45「ドラゴンタートル」

 アルプス広場にその怪物はいた。


 無限に続くと思われた連絡口の回廊を抜け出てすぐである。


 巌のごとき様相を呈した巨大な亀は上総たちを一歩も通さぬ体で立ちはだかった。


 一〇式戦車とほぼ遜色のない一〇メートル近い大きさである。


 盛り上がった巨大な甲羅の下にある頭部は竜のものだ。


 眼前にそびえる巨大生物は上総たちの一挙手一投足も見逃さないように、赤黒い瞳を冷たく光らせていた。


 ドラゴンタートル――。


 異世界ロムレスにおいても一筋縄ではいかない強力なモンスターだ。


「抜けられそうにないな」


 口中が乾き切っているのか上総の舌が自然ともつれ妙な声になる。


 広場の中央に位置するドラゴンタートルは思った以上に俊敏なのだ。


 上総の勘であるが、これほどのモンスターを配置するのであれば、この迷宮の主であるグランバジルオーネのいる場所はすぐ近くであろう。


 今まで戦ってきた水系モンスターとはあからさまにレベルが違い過ぎる。


「ねえ、これってもしかしてドラゴンってやつ?」


 紅が身体を寄せて静かな声で訊ねてきた。


「いや、そう見えるが正確には違う。あくまでデカい亀だが、生命力や凶暴さはドラゴン以上かもしれん」


「なにそれ。サイアクじゃない」


 一見すれば某怪獣映画に出てきた巨大亀にそっくりであるが、頭部の部分が如実に竜の特徴を色濃く残している。

 ワニのような長い吻。


 鋼鉄ですらウエハースのごとく齧ってしまう強靭な顎は、ときとして本物の竜を捕食する力を備えており危険度は折り紙つきだった。


「クソ、最後の最後でこんな奥の手を隠してるとはな……」


 上総がそう愚痴ると紅が前に進み出た。


「コイツはあたしが引き受ける。全員でかかる必要はないわ。アンタたちはとっとと先に行きなさい」


「ちょっと待てよ。ドラゴンタートルは竜種に劣らないくらいの強敵だ。全員で協力して戦ったほうが無難――」


「あたしにはこれがあるから大丈夫」


 紅は、肩かけ鞄から一枚の呪符を取り出すと口に咥えて見せた。すぐに呪符を袂に仕舞うといった。


「水中呼吸の呪符よ。これさえあれば三〇分は水の中でも戦えるけど、超貴重だから人数分ないの。この部屋が水で満たされてもあたしは平気だから、アンタたちはなんとか先に進んで自分たちの安全を確保して」


「ぐっ」


 紅の言葉に言葉が詰まった。同時に脚を浸してゆく水かさが上総の心にズシリと重たく伸しかかってくる。このアルプス広場に到着したと同時に四方のあらゆる扉が閉まり閉鎖空間になった。そして天井の壁から幾つも開き、中を水で満たしはじめていた。


「それに例のお嬢さまはあなたをご指名みたいですし」


(ドラゴンタートルは水系モンスター。水が満ちれば満ちるほど有利になる)


 紅にいわれなくても気づいていた。


 前方の見える狭い通路の向こう側から強烈な鬼気が放たれている。


 ここへ来いと。

 早くここまで到達しろと。


 グランバジルオーネがうずうずしながら待ち構えているのが扉越しにわかった。


「リリアーヌ――」

「だめよ」


 上総がリリアーヌを呼ぼうとするとすぐさま紅に止められた。


「その子の召喚術は使えてあと、一回か二回。とっておきなさい、本当に必要になるときまで」


 紅の表情。迷いは微塵もなかった。彼女の肩に外道丸がぴょーいと飛び乗った。


「――つーわけで兄さんはチャチャッと扉の向こうのダンジョンマスターを倒してちょうだいな。ここはオレと紅でかるーく収めておくからよ!」


 強気な発言の外道丸であるがあきらかに目の前の巨大亀に対して怯えており、四肢がカクカクと細かく震えていた。


「あのねー。ブルってるくせに強がるんじゃないわよ。アンタも上総といっしょに行ってもいいのよ?」


 口調はいつものように突き放すものだったが、外道丸を見る紅の瞳にはやさしさが宿っていた。


「はっ。ジョーダン。オレっちがビビってるなんて、そんなわけないじゃーん。オレと紅は一心同体。さあ、いつものようにオレの華麗な作戦どーり戦えば完勝は間違いなしだよん」


「アンタの指示で戦ったことなんか一度もないんですケド」


「なにをー。へへ。てなわけで兄さんたちはどんどん行った行った。オレは筒に入ってれば息しなくてもダイジョブなんで!」


 ドラゴンタートルをはじめて見たときの強張りが完全に消えていた。紅を生贄にするわけではない。彼女を信じてこの場を任せるのだ。


「悪い。任せた」

「ん。任された」


 上総は先頭を切って走り出した。リリアーヌとクリス、それに黒瀬が続いた。


 ドラゴンタートルがわずかに身体の向きを変えて首を伸ばそうとする。亀であるドラゴンタートルの首は体長と同程度の伸びるのだ。


 上総は咄嗟に右腕をドラゴンタートルに向けて突き出した。腕にはフライ・スクイッドからドロップしたリングが嵌まっている。


「喰らえ!」


 遊びではなく、裂帛の気合を込めて指先をびっ、と突き出すと尋常でない量の墨がドラゴンタートルに向かって放たれた。黒く濃い煙幕が空間に吐き出されてゆくうちに、右腕に嵌まっていたリングは飴が溶けるように細くなってゆき、最後には消えてなくなった。


「てなわけでお先に行かせてもらうぜ」


 上総は走りながら煙幕を張るとその場を脱出した。






 広場を突っ切ると途端に石積みの狭い通路に切り替わった。


 人工物が微塵もない異世界でよく見た平均的なダンジョン風景だ。


 じゃぶじゃぶと水を蹴って進む。

 通路の終わりには青い大扉があった。


「ま、冷静に考えるとそうだよな」


 手のひらで撫でると金属とは思えないほどつるりとした触感があった。


 巨大な鍵穴だ。恐らくはゲートキーパーである役割のモンスターからドロップする必要性があるのだろう。後方では、アルプス広場で紅がドラゴンタートルと戦っているもの凄い音が響いて来る。


(ちっくしょ。このままじゃ紅の行為が無駄になっちまう)


 水かさはすでに腰のあたりまできていた。上総の焦りが加速していく。


「勇者さま。こちらの通路は進めそうですが」

「そうか!」


 暗くて見落としがちだが、右の脇に屈めばなんとか進めそうな通路があった。小柄なクリスとリリアーヌならばなんとか通れそうだが、男である上総や黒瀬は無理そうである。


「私がぱぱっと先を見てきちゃいますねー」

「頼んだ。くれぐれも無理するなよ」

「了解です」


 クリスは肘を折り畳んで海軍式の敬礼をすると狭い通路に無理やり入っていった。






 流れてくる水はじゃぶじゃぶと足元に溜まり歩くたびにじゃぶじゃぶと音が鳴った。


(狭いですが。この先には、確実になにかがあります)


 クリスは曲がりくねった通路をどうにか通り切ると広い部屋に出た。


「ここは……?」


 ちょっとした体育館ほどもある部屋である。天井には青白い苔がびっしりと生えており明度は保持されていた。


「おおーいっ。そこにはなにかあるのかーっ」


 離れた大扉の前から上総が叫んでいる。クリスはあたりに視線を巡らしてから大声で叫び返す。


「特になにもありませーんっ。ちょっと見てみますねーっ」


 そういってはみたものの、なんら意味のない空間をダンジョンマスターがわざわざ自分の部屋の前に作るとは思えない。


「なにかないかなぁ、なにかないとおねーさん怒っちゃいますよう」


 ――果たしていくらも動かないうちに壁が開いて特大のモンスターが出現した。


「のわっ。びっくりです!」


 バネ仕掛けのような鋭い動きで目の前の壁が観音開きに開いて人間代のシャコが姿を現した。


「もーう。あなたって人は。出てくるなら出てくるで事前に教えてくれなきゃ困るじゃないですか」


 おどけながらクリスは目の前でうっそりと立つモンスターに注意指導を促した。


「おーいっ。なんかすごい音がしたぞーっ。大丈夫かーっ」


「すみませーん。なんでもないでーすっ、すぐ戻りますからーっ」


(とはいったものの、たぶん目の前のコレが中ボスなんですよねぇ)


 ヨロイジャコ――。


 固い外骨格に守られた上に強烈な攻撃力を有する攻守双方にすぐれた水棲モンスターである。


 クリスは右手をすっと動かすと半身に身体を開いて重心を落とした。


 シャコの武器はその巨大な捕脚から繰り出されるパンチである。


 シャコパンチと呼ばれる打撃は、普通サイズのシャコですら軽々と貝の殻を破壊し、水槽のガラスをぶち破るともいわれる。


 前の間にいるヨロイジャコは体長が一五〇センチはありクリスと遜色ない。


 その体格から繰り出されるパンチ力は小さな通常のシャコと比較にならないほどのものであろう。


 ヨロイジャコはこん棒上の捕脚と呼ばれる脚をゆらりと持ち上げ標的をクリスと見定めゆっくりと近寄ってくる。


「悪いですが、こちらもゆっくりしている暇はないのです」


 クリスがいい終わったと同時にヨロイジャコは突進してきた。


 身に纏った鎧のような外骨格がすり合わさって不快な音を立てた。


 最初から警戒しておいたおかげかクリスは想像以上に素早い動きを咄嗟に見切り高々と飛翔した。


 ヨロイジャコは猪突猛進の言葉が似つかわしく、クリスがいた場所をあっさりと駆け抜けると猛烈なパンチを素早く、しかも連続で繰り出した。


 耳朶を打つ激しい炸裂音が延々と鳴り響き、ヨロイジャコの打撃音で部屋そのものが激しく揺れた。


 一旦、攻撃に移るとある程度は反転できないのか。


「もらいましたよっ!」


 クリスは素早くヨロイジャコの背を取ると跳び上がって強烈な飛び蹴りを放った。


 矢のようにまっすぐな一撃は無防備なヨロイジャコの背にズンと突き刺さった。


(ぐ――固い!)


 その名を表す通り鋼鉄の甲羅の強度は想像以上のものだ。が、クリスの蹴りはそれなりに効いたらしくヨロイジャコの背中の甲羅に激しく亀裂が入った。


 ヨロイジャコは蹴られた衝撃で今まで自分が殴っていた壁へと前のめりに突っ込んだ。


 クリスは蹴った反動を移動して部屋の反対側、壁ギリギリの場所に着地した。


(相当にダメージを与えたはずだけど。足首が――!)


 が、クリスの痛みなど意にも介さずヨロイジャコは起き上がった。


 頭部先端から突き出した真っ黒な複眼がぎろりとクリスを睨んだ。


 次の瞬間、両者は部屋の中央で激突した。


 ぼっ


 と、大気を割る異様な唸りとともにヨロイジャコの高速パンチが機関銃のように乱射された。


 ヨロイジャコの強力な打撃のエネルギー源は脚のつけ根にあるバネから生み出される。


 削岩機もかくやという強烈な拳がクリスをすり潰さんとばかりに放たれた。


「はあああっ!」


 対するクリスもまた尋常のものではなかった。


 足場の悪い膝まで浸かった水場に片足立ちになるとヨロイジャコのパンチを蹴りで迎え撃った。


 巨大な捕脚とクリスのキックが中央で激しく噛み合った。


 素早く打ち出されたクリスの蹴りとヨロイジャコのパンチは互角かと思われたが、勝敗を決したのは乗せられた気の大きさであった。


 部屋が砕けそうな轟音が鳴り響き、技の撃ち合いに勝利したのは――クリスであった。


 ヨロイジャコの捕脚は粉々に砕け散り、一瞬だけ動きが止まった。


「あああっ!」


 それを見逃すメイドではない。クリスは気合一閃虚空へ飛ぶと必殺の踵落としをヨロイジャコの頭部に見舞った。


 ぐじゃっ、とヨロイジャコの頭がバラバラに飛び散って、その身体がずうん、と飛沫を上げて沈んだ。


「あら? これはこれは」


 ヨロイジャコの砕けた捕脚から光輝く青白い巨大な鍵が飛び出し、とぷん、と水中に落下する。


「お役立ちアイテム、ゲットしました!」


 クリスは屈んで素早く鍵を拾うと満面の笑みを浮かべた。


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