32「グリモワール自治会」

 結局のところ上総は閉店まで腰を落ち着けることになりクリスといっしょに帰宅することとなった。


 店の外でなにをするわけでもなく立ちながら着替えが終わるのを待つ。といっても『グリモワールキングダム』の制服からいつものメイド服に戻るだけなので外観はあまり変わらない。終電までにはまだだいぶ時間の余裕がある。風に吹かれて店の前に立っていると、通りの向こう側から近づいて来た五人ほどの男に取り囲まれた。


「おい、おまえ。そこでなにやっている!」


 視線を転ずると陰キャのオーラを全身から発散させた二十代と思しき面々が怒気を露に威嚇している。みなもみなが示し合わせたように黒っぽい服を着ている。人のことはいえないがこいつらも服装のセンスはないなと上総はむしろ親しみを感じていた。


「えと、俺のことかな。ここでちょっと人を待たせてもらっているんだけど」


「かあっ。それが許せなくておれたちはいってるんだよ。第一、アンタ一見さんだろ? 調子に乗るのもほどほどにしてくれないかなァ」


 どうやら脅しをかけているらしいのだが、声が男にしては妙に甲高くちっともそれらしく聞こえない。


「いや、いってる意味がわからないんだが……」


「これはこれは。ここ聖地グリモワールキングダムはメイドとの小粋なお喋りとファンタジックな世界観を愉しむお店。おまえのようなチャラいリア充が蹂躙していい場所じゃねぇんだよ」


「そうだそうだっ」

「二度と来るなっ」


 カマキリのように細っこくて長身の男が叫ぶと周囲の男たちが追従して猛っていた。どうやら先ほどクリスと異様なまでにスキンシップを取ったことが常連客である彼らの反感を買ったらしい。上総を一方的にメイド喫茶の輪を乱す害物と決めつける糾弾にカチンと来ないわけでもないが不必要に争って波風を立てる意味もない。


 ――こういう手合いは相手にすればつけあがるだけ。


 言葉をかわす意味も見出せなかった上総が無言で踵を返すと、男たちは自分たちの威嚇が覿面に効果を発揮したと思ったのか勝ち鬨を上げ出した。


 さらにあろうことかその場を去ろうとする上総の前に数人が立ちはだかって見下すような目つきをする。上総は困ったように大きくため息を吐いた。


「おっ。見てくだされ皆の衆よ。リア充もどきが退散しましたぞ」


「これぞおれたちグリモワール自治会の勝利でござるっ」

「これもポンスケどののご威光があってのこと」

「いえいえ、COOL36さんの決め台詞が――」


 言葉の端々を捉えればどうやらネットかなにかで集まった極めてゆるい繋がりの集団である。


(オフ会でメイド喫茶なんか行くなよな)


 そもそも成人している人間がみょうちきりんなハンドルネームで呼び合うこと自体上総はひとごとながら強烈な羞恥心を覚えるのだ。


(やむを得ん。クリスにはロインしとくか)


 いつも使っている強烈なライトグリーンが目印のSNSを立ち上げると目敏く見咎めた男が素っ頓狂な声を上げた。


「ややっ。コイツはあろうことかクリスちゃんとロインをやってござるぞ!」


「んだとっ」

「おれらが何度聞いても教えてくれなかったのにィ」

「いつの間に……!」


「許すまじ。さては上手いこと我らのクリス姫を騙した挙句パコろうなどとしているのでは」


「没収、ボッシュートなりよおおおっ」


 ニタニタと小汚い笑みを張りつかせながらカニのように横幅のある顔をした男が上総のスマホに手を伸ばして来る。


 さすがにこれ以上はマズいと思い手首を掴んで軽く振る。


「あいんっ!」


 カニ男はでぷっとした身体を回転させながら宙に舞うと背中を強く道路に打ちつけ吐瀉物をあたりに撒き散らした。ほんのりとアンモニアとスカトール臭が漂っている。どうやら気絶した瞬間に失禁と脱糞を行ったらしい。


 図体の割には一撃で沈む。上総はもしゃもしゃとした自分の髪を掻くと首を左右に振ってコキコキ鳴らした。


「あのな。おまえらいいかげんにしろよ」


「オニオン大佐、オニオン大佐ーっ。傷はまだ浅いでござるぞおおっ!」


 気絶して泡を吐くカニ男を髭ダルマのような巨漢が介抱にかかるが糞便を漏らしていることに気づくと「おうぇ」と叫んで距離を取った。


「アヤつけてきたのはそっちだかんな。それと仲間はちゃんと連れてけよ。いい加減目障りだ」


 軽く威を込めて睨むとそれだけでも相当に激しい恐怖を感じたのだろうか。男たちはオニオン大佐を担ぎながら蜘蛛の子を散らすようにその場から去っていった。


「なんなんだったっんだよ」


 呆然とその場に突っ立っていると店先から制服を着た小柄な少女がひょいと現れた。


「やるじゃない、あなた」

「え、確か君は……」


 猫のような目は最初に上総を接客したナホトカという源氏名の少女であった。制服を着ているところを見れば高校生なのだろう。

「兎島りん、よ」

「りん? え、でもナホトカって」


「そんな名前の日本人がいるわけないでしょう。あれはお店の名前。あたし仕事とプライぺーとはきっちり分けてるの。メイド服を着てないときはオフなの」


「ああ、それは、どうもお見それしました」


「でも、結構度胸あるのね。オタとはいえフツーはあの人数に囲まれたらヤバいでしょ」


「はぁ、まぁ」


「なんだかハッキリしない態度だけどあなたよほど自分に自信があるのね。最初はただボーっとしてるだけのオジサンかと思ったけど、そういう物事に動じないところは加点ね」


 そいつはただボーっとしてただけなのであるが。だが聡い上総は状況的に口を差し挟むことをやめた。


「それとお店の子たちに代わってお礼をいわせてもらうわ。ありがとうね」


「なんの話だよ」


「あのキモオタたちよ。あいつら勝手に自治厨名乗ってこの店を勝手に牛耳ろうと企んでたの。お店の子たちをランク付けして少しでも自分たちのグループ以外の人間が仲よくしようものなら、あたしたちの知らないところで圧力かけてたみたい。店長もあいつらお金だけはやたらに落としてくから注意しにくかったみたいで。でも、あんたがガツンとやってくれてスカッとしたわ」


「まぁ、やつらもたいした怪我はしてないみたいだし、これに懲りれば勝手なことは慎むんじゃないかな」


「うんうん。あんたってば話がわかるじゃない」

「ふっ。そうかな」

「オッサンにしては」


「……」


「ああ、もう変なところで傷つかないでよ。冗談よ、冗談」


「君ってばホントはそういう性格だったんだな」


「ん。お店のアレ? えーと、あたしバイトはじめたばっかで実はメイド喫茶ってまだわかってなかったんだよね。仲のいい子が今日したみたくやればウケるっていったんでやってみたんだけど、ダメだったかなぁ」


 ふ、とりんは困ったように顔を曇らせる。


「ま、別にあれはあれで需要があるかもしれないが、普段通りの君を出せば問題ないんじゃないかな」


「え、ほんと? じゃカズサのいうとおりにあたしするねっ」


 りんは猫のような瞳を細めて笑みを浮かべた。初見ではきつかったイメージが払拭されて上総はりんのあいらしさに打たれて若干どぎまぎした。


「い、いや。別に俺のいうとおりする必要は……」


「でも、あたしの出待ちしてくれてるなんてちょっとうれしかったな。そういうことってなかったから」


「は?」


 上総はあくまでクリスが出てくるのを待っていただけなのであったが、このりんという少女はやたらに早とちりをしているようである。訂正しようと一歩前に出るとネクタイを掴まれぐいと強制的に顔を下げさせられた。


 ちゅ


 と唇に淡い感触を覚えハッと顔を上げると上総は状況を再認識した。


「じゃねっ。また来ないとダメなんだから」


 我に返るとりんが遠くまで走り去りながら手を振っているのが見えた。


(なんだこれ、なんだこれ。もしかしてこれがモテ期ってやつですか?)


 胸ポケットを見ればりんが瞬間的に差していったメモがあった。開いてみるとかわいらしい丸文字でロインのアドレスと携帯の電話番号が書かれていた。


「ふふふ。近頃のJKは積極的ですなぁ」


 紅のクールな魅力やリリアーヌのグラマラスさやクリスのコケティッシュさとも違うりんの明るいかわいらしさに思わず鼻の下が伸びる。


「へぇー。勇者さまはさすがに天下の英雄ですね。私の目が届くところでもお手がお早い」


 烈風のように吹きつけて来る殺気に全身が強張った。


 おそるおそる階段の方向に視線を向けると、そこには今まで見たことのない微笑みを浮かべるクリスがいた。


 


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