39「高架上の戦い」

 上総はかいつまんで今現在新宿で蔓延っているクリスタル・トリガーの話をりんに聞かせて、彼女の兄である桑原洋治の居どころを訊ねた。


 無論、その薬の効果である怪物変化に関しては濁してだ。りんは苦虫を噛み潰したような顔をすると無言で首を左右に振った。


「俺は君のお兄さんの組とは関係ないが、理由があって彼に会わなければならない。それにこのまま放っておいたら、君のお兄さんはますます悪くなってゆくだけなんだ」


「確かに、兄さんは体調が悪そうだったけど……自分が今どこでどうしているかとか、そういうことは全然教えてくれなかったわ」


「うーん、そっかぁ。そうだよなぁ……」


 聞いておいてなんだが、明らかに追われている桑原が立ち寄り先の妹に自分の潜伏先を教えるはずがないのだ。


「じゃあ、アレだ。ヒント。なんかヒントみたいなワードを残していかなかったかな?」


「さあ。兄さんはあたしに調子はどうだ、とかそういった世間話程度のことしか喋らなかったし、訪ねて来ていくらもしないうちに、そこでゴロリと横になって寝てしまったからわからないわ……」


「んー、だよなぁ……」


 両腕を胸の前で組んで唸る。もしかしたら都合よく、次のステージに進む手がかりなどが聞き出せるかと淡い期待があったのだが、現実はどうもそのようにいかない。上総が天井を向いたまま唸っていると、りんはぷっと小さく吹き出すと笑っていた。


「な、なんだよう」


「だ、だって、あなたあたしのいったことぜんっぜん疑わないんだもん。それで本気で考え込んでるのが、なんか、笑えて」


「え、え?」


「兄さんもお人好しだったけど、あなたも相当なものよね」


「あのなぁ」


 ふたりの間に和やかな空気がふわっと流れ出た直後にそれは起きた。


 早朝の住宅街に似つかわしくない男たちの怒号と悲鳴がドッと上がった。


「な、なんだ!」


 立ち上がりざま上総は全身が総毛立つのを感じた。間違いなく、普通の人間をはるかに超える尋常ではない邪気が表に立ち込めている。ものが強力な力で破壊される音が響いて、散発的に放たれた銃声まで聞こえてきた。


 そう思った瞬間、奥の窓ガラスが粉微塵に砕けて黒い塊が上総目がけて突っ込んできた。


「くっ――」


 咄嗟に両腕を顔の前にクロスさせて直撃のダメージを減らすため、腹部へと魔力の薄皮を張って防御する。


 どずん


 と巨大な鉄の塊のような体当たりに上総は小さく呻いた。咄嗟に防御陣を張らなければ生身のままでは悶絶コースであろう直撃弾である。上総はそのまま後方へ吹っ飛ばされながらドアごと廊下へと弾き出された。古めかしい鉄扉が楽々とふたつ折りになる強烈な衝撃だった。


「ぐ」


 上総は廊下の鉄柵ごと宙に舞った。


 ――このまま急降下し地面に押しつけられれば重傷だ。


 咄嗟にそう判断した上総は突っ込んできた黒い塊を蹴り飛ばした。どうにか距離を取ってトンボを切り地上に着地した。


 さすがにこれだけの猛烈な攻撃を喰らっては無事ではすまない。激しく咳き込みながらその場に片膝を突く。


「上総、大丈夫っ?」

「カズサさま、お怪我は――!」


 アパート前では紅たちが待ち構えていた。


「平気だ。って、こりゃあなにがあったんだよ」


 上総が驚くのも無理はない。あたりには黒瀬の舎弟たちが傷つきあちこちに倒れていた。


 離れた場所で拳銃を手にした黒瀬が荒く肩を上下させていた。額がザックリ割れているのか顔の右半分が血に染まっている。


「リュウさん――! その怪我はッ」

「オレはなんてことねぇ。それよりも上総っ。上だ!」


 上総は黒瀬の言葉を聞くよりも早く上空から急降下して来る存在に向かって素早く着ていた上着を投げつけた。


 それが一瞬の目潰しになったのだろう。わずかであるが黒い塊が怯む。上総は身体をたわめて跳躍すると五メートルほどの高さで敵を迎撃した。


 右足をしならせて蹴りを放った。スーツの上着に絡まった塊に魔力で強化された上総の右足が深々とめり込んだ。


 げえっ


 とカラスが呻くような声がして黒い塊はアパートの屋根へと逃げた。


「逃がすかよ」


 上総は鉄柵に片足をかけると敵を追って屋根へと飛び移る。


「おまえは……!」


 ――それは早朝の住宅街にふさわしくない異形の怪物だった。


 身長は二メートルを超えているだろう。爬虫類のように全身が黒い鱗でびっしりと覆われている。頭部はカモノハシのようにくちばしが平べったく大きいが、ファンシーさと全身から放射されている邪気がアンバランスで不気味さに拍車をかけていた。


 上総は今更このような事態で我を失うような男ではない。問題は、目の前のカモノハシ怪人が小脇にりんを抱えていることだった。


「その娘を放せ」


 言葉をかけると同時にカモノハシ怪人はガルバリウム鋼板の屋根をめきりと凹ませながら逃走を開始した。


「あ、待てよ、この――!」


 砕けて飛び散る鋼板の破片をかわしながら追撃がはじまった。上総は超人的な身体能力を駆使して怪人を追いかけて跳ぶ。


 カモノハシ怪人はその巨体からは想像もできぬ素早い動きで住宅の屋根から屋根へと飛び移りながら凄まじい勢いで移動してゆく。


 跳躍。

 跳躍。

 跳躍――。


「ほっ、とっ、たっ、あ――やべっ!」


 元勇者である上総はバッタのような跳躍力で逃げる怪人を追うのだが、悲しいかなそこに人間の限界がある。


 カモノハシ怪人は足裏に無数の突起があるので屋根に飛び移ったとき、しっかりと重心が固定されるので体幹がブレることがない。一方、上総は通勤用の革靴なので、着地するたびに身体が斜めになり屋根からすべり落ちそうになる。


 苔の生えた屋根瓦をすべりながら雨どいまで落ちると、無理な態勢で踏ん張って跳ぶので自然差が離れてゆく。


 完全に理解していたがクリスタル・トリガーをはじめとする一連の事件は間違いなく異世界側がかかわっている。


「てか、テメーみてぇなバケモノが地球にいるわけねないだろっ」


 上総はガガガッと屋根を駆け下りながら宙に舞った瓦を掴んで魔力を込め、前方をゆくカモノハシ怪人目がけて投げつけた。


 魔力を帯びた瓦は放物線を描いて飛翔すると三十メートルは先行していた怪人の左肩に直撃した。


 ただの瓦ではない。魔力でコーティングしているだけあって刃物のようによく切れる。バッと赤黒い血飛沫が舞って怪人の動きが止まった。


「つーわけでサーバルちゃん、君に決めたっ!」


 上総は前回秋葉原ダンジョンのガチャガチャマシーンから手に入れた『リーゼントアニマルシリーズ』の『サーバルキャット』を繰り出した。


 このカプセルトイに封じ込められた獣は、某ポケッツモンスターのように主人の意志によって放たれ戦闘の手助けをしてくれるお役立ちアイテムである。


 大きな耳が特徴で全身に黒い斑点があるサーバルキャットは素早くカモノハシ怪人の目前に立ちふさがると牽制のため鋭く吠えた。


 魔獣の範疇にあるサーバルキャットは当然ながら跳躍力を含めたあらゆる身体能力が強化されており、足場の悪い屋根の上も自由自在である。このような生物を見慣れなかった怪人は無理な戦闘を嫌ってかついには地上へと飛び降りた。


「今度は下かよ。絶対に逃がさないからな」


 上総は十メートルを超えるであろうマンションの配管を直滑降に駆け下りながら車道を走ってゆくカモノハシ怪人を追跡する。


「おわっ、なんだ!」

「バケモンだよ!」

「どわーっ。あぶねえええっ!」


 通勤時間帯が幸いしたのか広い車道にはノロノロと渋滞で留まっていた車両が駆けてゆくカモノハシ怪人の餌食となった。やわらかいボンネットの上を怪人が乗り降りするたびに、ドライバーや街の人々が騒ぐ。上総とサーバルキャットもカモノハシ怪人を追って駆けるが凹まされた車両の上をさらに行くのはさすがに気の毒で気が引けるのでわずかにスピードは落ちた。


「えへへ。すいませんね」


 綺麗に磨き抜かれた国産高級車のドライバーに愛想笑いをしながらぴょんぴょん跳ねてゆくとカモノハシ怪人は次第に日暮里駅へと進路を向けた。沿道の通勤者たちはにわかに起きた上総たちの活劇を逃さじとばかりの勢いで盛んに撮影している。


(こりゃあとで絶対WEBに流されるな。あとで紅に情報統制してもらわんと)


 ついに上総は日暮里・舎人ライナーの高架上へと跳び上がった。


 カモノハシ怪人は小脇に抱えていたりんをその場に横たえると、巨大なくちばしを二度三度開閉して虚ろな目で上総を見た。


「桑原洋治だな」


 当て推量であるがカモノハシ怪人――桑原は注意していなければ気づかない程度にうなずいた。


「その子はおまえの妹だろう。一体どこに連れてゆくつもりだったんだ」


「――黒瀬の兄貴には悪いことをした」


 その姿形からは想像しえない極めて理性的な声だった。


「よくやった。戻れ」


 上総はカプセルトイを向けて念を込めた。カプセルから青白い波動が流れてサーバルキャットの身体に降りかかる。次いで獣の身体は光とともにカプセルに戻った。


 上総は桑原から視線を切らずに一連の動作を行うと、いつでも攻撃に移れるよう半身を開いた。


「俺は雪村上総。ちょっとした縁があって今回の事件にかかわらせてもらっている。なぁ、桑原さん。アンタをそんなふうにしてしまったのは、やっぱりあの薬なんだろう」


「そうだよ。クリスタル・トリガーのせいだ。僕だって、はじめはこんなものを使い続けるつもりはなかった。ただ、四鷹会のシマで中国人とやり合った際に下手を打ってしまって、気づけばヤクを決められてこのありさまだ。なあ、知ってるか。コイツを打つとな。頭ン中がぱぁーっとするんだ。真っ白な花火で自分のすべてが埋め尽くされて、嫌なことぜーんぶ忘れられる。トリガーだよ。頭の中で強烈な銃をぶっ放すんだ。何度もやめようと思ったけど、ああ、この快楽を知っちまったら、もう無理だな。ホント、兄貴には悪いが……僕はもうそっち側には戻れないって伝えてくれ」


「りんは、アンタの妹だろ。どうするつもりだったんだ」


 上総が訊ねると桑原はぐっと激しく呻き右腕で自分の頭を掴んだ。


「――声がするんだ。良質なマナを集めろって……この声には……逆らえないんだ……誰を連れてゆけばいいかは……声が教えてくれる。それに、マナを集めれば、また、またクスリが……もらえもらえもらえ、もらえ、もらえるんんだあああっ!」


 異形の怪物と化した桑原は途方もない大声で叫ぶと右腕を振りかぶって襲いかかってきた。


 振り下ろされた桑原の右腕。シオマネキのように一瞬にして巨大化した。


「ぐっ――!」


 上総は打ち下ろされた右拳を寸前でさけると、桑原の左に回ってガラ空きの脇腹へと右ストレートを叩き込んだ。


 魔力でコーティングされた上総の突きは桑原の巨体を軽々と浮かせて五メートルほど後方へと吹き飛ばした。


(カテぇ。鋼鉄を殴りつけたみたいだ。クソ、こっちはおもクソ魔力込めてるってのに)


 上総は見かけは細いが拳は下手な力士やレスラーよりもはるかに大きい。握り込んだ拳骨はコンクリートくらいは軽々と砕くが、強化された桑原の硬度が勝っていた。


 思考する暇を与えない動きで後退した桑原が再び突っ込んで来る。


「勝負ってのはな、力や重さだけじゃ決まらんぜ」


 上総は右拳に刺さった桑原の全身を覆っている鱗を引き抜くと不敵に笑った。


 桑原は一気に距離を詰めると、今度は両腕で掴みかかってくる。


 逃げずに迎え撃った。


 だんっ


 と高架を蹴って自ら突っ込んだ。


 上総は桑原の懐に入り込むと半回転した。


 左手で桑原の右手首をがっしり掴み、右腕をかける。


「うおおおおっ」


 上総は一本背負いの体勢になると勢いを利用して投げを打った。


 桑原の巨体は地響きを立てながら高架に叩きつけられると、二度三度跳ねてはるか前方へと転がってゆく。


 破壊されたコンクリ片や砂埃が濛々と立ってあたりに白い霧を作る。


 上総は追い打ちをかけるように吹っ飛んだ桑原へと飛び膝蹴りを放った。


 仰向けになったままの桑原はなんの防御姿勢も取ることはできない。そもそもが過剰なダメージで一時的にスタン状態に陥っているのだ。真っ黒な瞳。強烈な怯えがあった。


 情け容赦なくダメ押しの一撃を叩き込んだ。上総は桑原の鳩尾目がけて膝を叩き込むと、絶叫を聞きながらチョークスリーパーに移った。


 上総のシャツがみちみちと膨れて今にも敗れそうになる。桑原の巨木を思わせるような太い首に回された腕が一気に絞り上げられた。


「むん」


 桑原が巨大な腕を以てして上総を引っぺがそうとするが、万力のように食い込んだ上総の腕がギリギリと喉を締め上げているために普段の半分の力も出せないのだろうか、状況は変わらない。


 さらに力を込めようと上総が右腕を引き上げようとすると、桑原の首は前触れもなく


 ずるり


 と落ちた。


「どわっ!」


 さすがの上総もこれには驚いた。しまった、力を入れ過ぎたかと後悔する暇もなく桑原は軽やかに立ち上がった。


 確かにカモノハシそっくりの首は落ちたのであるが、それは昆虫が変態するために残した抜け殻のようなものだった。


 桑原の顔は剥きたての玉子のようなものに変貌していた。


 目鼻はなく、人間の皮を剥いだ形相で桑原は上総をひと睨みすると口元からぶっと黒い墨のような液体を吐き出した。


「ぐっ。こ、こりゃなんだっ」


 液体は高架上に散らばると濛々と真っ黒な霧を立ち昇らせ上総の視界を封じる役目をした。遁走する前準備だ。


 ぬっと黒い霧の中から長い腕が伸びる。りんを奪われてはならじと上総は素早く手刀を叩きつけて桑原の右腕を切って捨てた。


 耳朶を打つ激しい叫び声とともに高架を揺らしながら遠ざかってゆく気配を感じた。


「逃がしたか」


 上総は横たわったりんを抱え上げると桑原が去っていった方角を、どこか物悲しげな瞳で見ていた。


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