第3話〜仮面〜

 コンコンコン。

 扉をノックする音に部屋の内側に立っていた護衛と思しき男は声を聞く前に扉を開いた。その扉の向こうにいたのは正装を身にまとった秀斗だった。

「失礼しますよ、総司令官」

 部屋に入るなり秀斗は部屋の奥にあるイスに腰掛ける男に声をかけた。

「これはこれは、秀斗皇子。ご機嫌麗しゅうござます」

 男はすぐに席を立ち、そして片膝をついた。

「わざわざ足を運んでいただき恐縮です」

「表を上げて下さい。私がどうしてここに来たのかは分かりますね」

 男はその言葉に「さあ」と首を傾げた。

「私には皆目見当がつきませんな」

「本気でおっしゃっているのですか」

「はい」

「・・・分かりました。では、何故「錬」を出動させたのか、お聞かせ願いますか」

 この男、何を考えているのかが全く読めない。

 しかし、昔からそうだった。いつもこうして正面から話していても腹の内は見えない。

「東の森に妙な通報が入りましてな。突然大きな神力が発動したとのことで、緊急出動させました次第です」

 すると男の口角がわずかに上がるのが分かった。

 東の森と言えば、風華が暮らしていた西の森とは反対側にある大きな森だ。人の手がほとんど入っていない西の森に対して、東の森は皇族の別邸が数多く並ぶ森である。

「ですが、どうして東の森に反応が出た逆の西の森に来たのですか。説明になっていません」

「何を言っておられるのです。秀斗皇子がおられたのもまた”東の森”でございますよ」

 何を言っているのか。自分がいたのは確かに東の森ではなく西の森だ。その事実に嘘偽りはない。

「ふむふむ。どうやら秀斗皇子は基礎を見失っているとお見受けする」

 すると男は秀斗の前にまで歩み寄る。

「それでは光の娘はおろか、闇の娘でさえ手放しますぞ。そして、その先に待つのは・・・」

 その時、大きな神力が秀斗の背筋を伝っていくのが分かった

「あなたの大好きな”娘”でさえ、助けることも叶いますまい」

 動けない。足が地面に張り付いてしまったかのようだ。

「”娘”の物語を先に解くのはさてはて、どちらでしょうな」

 その言葉を最後に男、蘭 江燕こうえんは一礼し部屋を後にした。

 結局、何も聞くことができなかった。

 本来「錬」は、総司令官と皇帝の印があって初めて出動することができる。しかし、今訳あって皇帝の代理は秀斗と陽一族の第一皇子と分担して行っている。それにより「錬」を出動させるための印は江燕と秀斗の2人の印が必要となる。

 だが、今回は秀斗の印はなく出動した。

 だれか後ろで糸を引いているのか。



 詩が聞こえる。

『神力を増幅させるが光であるならば、神力を無にするのは闇である。』

 そう、よく耳にする詩だ。幼い頃はよくこの詩に怯えていたのを思い出す。しかし、秀斗に出会ってからは怯える事はなくなった。

「・・・」

 意識が浮上し、開いた目に映ったのは見知らぬ天井。少し手を動かせばフワフワとしたシーツの手触りが気持ちよかった。

(私・・・軍人さんに襲われて・・・)

 ふと、自分が求めていた笑顔を思い出す。来てほしいと思った矢先にヒーローのごとく現れた青年のことを。

(秀斗は・・・この国の皇子。つまり皇族なんだ)

『黙っててごめんね』

 あの言葉の意味は?。

 自分を殺すために近づいてきたのか。

 ゆっくりと上半身を起こして辺りを見渡してみる。

 風華が横になっていた布団は上座のように地面から少し高くなっていて、すぐ横の壁には円状の窓がある。壁には見事な装飾が施されている。そして机の上には一つの箱が置かれていた。

 その時、扉の方からノック音が。

「失礼するぜ・・・って、起きていたのか。具合はどうだ?」

 秀斗とは反対に紅がかった引き込まれるような赤の髪を持つ短髪の青年が入ってきた。

「だ、大丈夫・・・です」

「そんな怯えなくても大丈夫だ。俺は陽の第一皇子、陽 白玉だ。よろしく」

 自己紹介をしながら白玉は机の上にあつた箱を持って布団の横にある椅子に腰かけた。

「あんたの事情は聞いてるから、安心しな」

「陽の・・・?」

「そっか。皇族のことはそれほど深くは知らないんだな。じゃ、少し教えてやるよ」

 白玉は箱から薬草を取り出すとすり鉢で薬草をすり始めた。そしてすり終わるとふと風華の手を掴んだ。

「痛っ」

「おっとすまん。少し手当をさせてくれよ」

 風華の服の裾をまくると白い包帯が姿を現した。

「炎帝国の皇帝陛下はこの国のトップだ。そして、その皇帝を務めているのがこの国の皇族である月一族」

 包帯を丁寧に外していくと、青く腫れる皮膚や血がなんとか止まっている傷口が露わになる。

「そして、その皇帝陛下の補佐を務めているのが俺たち陽一族だ」

「じゃあ、秀斗は・・・?」

「秀斗は月一族の第一皇子。つまり次期皇帝だよ」

 新しくすり潰した薬草を傷口に塗り、新しい包帯を巻いて白玉が顔を上げると、そこにはなんとも言えない複雑な表情を浮かべる風華の姿があった。

「・・・でもな、秀斗はあんたに会いに行く時だけはいつもと違う顔を見せていた」

「え?」

 白玉の言葉に驚いて白玉に顔を向けると、真剣な瞳を向ける白玉の視線とぶつかる。

「俺は一度だけ近くまでついて行ったことがある。まぁ、森に入る前で止められたが、こっそりついて行ったんだ。そしたら秀斗か駆け寄ってきた女の子に・・・今まで見たことのない優しい笑顔を向けていた。その時な、秀斗もこんな顔をするんだなって素直に思ったさ」

 もちろん風華は目の前にいる秀斗の姿しか知らない。けれど、今こうして語る白玉の話を聞いていると素直に気持ちが伝わってくる。

「あれから数年。・・・大きくなったな。よく無事でいてくれた」

 しかし、その言葉は今まで以上に深く風華の心に広がっていった。

 今まで必要ないとされ、生きている意味さえ考えたことのない風華に入り込んできた風。

「あ・・・りがとう・・・」

 その優しさを受け止めきれず、涙となって溢れた。

「おいおい泣くなって」

 白玉は懐から小さな布を出すとスッと風華に渡した。

「だからって訳じゃねぇが・・・少しは信じてやってくれ。あいつの風華に対する気持ちを」

 風華は布を受け取って涙を拭いた。

「うん。どんな姿でも・・・秀斗は秀斗だもん」

 大丈夫。きっと、大丈夫。



『俺のことは白玉でいい。少し公務に戻るがまた来る』

 そう残して白玉が出て行ってから数時間後。コンコンと扉から音がした。それから静かに扉が開く。

 物音を立てないよう慎重に入ってきた青年は、ぐっすりと眠る風華の穏やかな表情を見てそっと胸を撫で下ろした。

「良かった・・・」

 布団の近くにあった椅子に腰掛ける。日は既に沈み、窓越しには美しい満月の月が見えている。その月を見ていると先日のことが嘘のように感じる。

 青年、秀斗は風華の手に自分の手をそっと重ねた。自分より小さく細い手が今までの生活を物語っている。

 こんな日がやって来るのだと、ずっと思っていた。

「ごめん・・・。ごめんね風華。本当はこんな形で来てもらう予定ではなかったんだ。もっと城内を整えてから来てほしかった」

 月に一度しか会えなくても、周りになんと言われようとも、ただ1人の大切に想う少女の未来が明るくなるのなら。自分の力でどうにかなるのなら、自分の時間がどうなっても良かった。それほどまでに風華に救われた。

 そう、あの笑顔に。

「もう気がついているらしいな、あちらさんは」

 いつの間にかはいって来ていた白玉は扉にもたれかかっていた。

「・・・俺は絶対に彼らを許さない。たとえ身内だろうとも」

 その時白玉に向けた視線はひどく冷たく、刺さるような目だった。

 白玉は「やれやれ」とため息をつく。

「お前は昔っから風華のことになると周りのことが見えなくなっちまう。大丈夫だ。ちゃんと手回しはしてある。この別棟にも他のやつが近づけないようにしてある」

 白玉はふと満月に目を向けた。

「”光”とか”闇”とか関係ない。国が良き方へと行くように皇帝陛下を支える。それが俺の仕事だ。秀斗が”闇の娘”を信じるなら、俺も信じる」

 あんな鋭かった目つきが少しづつ丸くなっていくのを見て、白玉は初めて秀斗に出会った日のことを思い出した。初めて出会った日も自分が言ったことに対して驚く表情を見せた秀斗。今の表情はその時とよく似ている。

 周りの環境が変わっても秀斗は何一つ変わらない。そのことが今の状況においてどれだけ嬉しいことか。

「俺は月一族の月 秀斗皇子も好きだが、親友としての秀斗も好きだぜ」

「・・・急に何言っているんだ。俺は俺。それ以上でもそれ以下でもないさ」

 その言葉に満足したのか、白玉は薄く笑みを見せた。

「それでこそ、月 秀斗だ」

 月明かりに照らされる秀斗の姿はとても神々しかった。自分の目に映るのがもったいないほどに。

 その時、秀斗が握っていた手がピクッと動いた。そしてゆっくりと瞼が開く。

「しゅう・・・と?」

「風華っ、俺はっ」

「大丈夫だよ」

 だが、風華は上半身を起こすとニッコリと笑顔を見せた。そう、秀斗の大好きな笑顔を。

「私は大丈夫。今まで過ごしてきた日常も何も変わらない私の宝物。秀斗も私にとってかけがえのない人。ずっと・・・ずっと言いたかった。ありがとう、って」

 その言葉を聞いた途端、自分の意思とは関係なく秀斗は風華の体を自身の胸の中に閉じ込めていた。

「俺は風華に沢山いろんなことを教えてもらった。温かい光に出会って、初めて周りの環境にも目を向けらるようになったっ。風華のおかげで世界が広がったんだっ。こちらこそ・・・ありがとう」

 自分より強くて、大きな青年の瞳から涙がポツリ、ポツリと溢れ落ちる。

 それが不思議に思えて、つい聞き返してしまう。

「どうして?どうして泣くの?」

「嬉しいから・・・泣くんだよ」

 苦しいか悲しい涙しか知らなかった風華の心にじんわりと入ってくる光の粒。

「嬉しくて泣くんだね」

 風華の瞳にも涙がジワリと滲んだ。

「全く、2人揃って涙もろいことで。これからだろ、頑張りどころは」

「あぁ、分かっているさ。風華、ここは城から少し離れた別棟なんだ。渡り廊下一つで繋がっている。基本的に他の人は立ち入り禁止にしてある。でもね、いつか君も堂々と城内を歩けるように頑張るから、まだ少し我慢してほしい」

「うん、分かった」

「あと、無力化の神力は使わないこと。敏感な人も多いから」

 秀斗から解放された後、秀斗の温もりを冷まさぬように風華は布団を被った。

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