第5話 別離

 風物詩としての《春耕技》がなくなっても、代わりを務めるように人が鋤や鍬で以て土を耕すようになった。カモスが足りず魔法が使えなくなった時に頼れるのは〈トウロ〉と呼ばれた臨時雇いの男手であった。魔法が全盛であった頃は滅多に見られない仕事であったが、今はありがたみを感じるほどであった。

「錬金術ってやつは、不便だよな」

 廃棄物処理の合間に〈トウロ〉として駆り出されていたジョウメイは、同じように鋤を振るう男が漏らすのを聞いた。錬金術により今までの魔法が一新されたのだから、当然代替策も用意されていると思ったのだが、それは未だに叶っていない。駆り出された男手も、働き盛りとは呼べなさそうな年格好が目立つ。

 鋤を振るう合間に配られる粟の握り飯を食べ、竹筒に入れてきた水を飲む。粗食だが、朝から気温が上がり風も穏やかな日だけに心地よく染み入る。

 休憩を終えて、ジョウメイは仕事にあぶれて〈トウロ〉として使ってもらいにきたという男と共に鋤を担いで田圃へ出た。野良着は樹木の鋭い枝や棘で傷つくのを防ぐようになっている狩人の服と違って露出が多いため少し着慣れない。

「反乱にでもならなきゃいいけどなあ」

 男はのんびりと鋤を振るいながら、物騒な一言を漏らした。農村で反乱が起きるとしたら食糧の確保という切実な問題が横たわるだろう。反乱が問題の解決になるとは限らずとも、末端の人々にとっては主張のための数少ない手段だ。

 周りより少し早めに野良着を脱ぎ、日暮れまでの数時間を廃棄物処理に費やす。最後にキセーの工房に立ち寄り、イヨックの出迎えを受ける。トオリはいないようだった。

「土の匂いがするな。何かやってきたのか」

 イヨックは顔を近づけてから言った。興味をそそられたような表情だった。

「田圃を耕してきたんだ。例年なら《春耕技》の時期だからな」

「ああ、魔法が使えなくなったから人力でやってるのか。俺たちだって来た以上は何かを残したいって思ってるんだけどな」

 人好きのする笑顔を改めた彼に、錬金術に関わる者の端くれとしての共感を覚える。

「頼む。このまま錬金術が受け入れられないで消えていくのは惜しいんだ」

 戦を経て新しい魔法が根付こうとしていることは、正しいこととは限らない。少なくとも身分差だけはなくなって、抑えつけられる息苦しさだけはなくなると信じている。枠組みの中で死に、苦しんだ人々のことを思うたび、錬金術に希望を見出すのだ。

「だったらお前も早く工房に来いよ。それが世のため人のためってやつだろう」

 まだ工房の外を歩き回っているだけで本質へ近づけていない現実を指摘されたような気がした。父とラウは間もなく狩人としての仕事を始める。明らかに自分は後れを取っているのだ。

「早く方法を見つけるよ」

 イヨックと別れた後、いつもと変わらない家族の団らんがあって、床に就くだけだった。翌日も朝餉を終えたら〈トウロ〉の仕事のため野良着に着替える。出かけることを家族へ告げようとした時、突然訪う声が聞こえて皆が緊張した。

「何だろう」

 シイゴが少し不安げな声を出した。朝早くだけにまさか賊でもないだろうが、何が起きるかわからない世の中である。ジョウメイはコウザエの前に立って慎重な足取りで台所に下りる。

 それを見計らったようにジョウメイを呼ぶ声がした。父と顔を見合わせる。朝早くの用事に覚えはなかったが、声の主はわかった。

「トオリ先生ですか」

「ジョウメイか。朝早くに悪いが、伝えなければならないことがあるんだ。開けてくれ」

 再びコウザエと顔を見合わせる。許しを求め、頷くのを見て、戸を開ける。果たして絹の上衣に身を包んだトオリが立っていた。

「トオリ先生、一体どうしたんですか」

 ジョウメイを一瞥した後、トオリは後ろに立つコウザエに視線を転じた。

「朝早くのご無礼をお詫びいたします。私はトオリと申します。このセキナンカ鼎(てい)の錬金

術技官として召し抱えられている者です」

「鼎の職員が、何のご用ですか」

 コウザエは声を険しくした。鼎は白翁動乱の後に導入された、領に代わる新たな区画単位である。行政上の長は鼎令と呼ばれ、新政府が決めて派遣する。しかし錬金術への不信もあって、新しい政治の仕組みは今ひとつ信頼を得られていないようだった。

「どうしても伝えたいことがあります。ジョウメイ、キセーの工房のイヨックを知っているな」

 思わぬ名前を聞いて戸惑いがちに頷く。ためらいがちに続けられた言葉に、ジョウメイは絶句した。

「お前と別れた後だと思うが、何者かに襲われた」

「それは、錬金術を快く思わない者によるものですか」

 鋭く問うたのはコウザエだった。トオリは怯んだ様子もなく頷いた。

「既に下手人は捕らえられております」

「イヨックは無事なんですか」

 頭の巡りが元に戻って、最初に気になったことを訊いた。

「しばらく療養が必要だが、命に別状はないそうだ。見舞いにと思ったんだが」

「わかりました。行きましょう。野良着でも良ければ」

 トオリの許しを得て彼についていこうとした時、コウザエが呼び止めた。

「お待ちください。今回は一人が襲われ、軽いけがで済んだようですが、このことをどうお考えですか」

 トオリは表情を動かさず父の詰問に向き合い、ジョウメイも固唾を呑んで見守る。自分が経験したのと同じ事件が起きた今回、トオリが何を考えているのか知りたかった。

「新しいものが入ってくる中で、起きるべくして起きたこととも言えるでしょう。あなたは錬金術を信じられないですか」

 張り詰めた声に対する父の返答もまた、昂ぶりを抑えた声であった。

「信じられませんな。これではアメヒ王族が治めていた頃が良かったと漏らす者がいる現状を知らぬわけではないでしょう。錬金術は犠牲を強いる魔法なのですか」

 淡々とした声の裏に怒りが見え隠れする。錬金術のおかげで生き方を変えるしかなかった者の気持ちを背負っているようだった。

「錬金術の手引き書であるエメラルドタブレットに、犠牲の文字はありません。人々を蔑ろにすることなどありません。必ず暮らしを良くします」

「毒を吐き出しながら何かを為す魔法が、本当にそうなると言えますか」

「そうします。そうでなければ、古い時代を壊したことへの責任を果たせません」

 コウザエは答える代わりにジョウメイを振り向いた。彼の瞳に戸惑いが浮かぶ。息子を止めた方が良いのかどうか迷っているようだった。

「昔の方がましだったって言う人がいるのは知ってる。このままじゃ食べるものも足りなくなっていくのもわかるよ。俺も〈トウロ〉をやったから、魔法の力に人間がかなわないのもよくわかる。今は古い魔法が必要かもしれないって思うほどなんだ」

 コウザエとトオリは、それぞれ黙って聞いていた。表情を動かさずにいる。

「だけど錬金術なら、誰も虐げられたり抑え込まれたりしないはずなんだ。嫌なこと、やりたくないことを正直に言えた方が良い。そういう国になってほしいんだ。俺は、自らの由で生きたい」

 それは古い時代の魔法と真っ向から対立する考えであった。アメヒ王族は、多少の犠牲が出ても結果が良ければ過程を問わない姿勢であった。そのために弱い立場の者が無理を強いられ、死んでしまうことまであった。錬金術とて完璧ではない。しかしトオリが言うように、犠牲を強いることはないはずだ。

 父が受け入れないのなら逃げてでもしがみつくつもりであった。その決意を、父とにらみあう視線に込める。

 やがて彼の方から目を逸らし、ため息をついた。

「知り合いの見舞いに行くんだろう。早く行ってこい」

「お父」

「どうせ何を言っても聞くまい。好きなようにすれば良い。自らの由で生きるとは、親の言うことさえ聞かずに行くことも辞さないことだろう」

 父は突き放すように言って奥へ引っ込んだ。頼りない場所へ放り出されたような心許なさを感じるが、自立を許されたような誇らしさもあった。

「ジョウメイ、行こう」

 トオリに促されて進んだのは知らない道であった。通い慣れた道はどこまで行ってもだだっぴろい景色が見えるだけであったが、イヨックがいる医院へ続く道は少し歩くと商家が軒を連ね、人も歩みを進めるたびに増えていった。

「この先だ」

 十数分歩き続けた後、トオリは一度振り向いて先を示した。ちょうど商家が途切れる辻で、入れ替わるように方円の形をした工房が建ち並ぶ。さっきまで目立っていたヒムカシの人は目立たなくなり、変わって色とりどりの髪や瞳を見ることになる。造作の印象も変わり、ジョウメイは歩いて異国へ迷い込んだ心地であった。

 イヨックが静養しているという医院は、待合所から病室まで白っぽく塗られて目に痛い。落ち着いて休める気がしなかったが、足を踏み入れると会話もはばかられるほど静かであった。

 トオリは蝶番で開け閉めできるようになっているらしい扉を叩いた。内側からの返事に応じて足を踏み入れる。狭い部屋ではないが、入り口と向かいの窓以外に外へ通じるものがない間取りが息苦しく感じた。

 寝台は壁に沿っておかれ、イヨックが上体を起こして休んでいた。その傍らには黒褐色の髪をした見覚えのない男がいる。背丈は高くないが、太い手足をしていて取っ組み合いに強そうな体つきだった。

「トオリか。よく来てくれた」

 男は立ち上がってトオリと挨拶を交わし、ジョウメイを一瞥した。

「君がジョウメイか」

「そうです。廃棄物の処理で、何度か工房へ立ち寄らせてもらっています」

「そうか。ご苦労だな」

 男は言葉少なだったが、声には芯の強さが宿っていた。

「私は工房主のキセーという。イヨックが世話になっているらしいが」

「世話してやってるのは俺の方ですって、師匠」

 イヨックは頭に包帯を巻いてはいたが、心配して損したと思えるほどいつも通りだった。元気そうだな、とトオリは笑みを浮かべて言い、ジョウメイも安堵感から笑顔になる。いっとき部屋に安らかな時間が流れた。

「キセー、イヨック。下手人は捕らえられた。とりあえずは解決だな」

「そうか。しかし、素直には喜べんな。根本的な解決にはなっていない」

 キセーは顔を伏せた。今回の事件の根本には短くない時間をかけて醸成された恨みがあって、それを解消しない限り同じことが何度も起きるだろう。

「理解のなさが問題だ。錬金術を暮らしや歴史を壊す侵略者としか見ていない人が多いのだろう」

 侵略者というのも言い過ぎには思えなかった。事実セキナンカでは錬金術同盟によって踏み荒らされた村がいくつもある。特に農地の荒廃は深刻で、新しい時代の到来を声高に叫んでも農民たちには届かないだろう。

「理解か。それを求めるなら方法が一つある」

 キセーが言った。不意に示された解決策に皆が注目する。

「エボロスにも同じような問題はあった。アルケミー系魔法以前の魔法というものもあったんだが、それから現在の魔法に切り替わる時に混乱があった」

「どうやって乗り越えた」

「森を作ったのだよ」

 ジョウメイはトオリと顔を見合わせた。

「私の国ではそのような森をミクロコスモスと呼んでいた。アルケミー系魔法の使い手たちのための施設ではあるが、同時に一般の人々が精霊に親しんでもらう場所でもある」

 ミクロコスモスは高度にアルケミー系魔法が発達した国では珍しくないという。自然の様々な場所に棲息する精霊を一ヶ所に集めて採集の効率を上げると同時に、一般人向けに自然公園として開放することでアルケミー系魔法の理解を深める役目を持つ。

「エボロスで初めてこのミクロコスモスが作られたのは私が生まれる遙か以前だったが、これのおかげで人々の理解も得られたそうだ」

 キセーの語るミクロコスモスは広大な土地を必要とする上、様々な技術と知識の上に成り立つものであった。用地の選定から始まり、棲息させる精霊を選んで定着させる。それが失われないように継続的な管理が必要だという。

 成し遂げるためには超えなければならないものが多い。キセーのかいつまんだ説明を聞くうちにトオリは表情をなくしていったが、目つきの鋭さは増していた。

「実現させてみたいものだ」

 トオリは低い声で呟いた。鋭い目つきには先進的なものへ敢然と立ち向かおうとする気概が宿っていた。

 やがてそれぞれ仕事へ向かう時間を迎えた。仕事へ向かうことを思い出す。ジョウメイは田圃へ、キセーは自分の工房へ。トオリは反対方向の、セキナンカ鼎庁へ向かった。

「少なくなったものだ」

 おもむろにキセーが口を開いた。独り言かどうかの区別もつかないほど何気ない言葉であった。

「少なくなったと思わないか」

 キセーがどんな返事を求めているのか何となくわかった。

「そうですね。ほとんど俺が一人でやっています」

 減ったことと言えば錬金術を支える廃棄物処理のことしか思い浮かばなかった。果たしてキセーは、残念なことだ、と言った。

「しかし君はどうして続ける。ひところ私のところには入れ替わり立ち替わり何人も廃棄物処理の人々が来た。それも今は君だけだ。それでもどうして続ける」

 孤独な仕事を続けて平気なのかと気遣うような声だった。表情に乏しくても声を通して温かな心根を感じ取る。

「トオリ先生にも言ったことですけど」

 ジョウメイは思うことを包み隠さずに語る。白翁動乱以前、ミギョウ系魔法によって作られた枠組みの中で感じていた理不尽や、友人の死、仲間との対立、少女との決別。まだ決着を見ていないこともあって、時に顧みたくなるが、今は答えを出す術がない。

「君のような年頃だからこそ、かな。もっと年上であったら、もっとアルケミー系魔法に不信を持っていただろう。魔法は国の根本だ。それが変わるのだ、混乱も仕方ない。いくら魔法が洗練されても派閥抗争のような諍いはなくならないからな」

一口に魔法と言っても、ミギョウ系とアルケミー系があるのはずっと前から知っていたが、武道の流派のようにいくつもの違いを持った魔法が、大きな枠組みの中に存在するのだという。

「エボロスでも、貧しい者から高貴な生まれの者まで同じように魔法が使えるのはおかしいと言って、身分によって使える範囲を制限しようという流派がある」

「錬金術が身分差を認めるんですか」

「ものの道理のわからぬ者に魔法を使わせるのは危険ではないかという主張だ。まだ少数派に過ぎない意見だがね」

 身分差を超えた世界を実現する可能性を錬金術に見ていたから、保守的な考えを持つ者がいるのは意外で、寂しい気もした。

「ただ、やはりアルケミー系魔法は平等を旨とするものだ。それを大きく育てることができるのは君の世代だろう。今は一人でもやがて理解者は現れる。信じてもらいたいな」

 キセーは密やかな笑みを浮かべた。見落としそうなほど微かな表情の変化であったが、現役の錬金術の使い手に激励されたことは嬉しかった。

 キセーと別れて田圃に向かう。いつもより少し遅い時間ではあったが咎められることはなく、鋤を渡されて耕しに出る。風は穏やかで日差しが強く、働く内に汗ばんできた。

〈トウロ〉としての役割は田植えが始まると終わる。魔法が使えず人手も足りない以上手伝ってやりたいところだが、ほとんどの〈トウロ〉がそうであるようにジョウメイにも本業がある。働き手は担当する時期を決めて本業に支障を来さないようにしていた。

 強風が爽やかに吹き抜ける時期には苗が植えられた田圃には水が満ちるようになる。種が播かれた畑でも芽吹きが始まっており、田畑が活気づく時期が始まった。

「いくら混乱していても鋤や鍬を手放さないのは、ヒムカシの人らしいのかな」

 再び廃棄物処理の仕事に戻った折、道で偶然出会ったトオリは、ジョウメイが去った後の田畑の様子を聞いて言った。ともすれば嫌みにも聞こえかねなかったが、男の熱い気質を知るジョウメイは爽やかな心地になった。

「キセーさんのところへ行くんですか」

「布達があるのでね。この辺り一帯の工房主に伝えに行くところだ」

 トオリは鞄を開いて中を見せた。奉書紙が何枚も入っていて、鼎令が政府の命を受けて発行したことを示す印も見えた。

「お前の耳にもそのうち入るだろうが、錬金術の法整備が本格的に始まる。才覚を示した若い者を工房に受け入れてもらう。キセーたちにそれを依頼するんだ」

「そこで学ぶことができるんですね」

「甘いぞ、ジョウメイ」

 トオリは不敵な笑みを見せた。

「工房主としては働き手としての期待をかけるはずだ。学ぶ姿勢はもちろんだが、利をもたらさないと見なされたら暇を出されることもある。一方で給金も出るし、本場を知る者たちと関われるのが一番の報酬だろうよ」

 トオリは先を急ぐように話を切り上げて立ち去った。ジョウメイもいつものように廃棄物を集めていき、最後にキセーの工房に着く。復帰したイヨックが出迎えた。彼は早速工房助手の話をした。

「制度がちゃんと始まるのはこれかららしいけど、広く現地の人間を募るらしい。お前はやるんだよな」

「ああ、もちろんだよ」

「よっしゃ」

 少し戸惑うほど、イヨックは喜んだ。

 制度の概要が公布されたのは一週間後のことで、筆記試験が一ヶ月に一度行われ、合格者は紹介所に名を登録される。助手を欲しがっている工房主は独自に本人と連絡を取って試験を課す。試験の内容や合格基準は工房の裁量次第であった。

 昼間は廃棄物処理を行い、夜は試験に出ると思われる問題の演習に取り組む。自分自身の稼ぎを切り詰めて書物を買って学んで行く日々にはこれまで感じたことのない充実があった。

 学ぶほどに、アルケミー系魔法を採用する国々のとらわれない考え方や社会に深く触れていく。ミギョウ系魔法とアルケミー系魔法は、どちらも自然の力を人々の暮らしのために役立てるという目的に端を発しているのに、集団での連携を求めるミギョウ系魔法と、個人の縛りがない発想を組み合わせて大きな力を発揮することを期待するアルケミー系魔法の目指す理想は違っていた。

 エボロスにおけるアルケミー系魔法の歴史を解説する書物の中には、ミクロコスモスのことも載っていた。キセーが話したように、エボロスにおいても旧と新の対立があって、それを解決するためにミクロコスモスが役立てられたという。精霊によってその人工的な自然が形作られており、自然の力を利用するという根本は同じだということが理解されて混乱は収束する。おかげでエボロスは国情も安定し、新旧が尊重し合うようになった。

 ミクロコスモスの多くは森林である。最も多様な精霊を棲息させることができる環境で

あり、親しみやすいことから散策にも人気がある。その精霊たちは第一質量(プリマ・マテリア)というものを

形作りながら自然に潜んでいる。精霊の採集とはつまるところこの第一質量の採集でもあ

るようだった。

 この第一質量同士を組み合わせることで様々な物質を作っていくのが錬金術の基本である。組み合わせることを結婚と呼び、そうして生まれたものを子供と呼ぶのは、目に見えない精霊を生きているものと捉える考えの表れであろう。ヒムカシの魔法と変わりないところに接点を感じた。

「よく続くもんだねえ」

 昼は働き、夜は夕餉の時以外は書物と向き合うジョウメイにシイゴがかける言葉は読み切れない感情を含んでいた。工房助手制度の公布があってから三ヶ月が過ぎ、昼間の力仕事が堪える時期にさしかかっている。そんな息子を母として心配しているのだろうが、どうしても突き放してしまう。

「錬金術なんかがそんなに大事なもんかねえ」

 家族が揃っている夕餉の席でついぶっきらぼうな態度に出てしまったのをジョウメイは悔いたが、言葉を向けられた母は怒るでも悲しむでもなく、ぼんやりと呟いた。

「誰にでも大事なものがあって、それは皆違う。親であってもわからないことがあるのも仕方がないことだ」

 コウザエが助け船を出したのが少し意外だったが、彼は雑炊をかき込んでおかわりをシイゴに継ぎ足しさせていた。

「錬金術って楽しいの」

 そう無邪気に訊いてきたのはリンナだった。いつの間にか背丈は伸びて、少し着飾れば華やぎを醸し出しそうであったが、肝心の顔にはあどけなさが残っている。

「楽しいわけじゃない」

 ぶっきらぼうにならないように努めて答える。楽しくないのに続ける兄の姿勢がわからないのか、ゲンがどうして、と首を傾げて訊いてきた。

「遊びとは違うものだからだ」

 これが道楽であれば、夏の苦しい時期を我慢してまで続ける意味は薄い。かつて酉組に属していた狩人で、手空きの時期には歌人として活動していた人がいて、ジョウメイには歌の良さはわからなかったが、大人たちは彼を文人としてもてはやしていた。

 それもあくまで道楽で、狩りが忙しくなれば自然と文人から狩人へ戻っていった。狩人と文人の二つの顔を使い分ける暮らしを楽しんでいたようで、苦しそうな顔を見たことはなかった。

「遊びじゃないなら何なの」

 ゲンに問われて、ジョウメイは言葉に詰まる。学びであろうが、それが目的ではない。これが狩人のような仕事になるとも限らず、言い表すのに困る中途半端な状態が正体であろう。

「道だ」

 辛うじて思いついたことを口にする。二人には通じなかったようで呆然とした顔つきを見せた。

「そうか」

 父の低い声には静かに背を押すような優しさが宿って聞こえた。それが意外で、まともに顔を見るのが面映ゆかった。


 年が明けて間もなく、工房助手の採用試験が行われた。セキナンカにおいて話題になることは少なかったから競争は激しくないだろうと思ったが、会場に集まった人数が一つの会場に収まりきらず、急遽三日に分けて行うことになった。

 初日は晴れたものの、二日目から天気が下り坂になり、ジョウメイが試験を受ける三日目は雪になった。同じ日の受験となった者たちの口からは恨み節が聞かれたが、天候の変化が考慮されることはない。唯一の救いは、出がけに待ち構えていたトオリが懐炉を手渡してくれたことだ。

かつて母が作ってくれた懐炉は、小さな金属の入れ物に、夜の内に炉端で焼いた石や木炭を閉じ込めたものであった。トオリが準備した懐炉も見た目はよく似ているが、錬金術の産物らしく二つの精霊を組み合わせて高い熱を持続的に発生させる仕組みになっている。実用的なものを作るには技術が必要らしく、下手な者が作ると温度が高くなりすぎてやけどの原因になり、最悪の場合発火するという。

 トオリの懐炉は程よい温もりを保っていて、効果の安定性は心配要らないだろう。ふと、これが公正さを損なうことにならないかと心配になったが、懐炉が答案を作ってくれるわけではない、とトオリは一蹴した。

「お前が人生を決めるかもしれない試験に臨むのを見ると何かせずにいられなくてね。二日は保つはずだから、寒さで手が動かなかったなどという言い訳はするなよ」

 トオリはそう言ってジョウメイを送り出した。期待と直接的な温かさをくれたトオリの心遣いを嬉しく思いながら試験会場まで一人で黙々と歩く。小さな門柱の前には職員らしき男がいて、彼に受験票を見せて名を名乗る。案内を受けて通された建物には部屋が三つしかなく、本来の使われ方がよくわからなかった。

 ジョウメイはかなり早い時間に入室し、他の受験者たちが到着するのを待った。二人用の文机が五つ並び、十人も入れば満員になりそうな部屋であったが、最終的には十五人が席に着いた。一つの文机に三人が並ぶと息苦しく感じたが、試験官は斟酌する様子もなく無表情に試験開始を告げた。

 錬金術の知識を問うことから始まり、歴史やミギョウ系魔法との違いなどを自分なりに述べる問題へ続いていく。独学の間に引きつけられたミクロコスモスの問題もあり、ジョウメイは内心で雀躍した。

 最後の問題は、回答欄がかなり広く取ってあった。錬金術がヒムカシにおいて普及する意義を問うていた。瞬間的にいくつかの答えを拾った心を内省し、回答欄に書くべき言葉を慎重に吟味する。

 自分に向けられた誘いや心配が重なって思い浮かんだ。周囲で繰り広げられた混乱や葛藤も加わって、透徹した理想を曇らせる。

 そんな自分の青臭く拙い思いを認めてくれた人たちがいる。周りに仲間がいなくなっても続けてきた自分がいる。それは何のためであったか。


――錬金術がもたらすもの。それは身分差を超え、出自を超え、真に性や力によって人を測る世界だと思います。それは競争を生み、時に血塗られた道を作り出すことにもなるでしょう。事実、新旧の対立の狭間で苦しむ人、選択を迫られて悩む人を目の当たりにしてきました。それでも明るく、まぶしい未来になるはずです。生まれ落ちた場所で全てが決まるような国には、温かさの代わりに淀みがあります。己の前に立ちはだかるものを超

えることが許される国には南風(みなみ)が吹いて、爽やかな色を残していくと思います。絶えず変

化を続けるでしょう。錬金術は、淀みを吹き飛ばして爽やかな色を残す青いみなみ(、、、)だと思

います――


 最後の一文を書き上げてから間もなく、試験官が終了を告げた。その場に答案を伏せて一切触れないように言い置いて、部屋に入ってきた二人の男が答案を手際よく集めていく。

 試験官の指示で退出し、外へ出た瞬間、熱に浮かされたような感じが消え去った。冷たい風が吹きつけた時にジョウメイは試験が終わったことを思った。

 雪は降り止んでいたが冷え込みは厳しく、周囲の薄暗さが拍車をかける。ジョウメイは懐から懐炉を取り出して握りしめる。熱い。しかし長く握っていても耐えられる、絶妙な加減を保っている。

 手のひらを通して血液が温められていくのを感じる。熱くなった血液が体を巡り、やがては胸にたどり着く。すると懐炉によるものとは違う、何かかけがえのない温かさが体を充たす気がした。

 家路に就いても家族の気配はなかった。炉端に座って急角度のついた高い茅葺きの屋根を見上げる。《冬隣の鎮》を経てもなおついてまわる雪や寒さへの脅威を避けるための、古くからある工夫だ。錬金術ならそれを過去のものにしてくれるかもしれないとふと思う。

 家一軒を守るくらいならできるかもしれない。しかし冬山での狩りで起きる遭難事故は、錬金術では防げないだろう。未だ人々の不理解も解決できていない。ヒムカシに根付こうとしている錬金術は万能ではなかった。

 入り口に誰かが立った気がして、ジョウメイは立ち上がった。戸を開けるとちょうど父が蓑を脱いで風呂場へ向かおうとしているところだった。

「終わったのか」

 父はぶっきらぼうに問うた。

「できるだけのことはしたよ」

「失格だったらどうする」

「次の機会があるはずだ。結果が出るまで続けるよ」

「それがいつまで続けられると思う」

 静かな問いに、錬金術の知識を年々深めながらそれを活かせない自分を想像した。工房以外で錬金術の知識を活かす場は、今のヒムカシにはないだろう。工房助手を目指し、錬金術の道を進んでいくことは、他の可能性から切り離されていくことでもあった。

「不安があってもやめないよ。俺は変化に乗って一緒に変わっていくことを選んだから」

 父のように、かつて身に着けたものを活かして生きていくことも一つの選択だろう。獣の肉や毛皮を欲しがる者は増えたらしく、仕事は安定しつつあるという。それを横目に見ながら、ジョウメイは目の前で繰り広げられる変化を見つめ、実際に身を投じることに魅せられた。それも一つの選択だと、父の目を見ても強く思うことができた。

「子供だ」

 父はざらついた声で応じた。この期に及んで道を阻むつもりなら言い争っても良いと身構えたが、

「黙って聞いてくれ。父の気遣いだ」

 教え諭すような声に気を削がれた。

「お前は子供だ。お前だけでなく、この国も、俺も、錬金術を使う国からしてみれば子供だろう。今まで関心を持つに値せぬ国であったが、今は違う。エボロスにとって自分の国の人間を派遣するような国になった。それは未熟な者が成長しようとすることへの危機感でもあるはずだ。そして多くの国にとって、我々は子供でいた方が都合が良い。純粋に小さな国が成長することを望むような親心で近づく者はない。そのことをわかっていさえすれば、俺のように昔を忘れられない子供から昔を振り切れる足腰を持った子供に代替わりができる。俺が若い頃に思い描いたものとは違うが、悪いことではない」

 言葉数をいつも抑えていた父には似つかわしくない長広舌であった。その中には、野山で生きているだけでは身につかない視界の広さが含まれる。背を押す力の確かさが加わる父の言葉であった。

「お前なら、たとえ一人になっても平気だろう。浮き足立つなよ」

 追及する前に父は蓑と笠をジョウメイに託して風呂場へ行ってしまった。まるで家族との別れが近いかのような言い方で釈然としないものを感じながら、まだ家族の気配がない居間へ戻っていった。

 試験結果が出たのは雪解けが本格化した二ヶ月後のことであった。合格を告げられ、工房助手候補として名簿に載るという通知が届いた。そのことを知ったキセーが、前祝いと称してトオリやイヨックを集めて酒盛りをしてくれた。その場所が工房の心臓部とも言える蒸留塔のある部屋だとは思いも寄らなかったが、主のキセーは気にする様子も見せない。

「しかしほどほどにしておけよ。ある程度好きにやれるとはいえ、仕事なのだ」

 トオリが真面目な顔で諫めたが、

「まず酒も、酒のおかげで、明日もなし」

 酒の入った硝子の器には『松酒』とあった。どうやらその名と『まず酒』をかけたらしいが、ジョウメイには意図が読めなかった。それよりも異人のはずのキセーが、戯句を詠むのが意外で、彼の知識の深さを知る手がかりになった。

 戯句は何度も続き、元々意味がわからなかったものが、どんどん支離滅裂になっていく。それでも機嫌だけは良かった。挙げ句の果てには眠りこけてイヨックが後始末をする。今日は祝いだからとイヨックは言い、ジョウメイやトオリが手伝うことを潔しとしなかった。帰りは結局翌朝になったが、キセーは眠ったままで、イヨックも横になったまま寝ぼけ眼で見送った。

「ああいう男に雇われるんだぞ。幻滅したか」

 帰り道でトオリに訊かれ、どう答えたものかと逡巡する。酒癖は悪いのかもしれないが、ミクロコスモスについての可能性を異国で考えているあたりは真摯な人なのだろう。酒盛りの間、イヨックは酒癖の悪さに苦労していると嘆いていたが、異人にもかかわらず歌人としての才を発揮し、それで覚えたヒムカシの言葉を教授する才人としての師を尊敬していると笑った。

 彼と同じ場所に立って、日々を暮らす。それはとてもすてきなことに思えた。

「そんなことありませんよ」

 ジョウメイは酩酊した感じの残る頭を振り、躍る心を抑えて静かに言った。今まで道ばたを歩んできた自分が、ようやく真ん中を堂々と歩く機会を得た。その嬉しさを抑えるのは、回答をするより難しかった。

 トオリと別れて、家族にどう報告するか考えながら家路に就く。初めに出迎えたゲンに、ラウが来ていることを告げられた。居間にはラウとコウザエが、ジョウメイを待ち構えるように座っている。その傍らにシイゴとリンナ、後からゲンが加わる。ジョウメイは先に座っていた家族とラウに取り囲まれるような形で腰を下ろす。まさか朝帰りを咎めるつもりかと身構えた。

「ジョウメイ。大事な話がある」

 コウザエの改まった声に、白翁動乱の直前に感じた緊迫感を思い出す。家族の命がかかっていた当時に比べて幾分緩さを感じるものの、居住まいを正さずにはいられなかった。

「俺たちはセキナンカ鼎で狩り場を探してきたが、この土地で生活を立たせるほどの成果は見込めなくなった」

 ジョウメイは母を見遣った。どうやら両親の間で止められていた話らしい。頷く表情に驚きはなかった。

「狩り場として考えていた場所は、錬金術において精霊を採取するのに有用な場所らしい。俺たちも名代を立てて話し合ったが、鼎の方針は錬金術を優先するというものだった。鼎令は精霊の棲息域を荒らす獣を減らしてでも、その場所を守っていく考えのようだ」

「じゃあどうするんだ。錬金術に関わって暮らすのか」

 決して本意ではないだろうと思いながら訊くと、そんなわけないだろう、と押し殺した声が聞こえた。それはラウの、苦渋に満ちた表情から発せられていた。

「錬金術は色んな土地を造り替えていく。今まで安定していた狩り場を壊されて、狩りなんてできるわけないだろうが」

 ラウはジョウメイを睨んで吐き捨てた。もう自分のことを、狩人としては見ていないのだろう。それどころか狩りに対立する者として敵意を眼差しに宿している。新旧の対立がまた関係を壊していく。ジケイやトマラ、オドヤのことを思い出させて、ジョウメイは悲しくなった。

 コウザエはラウの肩を優しく叩き、後を引き取る。

「何とか俺も周辺で狩り場を探したが、良さそうなところも工房建設の影響を受けて獲物がいなくなりそうなんだ。そうかと言って、今更錬金術に関わることはできない。だからこの地を離れることにした。幸い声はかかっているから、そこで新しい暮らしを始める。昔都だったシオウへ行く。少し遠いがな」

 ジョウメイは家族を見回した。シイゴ、ゲン、リンナ。皆驚いた様子はない。

「俺だけ知らなかったのか」

「だって、錬金術の試験があったから」

 リンナがすかさず声を上げる。いつの間にか舌足らずさが失せた声には必死さが宿っていて、その奥に家族全員の気遣いを感じる。抱える思いは複雑であれ、家族は皆自分の背を見守っていたのだ。

「お前は工房助手の試験に合格したそうだな。それは今後、錬金術に携わって生きていくということだろう。長くこのセキナンカで廃棄物処理もしてきたのだから、それなりに顔なじみの工房主もいるだろう。工房で働くなら、知っている工房主の下が良いはずだ。ここで残って働きたいならそれで良い。どうする」

 返事は決まっている。試験に合格し、ついていきたい工房主、切磋琢磨できそうな友人、見守ってくれそうな師。何より自分を育んだなじみ深い風土。セキナンカにはこれ以上ないほど恵まれた条件が揃っている。

 それでもジョウメイは返事をためらう。一歩を踏み出した時に、家族と別れることなると思うと、即答はできかねた。

「兄ちゃん、俺たちのことは気にしないで良いよ」

 ずっと黙っていたゲンが声を上げ、リンナもそうだよ、と声を重ねてくる。

「別に死に別れるわけじゃなし、文の遣り取りぐらいできるんだから」

 明るい気性を備えて育つリンナらしい声であった。取り返しのつかない別れがいくつかあったが、それに比べれば家族と離れ離れになるぐらい訳のないことだ。

 今後彼とは文の遣り取りさえできないかもしれない。できるようになるにしても長くかかるだろう。短い間とはいえ苦楽を共にした仲間に突き放されるとは、ソウビで工房建設に携わっていた時には思いもしないことだった。二つの魔法の対立に人と人を引き裂いていく。何度その悲しさを経験しても、慣れることはなさそうだった。

「お父、お母、リンナ、ゲン。それと、ラウ。俺はやっぱり、錬金術の道を行くよ。そういう俺を望んでくれる人がいる。いつかわかり合えると信じられるから」

 ラウはやはり返事をしなかった。

 母も妹も弟も、声を返さなかった。表情が歪んでしまいそうなところを堪えているのがわかる。ややあってコウザエが、

「どんな決断であれ、家族はお前の味方だ。それだけは忘れるなよ」

 愛想のない顔で言った。父のわだかまりは解けていないだろうが、錬金術の道で大成することが親孝行でもある。理想と覚悟を抱いて歩く先に何があるか見通しは立たずとも、家族が最後の味方であれば、足がすくんだ時に一歩を踏み出す勇気を引き出すと思えた。

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