第2話 【谷山 空】
けたたましい音を立てる目覚まし時計。時計上部のボタンを勢いよく叩くと、ジギッと嫌な音を立てた。6時20分だ。
「兄ちゃん、早く起きて!」
妹の海が叫んでいる。
「はいはい。何?」
「今日は私が作ったおにぎりなの!」
ああ、嬉しい。でも俺は、ある理由のせいで、ほかほかのおにぎりを食べることはできない。6時25分、急いで支度をする。
+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+
「それじゃ、行ってきます。」
家を出る6時30分。できるだけ急いで扉を閉め、庭から出る。あとは、走るだけ…!
「あ、空!迎えに来てあげてるのに先に行こうとしないでよ!」
「…ああ。」
…今日も、来た。
「許してあげる!一緒に行こ!!」
何を許されたのか分からないし、俺はこの女が誰なのかも知らない。
この女と合流した6時30分過ぎ。俺のいつも通りは、いつもここで狂わされる。最初の頃は6時40分くらいに現れていた。だから、少しずつ家を出る時間を早くしていった。37分。36分。それでもあいつはついてくる。恐怖と、どうしようもできない怒りで、今にも狂いそうだった。でも正気でいないと。狂ったら、この女と同じ狂人だ。
「ねえ、なんでいつも置いて行こうとするの?私も大変なんだよ?」
「いつ出ても付いてくるじゃねぇか。俺は気分で家出てんの。」
「そうなんだぁ」
嫌味のつもりで言ったのに、少し嬉しそうにうんうんと頷くその女に、更に怒りは募った。
「うん、そっかぁ。ごめんね困らせて!」
爆発しそうだった。不意に感じた鉄の味で少し冷静になり、黙り込む。困ってる。困っているよ。なんでついてくるの。なんで?早く家を出てるのに?どうして?
+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+
「今日は、学年で12番目かぁ。私たちが一緒に学校に来た初めての日は、80番目くらいだったよね」
「そうだな」
ああ、最悪だ。こんなに早く来てどうしろと言うんだ。
「あ、空、バイバイ!また帰りにね!」
返事もせずに机にリュックを降ろす。最後についあの女をちらりと見てしまう。するといつも気味の悪い笑みを浮かべられる。しまったなと思う。
「あ、衣織おはよう!今日も早いね!」
隣のクラスから、会話が聞こえる。最初の頃はあの友達とーーー美玖とーーー会うためにある程度早く登校してて、偶然会うものだとばかり思っていた。しかし、時間を早めても早めてもついてくるし、何よりあの女の家から俺の家は、学校とは逆方向らしい。
「えへへ、数学の宿題多すぎなんだよね」
衣織と呼ばれたあの女は、いかにも普通の女子生徒のように笑っていた。もしあの女が狂っていないと仮定したら…。嫌な考えが頭をよぎった。ぶんぶんと頭を振ってかき消し、その感情そのものに蓋をするように、もかもかと妹のおにぎりを口に放り込んだ。
+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+
「それでは帰りの会を終わります…こら空、まだ立つんじゃない。」
ああ、早く帰らなきゃ。帰りもあの女はついてくる。衣織。気持ち悪いあいつのことを考える。あいつの行為が心にさくさくと刺さって、全身を寒気に支配される。
「はい、じゃあ、さようなら。気いつけて帰れよ。」
本当にそう思ってるなら、俺と一緒に、俺のことを守りながら帰ってくれ…。心の中でつぶやいて、荷物をまとめた。
玄関から出ると、ぶるりと震えた。寒い。早く帰ろう。そんで、コタツで温まろう。ぬくぬくの、いつも通りの日常。
「空ぁっ!!!もう、遅いって!」
「ん…。」
…邪魔だ、この女が。いつも通りの日常。その中に、この衣織はいないはずだ。
「…今日もついてくるの」
決着だ、衣織。今日でこんなくだらないことはやめてもらう。ついてこい、ストーカーらしく。真実を伝えてやるから。
+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+.:゚☆゚:.+
「そろそろ周りに誰もいないよ」
「え?あぁ」
俺が何か言おうとしたこと、察してる…のか?気持ち悪い。とことん気持ち悪い。
「…早く帰れよ」
「待って、空、私____」
「あ、待って。」
やっぱり、察されてる。それなら逆に、ぶちまけてやるよ、その何かを。
「あのさ。言いたいことがあるんだけど」
ああ…傷つくだろうか。いくらストーカーという軽犯罪者予備軍だからと言って、人を傷つけるのはできれば避けたいが…でも…。俺だって限界なんだ。ごめんね。
「隣のクラスの、衣織、で合ってる?そろそろ迷惑だからさ、やめてくれない?」
「え?えっと…何を?」
「何をって…登下校の時についてくるのとか」
「あ…あ、そっか」
…悪いことしてる…っつか、そういう自覚が、ないのか?どうして…?
「うん、分かった!じゃあね空!…一緒に学校には行かないから、でも明日の朝、会いに行くね!絶対!うん、また明日!」
必死に訴えるその女を見ていた。キィンと不快な高音が脳内に響く。なんだ。なんで。俺が悪いのか?この女は俺を知っているのか?
「おい、待てって!!」
「…え?」
「まだ話終わってねえから。あのさ」
どう言うべきなんだろうか。お前は誰だ?なんで俺を知っているんだ?と、問うべきなんだろうか。この女がもしかして知り合いかもしれないと、必死に痛む頭を回転させるが、痛みが増すばかりだ。…そうだ。敢えてきつく言おう。それなら、もし知り合いなら、『何言ってんの?私たちは…』と関係を明かしてくれるはずだ。
「…関わりもないのにそういうことされても、その。正直…ウザい。」
「え?」
「ていうか、気持ち悪い。なんで俺の家知ってるの?なんでそれだけ早く登校しても付いてくるの?お前、気持ち悪いよ」
「どういうこと?私たち、付き合ってるじゃん!」
…ちょっと、待て。
「…俺はお前のこと知らない。付き合ってるわけないだろ。」
「ちょっと冗談キツイよ…」
いくらなんでもそれはないだろ?付き合ってるってことは、彼氏彼女ってことだろ?知らない相手が彼女?そんな、ことは。
「それはこっちのセリフだから。…もう二度と、恋人ごっこだか知らないけど、ああいうことはしないで。」
ない。はずなのに、どうしてこんなに頭が痛いんだろう。もしかしたらこの女を知っているのだろうか?無意識下の別世界や、前世での関わりが?非現実的だが、この頭の痛みはどう証明すればいいんだろう。
「ねぇ、待って、空、空!!!」
なんだ、なんだ。朝とは違う恐怖と、どうしようもない怒りが、脳細胞をぐちゅぐちゅと握りつぶしてくるようだ。あの女を知ってるのか?知ってるならなぜ思い出せないんだ?
とりあえず落ち着こう。家に入ろう。卒業アルバムとかも見てみよう。それで知り合いだったら、付き合ってないにしてもとりあえず謝ろう。知らないなんて言ってごめんって。でもやっぱり付き合ってはないと思うから、そういうのはやめてくれって改めてちゃんと言わなきゃ。ドアノブに手をかける。扉を開ける。中に入る。まだあの女の泣き声が聞こえる。でも、思い出す前は相手しちゃダメだ。今はとりあえず…ごめん、放置する。
ドアを閉める。ガチャン、と無機質な音がして、痛かった頭がさらに痛くなる。高音と一緒に、ガチャンという音が頭の中で響く。
カチャン。
頭の中で、それらとは別の音が、一回だけ鳴った。その瞬間他の音も止んだ。代わりに夥しい量の映像が流れ込んできた。
その映像の中の小さな衣織が、俺に向かって微笑んだーーー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます