38「招かれざる客」
「ん、住所は間違いなくここね」
紅のスマホ地図アプリに従って上総たちは桑原の妹である源氏名ナホトカこと兎島りんの住むアパートにたどり着いていた。
上総たちは『カフェ・ボルケーノ』一旦解散すると最寄り駅で集合し、学生であるりんが在宅しているであろう早朝を狙ったのである。
始発で動いたので道行く人もまばらである。上総は茶色の雑種犬を散歩させる老人に道を譲りながらグッと視線を上に向けた。
「日暮里かよ……」
上総は『グリモワールキングダム』で美麗なメイド服に身を包み、生き生きと働いていたりんの姿を目蓋に思い浮かべた。りんと目の前にあるアパートの雰囲気がそぐわないのだ。
それくらいに、りんが住むアパートは華やかな都心にあるとは思えないほどの劣悪な部類に入るものであった。
「なによ上総。日暮里のどこが悪いの? 古来よりある繊維の街よ」
「いや、別に日暮里がどうこうってわけじゃなくてだな」
「兄さん、兄さん、紅ってば実は手芸が好きでよくひとりで買い物に来てんだぜー」
「余計なこといわないっ。それじゃあたしが寂しいやつみたいじゃない」
「酷っ。オレってば真実を告げただけなのにィ!」
紅がポカっと外道丸の頭を叩く。それを見ていた黒瀬があくびを噛み殺しながら伸びた不精髭をゴリゴリと掻いた。
「で、どーでもいいが、なんか人数が増えてるんだが」
「リュウさま、姫さまを仲間外れにしちゃイヤン、なのです」
「ですわ!」
黒瀬の大きな背に隠れるようにしてクリスとリリアーヌが元気いっぱいの声で答えた。
もちろんことクリスはメイド服でリリアーヌは純白のドレスを纏っている。
普通の住宅が密集する地域では異質過ぎた。
「すまないリュウさん。こいつらどーしてもついて来るって聞かないもんで。ただ、腕のほうは知ってのとおり相当に立つから」
「そういえばそっちのお姫さまはラーメン屋で会ったな。まあオレとしては目的が果たせりゃんなんでもいい」
「んんーっ。ついに大捕り物ですかーっ。わたくしの腕が鳴りますわよ!」
「姫さま姫さま、クリスも及ばずながらお手伝いしますーっ」
リリアーヌはグッと両腕に力を込めて気張っている。
クリスはクリスで意外に素早い正拳突きをぼひゅっぼひゅっと繰り出しながら構えを取っていた。
「……それじゃあ姫さんたちはウチのもんと外回りを張っててもらえねーか。万が一に備えてだ。オイ」
黒瀬が目配せをすると、舎弟らしき男たちが四人ほど無言で散ってゆく。全員が二十代前半と若く、服装もいたってシンプルなのはその筋の者であることを隠すために黒瀬が指示していたらしいが滲み出る暴力の気配のようなものは消せていなかった。
「上総。オレの顔見たら桑原の妹は通報しかねない。おまえが先に行ってくれ」
「おう、任せてください」
「あら、よかったじゃない上総。アンタの顔ならなにかあっても手配書作りにくいでしょうしね」
「なにがいいたいんだよ、紅」
「人畜無害だっていってるのよ」
「……自分は人畜有害のくせに」
「……」
「いでっ。無言でケツを蹴るなよっ」
「兄さんも紅もよう。黒瀬のアニキが呆れて見てるぜー。オレっち恥ずかしいぜ」
上総はブツブツ文句をいいながら部屋のブザーを鳴らした。味も素っ気もない音が鳴るが室内からは誰も出てくる様子がない。
上総が一種常識外れともいえる紅たちの暴走じみた朝駆けを止めなかった理由のひとつに、りんの身の安全を図る必要性を感じたことにあった。使用したことによって人体を人間ならざるものに変えることができるクリスタル・トリガーの存在。四鷹会の準構成員であり今や追われる身となった桑原洋治の妹となれば立ち寄っている確率が高い上に、なんらかのゴタゴタに巻き込まれている可能性は高かった。
昨晩の黒瀬の話からすると、桑原洋治は自分の身の上をまったく話そうとせず、そのために四鷹会として、まず最初にやらなければならなかったのはクリスタル・トリガーの売人を抑えることであり、桑原の妹であるりんの存在はある意味盲点であった。
「出ないわね」
紅がふむんと小首をかしげ不満そうに鼻の頭へシワを寄せた。
「……リュウさん。桑原にはほかに立ち寄りそうな友人とか恋人とかいなかったのかな」
「最初にヤサ。次にアイツのイロだったキャバ嬢に当たった。けどな、そもそもが一緒に暮らしてた女ですら桑原が誰かと連絡を取り合ったりしている場面を見たことは一度もなかったといっていた。アイツはとにかく陰気で組内でもロクすっぽ口を利こうとはしなかったが、いいつけだけはよく守ったからな」
黒瀬は桑原の名誉を傷つけないようにして、上総たちに人となりを説明した。上総はその風貌に似合わぬ細やかな神経に好感を抱く。
(きっと、こういう部分が人を惹きつけるカリスマってやつなのかな?)
「ふぅん。桑原って人、上総と同類じゃない。でも仲よくはできなかったんじゃないかしら。似た者同士は反発し合うっていうし」
「俺はすっごく社交家だと自分では思ってるんだが」
「それは、錯覚」
「そんな……!」
話している最中に室内でガタガタと物が動く音が聞こえた。ガチャと小さく扉が開くとドアチェーンとの隙間に兎島りんの警戒しきった瞳が光っていた。
「よ――どわあっ!」
上総が自分のことを覚えているかと、まずそこから話をはじめようかと唇の口角を上げるなり、素早くドアが大きく開いた。次いで外されたチェーンから現れたほっそりとした腕に電光石火の勢いで内側に引っ張り込まれた。
「は?」
「上総? ちょっと上総! アンタなにやってんのよおおおっ」
バタンと閉じられたドアの向こう側で紅の間抜けな声がくぐもって響いた。上総は勢いよく引かれたことでバランスを崩して土間に顔を埋める形で突っ込んだ。
「あ、あのなぁ。なにすんだよ……って!」
「アンタ、あのヤクザたちの仲間だったのね……!」
ひたり
と首筋に冷たい刃物の感触を覚え背筋に嫌な汗が流れた。
「騙したな騙したな騙したな騙したな――! いい人だと思ったのに。あんたを一瞬だけカッコいいって思っただなんて、あたしは自分で自分が許せないっ」
「わ、ちょっと待った。ウェイ、ウェイ、ウェイトぉおお! 俺は君を助けに来たんだ――ッ!」
「助け――?」
必死な叫びに一瞬だけ包丁を持ったりんの集中力が途切れる。それを見逃す上総ではない。素早く中指と人差し指だけで首筋に添えられた包丁を掴み取ると、頭上に跳ね上げ手刀一発で叩き割ってしまう。
「え」
登校の準備をしていたのか制服姿のりんが固まった。
あたりまえである。プレスで打った大量生産品の文化包丁であってもまるで漫画のように手刀一発で真っ二つに割ることができるはずがないのだ。だが割れた。現実問題として上総は割って見せた。
敵対心、恐怖、怒り、混乱などあらゆる負の感情で覆い尽くされていたりんの心中に一片の隙が生じた。
そこに上総は
するり
と入り込むような笑みを不器用に浮かべた。
「とりあえず話だけでも聞いてもらえないかな?」
――特に笑うということが得意なわけではない。
上総たちがりんを訪ねたのはクリスタル・トリガーによって生じた危険から保護する意味合いもゼロではないが、基本的に仕事に関した手前勝手な理由が大きい。
だが、上総は目の前で怯えた子ウサギのように震えているりんを見たときに、調査の意味合いだけでは割り切れない感情が確かに生まれていた。
ドアの向こうではノックする音が徐々に大きくなり、狼狽しきったような紅の声が大きくなる。
「ちょっとお! アンタ、ここ開けなさいよーっ。上総、もしかしてその子の弱みにつけ込んで朝っぱらからいやらしい真似してるんじゃないでしょうねーっ」
「ええっ。それは本当なのですか、クレナイさま? ゆ、ゆ、勇者さまの色情魔!」
「カズサさま? もしそういった劣情を催したのであるならば、不肖このわたくしが王家の誇りにかけてすべて受けとめて見せますからお気を確かにーっ!」
「わああっ。紅もみんなも朝からご近所さんに聞こえるようなこと叫ばんでくれよーっ。オレっち恥ずかしくて顔から火が出そうだぜえええっ」
紅たちはいつもどおりの平常運転だ。
(つーか、普通に恥ずかしいんだが)
上総はドアを激しく蹴り上げるたびに鳴る音に無常を感じた。
「……ちょっと警察に電話していいかな。表で不審者が騒いでるって」
「え、え」
りんはとまどいながら青筋を立てて静かに怒る上総の顔をジッと見つめていた。
「ふうっと。とりあえずはこれでよし、と」
上総はロインで紅に、一同外で静かに待機するよう命ずるとようやくひと息吐いた。
耳を澄ませればドアの前で息を潜めている少女たちの気配が強烈に伝わってきたので、とりあえず離れて部屋に上がる。
「で、だ。こっからどうするかだな」
部屋の隅でくまのぬいぐるみを抱えたまま怯えているりんの姿が目に映った。メイド喫茶では明るくはきはきした接客を行っていた彼女は不振の籠もった目で上総を見つめていた。どうやらりんは恒常的に兄である桑原関係のいざこざに苛まれて育ったらしく、隙間から見えた黒瀬の姿を異様なまでに忌避していた。
「来るなっ」
「お、落ち着けって。俺のこと覚えてるか?」
「ヤクザの仲間」
「違うって」
「じゃあ首謀者?」
「あのなぁ」
「あたし、身体を売ったりなんて絶対しないんだから」
「はぁ?」
「人のいい振りをしておいて、あたしが隙を見せたらガブッといくつもりだったんでしょう。最初から。知ってるんだ。アンタみたいな人畜無害を装った草食系ほど鬼畜なぷれいを好むって……兄さんがなにをしたかなんて知らないけど、あたしが、あたしがそんなことの尻拭いなんてする責任まったくないんだから……」
「とりあえずいっておくけど、俺は君に兄さんの肩代わりをさせるために朝っぱらからやってきた借金取りでもヤクザもんでもないから安心してくれ」
「じゃ、じゃあ、なんなのよ……」
「うん。とりあえずなにから話せばいいか」
アパートの部屋は和室であった。張替えを随分と行っていないのか畳はかなり古びていたが、手入れが行き届いているのか不潔さは感じられない。りんは立っている上総に向かって座布団を差し出して来る。その挙動はしつけが行き届いており、家の貧しさを補ってあまりある高い品性を上総に感じさせた。
(俺は招かれざる客だってのに。やっぱ、この子いい子だな)
「ども、ありがとな」
「ん。別に、このくらい……」
座布団に座るとりんは素早く席を立ってちゃぶ台に飲み物を入れたマグカップを用意した。アニメ調の猫や犬が踊っているいかにも若い少女が好みそうなかわいらしいものだ。
「あの、アイスコーヒー嫌いだった?」
上総が黙ったまま正座していることを出した飲料が口に合わないものかとりんが心配して聞いてくる。
「あ、いや、そんなことないよ。いただきます」
喉が渇いていたのでやたらに美味く感じる。上総が喉を鳴らしてグビグビとアイスコーヒーを飲み干すと、りんが無言でタバコ盆を脇に寄せてきた。
「俺は吸わないから。――そうか、来ていたんだな」
紅の調査情報からりんの家が母子家庭であることはわかっていた。彼女の養父は三年ほど前に鬼籍に入っていた。
そしてこの部屋に入ってすぐであったが、タバコのにおいが確かにあった。この嫌煙大正義のご時世で部屋内で堂々とタバコを吸う女性はあまり考えられない。
(メイド喫茶で彼女が接客したときはタバコのにおいはまるでしなかった。常習的な喫煙者は隠せたと思っていてもタバコの臭気はそう簡単に隠せるようなものではない。となれば、決めつけではあるが部屋に残っているタバコのにおいは世間一般の枠からはずれた男――すなわち、桑原洋治のものだ)
「決めつけられるのは好きじゃない。もしかしたら、あたしの彼氏が喫煙者かもしれないじゃない」
りんは形のよい唇を吊り上げてわざと意地の悪い表情を作ろうとしていたが、失敗していた。上総から見れば、りんはどこか泣くのを我慢しているように見えた。
「少なくとも君は恋人であろうとマナーを平然と破る人間を許す種類には見えないな」
りんは上総にいい込められたのが不満なのか、ぷくっと頬をふくらませそっぽを向いた。
「すまない。まず最初に謝らなきゃいけないよな。ほとんど初対面の俺が朝から貴重な時間を使わせてしまってすまなかった。その上で、本当に申し訳ないんだが、あと十分ほど時間を俺にくれないだろうか。これは、君の安全にかかわる話なんだ」
ぐいと頭を下げてりんの瞳を真っ直ぐ見た。まず、人間として向き合わなければ話にすらならない。彼女の瞳は未知のものに出会ったかのように、震えていた。
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