34「ストーカー撃退作戦」
「あのですね勇者さま。私、ストーカー被害ってのに合ってるみたいなんですよう」
「はぁ?」
上総はクリスの「ちょっとコンビニ行ってきます」くらいのノリで伝えられた事実にビール缶を取り落としそうになった。紅の愚痴を聞かされリリアーヌの送迎を終えたばかりの上総はようやく一日の仕事を終わったと気を抜いた直後である。
「ほえ? クリスのお知り合いでございましょうか。そのストーカーさんとは」
リリアーヌは夜食の焼きうどんをちゅるりと飲み込み終えると紙ナプキンで口元を優雅に拭いてわずかに首をかしげる。
「なぁちょっと待った。ストーカーって、あのストーカーか?」
「どのストーカーさんかはわかりませんが。勇者さま。その方はたぶんアパートメントの近くに先ほどまでいましたよー」
なんでもないようにクリスはいってのけた。
「そいつはいつ来たんだよ……」
「ええと、ええとですね。勇者さまが姫さまをお迎えに出られてすぐですよ」
上総はサッと顔を蒼ざめさせると湯呑をテーブルに叩きつけ立ち上がる。脚が低いコタツ兼用のもので起立したときに膝をガツンと打ちつけたが痛みを意に介さず台所のクリスに詰め寄った。
「な! そりゃあぶねーだろ。なんでもっと早くいわなかったんだっ」
「ええ。でもでも、勇者さまは私の腕前をご存知でしょう? 並の男なら自慢の格闘術でちょちょいのちょいですよう」
「そういうことをいってるんじゃない。相手が男ならもしかしてってこともあるだろーが。そんなこともわからねえのかよっ! ここがロムレスじゃないからってなにが起きるかわからないだろがっ!」
怒鳴ってしまってから気づいた。クリスは洗い物をしている途中であったのか、手には泡つきのオレンジスポンジを持ったままポカーンと口を開けて目を点にしていた。
(ヤバい。またカッとなっていい過ぎたか)
そう考えて背筋に冷や汗を這わせているとクリスはさっとエプロンで顔を隠してうつむいた。
「カズサさま……」
リリアーヌが困ったような声を出す。クリスはその場にしゃがみ込むとエプロンで顔を覆ったままぷるぷると背中を震わせている。すぐ横には泡を潰したスポンジが横たわり床をジクジクと濡らしている。上総の焦りは加速がついて頭の中が真っ白になった。
(ギャー、泣く、泣いちまう。泣かせちゃったか? マズすぎるぞっ!)
「あ、あああ、そうじゃなくてだな。俺は、ただ、純粋に世の中にはわるーいやつらがおにゃの子の身体を餓狼のように狙っているという事実を、そのシンプルに伝えようと、ただリキが入ってしまって――」
「うれしいですっ」
「はぁ? どわっ!」
顔を上げたクリスがロケットのように腰のあたりへと抱き着いて来る。その顔はよろこびに満ちあふれ涙など一粒もない。上総の上体は衝撃で崩れ後方に倒れかかる。それをあらかじめ予測していたのか背後からリリアーヌが両腕を伸ばしてがっちりと支えた。
「私のことを本気で心配してくださったのですねっ。だから、だから本気の怒りを見せてくれたっ。ああ、思えばここまで自分の気持ちを露にしてくださったのははじめてかもしれないです……はじめて……勇者さまのはじめてを私が……ふひひっ」
「おい、ラスト部分で抜群に気持ち悪くなってるんですけど」
「気のせいです」
「むうう。ずるいですわ」
「おい、リリアーヌ。どこに行くんだよ」
「決まっていますの。これからわたくしそのストーカーさんを探し出してわたくしのこともつけ狙うように交渉するのでございますよ」
「だああっ。余計なことはせんでよろしいっ」
「だってだって、クリスばっかりカズサさまに本気の気持ちをぶつけられてうらやましいんですもの。ここはロムレス王族の名誉に懸けてもクリス以上の脅威をわたくしに降りかかるよう手筈を整えねば――」
「やーめーろー」
「いちゃいですの……」
「勇者さま、姫さまのうるわしきお顔を左右に引っ張らないでくださいー。なんか笑っちゃいますよう」
「とにかくだな。情報を整理しよう。そのクリスにつきまとっているストーカーってのはどこのドイツだ。てか、ホントにストーカーの定義をわかっていってるのか?」
「む。あまりバカにしないでくださいよう。間違いなく上総さまのお考えになられている、特定の婦女子を性的興味によってつけ狙う犯罪者ということで間違いはありませんよ。犯人が誰かはわかっているんです。よく来るお店のお客さんですよ」
「なるほど。ストーカーの犯人はグリモワールキングダムの常連客で間違いないんだな」
上総は秋葉原にあるクリスが現在勤務するメイド喫茶の名を口に出した。
改めて言葉に出すと現実のものとは思えない地から足が浮遊する名についつい脱力しかける。
「カフェの常連ね」
顎先に手を当てて黙考する。ストーカー行為。クリスの同輩である兎島りんがいっていたような自治厨がそういった人間を排除する役目を持っていたとするならば、数日前に上総が力をもってして懲らしめたのは悪手であったのかもしれない。
「軽くぶっちめればいいんだろうが……あまり暴力沙汰はな」
チラリと視線をやるとリリアーヌとクリスはふたりそろって床に座りながら目を輝かせて上総を見ていた。
(どうしよう。こういう手合いがいって聞くような相手ではないだろうし。所詮俺は修羅の国帰りの人間として振る舞うしかないのだろうか)
「ちょっと。自分、テレフォンイイっすか?」
「お電話ですか?」
「どぞー」
両人の許可が出たので上総はすかさずロインの無料通話を使用した。こういう部分が金がないときのくせなのでちょいちょいセコい。
「はい、白河ですけど」
「ところでひとつ質問なんだがいいか?」
「あのね。普通いきなり……まあいいわ。アンタにいっても無駄でしょうけど。で、こんな夜中に電話してきてなに? あたし別にアンタの恋人でもなんでもないのだから迷惑なのだけど」
「ストーカーを秘密裏かつ平和的に撃退する方法ってなんかない?」
「アンタがまさに今あたしのストーカー染みてるけど」
「あのなぁ」
「冗談よ。で? ストーカー? 雪村さん、知人として忠告させてもらうけど潔く自首したほうが情状酌量の余地から罪が比較的軽くなる傾向があるらしい……冗談よ。普通に警察に連絡したらいいんじゃない」
「警察、そうだストーカー被害は普通警察案件だわなぁ」
が、クリスには戸籍がない。身元を改められれば面倒になるのはこちらなのだ。上総は犯罪者ではないが真剣である聖剣ロムスティンも所持しているのでできうる限り捜査機関とはかかわりになりたくないのが本当のところだった。
「警察とかかわりあいたくない? それってモロ犯罪者の思考じゃない」
「おっしゃるとおり」
「もう、わるいこといわないから明日でも所轄にいって相談しなさい。あたしが機関から連絡しといて――」
紅がそういいかけたときに視界の外から素早く指が動いて画面をタップし強制的に通話が終了された。そこにはなぜか被害者であるはずのクリスが含み笑いをしながら細い人差し指をぴんと立てていた。
「なっ。なんで切った!」
「私、たのし――いいこと思いついちゃいました」
絶対ロクなことじゃないと確信して上総はガックリうなだれた。
翌日の夕刻である。
上総はクリスを連れゆったりと歩いていた。帰宅ラッシュには幾分早い時間で街の流れはややゆるやかだ。隣を行くクリスはふんふんと楽しそうに鼻歌を口ずさみながら笑顔を絶やさない。スーツを着込んだ上総とはもちろんのことバランスが取れていないがと他人に無関心な都内である。時折、ちらと視線を送る者もいるが特に人目を引くというほどもでなかった。
「勇者さま。こうしてふたりっきりーで逢瀬を愉しむのってなんかドキドキしちゃいますね」
「あのな。これは一応作戦のうちだろ。それよりも例のやつはぴったりくっついてるみたいだな」
「ですね。ストーカーさんは尾行がへたくそです」
上総もクリスも荒事の中で半生を過ごして来た。よって注意してあたりに気を払っている状態であるならば、背後を常に追って来るストーカーの動きなど手に取るようにわかるのだ。
「あのさ。こんなメンドくさいことしなくても、俺がいって聞かせれば二度とつきまといなんてしないんじゃね?」
「ダメですよう。そんな証拠は毛頭ないってしらばっくれられたら今後相手も警戒してどんな陰湿な嫌がらせをされるかわからないじゃないですか。勇者さまは、私が気を抜いて道を歩いているときにおかしな体液をBUKKAKEされて窒息死したらどーするんですかっ」
「……おまえ、また変な海外サイトのフェイクニュース見てただろ。ダメだっていってるのに。今後一か月はネット禁止な」
「えええっ。あの動画サイトを閲覧するのがこのメイドの数少ない生き甲斐でしたのにっ。小間使いのわずかな楽しみを取り上げるなんて、ひどすぎますようっ」
「別にネットするなっていってるわけじゃない。妙に嘘知識をプールしてリリアーヌに吹き込まないよう対応してるだけだっ」
「ああん。清らかで純白極まりない姫さまを泥靴で踏みにじるようにこの世の悪徳で染め上げるのがクリスの趣味でしたのに……」
「マジでスマホ解約するぞ」
「嘘嘘、スマホ取り上げられたら私死んじゃいますよっ」
「おまえはこの世界に毒され過ぎだ……とかなんとかいってるうちに店についたな」
「ですねー」
上総たちは駅前の一等地に店を出している『ダイヤモンド・クロイシ』に到着した。
前面ガラス張りで中が丸見えである。
非常に洗練されていて非リアの上総を威嚇してやまない店舗がそこにあった。
「いいですか勇者さま。作戦はフェイズ2に移行しますよ。ここで私たちはめっちゃいちゃついてストーカーさんにかわいいクリスはすでにお手つきであるととことん思わせ敵の気勢を削ぐのです」
「それ意味あんのかな……」
「し。真面目にやってくださいよ。力がすべてではないとクリスもこの世界に来て学びましたので」
「本当かよ」
「ホントホント。愛はなにものにも勝る真実なのです。と、いうことで勇者さまはこのお店で私にとっても似合う婚約指輪を購入するのがベストなのですよ」
「説明臭い上に、なんか騙されてる気がしてきた」
クリスの思いつきとは実にたいしたことがない。
単に宝石店でエンゲージリングを上総に買わせ、そのシーンや物品そのものをストーカーに見せつけることであらゆる可能性を断ち切る作戦である。
(どっちにしてもこんな店は俺に不釣り合いなこと極まりないな。とっとと適当に決めて出よう)
フリ、とはいえ婚約指輪を購入するのだ。上総は昨晩ネットである程度の平均予算を調べておいたが、本当にクリスと婚約するわけでもないので、超高価なものでなくともいいと考えていた。
(ま、二、三十万くらいのもんならなんとかなるか……)
指輪の値段などピンキリであるが下限そのものが低くなく、上はそれこそ天井知らずだ。
「いらっしゃいませ。ご予約されていた雪村さまでございますね」
(ふ、アポを取るのはサラリーマンとして必須のマナー。フェイクといえどもこの程度しないのは愚の骨頂)
スーパーで特売品を買うわけではない。こういった店に来る客層は冷やかしなど基本的に存在しないので上総はあらかじめ電話で予約をしておいてから訪問した。
「あ、あの……雪村さまでいらっしゃいますよね?」
「あ、ああ。そうですよ、はい、わたし雪村です」
「それではこちらへどうぞ」
紺色の制服を着た店員がメイド服姿のクリスに一瞬表情を強張らせたがすぐ持ち直すと店内の隅に上総たちを案内した。
「しばらくここでお待ちくださいませ」
ぺこりと一礼していく。さすがこういった高級品を扱う店なので女性のグレードも中々に高いがクリスの敵ではなかった。
「勇者さまー。今日はどんなものを買っていただけるかクリスどきわくで夜も眠れず昼寝しちゃいましたよう」
「ふ。寝る子は育つからその意気はよし。てか、さすがにココではその呼び方はやめような。あの店員さん変な顔してたからな」
「うーん、そうですね。それじゃ私は姫さまを見習ってかずぴーって呼ばせてもらいます」
「一度もそう呼ばれたことはないな」
「もうー。いいじゃないですか。姫さまがお昼寝している隙を狙っての逢瀬なんですから、もう、すりすりしちゃいますよ。えいえいっ」
「……は!」
「どうなされたのですかカズさま」
「う」
いきなり普段とは違う呼び方をされたので上総はドキッとした。かなり密着した状態でクリスが上目遣いで顔を寄せて来る。肌のきめ細かさやふんわりとした香りとやわらかな感触に上総は動揺を抑えて今しがた覚えた違和感を探しガラス張りの向こうにある歩道を見やった。
「いや、気のせいかな。なんだか今、もの凄い殺気を感じたんだが」
「気のせい気のせい。今、このときを楽しみましょうよ、ね?」
上総は無意識のうちに自分のもみあげを触りつつクリスの言葉に不承不承うなずいた。
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