35「エンゲージリング・ラプソディー」

「雪村さま、ずいぶんとかわいらしい婚約者さまですね。それに、そちらのメイド服もよく似合っておられますよ」


「えへへー。そですか、そですか」


 女性店員のあからさまなお世辞にクリスはにこにこと満面の笑みを浮かべる。


「カズさまカズさま。クリス、かわいいって褒められちゃいました」


「社交辞令だっての」


「いえ、本当ですよー。すごくきれいな髪の色に瞳。失礼ですが、どちらのお国の方かお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「ええ? ロムレス王国でございます」

「え、あ、はぁ……」


 店員は聞いたことのない王国名にどこか困ったような顔で視線をクリスから上総に転じた。


 まずい。このままじゃクリスは実在しない王朝名を連呼するサイコパスになってしまう。


「えーと、あの、彼女ヨーロッパの小国から留学して来まして。その、日本のサブカルチャーとかを研究してるんですよ。ほら、クールジャパンとかいってるじゃないですか! 今、僕もよく知らないんですけど海外じゃ日本のアニメとかコミックとかすごいらしいじゃないですか。その影響で彼女、メイド喫茶でバイトしてるもんで、ほら、なんというか、そんな感じで」


 上総は咄嗟に身振り手振りを加えて事実から中二病臭さを脱臭しようと全力で試みた。


「あ、はい。そうですね。フランスとか日本の漫画が大人気らしいですね」


「そうなんですよー、困ったなー」

「カズさま、なんでそんなに早口なのですか?」


「やあ、僕も彼女とはメイド喫茶で知り合ったもので。な! な?」


「あ、はい、そうですよー。私はお客だった彼の強引なアタックに根負けする形になってしまいましてー。一緒に住むようになるまで三日かかりませんでしたっ」


「それはすごいじゃないですか。雪村さまも中々強引でございますね」


 クリスが片目でウインクしながら話を恋愛方向にシフトチェンジした。仕事であるとはいえ女は基本的に色恋話が好きだ。上総は上手くごまかせたと思ってホッとする。


「それじゃあおふたりはお知り合いになられてから、もう、長いのですか?」


「ええ。そうですねー。二か月くらいですかね」


「それでご婚約を。雪村さま、こんなお美しい方の心を素早く射止められるなんて――」


 店員が上総に最上級の世辞を引き続き述べようとしたところをクリスのぽつりとつぶやいた独白めいたもの遮る。


「そんなこんなで今ではお腹にふたりの愛情の結晶が、もう」


 クリスが慈愛に満ちた顔で自分の腹部を撫でさすりながら頬を染める。店員は「さっそく仕込みやがったのかよこの種馬野郎が!」という視線を一瞬したが、上総は横を向いて見なかったことにした。


「……けふんけふんっ。失礼。それでは雪村さま。本日のご用件はご婚約指輪をお探しということでよろしいでしょうか?」


「あ、はい」


 上総も流す。店員との意思疎通は自然と図られ話題は速やかに流れてゆく。


「それで挙式のほうの日取りはお決まりでしょうか?」

「あー」


 ――そう来るか。


 確かに婚約指輪を送っておいて婚姻を考えないカップルというものはまずいない。婚約指輪を購入してから数か月から一年以内で式を挙げる人が多いと店員は独自の経験に基づいた予測を立て板に水を流すような淀みのない口調でぺらぺらと喋り出した。


「いえ、クリスさま。ご主人に愛されてらっしゃいますね。近頃のカップルさんは意外と婚約指輪ご購入されないということが多いんですよー。特に、こういったものは一生に一回限りと思えば値が張りますからね。それをプレゼントされるということは、実にクリスさまが雪村さまに愛されているという事実なんですよ」


(まぁ、フリなんだけど。いや、どっちかっていや日頃の感謝の気持ちもあってだな……)


 上総がぼさぼさした自分の髪を照れながらぐしゃぐしゃやっているとクリスのポッとなった横顔に気づいた。


 上総は鈍感なほうであるが他人の気持ちがまったく読めないというわけではない。


 ――これ、フリなんですけど。おいおいおい。


 うっとりとした表情をしているクリスを見つめ続けているうちに奇妙な罪悪感が上総の胸のうちに広がっていく。それと同じくらいに熱い高揚感が全身に高まっていく。こうして店員が差し出すパンフレットを見ていると、まるで自分とクリスが本当に結婚を間近に控えているカップルのような気がしてくる。ふーっと鼻息を荒くし呼吸を整えるためチラと表通りに面するガラス窓に顔を向けると、そこにはなんの躊躇もなく顔をべたっとくっつけているリリアーヌとちょっと引いた場所で腕組みをしている紅の姿が目に入った。


「あ、あ、あ」

「どうしたんですかーカズさま。ちょ!」


 上総が慌てふためいていると振り向いた紅が吹き出した。店員もあきらかに舞踏会に出るような白ドレスを着た少女の「ショーケースに置かれたトランペットを欲しがる黒人少年」のような行動に気づき硬直する。リリアーヌは頬をぺったりとガラス窓に密着させながら唇をもごもご動かしている。背後ではセーラー服姿の紅が頭に手をやりながら顔をしかめていた。


 そうしているうちにリリアーヌはすっとガラスから顔を剥がすと悠然たる足取りで紅を従えるようにして店内に入って来る。上総を見る店員の顔つきが先ほどまでとまるで違うものになっていることに気づき嘆息する。


「い、いらっしゃいま――」


「まあ! カズサさま。こんなところでお会いするなんて偶然でございますわ。わたくし、ちょうど、ほんのたまたま、ほんっとーに偶然クレナイとお買い物をしていたら、ちょうどお見かけしましたので!」


 リリアーヌから「それ以上はやらせんぞ」という確固たる意志を感じる。紅の足元では外道丸がカートゥーンアニマルのように二本の前脚を広げてしょうがないなというようなジェスチュアをしている。


 ブッブッとスマホが震える音に気づきロインを開くと紅から「知らんからな!」と怒りのメッセージが入っていた。どうやらリリアーヌはいなくなった上総たちを探すため紅を動員したらしい。


「あらクリスじゃない。いったい、これはどういうことでしょうか? あらあらあら。……ふーう、さーてと。少し歩き回ったので疲れてしまいましたわ。わたくしひ弱なので、ひとりにされた挙句のさびしさとせつなさによって疲れてしまいましたのー」


「姫さま、どうぞ」


 主人にここまでいわれてクリスも無視するわけにはいかない。座っていた椅子から立ち上がるとリリアーヌがニコニコ顔で当然のようにその場所に大きな尻を据えた。リリアーヌは安産型である。椅子がみしりとわずかに揺れた。


「あ、あのー。お客さま」

「リリアーヌですの」


「はい?」

「リリアーヌですの。以後お見知りおきを」


「はぁ……ええ、大変もうしわけないのですが雪村さま。こちらの方たちは――」


「わたくしとカズサさまは将来を誓い合った仲ですの!」


 リリアーヌが長く美しい髪を長い指先を使ってうしろに払いながら豊かな胸を突き出す。


 背後に巨大な波濤が断崖絶壁の岸にぶつかって砕けるシーンを上総は幻視した。


 同時に店員が見てはいけないものを見てしまったという表情で凍りつく。


「姫さま。ナイショで行動したのは確かに私の落ち度でしたが、これではあまりにも――」


「抜け駆けはダメですよ」

「は」


 リリアーヌは大きな目を見開いたまま無言で上総をジッと睨み据えた。責めているわけではない。ただ悲しみを訴えているだけだ。リリアーヌの瞳の縁にみるみる涙が盛り上がってゆくのを確認して上総はガックリと首を前に折り情けない声を出した。


「黙ってて悪かったよ。なんでもするから許してくれ」

「勇者さま弱ッ!」


 リリアーヌはレース柄のハンカチで目元を拭うと、幾分元気を取り戻した声でいった。


「そうですわね。クリスだけではなくわたくしたちのものも誂えてくださるのでしたら、特別に許してあげないこともありませんわ。ねえ、クレナイ」


「はぁ! なんで同意を求めるかっ。て、てゆーか、あたしはただのつきそいで――ねえっ。ちょっとそこの店員っ。聞いてるのかしら? 勝手にパンフレットを用意するなーっ!」


 呆気に取られていた店員であるが、これを好機と逆手に取ったのだろうか。行動は素早かった。店員は人数分のパンフレットとリングや石が詰まった見本用の箱を並べた。女一同は途端に押し黙る。彼女たちは瞬く間に宝石とリングの輝きに心を奪われ物言わぬ彫像と化した。


 店員は幾つものリングの繋がった束を鳴らしながら上機嫌で目を細めている。上総が見るところによると、あれで各人の指輪のサイズを計るのだろう。店員の目は間抜けな獲物を目の前にしたハンターそのものだ。勝利を目の前にした歓喜で濡れていた。上総は狩られるというピンチの空気を痛いほど肌に感じながらもその場を逃げ出せないままでいた。


「さあ、皆さま方。当店では一流の匠によるリングとお石をそろえてあります。じっくり時間をかけてよいものを選んでくださいませ。それと雪村さま。三名様分のご婚約指輪となりますと、こちらとしても相当に頑張らせていただきますので、そのあたりはご期待くださいませ」


「う――くっ」


 上総は反射的に席を立った。こんなプレッシャーは異世界で多数の上級魔族に囲まれたとき以来といっていいほどのものだ。


 が、同時にリリアーヌ、クリス、紅の三人は雛が親鳥からのエサを待ちわびるように、一糸乱れぬ動きで上総を見上げると無垢な瞳で一心に見つめて来た。上総は世にも情けない顔で助けを乞うように店員に視線を移す。


 店員は小さめの冊子をパラパラめくったまま、あるページで止めた。


「ところでお石に刻まれます文字はどのようになされますか?」


「ス、スタンダードなやつで、お願いします」


 気迫にあっさりと呑まれる上総だった。






 数時間後、憔悴しきった上総は両肩を捕獲された小人宇宙人のように、両手をリリアーヌとクリスに引かれながら路上を歩いていた。


 無理もない。年頃の娘三人がジュエリー店に集えば好みによって喧々諤々の議論になるのがあたりまえだ。特にリリアーヌなどは王族ゆえに目が肥えているのでこのような小規模な店の宝石では気に入らないかと思いきや、さにあらず。あるものはあるもので最善を選ぶという、上総には理解できない部類の方向で話を持ってゆこうとし、紅と熱い独自の理論を戦わせることになった。


 リングの材質、嵌め込む宝石の形やサイズや種類や、決められた予算の枠における最善手の選択――。


(も、もうダメ。頭の中で宝石がきらきらくるくる回っているよ)


 幾つもの宝石を延々と見せられ上総の脳は激しい拒否反応を起こしていた。


「もう時間が遅いから今夜はラーメンでいいかしら」


「やった、やりましたー。クリスはニッポンのラーメン大好きですっ」


「わたくし、実はトンコツが好みですの。カズサさまは?」


「俺は……もう……なんでもいいです……あ、ギョーザはつけてね」


「余裕あんじゃないの」


 チェーン店に入るとテーブル席についた。俗にいうサブロー系と呼ばれるラーメン屋でおすすめは、下品としかいいようのない特盛であるが女性陣はなぜかこの店がお気に入りのようなので上総は口を差し挟めなかった。


 夜も遅いので人影はまばらだった。券売機で『ぶたラーメン』をそれぞれ購入する。上総はリリアーヌが『こぶたラーメン』を押そうとしているのに気づきギョッとした。


「ちょい待った。リリアーヌ、マジでそれ食べるの? 無理だよ」


「なぜですの? これこぶたさんですよね。わたくしはこれがいいです」


「その理由は」

「語感がかわゆいのです」


 こぶたに騙されてはいけない。なぜなら普通よりはるかにチャーシューの量が多いからだ。


「それ普通にびっくりするほど出てくるからよしたほうがいいって」


「むう。嫌ですの。それにカズサさまはわたくしのおなかを侮り過ぎですの! ロムレス王家の名に懸けて見事食べきって御覧にいれますの!」


「だああっ、押すなっての」

「じゃあクリスも姫さまに倣いますー。ポチっとな」

「あ、あ、あ、あああ」


 しゅぱぱっと食券が下方の口から吐き出されて来る。上総はリリアーヌたちがそれを店員に渡すのをわたわたしながら見守ることしかできなかった。


「もうほっときなさいよ。あとで後悔すればいい薬になるじゃないの」


 紅は無難に小ラーメンを選んでいる。そういう部分はちょっと面白みがないと上総は矛盾した思いを孕んだ己の潜在意識にちょっと恐怖する。


「そういうわけにもいかんだろーが。俺はつき合い長いからこいつらの食える量なんて把握してんだよお。てか、なんでこの店をチョイスしたんだよ、あいつらは」


「グチグチいわないの。男でしょ!」

「痛いよっ」


 紅に背中をバシッと叩かれておとなしくテーブル席に向かう。しばらく経つと「お待ちィ!」と威勢のよい店員のかけ声とともに目を見張るような量のラーメンが人数分運ばれてきた。


「これは……」

「はやー。しゅごいですねぇ姫さま」


 リリアーヌとクリスはくるっと上総に顔を向けるとニコッと実にいい顔で微笑んだ。それから両手を重ね合わせて頬の横に置き、首をわずかに傾けると降参の意を示した。


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