロのことを知ってるの?」

「知らない」

「でも、ゼミで学んでいたんでしょ?」

「………」


 バトラーはさっきまでアキホが座っていたソファーに腰を下ろした。


「学んださ。旧星のことも、惑星ライシスで行われている研究のことも。お前が授業中に聞く旧星のことだって、本当は全部答えられる。ゼロのことだけは先生は教えてくれなかったが、俺たちが考えることは禁止しなかった。旧星やこの世界のことを研究して、俺たちはそれぞれゼロの正体を考えた。そして恐らく正解だと思われる結論にまで行き着いたんだ」

「でも、ゼロには何もないっていつも……」


 レイトの非難がましい声を、バトラーはため息で遮った。


「結局その正解を知らないんだ」

「所長が教えてくれなかったの?」

「違う。所長は教えてくれるつもりだった。俺たちが卒業する前日に。それを俺たちは自ら放棄した」

「どうして?」

「さぁ」


 驚く程その声は空虚だった。はぐらかしている訳でもなければ、後ろめたいわけでもなく、発言者本人ですら答えを知らないが故の欠陥を生み出していた。


「あの日……卒業試験の結果発表があった。午後に先生から直接卒業証明のデータが渡されるはずだった。自分で言うのも笑ってしまうが、これでも学生時代はかなり優秀な方だったんだぞ。ライシスの研究事業に参加することだって決まっていた。あのゼミを出た者には将来が約束されていたんだ。大学ではこんなことも言われていた。「旧星に行くよりもフェリノルダゼミを卒業する方が難しい」なんてな」


 肩を竦めて、バトラーは続ける。遠い日のことを思い出しながら。


「前日に先生が俺たちに言った。「ゼロを知りたいか」と。俺たちは即座に頷いた。先生はあの少女のような顔を綻ばせた。「明日の朝七時、黄昏の丘公園に来い」と言った。そして続けて、こうも言ったんだ「ゼロを背負う覚悟をしてから来い。さもなくば潰れるぞ」と」

「………先生は行かなかったの?」

「……朝までは行こうとしていたよ。エアレールの乗り場まで行って、黄昏の丘のある惑星リーカラムまでの電子チケットを買って、認証バングルにチケットをセットした。エアレールはすぐに来た。それに乗れば、ものの十分でリーカラムまで行けるはずだった。でも乗らなかった。どうしても乗れなかったんだ。足が竦んでしまってな」

「どうして?先生はずっと知りたかったんでしょ?」

「あぁそうだ。今のお前と同じくらい、ゼロのことを知りたかった。その夢は目前まで迫っていた。だが俺には「ゼロを背負う覚悟」がなかったんだ」

「………」

「ゼロが……ゼロが俺たちの想像通りのものだとしたら、俺にはそれを背負う覚悟なんかない。先生のように強靭な精神とズバ抜けた知能を以てして、初めてゼロを背負えるんだ」


 バトラーは自嘲のつもりで笑ったが、それはあまりにもぎこちなかった。


「午後、俺たちは研究室に集まった。先生はいつもと同じように入ってきて、そしてデータを俺たちの認証バングルに送る準備を始めた。そうしながら、まるで独り言のように言ったんだ」



「どうせ誰も行かなかったんだろう」

「私も行かなかった」

「そう、誰も来なかったことくらい知っている」

「お前たちは賢いからな。そうするだろうと思っていた」



「先生は大して失望した様子もなかったよ。それどころか俺たちの卒業を祝福していた。だがその日に行われるはずだった、ラボへの勧誘はなかったんだ。きっとゼロを知ることが、ラボへの勧誘の条件なんだろう」


 室内のモニターから、学業時間終了の放送が入った。この放送が聞こえたら生徒達は帰宅しなければならない。


「さぁ、帰りなさい」

「………」


 レイトは押し出されるようにして出口に向かいながらも、振り返って相手に尋ねた。


「ゼロのことはわかったよ。じゃあ旧星もそういう存在なの?」

「いや、旧星は旧星だ。かつての人類の故郷を知ることに覚悟は要らない」

「じゃあ何で、もっと教えてくれないの?」


 エレベータが到着して、出口の扉に接続される。中に乗ったレイトは、来た時と同じように認証バングルをモニタに翳す。認証完了の音と重ねるようにして、バトラーは口を開いた。


「自分で調べた方が、何倍も面白いからだ。お前が本当に知りたいなら、その手間を惜しむな。だが今日の話を聞いて、少しでもゼロに恐れを抱くなら、旧星のこともゼロのことも、これ以上追うな」


 扉が閉まり、下降が始まる。レイトはエレベータが地上についても暫くぼんやりしていたが、やがて観念したかのように硬い吐息を零してそこから出た。

 今まで無垢に、ある意味愚かなまでに盲目的に求めていた知識は、もしかしたらレイトの想像力など遥かに超えているのかもしれない。

 レイトにとって旧星もゼロも、単なる知識でしかなかった。高等な玩具であり、知ることが達成目標であるもの。いくら知ったところで、自己の知識を満足させるだけの無害なもの。

 だがバトラーの話は、レイトの幼い概念を覆すには十分だった。部屋を出る時のバトラーの言葉が頭の中を巡る。


「…………」


 小さく舌打ちをして走り出す。もう誰もいなくなった廊下をレイトの足音だけが単調に響いた。





「それでどうなった」


 通信機の向こう側から聞こえる声に、バトラーは大きなため息を返した。


「どうもこうもないですよ。バルバランの奴、本気で宇宙機構大学への進学を考え始めたようです」

「ふむ、そうかそうか。バルバラン教授の息子だけあって、元は優秀なようだからな」

「……俺としては諦めて欲しかったんですが」

「そんなタマじゃないだろう。彼は私の生徒だったヴィスと同じタイプだ。思考が猪突猛進、後悔など気にしない」

「あぁ、ヴィス大佐ですか。確かに似ているかもしれませんが……って、そうではなくて!」

「何、安心しろ。私は別にお前の教え子だからといって贔屓する気もなければ、ゼロについて教えることもしない。彼が私のラボに来るなら勝手に調べて、そして勝手に悟るだろう。ゼロの真実を知るかどうかは彼次第だ」


 アキホの声はどことなく楽しそうだった。バトラーは何も写っていない通信機のモニターを見る。

 それなりに長い付き合いのため、彼女がどんな顔をして話しているのかは容易に想像がついた。


「………先生。一つ教えてください。俺たちはゼロについていくつかの推測を立てていました。そこに正解はありましたか?」

「さぁ?お前たちの推測など私は知らない」

「先生、真剣に答えてくださいよ」

「真剣に答えているつもりだ。お前たちの推測など、今となっては無かったも同然なんだよ。何しろお前たち自身がそれを放棄したのだからな」

「…………それは…そうですが」


 バトラーは口ごもりながら鼻の先を指で掻いた。しばしの沈黙の後にアキホが声を出す。


「お前たちの推測はあながち間違ってはいなかった。もしあれがテストであれば及第点はつけたかもしれない。だが、真実はもっと重くて見苦しい」

「見苦しい?」

「回答は以上だ。また連絡する」

「ちょっと、先生……!」


 バトラーの制止も虚しく通信は途切れた。かけ直したくても、バトラーは相手の連絡先を知らなかった。

 アキホの個人通信回路は毎日変わり続けている。それはラボの秘密を守るためだとも、彼女の気まぐれだとも言われている。教え子であり、交流のあるバトラーですら連絡先は教えてもらえない。

 全てはアキホの気分次第だった。彼女が連絡を取ろうと思わない限り、誰も彼女に繋がることは出来なかった。次の連絡が来るのは明日かもしれないし、五十年後かもしれない。

 バトラーは眉間に皺を寄せて首を左右に振ると、耳につけた受信機を外してテーブルに置いた。


「惑星#00(ナンバーゼロ)……旧星の遺物」


 椅子から立ち上がり、窓から外を見る。

 そこに広がるのは、宇宙と惑星の大気圏を遮断するための薄い殻。その向こうには太陽も月も旧星もある。かつて地球と呼ばれた美しい惑星の姿を幻視しながら、バトラーは窓に手を伸ばした。


「全てを知る勇気なんて誰にもありはしないんですよ、先生」



END


【あとがき】

とりあえず導入編です。

あまり詳しく書いていないので、旧星やゼロについて不明点は多いと思います。

そのうち補完できていければと考えています。

今後ですが、以下の三項目を主軸において様々な人間の生活などを書いていく予定です。


★ラボ・フェリノルダ

★旧星

★惑星ゼロ


このシリーズに主人公はいません。

強いて言えばアキホかもしれませんが、頻出させる予定はないです。

そのうち書いているうちに主人公っぽいのも出るかもしれませんが。

まぁ全ては成り行き任せということで。

色々書いていけたらいいとは思っています。

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