第3話 ある女性詩人の思い出
その時、僕は台北にいて、仕事中にその訃報を聞いた。
突然のメールに驚いた僕は、幾人かのツテを使って、ある女性に何とか連絡を取り、その方の最後の様子を詳しく聞かせてもらった。その人は、僕の人生を「音楽」から「ビジネス」に大きく方向転換させてくれた人で、視野を日本から世界に向けさせてくれた大切な人だった。
その人が逝ってから、しばらくの間は言いようのない無常観に襲われ、「生きる」ということは、何だろう?と、漠然と頭の中で考える日々が続いていた。
そんなある日、Googleで色々検索していたら、突然その「答え」を見つけた。
それは、「見つけた」というより「引き寄せられた」と言った方が感覚的に近い。
--- 信じることが愛することです
--- 愛することは生きることです
ある女性詩人の詩の一節である。
このわずか数行の詩が僕の目の前に突然光を放つように現れ、やさしく語りかけてくれているような気がした。
気持ちをどう整理していけばいいんだろうと思っていた矢先だったから、「ああ、愛することが生きることなのか」と、不思議と納得してしまい、突然、生きる意味を教えてもらったようなすがすがしい気持ちになっていた。
「愛する」ということは、その言葉を口にするだけで体の中が熱くなるような、生命の躍動感を実感できる不思議な言葉だ。
そして更に僕は、この美しい詩の作者の名前を見て驚いた。これはやはり「偶然」にしても、すごすぎることだとめぐり会いの不思議を感じずにはいられなかった。
というのも、この詩人を、僕はずっと昔から知っていたからなんだ。
名前は、小曽根俊子さん。
生まれてすぐの高熱が原因で、その後、重度の脳性麻痺という重い病気を抱えていた女性で、両手両足が不自由だった。
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あれは、僕が16歳の冬だった。
当時、ある音楽のコンテストがあって、僕は予選を通過して、本大会のステージに立ったことがある。
その時、たまたま観客として最前列に座っていたのがAさんという女性で、俊子さんの妹さんだった。
Aさんは僕の歌を聴いて感激してくれて、ステージが終わった後、楽屋を訪ねてくれ、「これ、姉が作ったんです。よかったら読んでください」と言って、一冊の詩集をプレゼントしてくれた。それは、「やなせたかしさん」という、あの「アンパンマン」の作者として有名な絵本作家のイラストが描かれたきれいな詩集だった。
僕は、重い病気を抱えた俊子さんがどんな詩を書くのか、少し怖かったけど、読んでその詩の美しさに驚いた。
それから僕は、俊子さんの書いたいくつかの詩に曲をつけ、録音して自宅に送ってあげると、彼女はものすごく喜んでくれたらしく、「姉が会いたがっている」という連絡を受け、栃木県の自宅までギターを持って遊びに行ったことがある。
あれ以来、俊子さんとは会っていなかったし、もともと重い病気だったので、覚悟はしていたけど、まさか、数十年の時を経て、こんな風に「詩」で再会を果たし、穴がポッカリ空いたような心を埋めてくれるなんて、想像もしていなかった。
歌や詩は、時を越えて人の心に驚きや感動を与えてくれる素晴らしいものなんだなと、その時ふと、そう思った。
--- 愛することは生きることです。
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