42「空飛ぶイカ」

「なんだァ? 急に映りがおかしくなったぞ?」


 腕組みをしながら画面を眺めていた及川が鼻を鳴らした。上総が首を捻って眉間にシワを寄せると同時に画面は一気にザラつき出した。


 電波の異常か、と一瞬考える。しかし次の瞬間画面は白っぽい空間に切り替わると鮮明になった。


 新宿駅の異変を映す報道番組からなんらかの理由で電波が混線したのかと勘繰ったが、とにもかくにもその映像は異質だった。


 真っ白な空間は目を凝らしてみると、四隅の境目が不明瞭な一室だった。画面からはピアノを演奏している女のうしろ姿が映されている。ブルーのドレスを着た女は長い髪を波打たせながら静かなしらべを奏でていた。


(この曲。確か王都で聞いたことがあるような……)


 上総が異世界での記憶を反芻していると傍らにいたリリアーヌがとまどったような表情で不安そうに自分を見ているのがわかった。間違いなく女が弾いている曲は地球のどこにも存在しない異世界ロムレスの音楽だ。


「はじめまして、というわけでもないのだけれど。見ているかしら、勇者カズサ。私からのプレゼントはお気に召したかしら?」


 ピアノに向かっていた女が振り返ると画面が前触れもなくズームした。4Kテレビの解像度をフルで活用していてもアップになった女の美貌は損なわれるどころか、むしろ際立っていた。


 息を呑むような美女は、青い髪と青い瞳を輝かせながら、まるで目の前に上総がいるかのごとくニッコリと微笑んだ。


 今や古典となったJホラーのように、女が画面から出てくるはずもないが上総は反射的に仰け反って画面から距離を取った。


 ――目の前の女は間違いなく人間ではない。


「プレゼントってのは、あの品のないゾンビもどきとイカレ魔術師のことか?」


「ちょっとしたお茶目よ。あなたが私のお仕事の邪魔をするから。ちょっと拗ねてみただけなのよ」


 美女は小指を噛みながらゾクリとするような流し目を送ってくる。


「ま、さっきの新宿駅の光景を見りゃ想像はつくが。アンタが、今回の事件の首謀者。そして新宿駅のダンジョンマスターと思って間違いないのか」


「ご名答よ。私は魔王五星将のひとり、水のグランバジルオーネ。頭の回転が速くて助かるわね。私がいつも使っているおバカさんたちと違って、さすがは勇者さまね」


「その使ってるやつってのが、おまえが俺にけしかけてきた、桑原たちのようなやつらのことか」


「濁さなくてもいいのよ。バケモノで充分でしょう」


 グランバジルオーネがそういった瞬間、黒瀬の瞳が凶暴な光を帯びる。


「……改めて訊ねる意味もないと思うが、クリスタル・トリガーを新宿にバラ撒いたのはおまえなのか?」


「そう、あなたのご想像通り。私はこの街に秘薬を配って人々をキメラの先兵に変えてマナを集めていたの。すべてはダンジョンコアを成長させるためにね」


「よくもぬけぬけと」


「勇者カズサ。あなたが知っているとおり、ダンジョンコアとはダンジョンを形成させる魔力の核であり、私たちの力の源泉でもある貴重なもの。キメラを使って万物に宿る生命エネルギーを蓄えることによって無限に進化し、その能力に底はない。私たちダンジョンマスターはその力を行使することによって、この世界における勢力をさらに拡大させることが目的なの」


「堂々と目的を喋るとは恐れ入ったな」


「どちらにしろあなたは来るのでしょう。私の城に。第一、あなたを呼ぶためにこうやって話しているのよ」


「宣戦布告とはな」


「私はあなたの持っている膨大なマナが欲しい。あなたは私の存在が許せない。白黒ハッキリさせたほうがお互いのためになるんじゃなくて?」


「舐められたもんだ」


「舐めてなんかいないわ。あなたがエルアドラオーネを倒したのは知っているわ。その上で逢いたいといっているの。そうね。もし私があなたに負けるようなことがあったら、奴隷にでもなんでもするといいわ。生かすも殺すも、それ以上の扱いも思いのまま……」


 貴婦人めいた物腰であったグランバジルオーネは妖艶な目つきで真っ赤な舌をチロリと覗かせた。魔族である証拠に舌先が蛇のように分かれている。


 強力なチャームの効果があるのだろう。画面に見入っていた組の男たちが、黒瀬を除いて呻く声が一斉に漏れた。


「この街を、この世界をおまえたち魔族の好きなようにはさせない」


「とてもクールね、勇者カズサ。あなたが来るのを待っているわよ」


 グランバジルオーネは椅子の上で長い脚を組み替えると挑発するように腕を組んで、豊かな胸を強調する。


 上総は輝くようなグランバジルオーネの美貌に向かって拳を突き出し、次いで親指を地に向けた。


 グランバジルオーネは一瞬驚いたような表情を作り、それから喜悦をあからさまに浮かべた。







「ん。機関の調査によると秋葉原のときと同じく、新宿駅とその半径五キロ圏内に、あちら側のものとしか説明のできない正体不明の怪物たちが多数出没。特に、駅構内においての怪物出現頻度からして今回の事案の危険度は特Sクラス。で、あたしたちの出番ってわけね」


 幾分、水の引いた小田急百貨店を臨む中央通りで、紅はスマホを駆使して周囲の情景を撮影しながらそういった。もちろん彼女が撮影しているのは機関に情報を送るためであって、重度のSNS中毒者というわけではない。


 そもそもが、周囲は国によって完全な規制がなされ、上総たちを含む数名の関係者を除けばまったくの無人であった。


「で、リュウさん。最後にもう一度だけ聞くけど、考え直す気はないか」


 上総は機関の人間が小型のホバークラフトを軍用トラックから運び出しているのを横目で見ながら問うた。


「ああ。ハッキリいえば、もう、この次元は一介のヤクザであるオレがかかわっていいようなモンじゃねぇことくらい承知の上だ。その上で、首、突っ込ませてもらうぜ」


 黒瀬は物憂い表情で水没しきった新宿駅の異様な光景を見つめながら唇の端で咥えていたタバコを吐き捨てた。吸い殻は放物線を描いて水溜りに落ち、ジュっと鳴った。


 リリアーヌとクリスは紅を囲んでしきりにホバークラフトに関しての説明を求めている。


「オレらのシマを荒らされた上にやりたい放題やられちゃあな。それに桑原は阿呆でもオレの舎弟には違いねぇ。この新宿でワケのわからんクスリをバラ撒いておいて、その上に駅までこのありさまだ。シノギにだって影響がある。どうあったって、オレぁ上総がいう、この一件の黒幕であるダンジョンマスターとやらの顔を拝まにゃあならねぇのよ」


 上総はニュース中継視聴のあと、黒瀬に対して一連の事件についてのあらましと、自分なりの推測を説明した。


 その結果として黒瀬は自ら新宿ダンジョンに同行するといい出したのだ。


「そう難しい顔をしなさんな。要は簡単だ。クスリを流してた黒幕が、駅の中にいる。オレも上総もそいつをぶっちめてぇだけなんだ。単純だろ?」


「なんか、リュウさんと話してると、難しく考えよう考えようとする自分が馬鹿らしくなってきますよ。ああっ、いい意味でね!」


「ま、異世界だのなんだのは、ゲームやアニメの中だけだと思ってたが、生きてりゃいろんなことがあると思って腹括るしかねぇ。それと、オレが足手まといになったら、切り捨ててくれて構わんぜ」


「いわれなくてもそうするわ」

「紅――!」


「嬢ちゃんはシンプルでいいな。もちっと年が上なら是非ともおつき合いを申し込みたいところだ」


「結構よ。オジサンはそこの社畜崩れ一匹だけで十分すぎるわ」


 黒瀬は野太い笑みを浮かべるとニヤニヤしながら上総と紅を順番に見た。聡い紅は黒瀬の意図に一瞬で気づくと、用意されたホバークラフトを指差し高らかに宣誓した。


「と、とにもかくにもこのヤマはあたしたちのもの。白河組、出動よ!」


「応よ」

「了解ですわ」

「お任せくださいー」


 上総はノリのよい仲間たちを見ながら準備を終えて帰ってゆく自衛官たちにぺこりと深く頭を下げた。






 新宿駅――。


 一日平均の乗降者数は三六〇万を超え圧倒的に世界一を誇るモンスター駅も、今や正体不明の敵によって、その全容を著しく変貌させられていた。


「わー、すごいです。姫さま、ほらほら。あんなところにお魚さんがっ」


「本当です! カズサさま、クリスがいうとおり、あそこです。あそこにお魚さんたちの群れが――」


 幾分水の引いた西口中央広場から突入した上総たちは、新宿駅を今や支配したダンジョンマスターによって変えられた無限に続く駅構内をホバークラフトで移動していた。


 長々と伸びる連絡通路はわずかに傾斜がついており、上総たちは狭い川を遡行するように進んでいた。


 小回りが利くことを重点的に作られたこの上陸用舟艇は上総たち五人が乗り込んで荷物を積めばいっぱいの広さである。だが、リリアーヌとクリスは無邪気に水エリアと化した構内をすいすい泳ぐ魚たちのウォッチングに余念がなかった。


「あのねぇ。あんたたち。あたしたちはダンジョンを攻略に来てるのよ。幼稚園の遠足じゃないんだから」


「とかなんとかいいながら紅もはしゃぎたいんだろー。オレっちにはわかるっての。いるんだよねー、こういうノリ遅れた腹いせに嫌がらせをいうやつぅ、ひぎぃ!」


「外道丸。相も変わらずアンタは突入直後にリタイアフラグを立てまくってるわね」


 紅は外道丸のしっぽを掴んで船の縁から水面へと近づけたり遠ざけたりを繰り返す。


(が、確かにリリアーヌとクリスがはしゃぎたくなる気持ちはわかるぜ。駅構内は思ったほど水深がない。船を降りて進めなくもないな)


 今回は最初から聖剣持参である。上総は聖剣を抱えながら異様なほど青く澄んだ水面をジッと見つめ続けた。


「しかし、この通路はこんなに長かったか? 正直、向こう側を見るだけで頭がおかしくなりそうだ」


「リュウさん。もう、ここは新宿駅であっても日本じゃないと考えて欲しい。世間一般の常識は通じませんから」


「は、極道であるオレが堅気のおまえさんに諭されるなんざ不思議な気分だぜ」


「ははは――?」


 和やかに談笑していた上総は前方に凄まじい勢いで迫ってくる生物の気配を感じ、不意に立ち上がった。


「来ます。リュウさん、気をつけてください。紅、リリアーヌ、クリス! 戦闘準備だ!」


 空気を押し出す後部のプロペラ音に負けないくらいで上総が吠えると同時に奇怪なダンジョンモンスターたちが一斉に襲いかかって来た。


「なんだありゃ! 空飛ぶ、イカ?」


 事務所から持ち出した日本刀の鞘を払った黒瀬がとまどったように目を見開いた。


 はるか前方から飛来する青白い全長二メートルほどのイカの群れは、体内に貯えた水を噴出させながらロケットミサイルのように突っ込んで来る。


「勇者さま。フライ・スクイッドですっ。このままでは船が切り裂かれます――!」


 クリスが舳先で構えながら叫んだ。


 フライ・スクイッドは異世界ロムレスでは主に地底湖で活動するイカモンスターである。彼らのひれは異様に鋭く不用意に触れれば人間の腕など簡単に切り落としてしまうほど鋭利であった。


 上総は低く唸ると瞬時に決断した。


「リリアーヌっ。いきなりで悪いが、デカいの一発かましてやってくれ!」


「お任せくださいませっ」


 上総の命令によってリリアーヌがクリスと場所を入れ替わり呪文を詠唱しはじめる。


「ろーむ、ろむ、ろむ、れむす――」


 本来であるならば、召喚魔術の回数制限があるリリアーヌの技はできるだけ節約しておくのが暗黙の了解であったが、上総は敢えて初戦で惜しみなく使用することにした。


 フライ・スクイッド自体は確かに動きの素早いモンスターであり、その刃のようなひれも危険であるが、上総の身体能力からいって真正面から叩き落すことは不可能ではない。上総が恐れたのは、目の前のイカ軍団が万が一にもホバークラフトのスカートと呼ばれるゴムクッションを切り裂かれて航行不能に陥ることであった。


「おいでませっ。地獄の大公よ――!」


 リリアーヌは豹の姿をした精霊ハウレスを召喚すると、ましっぐらに突貫して来る二〇杯を超えるフライ・スクイッドに巨大な火球をお見舞いした。


 ぼひゅっぼひゅっ


 と重低音を残して火の玉は放物線を描いてイカの群れに殺到した。


「ぐ――づ!」


 上総はフライ・スクイッドにぶつかって生じた巨大な爆風からみなを守るため前方に出て聖剣を構えた。


 勇者にのみ扱えるとされる聖剣ロムスティンの刀身から青白いバリアが生み出された。魔力の保護膜は一瞬でホバークラフト全体を覆う。


 爆発によって吹き飛ぶイカの破片や通路や天井のコンクリ片はバリアにぶつかってすべて弾かれた。


(やった、か?)


 上総が水煙の収まった前方を見やると、ハウレスの炎をものともせずに飛来する巨大なイカのバケモノを見た。

 あの速度とパワーでは聖剣のバリアは押し破られる可能性が高い。


 上総は聖剣を担ぐようにして構え直すと、自分目がけて飛んできたフライ・スクイッドに向かって水平に払った。


「んんん――ぎいいっ!」


 がちり、と奥歯を力強く噛み込んで聖剣をフルスイングした。フライ・スクイッドは上下に切り分けられると真っ黒な墨をぶしゅーと吐き散らしながら激しい水煙を立てながら落下した。


「ったく、おとなしく焼かれてりゃいいのによ。イカのくせに骨のあるやつだったぜ」


「ちょっと待って」

「お、ととと。なんだなんだよ」


 フライ・スクイッドの親玉らしきものを排除していい気分になっていた上総は紅の制止の声で我に返った。


「ほら、そこ。あんたが今やっつけたイカのバケモノの触腕に、なにか光るものが」


「んーどらどら」


 ホバークラフトのエンジンを止めて上総は目を凝らした。


(この状況で、前みたいなイルカ軍団が出現しませんよーに)


「おっと、勇者さま。ここはひとつ出番のなかったクリスめにお任せあれ」


 いうが早いか、クリスは積んであったロープで器用に投げ縄を作るときらきら光る目標物にひょいと投げた。


「おお、的中!」


 見事投げ縄は触腕にひっかかるときゅうと縮まった。上総が感嘆の声を上げるとクリスは鼻息も荒く船縁で胸を張る。


「ふふーん。クリスは万能なのですよう」

「さすがわたくしのクリス。とても上手ですわ!」


「遊んでんじゃないわよ、まったく」

「てか、なんだこりゃあ。でっかい指輪か?」


 黒瀬が回収した輪っかをしげしげみながらつぶやく。

 クリスがイカの触腕から引き揚げたリングは普通車両のステアリングほどの大きさであった。


「これなんに使うんだろ」


 上総が顔を近づけると黒瀬がリングを手渡してきた。特に警戒することもなくリングに指先が触れる。さける間もないスピードでリングは収縮すると上総の右手首にカチッと嵌まった。


「な、なんだ? なんだ――!」


「カズサさま、これは呪いのアイテムに違いありませんわっ。早くはずしてくださいましっ」


「こ、こうなったら私が勇者さまの腕を切り落としてでも――!」


「混乱してんじゃないわよっ。とにかくあんたたたち、ちょっと落ち着いて」


「え、ちょ、ちょちょちょ、マジではずれねぇでやんの! く、このっ――わ!」


 上総が右手首のリングをどうにかはずそうと右往左往すると、リングは白く輝き人差し指からびゅーっと真っ黒な液体が噴き出した。まごうことないイカ墨は澄んだ水面を真っ黒に汚し、あたりは瞬く間に汚れ切った。


「わ、なんか出た」

「墨ですわ」

「墨ですねぇ」

「墨ね」

「墨だねぇ兄さん」


 三人娘と外道丸が目を点にしてボソッとつぶやく。黒瀬は困ったような顔で上総の顔を見た。


「勇者さま。どうやらこれが今回のドロップアイテムらしいですね」


 クリスがくりっとした瞳を輝かせて顔を覗き込んで来る。


(いらねーよ、こんな微妙過ぎるアイテム)


 なにやら幸先のよくないダンジョン攻略のスタートであった。



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