36「サブロリアン現る」
「だからいわんこっちゃない」
「はいはいはい、雪村一家さんは頑張ってくださいねー。じゃ、いただきます」
紅はパキッと割り箸を分離させるとハフハフしながらラーメンの山を崩しはじめた。上総たちが軽い絶望に打ちひしがれていると、近くの卓からははっと人を蔑むような笑い声が響き渡って来た。
「まーた、ド素人さんはこれだからぁ」
「わかっちゃない。サブロー系というものをちいっともわかっちゃおりゃせんがな」
「くくく。せいぜい抗ってくりょうよ? この小宇宙と呼べる現代の芸術品に」
三人の男たちはそろいもそろって肥え太った青年たちだ。示し合わせたようにチェック柄のシャツを羽織り、たるんだ下っ腹からはゆるんだ贅肉が放り出されている。
店で用意された籠に放り込まれたザックは「どこで見つけたの?」というような個性のない安っぽいものであるが、どこか美意識のようなものが垣間見られなくもない。
(間違いない。こいつらサブロリアンだ……!)
巷間に伝わる噂によると、いわゆるサブロー系と呼ばれる都内各地に点在する大盛り系のラーメン店にはこの手の常連を気取った男たちが出没し、初心者たちの食事風景をひととおりくさして悦に入ることがあるという。
最悪のマウンティングであるが「ブロガー」という実体のない権力に酔う男たちは自らを超越者と称してほかの客を見下すのが習性なので一般人として上総はどうすることもできずただ耐えるか無視するかの二択しかない。
「カズサさま、さあ、気にせずお食事にいたしましょう」
「そうですよー。気にしない気にしない。ウチはウチ。よそはよそ、です」
「おやおや食いきれない量を頼んだお嬢さんたちが果たしてどこまでやれるものか」
「これはぼくたちとしても今後の業務に関する試金石となるやもですね」
「お手並み拝見、とゆきましょうか。フォヌカポウ」
リリアーヌたちが気を取り直すように声を上げると常連三人衆は、ぎしりと椅子を軋ませてあからさまにこちらの食事風景を見物しようとしていた。
(つーか、食い終わったんならとっとと帰れよな)
「あのねぇ、アンタたち――」
もっとも気が短い紅がテーブルをがたつかせてサブロリアン三人衆に文句をいおうとしたところでカウンターの席に座っていた男が急に立ち上がった。
「なあ、兄ちゃんたち。もうメシ食い終わったのか」
――こらヤベェ。
と、上総が一瞬で判断できるほどの風貌をしたスーツの男はあきらかにその筋の人間だった。
かなりよい仕立てのダークスーツを着込み、口には爪楊枝を咥えていた。
「は、はひ……」
「食い終わったんなら店を出る。ガキの頃カアチャンにいわれなかったのか? ほかの人の迷惑になるようなことはしちゃあなりませんってよ」
男は分厚い手のひらを常連三人衆のテーブルの上に置いた。力はまったく込めていないのでコップにさざ波ひとつ立たないが、男の指に嵌められた多数のリングは金色に輝いてそれだけで充分威圧的だった。
「すぐ出ましゅ、今出ましゅ、すいやせんでしたーっ!」
狂暴過ぎる威に打たれたことでサブロリアン三人衆は嵐に遭った木の葉のように吹っ飛ぶようにして店を出ていった。男は上総たちの視線に気づくとどこか困ったように頬をゆるめた。どこからどう見ても強面のヤクザであるが、どこか大型の気のいいクマ思わせるような愛嬌のある表情だった。上総が礼をいおうと腰を浮かしかけるとリリアーヌがそれに先んじた。
「ありがとうございます。大変助かりましたわ。一同に代わって感謝の意を述べさせていただきます」
「お、おう。別にどうってことねぇよ」
「わたくしリリアーヌ・フォン・ロムレスと申すものです。失礼ですが貴公の尊名をお伺いしたく存じます。この功、他日厚く報いたいと――」
「そんなことされるほどの真似はしちゃいねぇ。ただ、メシを食うときに御託を並べられんのがオレはガキの頃から嫌いだっただけでね。リリアーヌさんよ。オレは黒瀬ってもんだ。じゃあな」
黒瀬はそれだけいうと足早に店を出ていった。
「随分とシャイなお方ですね、勇者さま」
「え?」
「アンタも鈍いわね。あの男耳が真っ赤だったわよ。たぶんお礼をいわれることに慣れてないんじゃないかしら。男ってホントに単純」
紅がレンゲに乗せた麺をちゅるんと吸い込む。上総は首を左右に振って鼻をヒクヒクと蠢かせる。一瞬だけ表情が獲物を見つけかけた猟犬のそれに変化する。それを見逃さなかった紅が丼をテーブルに置いて胡乱げな視線を上総に向けた。
「なにやってんの?」
「いや、なんだろう。なにか引っかかるんだがな。なんだろう?」
「勇者さま、口開けてください。はい、あーんですよ」
「ちょっと待った。その位置だとレンゲのスープが、熱ッ!」
上総はクリスの勤めるメイド喫茶『グリモワールキングダム』へ続くビルを見渡すことができる対面の路地でジッと息を潜めていた。襟元のボタンをはずしてネクタイをゆるめる。夕方の秋葉原はゆきかう人々の波であふれていた。
「で? あたしを呼び出しておいてなんの用かしら。まさか、わざわざこんな汚いところで押し倒そうって腹積もりなの」
スマホをいじっていた紅が顔を上げて億劫そうにいった。ちらと見ると機関への定時連絡を忙しなく行っている。
上総は首を左右にコキコキ鳴らすと声を幾分潜めて片方の眉を上げた。
「違うって。第一電話で説明しただろ。今日はお店でイベントやるって。その機に乗じてストーカーくんがなんかひと騒動起こすかもしんないだろ」
「なんの根拠があっていってるか」
「いやあ。実はさ、昨日クリスとふたりでそのストーカーくんに会ったんだよ。場所変えて理性的にな。まあ、ブラフだけど店で買った婚約指輪を見せてさ。これ以上プライベートでつきまとうのはやめてくれってさ。……でも、納得はしてなかったみたいだから。なーんか心配でさ」
「それってまだやってたの? そもそもアンタはクリスばっか構って全然新宿の仕事は進めてないないみたいだしい」
「うぎっ」
「調子のいいことばっかいっちゃってさあ。上総ってホイホイ女のいうことには従うフリするけど、実行力が伴わないのよね」
「ぐっ、ぐうっ」
「実がないっていうか? あーあ、騙されちゃった。どーせあたしのことなんて子供だと思ってはいはいいってりゃいいって思ってるんでしょ」
「や、やめてくれ紅。その術は俺に効く」
「兄さん、兄さん。あんま気にしてやんなよー。紅はさびしんぼの上にアマノジャクなんだよー。構ってもらえないから拗ねてんだぁ。けど、そのあたりは兄さんが、こう大人の包容力でぎゅーっとしてやれば、元々がチョロインなんで――」
「あ、の、ね。誰がさびしんぼですって? あたしはコイツがまったく依頼をこなそうとしないから、お尻を叩きにね」
「やーん。紅ってばそういう趣味があったんかー。ドSだね。で、兄さんはやっぱMなんかな? ダメだぜ、性的嗜好の押しつけってのはあとあとで問題になるしな!」
「この――っ!」
真っ赤になった紅がエアコンの室外機の上にいた外道丸を捕まえようと手を伸ばす。だが、白い管狐はひらりと見事に紅の攻撃をかわすと素早く上総の肩の上に攀じ登って器用に尻を向けて盛んに挑発した。
「へへーんだ。いっつもいっつもねじねじ雑巾にされてたまったかよ! この外道丸さまの生まれ変わったフットワークを見よ」
「このっ。あんまし調子に乗るんじゃないのっ。待ちなさいっ」
「やーだよっ」
「おい、ちょっと待った。おまえら暴れんなって。わぷっ」
不意に紅のタックルを喰らう格好になって上総はどっと路上に倒れ込んだ。紅は上総の腹の上でもがきながらも外道丸を捕まえようと躍起になっている。揉み合いになっているふたりを覗き込むように大きな影がぬっと現れた。
「よう。この前の兄ちゃんたちじゃねぇか。どうでもいいけど世間の皆さま方の注目を浴びてるぜ、おい」
上総が顔を上げると、そこには先日ラーメン店で知り合った黒瀬という巨漢が呆れ顔でをしていた。
「うおっと、とと。これはこれは、たはは……」
「ばかっ。あんたどこ触ってんのよっ」
「だっ。誤解を招くようなこというなってばっ!」
上総は図らずもぎゅっと掴んでしまった小振りな胸の感触にどぎまぎしながら立ち上がる。
周囲を歩く通行人たちは都心の常で特に上総たちの行動に気を取られることなく、ズンズン歩き去っていくので精神的なダメージはそれほどなかった。
「先日はどうもありがとうございました。確か、黒瀬さんですよね」
「おう。あんときはどうってこともねえけどよ。なあ、兄さん、名前はなんていうんだ。どうも相手の名前がわからねーと話がしにくくてたまらねぇや」
「ええと、申し遅れました。自分は雪村です。ええと、見てのとおりのただのサラリーマンですよ。あはは」
「はは、ま、そんな感じだわな。で、雪村さんよ。ちょいと聞きたいんだが。あんたはこのあたりに詳しいんか?」
「詳しいってほどではないですが。まあ、秋葉原はよく来ますけど」
「んーん。オレぁ見てのとおりでこのへんのことはよくわからんのだが。ちょっと知っていたら教えて欲しいんだがよ。萌え系ってやつか? ホラ、よくテレビでたまにやってるメイド喫茶手やつか。そいつを探してるんだわ。オレはこの格好だろ。あっちゃこっちゃにメイドが立ってるが、オレが話しかけるとみーんな逃げちまって話にならねんだわ」
「ああ、メイド喫茶を探してるんですか? 俺もそんなに詳しいってわけじゃないけど、まあなんとかなると思いますよ。それに店によっては半地下になったりしててわかりにくい場所もありますしね」
「そーかそーか。メイド服なんてヘルスかデリヘルでも行かんと拝めんと思ってたからな」
そういうと黒瀬は野太い笑みを浮かべるが傍らにいる紅が仏頂面しているの気づくと咳払いをしてごまかそうとした。
――どうやらこの男は見た目よりもずっと人当たりがよい感じだ。
上総がそう感じて話を戻すと黒瀬はぴくとこめかみのあたりを一瞬だけ引き攣らせて周囲を窺うように視線を巡らした。
「なにか?」
「いや、気のせいかな。近頃、ちょいと訳ありでな。神経が過敏になってるんだよ。で、よ。このあたりで『グリモワールキングダム』って店を知らないか? ひらひらを着たメイドの姉ちゃんが一杯いるような店らしいが」
「ああ、それならすぐそこですよ。この前店で一緒にいたメイド服の子覚えてます? 俺の知り合いなんですけど、ちょうどそこで働いてるんですよ。わかりにくいけど、店はそこの階段を――」
上総は黒瀬に場所を指し示すため振り返ったとき激しい違和感を感じた。道路を挟んだ向こう側の店の前をひとりの男がフラフラと歩いている。昨日、クリスを伴って懇々と道理を説いた青年ストーカーにほかならない。
右肩に乗っていた外道丸が全身の毛を逆立てると同時に飛び出していた。
「おいっ。兄ちゃん!」
ストーカーはどこにでもいるありふれたオタクを体現するようなスタイルだ。チェックのシャツにどこか野暮ったいザックを背負っているが両手に持ったコンビニの袋からはドギツい油の臭いが漂っていた。
ほとんど全力で駆けていた。短距離の金メダリストも舌を巻く上総のダッシュスピードに負けないほど早さで振り返ったストーカーの目は青白い炎がゆらりと激しく燃え盛っていた。
瞬間、ストーカーの身体が素早く動いた。手にしていたコンビニ袋を投げたのだ。
「兄さんッ」
「外道丸、隠れてろっ」
上総は素早く外道丸をジャケットの内側に隠すと凄まじい勢いで投げつけられたコンビニ袋を両手でキャッチした。予想通り中にはガソリンがたっぷり詰まった即席の火炎瓶が入っていた。
ホッとする暇もなく、ストーカーは姿勢を低くすると流れるような動きで屈みザックの中身を放り投げる。
「しまっ――」
不意を突かれた形で路上にバラ撒かれた火炎瓶が音を立てて割れてあたりは目も眩むような炎の海が一瞬にして広がった
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