第4話 新しい魔法
労働の合間に握り飯をむさぼっていると、どこからか《春耕技》という言葉が聞こえた。その声には魔法に根付いた生活を懐かしむ気持ちが聞き取れた。
「坊主、お前のところはどうだ。そろそろ《春耕技》だろ」
その男が一人でいたジョウメイに、気安く話しかけてきた。
「ちょうど今頃です。ミギョウ系魔法が生きていたら」
「そんな言い方するなよ。魔法は一つしかねえ」
男は少し気色ばんだが、別の男に小突かれて口を噤む。
向こうから外套を羽織った男がやってくる。ウンベニの兵士がやっていたような洋式趣味の服装である。トマラより少し年上だろう、トオリという名で、ジョウメイらが属する班の頭であった。
「私のことは気にするな。お前たちにはしっかり働いてもらわなければならない。そのためにも休む時には休んでもらう」
男は生真面目な顔で言い、石とも砂の塊ともつかない不思議な物質で形づくられた建物に入っていった。煉瓦という名を知ったのは最近のことだ。
「立派な男だな」
男の姿が見えなくなったところで、皮肉っぽい声が聞こえた。
「俺たちがへたばったら困るんだろう。何しろこれは、錬金術の拠点だからな」
「確か工房とか呼ばれてたな」
「こんな狭い場所で、どうやって魔法をやるんだか」
男たちの不満は、トオリが姿を現すと同時にぴたりとやんだ。
握り飯を食べ終えた後は、奇妙な形の物体を運ばされた。用途不明なものばかりであり、それらが組み込まれる物体の使い方も想像がつかない。
いくつかの穴や突起物が等間隔で並ぶ、見上げるほど高い鉄塔であった。確かなことは戦勝者であるウンベニをはじめとする錬金術同盟が採用した錬金術もといアルケミー系魔法に必要な道具ということだ。ミギョウ系魔法が使われていた頃には見たこともない。
一つ一つが赤子ほどの重さがある鉄の塊を日が沈むまで運ばされ、ようやく一日の仕事が終わる。この役目に就いてから三ヶ月が経った。ウンベニの兵士に捕らえられた時から数えれば半年を超えている。
捕らえられて間もなく、ジョウメイは南のソウビへ移送された。かつて錬金術が初めてもたらされた土地でもあり、ウンベニはこの街の港を外国と交流するための窓口にするつもりらしい。異人館と称する建物があちらこちらに建てられていた。
白翁動乱と名付けられた争いはまだ続いているようだが、ほとんどの王族領は降伏したようだ。白翁王は戦が始まって五ヶ月ほどで捕まっていたとソウビで知った。ジョウメイにも新しい魔法の時代が来たのがよくわかった。
役目は辛い肉体労働だったが、食堂に行けば粗食ながら三食欠かさず摂ることができる。 作業に従事する男たちが詰め込まれた食堂で仲間を探すと、いつもの場所にいつもの場所にラウという一つ年上の少年を見つけた。
「今日もきつかったなあ」
自分の食事を机に置いて、ラウは一日ため込んだ疲れを吐き出すように言った。
「今日は何やってきたんだ」
「石みたいに重いものを運ばされて、終わった後ものが持てなくなったよ」
「あれって石とは違うのか」
「俺も詳しくはわからないけど、違うらしい」
「錬金術の産物か」
「さあ。どうだって良いけどな。それよりいつ俺たちは帰れるんだよ」
消息の掴めない仲間がいるのは同じで、気の置けない間柄になっていった理由でもある。多くの家族はセキナンカに留まっているという噂だが、確かめない限り安心はできない。
心配は消息を全く掴めないジケイやトマラ、スズシである。特に傷を負っていたトマラが気がかりだった。
「なあジョウメイ、終わったらどうする」
ラウは声を低くした。
「終わったらって、何がだよ」
「この仕事のことだよ。いつかは終わるだろ。その後何をしたら良いんだ。もうカモス狩りなんてやっても仕方ないんだぞ」
「そうだよな……」
家族と再会できたとしても、暮らしの当てを見つけられる保障はない。自分たちにできるのは獣を狩ることだが、カモスを採るのではない狩りができるかどうかわからない。
二人は結局、ここでの役目を無事に終わらせることを第一に考えようという結論に達した。いくら理不尽を感じても、現在生殺与奪を握るのはウンベニで、ふとしたきっかけで消息を尋ねるどころではなくなるかもしれないのだ。
人魂のようにゆらゆらと揺れる光を見たのは寝床へ向かう途中であった。鉄塔を作る部品を運び込んだ場所でもあり、そこから誰何された時は飛び上がった。
「君は私の班の子か。確かジョウメイと言ったか。こんなところで何をしている」
暗闇から現れたのはトオリであった。人魂のような光は彼の隣に浮いているが気に留める様子もない。
「これから帰ろうと思って。ここを通るのが近いから」
「仕事の時以外は現場に入るなと言っただろう」
トオリは諭すように言った。素直に頭を下げる。
「早く帰りなさい」
そう言ってトオリは踵を返した。人魂のような光もついていく。まるで意思を持つかのような動きだった。
雑魚寝の部屋は既に消灯されていた。数少ない隙間を見つけて布団を敷く。眠りに就く直前にトオリの傍で浮いていた光を思い出す。錬金術の産物だとしたら、いずれ夜も街に光が溢れることになるだろうか。
それはオドヤが望んだ光であっただろうかと寝入る直前に思った。
工房や設備の部品を運び、夜になれば食堂や寝床へ戻っていく日々を送る。トオリに注意されてから帰り道は遠回りを選んでいたが、何日か経つと近道が悪いと思わなくなる。
ある夜食堂から帰る時、以前人魂と見間違えた光を工房付近で見た。トオリに見つからないよう踵を返そうとした時だった。
「何をしている」
鋭い声が聞こえてジョウメイは身を固くした。一瞬自分に向けられたもののように感じたが、声は後から何度も重なる。しかも切迫感があった。
人を呼ぼうと思ったジョウメイはくぐもった声を聞いて駆け出した。それは悲鳴に聞こえた。足音が遠ざかっていく。その場所に残されていたのは倒れ込む人影だけだ。
「大丈夫ですか」
人影の傍には光が浮かんでいて、その光が届かない暗がりに不自然な色合いが見える。触ってみるとやたらべたついてぬるかった
「平気だ……」
人影はくぐもった声を返しながらゆっくり立ち上がる。光もそれに合わせて動いた。
「現場に入るなと言っただろう……」
トオリの声はぼやきのように力がなかった。
「大丈夫ですか、その、血が」
傷を指して言うと、トオリは無造作に出血している部分に触れた。
「ああ、殴られたんだ。だがお前のことを覚えているし、問題ないだろう」
「今、誰かが逃げていきました」
「彼らを追い払おうとしたら殴られた。幸い蒸留塔や工房は無事だったが」
話しながらトオリはうめいた。彼は自分から医務室へ赴き、ジョウメイも付き添った。
詰めていた医者は人を呼び、ジョウメイにも残るように言った。ややあって訪れたのは、ジョウメイが一度も見たことのない男だったが、トオリは謙った喋り方をしていた。
ジョウメイは男にありのままを話したが、下手人の顔を見ていないかとしつこく訊いてきた。解放されたのはかなり遅くなってからで、帰り際、他言無用を厳しく念押しされた。
翌日の作業ではトオリは姿を見せなかった。体調不良という説明を皆不審がる様子はなく、黙々と代理の頭の指示で働いた。
仕事が終わってから医務室を訪れたが、誰もいないと医者に不自然なほど強く言われて追い返された。一週間後に復帰した彼は、何事もなかったかのように振る舞った。
そして夜の見回りも変わらずに行っていた。何となく心配になって仕事の帰りにその光の場所を目指す。やはり注意されたが、以前に比べるとかなり柔らかい声であった。
「あんな目に遭ったのに、夜は出歩かない方がいいんじゃ」
「私を心配してくれるのか」
トオリは意外そうな顔をした。
「別にあなたと敵同士だったわけじゃないですから」
「素直な良い子だな。いくつだ」
トオリは微笑んだ。真面目な印象の彼が初めて笑った気がした。
「正月を超えて十五になりました」
「そうか。まだまだ若いな」
トオリの笑みに少し悲しげな表情が差して見えた。
「若いからこそ、明日も頑張って働いてもらう。早く帰って寝なさい」
優しく諭す声に頷いたジョウメイは、気になっていたことを訊くことにした。
「頭を襲ったのは、俺たちの仲間ですか」
新しい魔法を拒む者は人夫に多く、彼らは戦で大きな被害を受けた上労働を課せられている。その鬱積がトオリに向かったとしても無理はないだろう。
トオリは首を振った。
「それは違う。他に訊きたいことがないなら、私はもう行くぞ。見回りがまだある」
「どうしてそこまでするんですか。怖くはないんですか」
トオリが襲われた後、不寝番の数は増えた。彼らに全てを任せない理由がわからない。
「少なくともこの辺りは私の責任だからな。今後錬金術はヒムカシを席巻する。私もその流れに乗るつもりだ。何年か経って何かに迷った時、ここが原点だったと思い返せるような足跡を残しておきたいからね」
ジョウメイは気の抜けた返事をするしかできなかったが、トオリが遠い未来を見通しながら錬金術に可能性を見出していることだけはわかった。ふわふわと浮かぶ光を受けて輝く瞳に曇りはなく、いつしか清々しい気分になった。
翌朝トオリを襲った二人の下手人は皆の前で罪状を読み上げられた。港中を引き回された後牢でしばらく過ごすという刑が告げられた後引っ立てられていった。
事件の影響は夜警の強化にもつながった。不寝番だけでなく、現場の作業員が錬金術同盟軍の者に監視を受けながら行われる。初め若い兵士と組んでいたが、その兵士が熱を出した夜、トオリと二人きりで回ることになった。
「この工房街の建設も間もなく終わる。君も故郷へ帰れるだろう」
竣工した工房の中を、人魂のように漂う光で照らしながらトオリは言った。光はどういう原理か上下左右自在に動き回り、トオリの見る場所を的確に照らしていた。
「終わったらどうする。君は狩人だったのだろう。狩りをするのか」
「それはわかりません。まずは家族に会わないと。それから考えます」
「色々変わってしまったが、その大元はウンベニが錬金術同盟を結成したことだ。思うことは何かないのか」
戦の後に残ったものの多くは思い出すのも辛い記憶だ。人の関係も変わって、すっきりしないまま別れ別れになってしまった後悔もある。
「それより先へ進めとずっと言われているようが気がします」
ジョウメイはオドヤのことを語った。錬金術の普及を夢見ながら、結局為すことができずに命を落とした男は、アメヒ王族が治める世の中では最後まで許されることがなかった。それも世の中が変われば、戦の被害者として悼まれる日が来るだろう。
トオリは何かを言いたそうな顔をしながら、蒸留塔を見てくれと言った。日々運んだ部品で組み上げられた鉄塔は、触れると目が覚めるほど冷たい。
更にトオリと共に内部を見ることになった。ゆらめく光が滑らかな内部を薄く照らし出す。トオリは鋼を軽く叩きながら何かを呟いていた。
「手触りに問題はないか」
言われた通りに蒸留塔の内部を手のひらで撫でていったが、引っかかることはなかった。
「わずかな金属の荒れが、大きく結果を狂わせることもある。慎重にな」
蒸留塔は、文字通り蒸留という作業をするものらしい。工房に置かれるものは人の背丈の倍に少し足りないぐらいの高さだが、城壁ほどの高さの蒸留塔もあるという。
「それでもミギョウ系魔法には比べるべくもないが」
どれほど大きなものを作ったとしても、効果範囲は限定的で、山一つを影響下に置くこともあるミギョウ系魔法とは比べるべくもないとトオリは言った。
「代わりに魔法がそれほど特別なものではなくなっていく。魔法を使う者が過去何であったかも、きっと考えられなくなるだろう」
「俺でも使えるようになりますか」
トオリは少し意外そうな顔をしてから、なれるだろう、と言った。
「エボロスなどでは子供が当たり前のように使うものもあるそうだ。日々の暮らしに欠かせないものは、指先一つで発動する。呪文などは一切要らない。使うだけなら、ただ待っていれば望みは叶うだろう」
それで満足かとジョウメイは胸に問いかける。ただ真新しいものを使いたいのが望みなのか。それを恥だと思うわけではない。しかし目の前に大きなものがあって、そのまぶしさに目がくらんだままでいるのはもったいない気もした。
「あなたはどう思っているんですか。狩人だったんでしょう」
トオリは一瞬言葉を詰まらせてから、
「どうして気づいた」
そう返事をした。
「同じカモス狩りの狩人だったから、何となくわかります。身のこなしとか」
「そうか。どれほどのことが起きても、消えないものもあるのか」
トオリはしみじみと語りながら、蒸留塔を見上げた。
「私は錬金術を生み出したい」
ふとトオリが口にした言葉は、ジョウメイにはわからないものだった。
「魔法の行く末を近くで見守っていれば、いずれ意味がわかる日も来よう」
そう言ってトオリは話を切り上げてしまった。その後は錬金術の話をすることはなく、淡々と夜警の仕事を進めるだけだった。
詰め所で別れる時にジョウメイを呼び止めたトオリは、魔法の行く末を見守っていると良い、と言った。
「この国は一二〇〇年前、魔法が入ってきた時以来の激動を迎えている。その時代に生まれたことは、後々きっと幸運に思えるはずだ」
ジョウメイは曖昧に頷いた。ソウビにおける仕事が終わるのも近かったが、その後の道筋はまるで見えず、ウンベニの手に運命が握られているも同然である。ジョウメイは戦に敗れたことを痛切に感じていた。
人夫たちが集められ、ソウビの工房街の建設終了が告げられたのは、青風が心地よい気温の高まっていく時期であった。淡々とその事実のみを告げられ、人夫たちは解放された。ジョウメイもその中に入っていたが、今ひとつ実感に乏しかった。
以前話し合ったように、同郷のラウと共にセキナンカへ戻ることにしたが、それまでの手間賃を路銀に費やした。それでほとんど消えてしまうのが寂しいものの、家族に会えると思えば惜しくなかった。
「どうする、これから」
途中旅籠に泊まり、並んで横になったラウに訊くと、できることをやるしかないだろ、と言った。稼ぎの話である。生きていくには、確かにできることをするのが最も確実だ。しかし自分たちが身に着けた技能は、これからの世の中には必要のないものだ。
「カモスじゃなく、肉とか毛皮とかを獲る狩人になるのか」
「相手にするのは同じ獣だから、やれるだろ」
ラウは楽観的だったが、カモスを狙うのと肉や毛皮を得るのでは違いがある。一人でやれるものでもないし、戦の後では仲間を見つけるのも難しいだろうと思えた。
「その時は一緒にやらないか」
ラウの声にはためらいが混じる。
「ああ、それが良いのかな」
ジョウメイははっきり返事をすることができなかった。狩りをするのが一番確実な生き方だと思いながら、戦の時に目の当たりにした錬金術の力が忘れられない。狩りへのこだわりが、古い時代の軛のようにさえ思えてくるのであった。
ジョウメイはセキナンカにたどり着くまで三回旅籠に泊まった。ラウはそのたびに狩りへの誘いをしてきたが、曖昧な返事をするに留めた。煮え切らない態度にラウが苛立たないか不安だったが、彼は鷹揚な態度で待ち続けるつもりのようであった。
オノニ村に戻ると、荒れた様子に二人はしばらく言葉を失った。戦の前までは、今頃は《水上技》と《水落技》が繰り返され、暑いながらも田畑の傍に寄れば涼やかな気分になれる時期である。復興も始まっているようだが、破れた屋根や壁、疲れた様子でうずくまる人々を見れば爪痕の大きさが痛切に伝わってきた。
二人はそれぞれの家へ向かった。以前に比べて小さくなっていたが、台所に通じている入り口はそのままだった。声をかける前に包丁を操るシイゴが手を止めた。
「ジョウメイかい」
二度と聞けないかもしれないと覚悟した声であった。どんな返事をすれば良いのか全く思い浮かばない。
「ジョウメイかい」
同じ言葉が、今度は震える声で紡ぎ出された。涙ぐむ母の顔にどんな言葉を返してやれば良いか思いつかず、頷くのがやっとだった。
立ち尽くしている間にシイゴは家族を呼んだ。それに応じて表れたのは弟のゲン、妹のリンナ、そして父のコウザエだった。
「何だ、帰ってくるなら文の一つもよこさんか」
コウザエは上がり框から叱るように言ったが、顔がほころぶのが抑えられないようで、今ひとつ迫力のない表情になってしまった。ジョウメイもまた自然に頬が緩んでいく。
「ごめん、ただいま」
ようやく返すべき言葉が思いつき、言うことができた。それだけで充分であったらしく、シイゴはわっと泣き出した。
家族が互いのことを話し合えるほど落ち着けたのは翌日になってからであった。弟妹を連れて砦へ逃げたシイゴは、戦が終わった後オノニ村へ戻ったものの、戦で荒れた家に住むことはできず、周囲の人々と助け合いながらどうにか住処を再建したという。
コウザエがその後を引き取った。父はウンベニの軍に捕らえられた後、ヒムカシの新たな体制が首都と決めたセンザンオウに移送され、そこで工房や蒸留塔など錬金術に関わる施設や設備の建設に従事させられたという。センザンオウはソウビに近く、親子で同じような境遇にあったことに不思議な縁を感じるジョウメイであった。
それぞれがたどった道を語り追えた後、話題になるのは今後のことであった。コウザエは近くに工房が建設されていることを話し、そこで働く者の募集があると言った。
「当座の金を得るためだ」
コウザエは何故か言い訳めいたことを言った。詳しく聞くと、それは工房で出る廃棄物を運んで処理する仕事であるらしい。廃棄物をフムクリに置き換えたら、それはまさしくフムクリ処理であり、少し前まで〈エヒト〉の仕事であった。コウザエはいつまでも続ける仕事ではないことを強調した。
親子の新しい仕事は思いの外早く決まった。カモス狩りの時のようにいくつかの班に分けられ、ジョウメイは父と同じ班に入れられた。そこにラウも加わる。交代で荷車を引き、手空きの者が工房から廃棄物を受け取って荷台に積んでいった。
たいていの相手は金や茶の髪をした異人で、黒くない目が何を考えているのかわからないが、魔法を使う以上自然に対して怖れを抱く弱い人間であるのは同じだろう。しかし言葉が通じない以上、わずかな身振り手振りで遣り取りするだけに終始した。
廃棄物の多くは石のような土のような、よくわからない見た目の物体である。一度何気なく素手で触ろうとしたら、工房の異人に鋭く叱られた。あとで上役に聞いたら、自分たちが運んできたのはフォスという精霊の力を宿した物質のなれの果てであるらしく、やはり毒があるのだという。
精霊とは何か。その精霊が何故物質を作るのか。ジョウメイはその上役に訊いてみたが、明確な答えは返ってこなかった。
働き出すとセキナンカに残った人が思いの外少ないことに気づく。故郷を捨てた者も多くおり、錬金術に関わることを潔しとしない者は多いようだった。
「俺たちはアメヒ王族の臣下だった。それが何故、こんな仕事をやらなければならない」
働き出して約一ヶ月、素風が吹き出す頃にはそんな言葉が別の班から聞こえ出す。食い扶持がない以上続けるしかないからしばらくすれば諦めるだろうと踏んでいたから、コウザエとラウから狩りへの転身を持ちかけられた時は驚いた。
「このまま続けても、結局ウンベニの連中に使われるだけだ。そんなことで一生を終えるのは本意ではない。皆そう考えている」
父が言うには、狩人出身で同じように錬金術の廃棄物処理をする者たちと協力して狩人たちの結社を作るのだと言う。カモス狩りはもはや誰からも求められないが、毛皮や肉を欲しがる者は多い。農作物を荒らす害獣を狩る仕事もある。
「廃棄物の処理などを続けるより、カモス狩りで培った技術や知識を活かした仕事をした方がよほど良い。俺たちはそう思っている」
コウザエはラウに目配せした。彼は頷く。大人に諾々とついていこうという弱さは感じなかった。
「お前も来いよ。狩りには人手がいるし」
そのラウが放った誘いの言葉は魅力的であった。必要とされることで満たされた心地になれる。少なくとも廃棄物処理の時には感じなかった気持ちだ。
「何を迷ってるんだ。お前なら二つ返事で来てくれると思ってたのに」
ラウの声に微かな失望が混じる。狩人としての自分が求められているのに決断できない。何も見えない方向へ踏み出すことに踊っている心を自覚していた。
「あの仕事に何か未練があるなら、仕方ない」
やがてコウザエが締めくくるように言ったが、含みのある声に聞こえた。
「今は仲間を集め、体勢を整えるための準備中だ。考える時間はある。気持ちが変わったらいつでも声をかければ良い」
ラウは釈然としない顔を見せたが、何も言わずコウザエの言葉を聞いていた。
「しかしジョウメイ、あの仕事を続けてどうする」
答えは持ち合わせなかった。廃棄物処理を続けたところで、トオリのように錬金術に関われる保障はない。触れるだけで厳しく咎められるような毒物を扱う仕事を、両親が喜ぶとも思えない。
「考えておくから」
ジョウメイの短い返事で話し合いは終わった。錬金術同盟によって政体は変わった、それは世界の先を行く国々と肩を並べようという考えが根底にあるのだろう。大きすぎて理解の及ばないことばかりだ。その答えが廃棄物処理を続けた後にあるだろうか。そう信じれば父や仲間の言葉に背くのも悪くない気がした。
ジョウメイが働くタチキはかつて、アメヒ王族が治めていた頃からユイヌシやユウツなど魔法において中心になる役の家系の屋敷が多くあり、そこで生まれた子供たちや子女を教育するための学問所も発展した。オノニ村からそれほど遠くないが、狩り場やホラクとは方向が違ったため縁遠かった街である。
その屋敷の多くは潰され、工房に置き換えられた。街を行き交う人々の表情は明るく、全てはこれからという気概に満ちて見えた。
土地が変わると漏れ聞こえてくる会話も変わってくる。オノニ村の周辺では、当面の仕事を心配する言葉が多かったものの、このタチキでは不思議な言葉が飛び交っている。精霊、結婚、第一質量。使われ方のわからない言葉であった。
廃棄物処理の仕事はタチキとその周辺に建ち並んだ工房を一軒ずつ周り、廃棄物を荷車に乗せて決められた場所まで運ぶことであった。三ヶ月ほど前までは同業者も多かったが、ほとんどが山へ仕事場を移してしまった。荷車を牽く者とすれ違うことも希になった。
風が冷たくなりはじめても、ジョウメイは態度を決めかねていた。廃棄物処理を辞めた父は煮え切らない態度に焦れており、親子のすれ違いを母は不安げに見つめているようだった。王族領出身の者にとって、錬金術は先祖が築き上げた暮らしや伝統を壊した侵略者なのだ。そんなものに協力してほしくないというのが本音だろう。
「雨が降ってるのに、行かなくちゃならないのかい」
冷たい雨に構わず出かけようとするジョウメイに、母は心細げな声をかけた。夜中降ったらしいみぞれが道の脇に残っている。狩りをするなら慎重に歩かなければならない状況である。
「一日だって止められないんだから、仕方ないだろ」
廃棄物は一日たりとも放置できない。極端なものは置いておくだけで燃えるほどだ。フムクリも速やかに処理しなければ穢れが蔓延すると言われたものだが、後始末の問題は錬金術でも切り離せない。
「でも、寒いじゃないか。狩りだったら、こんな時には休んでも良いんだ。何も辛いことを我慢してまでやらなくてもいいんじゃないか」
母の言葉は心配から出たものだろうが、歩みを妨げようとするように聞こえてうっとうしくなって、
「我慢じゃねえ。俺はこれからの時代に大事なことをしてるんだ。狩りなんかよりずっと役に立ってる」
つい声を荒らげてしまった。
一瞬母は驚いた顔をして絶句したが、すぐに目つきを険しくした。
「父ちゃんのやることを馬鹿にするんじゃないよ」
頭の芯が冷めてしまうような大声だった。時代錯誤という言葉が思い浮かんだが、泣きそうな顔をした母を前に言葉が吹き飛んでしまう。
「いってきます」
親を悲しませるようなことを言ってしまった自分自身に慄然としながら外へ出た。それを送り出す言葉はなかった。歩いている内に後悔が募ってくる。
雨風を防ぐための蓑と笠は、白翁動乱以前から使っていたもので、夏の間に母が藁の手入れをして準備をしていた冬の備えだ。新しいものに身を投じていても古いものを捨てられないのは同じで、それにも気づかなかった自分がひどく浅はかに思えた。
それでも廃棄物処理を休むことはできない。廃棄物の集積所を中心にして、いくつかに定められた道を往復するのが決められたやり方だった。いつにもまして人通りの少ない道を歩いて、風雨と蓑で動きにくさを感じながら着実に廃棄物を集めていく。
荷車には分別をして載せていく。空気に触れないよう薄い膜で包まなければならない物質や、軽く洗えば土に埋めても害はない硝子質まで様々だが、不用意に触ってはならないことだけ共通している。
一日中タチキを回って、日が暮れかけた頃、最後の工房を訪れた。応対したのは何度かの訪問で顔なじみになった異人の青年で、何も言わなくても廃棄物を持ってきてくれる。ヒムカシの言葉に堪能な彼とは何度目かの出会いで名乗り合ったが、イヨックという名が舌に馴染むまで時間がかかった。
「いつも思うんだけどよ、その格好で寒くないのか」
氷雨の中で廃棄物のより分けをしていたジョウメイの格好を指して、イヨックが訊いた。彼は何も言わずとも仕事を手伝ってくれる。
「結構あったかいぞ。冬に山で狩りをする時もよく使ってたからな」
「ミギョウ系魔法の産物か」
「いや、魔法は使ってない。そもそも昔は、魔法を一つ使うのも許しが必要だったんだ。狩りじゃ許しなんか出なかったから」
「不便だったんだな」
何の気なしにイヨックは言ったが、二つの魔法の間にある差異を見る気がした。
「まあ、何にしてもこの国の魔法も変わる。錬金術とか言うんだっけ」
頷きながら、今後も錬金術の呼び名が使われるかどうかわからないと思った。そもそも政体としての魔法を代えようとしたのも、国際競争に勝つためである。やがて世界の慣習に従っていくだろう。
「師匠が言ってたけど、今日廃棄するものの中には〈エリオス〉があるらしい」
イヨックは小瓶を指して言った。一見空だが、蓋が厳重に閉められた上廃棄物を包むための膜で覆われている。以前イヨックに言われたが、〈エリオス〉とはどんなに小さくても隙間があれば空気中へ逃げてしまう精霊なのだという。
非常に軽いその精霊は冷却剤の原料となるが、空気と反応しても同じ効果を得る。まかり間違って空気中へ逃げてしまったら、部分的に冷害をもたらしかねない。
「絶対逃がすなよ」
イヨックはその言葉だけ人なつこさを消して言った。錬金術は現地の環境次第で効果が変わることがあるという。ヒムカシの空気や水がどんな効果をもたらすか未知数だった。
「わかったよ」
真剣な声で応えた時であった。イヨックの後ろから近づいてくる人影があった。
「ああ、お帰りですか」
その男に気づいたイヨックが振り返り、愛想の良い声を出した。
「キセーを夕餉に誘ったんだが、断られてな」
「師匠は今研究に没頭してますからね。そんな時はトオリ先生でも誘い出せませんよ」
イヨックと親しげに語らう男を、ジョウメイは信じられない思いで見ていた。できすぎた偶然だと思ったが、イヨックは確かに呼んだ。トオリ先生と。そして目の前の男は、ジョウメイの記憶と重なった。
「お頭」
思わずかつての職名で呼ぶ。男は振り向いた。
「ウンベニの、ソウビでの工房建設の頭をしていた、トオリさんではないですか」
「そうだが。君は、そうか、ジョウメイか」
トオリの顔が喜色に輝いていく。人夫の一人に過ぎなかった自分を覚えていてくれたことは嬉しかった。
廃棄物を処理場へ置いて戻ってきた時、トオリが入り口に佇んでいた。
「再会を祝おうじゃないか。キセーと飯を食うつもりだったんだが、断られてな。ちょうどいいから行かないか。奢ってあげるよ」
「喜んで」
ジョウメイは人なつこく笑い、トオリの案内で小料理屋に入る。キヨン肉の鍋を頼んだトオリに異論はなく、先に出された茶をすする。一日で冷え込んだ体に気持ちよく染みていった。
「お前はセキナンカの出身だったな。無事に戻ってこられたのか」
「家族も無事でした。色々ありますけど」
同情を引くつもりはなかったのに、つい家族間の確執が言葉にじんでしまう。そしてトオリは聡く耳に留めたようで、
「しばらく離れていたのだから、噛み合わないことがあって当然だ。家族なら時間が解決してくれる。焦らず待てば良い」
温かさのにじむ声で言ってくれた。
「お頭はどうしてここへ。工房主の人とも知り合いみたいですけど」
「仕事だ。錬金術の関連でね。話しても良いが、お頭はやめてくれ。もうその任は解かれて久しいからな」
トオリの苦笑にジョウメイも同じ表情で応える。
「じゃあ、トオリ先生でよろしいですか」
イヨックが使っていた呼び名は舌に馴染みやすい。トオリもそれで良いと言ってくれた。
「あの工房の主はキセーというエボロスの者なんだが、彼はエボロスから新政府が招いた〈ヤトイ〉でね」
錬金術に限らず、新政府は各分野で優れた人材を各国から集めているという。それによって世界を基準にした技術や知識を得られるようになる効果は確実だとトオリは言った。
「私は今新政府に錬金術の技官として勤めている。キセーと知り合ったのはその後だが、熱心でヒムカシの人の気質に合いそうな男だよ」
キセーのことを語る時のトオリは頬をほころばせていた。ぶっきらぼうな言い方にも親しみがにじむ。
語らう内にキヨン鍋が運ばれてきた。かつてカモスを得るために散々相手にしてきた獣だが、その肉を食べたことも数知れない。歯ごたえや味も往時と変わりはない。これまではカモスの狩人とは別の猟師が支えてきた味だが、今後は父をはじめとする元カモス狩人たちもその一翼を担うのだろう。
「お前は廃棄物の処理をしているようだが、どうして続けているんだ」
肉を自分の碗に取りながら、トオリは訊いた。
「稼ぐ方法が他になくて」
とっさにジョウメイはあいまいな返事をした。
「違うだろう。初めはそうだったかもしれないが、今ほとんどの狩人出身者は野山の獣を狩る生活へ戻ろうとしている。この数ヶ月で廃棄物処理をする者はめっきり減った。そんな状況でもどうして続けるのかを訊いている」
ジョウメイは肉を飲み込んでから口を開いた。
「錬金術は、誰もが自らの由によって使える魔法であると聞いたことがあります」
トオリから、あるいはトマラから聞いた言葉である。それがミギョウ系魔法との一番の違いで、だからこそ多くの混乱が起きるのだろう。
「平等な社会であれば、命に差が生まれることもないはずです。権力を使って国を動かす以上、身分差はやがて表れてくるとしても、せめて命の差だけは表れないでほしい。そんな願いを俺はかけたいんです」
淡泊な葬儀とわずかな補償で片付けられてしまったジンタの死と、蔑みから軽く扱われてきたスズシをはじめとするホラクの〈エヒト〉たち。取るに足らないような出自であっても、誰かにとっては大事な命であり、差が生まれてはならないのだ。
「珍しい考えだな。私をはじめ、錬金術に関わろうとする者の多くは、国を富ませること、海外との競争に勝つことを目標にしている。高い報酬を用意して海外から人を呼び寄せるのもその表れだな」
「おかしなことでしょうか」
議論する構えを見せたジョウメイに、トオリは首を横に振った。
「いや、大事なことだよ。競争にとらわれて人をないがしろにするようではいけない。錬金術の特徴は誰もが使えることだから、その願いは叶うよ」
トオリのことで知っているのは、新しい魔法への思いが強いことだ。それだけに、後を押すような言葉は心強く響いた。
「しかし人々が新しい魔法を受け入れるかどうか別の問題だ。以前ソウビで襲われた時、錬金術への敵意を私は感じた。状況が大きく変わっているとも思えないな」
「でも新政府は、錬金術を使うことを決めたんでしょう」
エボロスとシーの争いで錬金術が力を発揮する様に危機感を覚えたのが錬金術同盟発足の契機であったし、白翁動乱勃発の理由の一つであった。今更方針を変えることはないだろう。最後の王となった白翁王もセンザンオウに捕らえられている。それはミギョウ系魔法の基盤が完全に失われ、旧時代へ後戻りできないことを示していた。
「何が何でも貫くだろう。その時何が立ちはだかっても、打ち砕いて錬金術を全国へ普及させようとするはずだ」
トオリの語る新政府の強硬さが、戦の火種になるかもしれない。アメヒ王族への忠誠心、故郷を踏みにじられた憎しみ、新しいものへの恐怖。大火につながる種火がいくつも思い浮かんだ。
「果たしてそうまでして、我々は世界と肩を並べなければならないか。命の差をなくすためとはいえ、その前にあまたの命が失われるかもしれないことが良いことなのか。容易に答えを出せるものではない」
ジョウメイには辛うじて頷くことしかできなかった。さっきまで高邁だと思っていた理想が、急に薄っぺらいものに感じてしまう。
「ジョウメイ、新しい道を行くつもりがあるのではないのか」
トオリは一転して厳しい声を出した。気持ちの振れ幅が落ち着いた気がした。
「お前は狩人だった。お前自身が望んだのではないにしろ、お前の居場所は野山だった。戻るように言われてもなお、今までと違う場所にいつづける理由を考えるんだ」
「でも、俺の理想なんて」
「自らの理想を疑わずに生きていける者は少ない。しかし、そうでないからと言って恥じ入る必要はない。大事なことは、理想を抱き、つなぐことなんだ。己を疑わず生きてけるほど強くなくとも、思いを人に託すだけの優しさがお前にはある。理想を抱いて行くのはそれだけで充分なのだ」
トオリの言葉が、目の前に遠い道を作ったような気がした。遙か遠くへ続く一本道だ。行き着く先の見えない道を、良いかどうかもわからない理想を抱いて歩いて行けと言う。ふと、トオリはどんな理想で以て錬金術の道を歩いているのかが気になった。
「トオリ先生はもう狩人に戻ろうとは思わないんですか」
「思わないな」
トオリの返事はきっぱりしていた。
「身分差のために思いが通らないことが不満だったから錬金術に希望を見出したのだ。今までの暮らしを壊してまで私たちは思いを通した。その責任も果たさなければならない」
新しい魔法を選んで生きていくことへの断固たる決意は、眦を決して遠くを見通しているようであった。
翻って自身を見つめ直す。ミギョウ系魔法が作った枠組みへの不満を抱きながら、オドヤの気迫のこもった誘いに乗らなかったのは、家族やジケイ、スズシの顔が思い浮かんだからだ。今でもせいぜい手が届きそうな脇を見るのが精一杯だ。
「お前自身はそうでも、お前の周りにはきっとそうでない者が集まる。お前自身が甘くとも、周りがそれを補うはずだ。行けば良い。お前の理想が人を惹きつける。それだけで道を行くのは許されるものだ」
一人で引いていた荷車を、トオリが後ろから押してくれるわけではない。それでも明日からは一人ではない予感がした。今自分が迷いながら歩いている道の何歩か先を、目の前でキヨン鍋をつつく男が歩いている。
今はその一人だけだとしても、決意を込めて歩みを進めれば近くを歩む人は増えていくのかもしれない。ほのかな希望を見いだせた気がして、料理のおかげだけでない温かみが全身に染みていった。
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