31「メイドスクランブル」
上総は勢いで紅の依頼を引き受けてしまったが店を出た途端に深く後悔した。
「リリアーヌにどう説明すりゃいいんだ」
実のところここ数日過剰に退魔業を引き受けてしまったことによる家庭の不音響が雪村家に表れはじめていたのだ。
「クリスはいいんだ。クリスはね」
上総が見るところクリスのストレス耐性は非常に強い。彼女はひとりで行動することがあまり苦にならないのか、日本にもすぐに慣れ着々と行動範囲を広げ上総の知らない知人もかなりできている。
「だが、問題はリリアーヌなんだ」
コミュニケーション能力の高いクリスに比べればリリアーヌはわりと人見知りをするタイプであり自分から新しい関係性をガンガン築けるタイプではなかった。そういった自分の殻を破るために接客業を選んだのではないかと上総は察するのだが、仕事上の関係とプライベートではまた別問題なのだろう。
リリアーヌは夕刻にアパートを出て深夜に至るまでホステスとして働いているため以前よりも上総やクリスとコミュニケーションが取れていないことにストレスを感じはじめているようだった。
おまけにリリアーヌはああ見えて自他共に知られる強情っぱりである。自分から「やる!」といい出した仕事を投げ出してもっといっしょにいたいなどと素直にいえる性格ではない。
こうと決めたらとことん自分の考えを押し通す。国や家族を捨てて異世界から日本にやって来た経緯や彼女の想いを知っているだけにリリアーヌのさびしそうな横顔は上総の胸を打った。
そのあまりにわかりやすい態度に上総は心を痛め、ついには「紅と談判して仕事を減らしてもらう」とまで宣言したいきさつがあった。
「ああ、その矢先になんで俺はええかっこしいを……! ばか、ホントばかっ」
三十男が道端で自分の頭をぽかぽかやるのは、いうまでもなく異様な光景だった。
「なに、あの人」
「ダメよ、見ちゃ」
仕事帰りのOLたちが歩道にしゃがみ込んでひとりごとをつぶやく上総をさけて横道に入ってゆく。
上総は己の歳を考えぬ幼稚な行動にハッと気づくと口笛を吹きながら自分を見つめる群衆からそっと遠ざかり、最後はダッシュで逃げた。
「仕方がない。こういう場合は利け者クリスに相談して善後策を練ろう」
と思って帰宅すると珍しいことに自分を出迎えるメイドの姿はなく、代わりに急遽秋葉原のメイドカフェに出勤しますという置手紙のみが残されていた。
「うーん、こういうときに限って間の悪い」
実際問題金に困っているわけでもないのでそこまで出勤する必要もないのであるが、クリスもリリアーヌも妙に律儀で手を抜くということが得意ではない。ふたりとも頼まれれば後先考えず引き受けてしまう部分があり、その意味でこの三人はどこか似ていた。
人波に揉まれながら数駅を経由して夜の秋葉原に降り立つ。そこには異界に堕ちた際の名残は微塵もなく人々がいつもどおりの日常を過ごす姿があった。
「頑張った甲斐があったな……」
さまざまなものを求めて人々は秋葉原に集まっている。夜になりかけたばかりの秋葉原の街は以前と変わらず賑わっていた。肩にのしかかる昼間の疲労を感じながら通りを行く。
(いつ来てもこの街はリュック率が高いな)
喧騒を抜けてしばらく移動すると、クリスが勤務しているメイド喫茶『グリモワールキングダム』のけばけばしい看板が見えてきた。
「うっわ、ドギツいな。ゆるオタはこれ見たら退散するんじゃないか?」
これでもかと電飾で彩られたそれはどこからどう眺めても怪しげなお店にしか見えない。
けれども一部の粋人には一周回り切って「だがそれがいい」と相当に人気らしい。それを物語るように地下の店に続く階段には多数のご主人さまが列をなして並んでいた。ここでもリュック率は非常に高い。上総は一瞬の美意識を感じながら列の最後尾へとおとなしく並ぶ。前方には二十人ほどいるだろうか、上総が店に入れるのはまだまだ時間が必要そうだ。
手にしていたスマホでクリスに連絡を取りどうにか便宜を図ってもらえないかどうか聞こうと考えつく。だがロックの暗証番号を途中まで入力してやめた。居並ぶご主人さまを追い抜かして入店するのはなにか悪い気がするのだ。
(そうだな。ズルはやめよう)
上総は特にスマホを弄ぶこともなく地下を睨みながらジッと待った。耐えること、待つことは苦にならない。すべてが忍従と苦難の人生だった。人は耐えることによって自分を磨くことができる。そんな想いにしばし囚われる。
そうこうしているうちに列は徐々に進んでゆく。想像していた以上に早く上総は『グリモワールキングダム』に入店することができた。
「お帰りなさいませ、ご主人さま」
カランコロンとベルを鳴らしながら入店すると黒を基調としたメイド服に身を包んだメイドがふたりそろって上総を出迎えた。
「あ、はい。ただいま戻りました」
「ぷっ……あ、いえ。すみません。それではご案内させていただきます」
上総のしどろもどろな受け答えがおかしかったのか、メイドたちは吹き出しかけるがそれも一瞬のこと。すぐに笑顔を取り戻すと上総を席に案内する。店内は剣と魔法のファンタジーをコンセプトにしているのか、それっぽいモニュメントで丁寧に飾りつけられている。店名のグリモワールにちなんでか、魔法書をイメージしたなにやら古い書物が壁などに展示されていた。
「これは……飾りだな」
席に座ってからメイドが注文を取りに来るまで時間があるのであちこちを触ってみる。テーブルに置かれていた魔法書は途中で開いたまま固定されていた。
「ちょっと! それただの飾りよ。メニューなわけないじゃない。勝手にいじらないで欲しいんだけどっ」
「え、えええっ?」
オブジェを弄んでいると突如として現れたメイドに叱られ上総は驚きの声を上げた。
「ふん。冴えない顔ね。ま、この店はアンタのような男でもご主人さまとして扱ってあげるけどあまり調子には乗らないことね」
メイドは十代後半だろうか。やたらに高圧的な態度で接して来た。長い黒髪をツインテールにしており、それがよく似合っている。猫のような大きな瞳だ。小柄ながらスタイルがよくスラリとした細い脚は長く美しい。上総は日本人離れしたメイドの登場にこの店のレベルの高さを否応なしに見せつけられた。
「ナホトカよ」
「は?」
「ナホトカ。名乗ってるの。アンタも名乗り返すのが礼儀ってもんでしょ」
とまどいながらメイドの胸の部分に視線をやると丸っこいプレートにカタカナで彼女の名前が記されていた。
(なるほど。それがこの子の源氏名ってやつか)
アイドル並みに容貌が整っていても少女はどう見ても生粋の日本人だ。リリアーヌやクリスを見慣れた上総にはむしろあっさりとしていて落ち着ける雰囲気でもあった。
「で。早く」
ナホトカと名乗ったメイドは腰に手をやって苛立たし気に踵のヒールを床に打ちつけている。
客商売でこれはありなのか。
が、結局のところ彼女の眼力に負けて上総は及び腰で名乗った。
「あ、ええ、うん。雪村上総です」
「あ、そ。じゃ、さっさと注文しなさいよね。仕事帰りで疲れてるんでしょ。さっさと注文しないと料理ができるのも遅くなるのよ、もう」
「じゃ、じゃあなんにしよっかな」
気圧されるようにメニュー表を開く。だが、カラフルな料理がいろいろあって上総はとまどうばかりだ。見かねたようにナホトカがひょいとメニューを取り上げ、指先で一点を叩く。
「ちなみにあたしのおすすめはこれよ。オムライスね。基本だけど」
ナホトカはオムライスとパスタとドリンクを指差し、ふんとそっぽを向いた。
――ツンなのか? ここはそういう店なのか?
上総は勢いに飲まれないようあえて迷ったふりをしてメニューをパラパラめくる。
「ええと、でもほかにもいろいろあるなぁ」
「わかってるでしょうけど、基本ドリンクはぼったくりよ。カズサもこんな店で注文せずにコンビニで買えばいいのにっていうレベルだから。けどあたしたちはあんたたちを養分にして生きてるようなもんだから世界って循環してるのよね」
ナホトカの声はやたらに通るのか料理を運んでいたメイドたちがそろってびくりと震えた。
「メイドがぼったくりいうなよ。とりあえず、君の選んでくれたおすすめメニューを今日はいただくとするよ」
「は? 勘違いしないでよね。別にあんたが特別ってわけじゃないから。あまりーに気の毒だから情けをかけてやってるだけ……ちょ、なにするのよっ」
上総がぼーっとしている間にナホトカは数人のメイドに脇を極められて退場していった。
「もうしわけございませんご主人さま。ただいますぐ別の者が参りますので」
「は、はぁ……」
ぺこりとやや長身のメイドが詫びる。どうやらナホトカの接客はこの店のスタンダードではなかったらしい。
「ああっ、勇者さま来てくれたんですねっ。なーんですぐこのクリスめを呼んでくださらないのですかっ」
「だああっ。ちょ、危ないっての」
ほどなくして代わりにクリスが登場すると店の端からダッシュしながらボックス席にダイブを決めて来た。なんとかテーブルのコップを落とさないように受け止めるが座席のソファに押し倒される格好になる。これがこの店の方針ではないことに、周囲の客やメイドたちからドッと歓声が上がった。
「すりすりすりー」
「お、おい。マズいだろ。ここはそういう店じゃないだろーし」
クリスは上総の胸に顔を埋めながらよくなついている犬のように身体を全力でこすりつけて来る。どうにか身体の位置を変えようと苦心しているのだが体術においてはクリスも素人ではないため容易に押し返すことができない。むにゅりと妙なところを触ると「きゃんっ」と黄色い声が上がり周囲から殺気のオーラが濃密に立ち昇った気がした。
「ちょっと気になって様子を見に来ただけだっての。もういい加減離れてくれよう」
「うーん。私としても勇者さまを困らせるのは本意ではありませんし。ここは一旦己を殺して全力でご奉仕させていただきます」
「な、なんでもいいから普通にやってくれ、普通にな」
「いえいえ。クリスの大事な勇者さまがご来店とあらばすべてを擲ってでもご奉仕せねば……」
「それは職務放棄……でもないな。けど厳密にいうと特定の客を異常に厚遇するのはよくないと思うけど。とりあえずなにか注文していいかな。ついでにここで夕飯を食ってくよ」
「それでは全力でお給仕させていただきますね」
「えーと、さっきのメイドがおすすめしてくれたこのオムライスと飲み物は――」
「ナホトカちゃんですか? あの子はなんか独特なんですよねー。変わってます」
「おまえに変わってるっていわれたらおしまいだな」
「? なにかおっしゃいましたか」
「いや、ひとりごと」
「飲み物は生でいいですか? それともポン酒最初からいっちゃいます?」
「コスプレ居酒屋かよ、ここは。コーヒーとオムライスでいいよ」
「コーヒーはあちゅあちゅ、でいいですか?」
クリスがメニューを指差しながら小首をかしげて訊ねてくる確かにメニュー表には各ドリンクの横に『あちゅあちゅ』と『ひえひえ』の二種が丸っこい字で書かれていた。
「なんだよそのおもくそぶっ飛ばしたくなるような単位は。ホットでよろしく」
「了解しましたっ」
ばびゅん、とクリスが厨房に飛び込んで十五分。疾風のように注文の品を携えたクリスが同僚を弾き飛ばしながら上総の席まで戻って来た。クリスに弾き飛ばされたメイドたちはお盆に載せた品を器用に落とさずコマのようにスピンしている。どうやら体幹は相当に鍛えられている少女たちばかりのようだ。
「お待たせしました。こちらご注文の品になっております。お間違えないでしょうか?」
「ん。問題ないよ」
「それでは失礼して」
「おい、なにをやってる」
「え?」
クリスは注文の品をテーブルに置くとあたりまえのように上総の隣に腰を下ろした。
「なにって、おかしなことをいいますね勇者さまは。モチのロン、これから勇者さまのお食事を手伝うためスタンバイするのはメイドとして当然の行為なのですが」
「おいおいおい、ほかのメイドはそんなことやっているように見えないんだが」
「そうですかぁ。クリスの位置からは上手く確認できないんでよくわかりませんが、別にいいじゃないですか」
「……わかったよ。とにかくこれ食い終わったら家に帰ってから話があるからな」
「ただそれだけを伝えるために来店してくださったのですね。電話やメールですむことを、わざわざ足を運んでくださって。クリスは勇者さまの深い愛を感じずにはいられません」
「どうでもいいけど、ほかの客とかメイドが凄い目で見てるのだが、問題ないんだよな。本当に」
「やですよぉ。もーう、もうもう。そんな小さなこと気にしてたらビッグな男になれませんよ」
クリスはぴったりと上総にしなだれかかったままま、耳元に顔を寄せて目元を潤ませている。
「え。あの方は店長さんですね。なにか気になります?」
「大いに気になるよ。すんげぇ目でこっち見てるし」
先ほどから店長がハラハラしながら自分たちの行動を見ている。
(すぐにストップがかかると思ったんだが)
あまりにクリスの無茶苦茶な行動を目の当たりにして脳にインプットされた情報が限界を超えているのだろう。数人のメイドたちが男の袖を引きつつ行動を促しているのが遠目にもありありとわかった。
やがて意を決したのか、男はつかつかと上総たちの前まで来ると威厳を取り繕って瞳に強い視線を込めた。
「お客さま、たびたびもうしわけございません。少しウチのキャストに話がありまして。さあ、クリスくん。ちょっとバックヤードまで来てくれないか」
「え、ヤです」
「は」
クリスはこともなげに男の指示を無視するとふんふん鼻歌まじりにケチャップを手に取るとオムライスの上に落書きをはじめた。どうやら上総の似顔絵をデフォルメにして書いているらしい。特徴を的確に捉えた再現度に上総は一瞬に心を奪われ今の状態を忘失しかけた。
「……じゃなくてだね。このお客さまは君の知り合いかね? お店でこういう行動を取られちゃ困るよ、ほかのお客さまの手前も」
「もーう、わかりましたよう。通常営業で対応すればいいんでしょう」
クリスは不満げに唇を尖らせるとブツブツつぶやきながら座席から立った。
「わかってくれればいいんだよ……ああ、お客さま大変失礼しました。それではごゆるりとグリモワールキングダムでおくつろぎくださいませ」
店長はひとしきり常識を説いたことで満足したのか静かな動きで上総の席から遠ざかってゆく。そのうしろ姿にクリスがロムレス語で聞くに堪えない言葉で罵ったのを上総は聞かなかったことにした。
「それでは勇者さま。あーんなさってくださいませ。クリスが口移しで食べさせてあげますよう」
「おまえやっぱ全力で喧嘩売ってくスタイルなんだな」
上総はクリスがオムライスをもっちゃもっちゃ咀嚼しながら顔を寄せて来るので全力で逃げた。
「ええと、つまりは勇者さまがお仕事であまりお帰りになられないという背信行為を姫さまに無理強情にでも納得させろ、と。そういう鬼畜的案件ですね」
「そこまでのことなのかよっ」
「甘いですねえ。とってもとってもスイーツなお考えです。なぜならば、姫さまは勇者さまが想像している以上に超絶甘ったるいプリン脳なのですよ」
「おまえってリリアーヌがいないと案外メチャクチャにいうのな」
「クリスは勇者さまがなにをおっしゃられているのかこれっぽっちもわかりません」
クリスは上総が飲むべき食後のコーヒーに無断で砂糖とミルクをどちゃどちゃっと入れるとぐーるぐーると混ぜはじめる。漆黒の液体はみるみるうちにクリーミー化されて上総は口をつける前に口腔全体が甘ったるくなったような気がした。
「あの、クリスさん。ちょっと糖分過多なのでは?」
「ええ、だっておコーヒーはたーっぷりお砂糖さん入れないとにーがにがで勇者さまの味覚破壊が行われてしまいます。これぞ忠義心の発露ですよね。あやや、そんなに褒めてくれなくってもいいのですよう。クリスは勇者さまとこうやっていられるだけで充分しあわせなのですから」
クリスはそういうと自分の頬に手を当てながらカップへと矢継ぎ早にミルクを注ぐ。
「浸ってるのは個人の自由なのだが、カップの表面張力限界に挑まないで欲しいよ」
「ま、とにもかくにも姫さまのことはこのクリスにお任せして勇者さまはご自分のなさるべきことに集中してくださいませ。そうなると残念ですがお店のシフトは減らさなければなりませんね。クリスはこのカフェの主戦力なので朋友の皆さま方にもご迷惑をかけてしまうことになるので心苦しいのですが」
上総は離れた場所でメイドたちが「とっとと連れ帰れ!」と書かれたカンペをこれ見よがしに突きつけてるのを目にして少し悲しくなった。
「クリスさぁ……まあいいや」
「いいかけて途中でやめるのはおよしになってくださいな。すっごく気になるじゃないですか」
「おまえはもう少し他人のことを気にしたほうがいいな」
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