43「巣食う水棲動物」

 新宿地域には「新宿」と名のつく駅が十も集まっている。さらには多数の路線や連絡口が毛細血管のように入り乱れ、あまつさえ意図的に乗客を惑わすように作られたとしか思えないほど内装が同一なのである。


 平時ですら新宿駅を使い慣れない人間にとっては充分に迷宮である上に、現在ではダンジョンマスターであるグランバジルオーネの手によって、改変に次ぐ改変が行われ、下手に進めば二度と地上に出れないような構造に陥っていた。


「それにしてもこの連絡通路、一体どこまで続くのよ」


 上総は操縦桿を握りながらすでに軽くイラつき出している紅に苦笑していた。


「――嬢ちゃん。とかなんとかいってる間に終わりが見えてきたぜ」


 タバコに火をつけず唇の端に咥えていた黒瀬が片目を開けていった。


 確かに、水が満ちていた傾斜のある通路はようやく終わり、乾いた地点に到達した。


 上総たちは荷物をそれぞれ自分たちの背負うザックに移し替えると、徒歩に切り替えた。


「こっち、こっち。こっちで間違いないよ」


 先導する管狐の外道丸がしっぽを振りながら正しい道を選択してゆく。


「ふんふん。なにか妙なニオイがしますー」


 目をつむってクリスが目を閉じてくんくん鼻を鳴らす。上総が警戒して聖剣の柄に手をかけたとき、前方右脇の通路から仔牛ほどもある巨大なタガメがバラバラと五体ほど飛び出して来た。


「やばい。カミナリタガメだ!」


 上総は叫ぶと素早く抜剣してリリアーヌたちをかばうように前に出た。


「なんなのあれ。キモッ」


 紅が甲高い声を上げて上総の背に隠れた。どうやら彼女はリアルな昆虫系は苦手らしい。


「リリアーヌ、クリス。こいつら覚えてるか? 沼地でやたらにポコポコ出てきたやつらだ」


「はいっ、わたくし覚えていますわ」


「う、うーん。どちらかというと私もご遠慮申し上げたいです」


 カミナリタガメはロムレスの全土の沼地や湖畔など水辺に棲息する昆虫系モンスターである。


 全体に暗褐色でありゴキブリのように平べったく、水中の動きは素早い。


「となるとオレの出番だな。黙って置物になってるのも性に合わねぇ」


 黒瀬は日本刀を引き抜くと水平に構えた。彼が持つ刀は事前にリリアーヌが強化の魔術をかけており能力は著しく向上している。


「リュウさん。やつの前足に気をつけてください。下手に絡め取られると刃はぽっきりいかれますから」


 上総が警戒を促すように、カミナリタガメの前足は巨大な鉤状になっていた。タガメは前足で獲物を捕らえたのち、針状の口吻を突き刺して肉をドロドロに溶かして喰らうのである。これによって捕食された獲物は骨と皮だけが残るのだ。


「へ。見た通り凶悪そうだな。オレの心配はいい。上総は好きに暴れてくれ」


「それと表面が光ったら離れてください。――と、これ以上はお喋りさせてもらえそうにありませんね」


 上総はガチガチと前足の鉤をしならせて襲いかかってくるカミナリタガメを見た。


 やつらは飢え切っている。


 久々に現れた獲物に対して捕食の欲望を抑えきれないのだ。


 上総は唇から鋭い呼気を吐き出しながら身を低くして駆けた。


 まさか逆襲されると思わなかったのか、カミナリタガメは一瞬だけその場に立ち止まると後ろ足で立ち上がり鉤を突きたてようと上方から振るってくる。


 素早く転がって無防備な腹部を切り裂いた。癇に障る鳴き声を上げながら一体が倒れ伏す。上総は素早く立ち上がると、右左と細かく動き位置を考えずに聖剣を使った。


 向かって右側の個体は側面を切り刻まれるとなすすべなく絶叫を上げて動かなくなった。


 視線を動かすと、一体の頭部に黒瀬が日本刀を突き刺し倒している場面が目に入った。


(残り、二体だ)


 黒瀬よりも、瞬く間に二体を屠った上総のほうが危険であると感じ取ったのか、後方に残っていた二体のタガメがまっしぐらに突っ込んで来る。タガメたちは突進しながら全身を青白く明滅させた。


「やばっ――リュウさん。逃げくてくれ!」


 巨体に似合わず俊敏な動きで黒瀬が飛び退くのが目に入った。


 カミナリタガメはその名前のとおり、危機に瀕して自らの体内で電気を発生させて放出するという特殊攻撃能力を持っている。


 ぱちぱちと強力な電気に包まれながら激しくタックルをかましてきた。


 鉤の振り下ろしと強力な電気を帯びた強烈な体当たり。


 このダブルコンボはカミナリタガメにとってのフェイバリットであっただろうが、さすがに相手が悪すぎた。


 ――覚悟を決めるしかない。


 上総はすうと息を大きく息を飲み込むと、その身に受けるであろう電気ショックに備えた。ロムレスではいくさに使われるスレイプニル種、すなわち農耕馬の倍もある体格の馬を一撃で感電死させる発電力を持つカミナリタガメの雷を上総は敢えて受けて立った。


(来ると分かっていれば、耐えられない攻撃などこの世には存在しない)


 かつて異世界で勇者であった上総にとって戦闘は日常茶飯事であった。怪我をしていない期間のほうが短かった男にとって、この程度の攻撃は想定内である。


「カズサさま――!」

「上総!」

「勇者さまぁ!」


 女性陣から一斉に悲鳴が流れた。が、上総はその声も意に介せずカミナリタガメの攻撃を聖剣で受けた。


 青白い光が明滅して全身の毛が逆立つ。常人であるならば当然意識が飛ぶ中で上総はカミナリタガメの打ち下ろした鉤を受け止めたまま、ただ待った。


 高電圧・高電流を放射したあとは、大きな隙が生まれる。カミナリタガメは上総の予想通り、ひととり体内の電気を放出し終えると目に見えて動きが鈍くなった。

 ――ここだ。

 両腕に聖剣を握り込んで奥歯をガチッと鳴らすほど噛んだ。


 気合一閃。


 上総が二体のカミナリタガメの脇を通り抜ける。あとには胴体を輪切りにされた昆虫の骸がどうと音を立てて崩れ落ちた。


「はぁ、キモい上にメンドイやつだった」


 上総はビリビリと未だ震える手のひらを見つめながらふぅと息を吐き出した。


 カミナリタガメの電撃は中々に堪えるものであったが、上総の耐久力が上回ったのだ。


「お怪我はないですかカズサさま!」

「さすがです勇者さま!」

「やったぜ兄さん!」


「あ、ちょっと待った。まだ俺には電気のビリビリが――」


 リリアーヌたちがダッシュで上総に飛びついてくる。上総は未だピリピリと帯電した左腕を伸ばして彼女たちを制止するが、間に合わない。


「んぎいっ」

「あばばっ」

「るるぶっ」


 姫とメイドと獣は残った電気を喰らうと出してはいけない種類の声で叫び、きゅうとその場に倒れた。


「――なーにやってんだかぁ」


 紅はあまりにお約束な光景に顔を覆って脱力した。






 イカ、タガメなどの水棲動物と連戦をこなした上総たちは小休止を取ることにした。


「といってもこの場所じゃあまり落ち着けないわね」

「いうな……」


 激闘を行っていた場所からすぐの場所はメトロプロムナードであった。上総たちは柱を背にし、銀マットを広げて腰を下ろす。周囲にきらびやかな広告が躍っているので、なぜか妙な気分になって落ち着かない。


「お茶を淹れますよーあなたのメイドがーふんふふーん」


 クリスが妙な歌を口ずさみながら山用バーナーでお湯を作っている。リリアーヌは上総に寄り添いながらカントリーモアムをうれしそうに齧っていた。


「ねえ。そういえばウチのアホの子どこに行ったか知らないかしら?」


「ああ? 外道丸か? そういやどこに行ったんだろう」


 アホの子で通じてしまう外道丸の姿が見えない。紅はいつも邪険にしているふうでいて、少しでも外道丸の姿が見えないとやたらに落ち着きがなくなってしまうのだ。


「嬢ちゃんの白狐ならタガメの死骸を漁ってたぜ」


 武骨な形のスキットルを呷りながら黒瀬が答えた。強い酒精の香りが漂ってくる。


「あたし、ちょっと見てくる」

「おい、ちょっと待った。ひとりで大丈夫か?」

「ん。平気。ちょっと待ってて」


 上総は紅が小走りで駆けてゆく姿を確認し、浮かしかけた腰を再び下ろした。黒瀬はつまみのジャーキーを噛みながら、手にしたスキットルをぐいと向けてきた。上総は無言で勧められたスキットルの中身をぐいと飲み干した。喉が焼けるような度数の強いウイスキーだ。酒精が腹の底に落ちる。カッカッと身体があたたまった。


「イケるじゃねぇか」

「酒はそれほど強くないんですよ」

「オレは下戸は信用しないようにしているんだ」


「それではカズサさま。わたくしにもお流れをいただけませんでしょうか」


「子供はだーめ」

「ぶー。けちーです」


「あらあら。喧嘩はいけませんよー。そんな姫さまにはクリスが特製の甘酒を振る舞っちゃいますよう」


「わ、わたくし、これ大好きですの」


「さっきからやたらに甘ったるいにおいがするかと思えば、酒粕持ってきてたのか」


「はい、おつぎしますよー。クロセさまもいかがですかー?」


「いや、オレは甘いもんは苦手なんでな」


「むうう、クリスがせっかく腕によりをかけて作ったのにぃ。仲間との信頼感及び愛情などの紐帯が途切れちゃいますう」


 などと疲労を軽減するために、ティータイムを楽しんでいると外道丸がぴょこぴょこ跳ねながらなにかを咥えて戻ってきた。


「兄さん、兄さんーっ。いいもん見つけたぜーっ」


 追うように駆けてきた紅が息を切らしている。


「ちょ、こらっ。待ちなさいってば、もう!」


「なんかさ、なんかさ、これがタガメのトコにあったんだよーっ。なんだろ、なんだろなーっ」


 外道丸は咥えていた玉をぽいと地面に落とすと好奇心に満ちた瞳で見上げてくる。


「まったくアンタは。単独行動しちゃ危ないって、なんどもいってるのに。わからないポンコツ脳ね」


「ええー。でも、オレが見つけたこの玉、なんか気になるじゃんかー?」


 外道丸は紅にひょいと抱きかかえられたまま、ふんふんと鼻を鳴らしている。外道丸は日ごろは臆病なくらいであるが、ときとして聞き分けのない少年のようなワガママを発揮するところがあった。


「てか、なんだこの丸っこいの? 外道丸、これどこで見つけてきたんだ」


「うーんとな。兄さんたちがやっつけたタガメのそばに落ちてたんだー」


「ふぅん」 


 上総は玉を掴むとしげしげと眺めた。青黒く、持って見ると中々に重量がある。ペットボトルキャップ程度の玉はまん丸というわけではなく、上から押し潰したようにどこか歪だった。


「これ、もしかしてカミナリタガメの電核かもしれませんわ」


「電核?」


 静かにしていたリリアーヌが唇に人差し指を当てながらいった。


「カミナリタガメに限らずいかづちを発するモンスターはこのようなものを体内に持っていると聞いたことがあります。錬金術士はこれらを用いて武器を作ったりすると書物で知りましたの」


「そっか。ま、リリアーヌがいうんなら間違いないだろうな。とりあえず保管しとくか」


 上総はいかづち玉をスーツの胸ポケットに仕舞うとたいして気にもとめずクリスが差し出した甘酒に口をつけた。






 小休止を終えたのち、上総一行は再び歩き出した。


 空間を歪められてでもいるのか、メトロプロムナードは歩いても歩いても終わりが見えない。


 あまりに代わり映えしない周囲の広告にさすがの上総もうんざりしはじめた。


「ねえ、これどこまで続くのよ」

「知らん、乗っかかるな」

「やだー」


「重いっての」

「あたしは重くないっ」

「そこに反応するんか」


 紅は完全に飽きはじめたのか、先行する上総のザックにもたれかかって邪魔をする。


 一方、姫であるリリアーヌは見た目とは違って相当に我慢強く、愚痴ひとつこぼさない。


(現代人と異世界人の違いだろうな)


 移動はすべて徒歩であるリリアーヌとすぐれた交通網が生まれたときから備わった世界で生まれた者の差があからさまに出ていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る