第26話「無職の俺に明日はない」

「信じられないと思いますがこれは特撮でもCGでもありません。すべて現実なのです」


 東京都市ヶ谷の地下に建設された、知る人ぞ知る陰陽機関の本部――。


 内閣調査室の下部組織ながら絶大なる権限を持つこの機関の長である安倍晴房はスクリーンに映し出される破壊されゆく秋葉原の映像を前にし、そういった。


 彼は日本陰陽師のドンと呼ばれている名門中の名門だ。


 晴房は日本人離れした長身と五十男の貫禄に満ちた覇気あふれる男であったが、秘密撮影した画像が爆炎とともに乱れる瞬間だけはわずかに頬を強張らせた。


 このようにして首相、官房長官、外務大臣、防衛庁長官、法務大臣、東京都知事も名を連ねる今回の「秋葉原駅特殊零号対策委員会」の会合は件の撮影動画から波乱含みで開始された。


 各省庁及び機関の関係者は最初は口々に流れる動画を揶揄していたが、巨大な石像が生き生きと動きながら秋葉原の建造物をこともなげに破壊してゆくくだりとなると一様に押し黙った。


「この動く石像、便宜上私たちはゴーレムと呼んでいますが、これの肩に立っている人物をご覧いただきたい」


 晴房が映像の一部をズームすると血塗れの状態で高さ八、九〇メートルに達する位置でなにごとかを叫んでいるエルアドラオーネの姿が映し出されると、関係者たちから異様などよめきが生まれた。


「まだ、ずいぶんと若い女じゃないか」

「この女が巨人を動かしているとでもいうのか」


「到底、理解はできそうにないが、実際に被害は出ている」

「顔立ちからいって中東系か」

「喋っている言語は、なにかな。安倍くん」


 有識者のひとりである大学の学者が興味深そうに進み出た。


「現在、この女性の使用している言語を解析していますが地球上には存在しない言葉を用いているらしいとのことです。強いていうならば、この女性の容貌と同じく中東の言語にかなり似通っているようですが」


「しかし、この巨大な石像をいくら陰陽機関といえどどうやって倒したというのだね? 自衛隊が出動したとは聞いていないのだが」


「ゴーレムを斃したのは、我が陰陽機関の俊英である白河組の長です」


 晴房が片目をつむると画面に女子高生の制服を着た少女が映し出された。登下校のシーンを盗撮したのか、紅の姿はどこか弛緩した様子である。


 紅はこれほど無防備な場面を取られていても誰もがハッとするようなすぐれた容姿をしていた。


 関係者たちは、ただの女子高生に過ぎない紅が大怪獣のような巨人を斃したという事実に頭の回線を上手く繋げられず、ざわめきは強くなった。


「疑うわけではないが、本当にこの少女があのゴーレムを斃したというのかね?」


「すごい美少女じゃないか。ホラ、なんといったか。あのアイドルグループのセンターの子にどこか似ていないか?」


「信じがたいな。どうやってあの巨人を破壊したというのだ」


「皆さまがお疑いになるのはいたしかたありませんが、すべて真実です。彼女は白河紅といってこの道では名門の家柄。彼女は若干十六ながら去年の暮れには和歌山で五〇メートル級の牛鬼を単騎で討滅していますので、今回も我々としては特に驚いてはおりません」


 一同のざわめきが途切れたところを見計らって晴房は再び話を本筋に戻した。


「さて、皆さま方に現状を認識していただいたところで、まだご説明せねばならないことがあります。実は、秋葉原の事件、これでまだ収束したとはいえないのです」


「なんだって……!」

「バカな、まだこれ以上なにか起きるというのかね」


「正確には、すでに起きているのです。ご覧になってください。これが現在の東京の地図になりますが、順に、新宿、品川、駒込、渋谷、新橋と五ケ所の駅を中心とした場所に特異点が形成され異様なエネルギーが観測されています。つまりは、残りの五ケ所はいついかなるときに秋葉原駅と同様異界に変異してもおかしくはないのです」


 関係者は各駅における機能停止時の経済的損失試算を目にした途端肌寒くなった。


 想定をはるかに超える都内の経済負担にそれこそ蜂の巣を突いたような騒ぎになり、晴房は議題を元へと戻すため忍従を強いられるのだった。


 長い会議のあと、決まったことといえば対処療法的に、今後各駅に秋葉原駅と同様の超常現象が起きたときは今回と同様に陰陽機関の退魔士を割り当てて適宜対処するということだった。


 各関係者の課長たちは「いざとなれば警察の特殊チームを大量導入すればどうとでもなる」というレベルのものであり、晴房はその危機意識のなさに誰もいなくなった会議室の中でひとり嘆息するばかりだった。


「お疲れさまでした所長」


「猫屋敷くんか……冗談抜きで今日ばかりは疲れたよ。あの石頭どものものわかりの悪さと来たら」


 晴房は秘書を務める猫屋敷りおんの運んできたカップに口をつけると舌を焼きそうなほどの熱いコーヒーをこれみよがしに音を立てて啜った。


 ぴったりとしたパンツスーツがよく似合う日本人離れした体形を持つりおんは「しょうがないな」というように晴房のどこか子供っぽい態度に苦笑している。


 りおんは大きくやや垂れ目がちなおっとりとした顔つきだが、いうことはキチンという気の強いハッキリした性格だ。


「であればなおのこと。所長が気づいていたことを包み隠さずお伝えすればよかったのでは」


「バカいうな。そんなことをあいつらにストレートにいってみろ。予算減額どころか、おれは機関を追放されて街を追われるハメになる。縁起でもないってな」


 そういって晴房は残ったカップの中身をグイッとひと息に空けると、会議室のスクリーンに東京の地図を映し出した。地図には今回発端となった秋葉原駅と主要な各駅が映し出されりおんが小首をかしげた。


「これは……?」


「秋葉原、新宿、品川、駒込、渋谷、新橋の六ケ所。件の霊的磁力が異様なまで強まった地点だ。これらをラインで繋げると、こうなる」


「あ、六芒星!」


 画面上には晴房がいうように歪ではあるが、確かに六本の線が交差する星が生まれていた。


「そう。綺麗な形ではないが、都内の中心部に魔術的といってもいいヘキサグラムが誕生している。それにつけ加えていうと、これは各お偉方には黙っていたのだが、ライン上においては軽微ではあるが怪異と思われる現象がチラホラ上がってきている。単純に考えて、今現在東京で起こっていることは、敵方がなんらかの霊的大儀礼を持って洒落にならんものをこの地に召喚しようとしているんだ」


「鬼……ですか?」


「いや。猫屋敷くんが想定している七年前の事件をいっているのなら、今回は桁が違う。そうでなくても秋葉原の事件で死者はすでに八〇〇人を超えている。敵の真の狙いがわからないが、この規模における魔方陣が発動すれば東京都下の犠牲者は下手をすれば数百万人規模に膨れ上がる。――冗談ではなく、日本は滅亡するだろう」


「そんな……」


「ま、それほど心配することもない。そうならないためにおれたちが動いてるワケだ。幸いにも、今回活躍してくれた白河くんが秋葉原の事件を起こしたと思われる首謀者から、色々と使える情報やらなんやらを手に入れている。それを解析すれば、大丈夫さ」


「所長、あまり怖がらせないでください。頼りにしていますよ」


「おいおい、猫屋敷くん。こんなロートルを頼りにしているようじゃダメだよ。君もそろそろいい歳なんだから、いい相手をだな――」


「所長。それってセクハラ案件ですよ」


「え。おいおい、勘弁してくれよ。そういえば、さっき会議の前に今回の事件で活躍した白川くんや岩手彦たちに特別褒賞を渡してきてな」


 晴房は顎に手をやると、くくくとさもおかしそうに思い出し笑いをした。


「特別褒賞? 退魔士の方々にですか。珍しいですね。いつもは面倒臭がって出ないじゃないですか」


「いや、今回はたまたま東京まで出ることがあったし時間も空いていたからな。それに今後の退魔士のみなの士気を鼓舞する必要性もあったしな」


「どうしたのですか」


「いやぁ。昨今の若いやつは、草食系だなんだといわれているが、中にはまだまだ骨っぽい男もいたもんだ。表彰の途中でな。まあ、岩手彦のやつが白川くんに余計なことをいったんだよ。アイツは巧まずして人をイラつかせることをいうからな」


「岩手組の岩手彦ですか。あの怖い人ですね」


「それでな。白川くんは、その場は耐えたんだが……協力者かな。一緒にいた青年が、殴ったんだよ」


「殴った……! まさか。あの岩手彦ですよ」


 陰陽機関の中でも岩手彦の実力は鳴り響いている。りおんは蒼白な表情で口元に手をやった。


 普段は物静かな岩手彦であるが、その凶暴性は退魔士の中でも並外れている。若いころの暴力沙汰はもはや伝説級となっているほどであり、そのくらい晴房の言葉が信じられない暴挙としか聞こえなかったのだ。


「それで、その青年は――」


 りおんの言葉には「当然青年は酷い目に合った」というニュアンスが含まれていた。  


 なにせ、先年、新宿で元プロボクサーを含むヤクザ七人を病院送りにしているのだ。


「いやあ、凄かったよ。一発でノックアウトだよ」

「かわいそう……」


「岩手彦がな」

「……は?」


「一応は双方から事情を聞いたんだが、今回は岩手彦の分が悪い。だが、その青年は恩人の白川くんが侮辱されたことがどうしても我満ならなかったらしかった。聞けば彼は失職して経済状況も悪く、黙っていれば特別国家公務員になれたはずなのに、よほど腹に据えかねたんだろうな」


「いやいやいや。それってタダの危ない人なのでは?」


「うん、おれは任侠ものが好きなんでね。親分と子分。女子高生が親分じゃチトおさまりが悪いが。うんうん。けどね、おれはああいう骨っぽいやつにこそ、今後の陰陽機関を支えていって欲しいと思ってるんだが。んで、あのあとオファーをかけたんだが、不祥事を起こした自分はその任に相応しくないと固辞しているんだ。奥ゆかしいじゃないか。おれに娘がいれば、是非とも嫁がせたいくらい気に入ったね。どうだね、猫屋敷くん。その青年と一度会って――」


「絶対イヤです」






 ただ黙っておとなしくしていればすべて上手くことが運ぶはずだった。


「やっちまったなぁ」


 上総は東郷元帥記念公園前を歩きながら、先ほど自分が行った暴挙を嘆いていた。


 ――アンタは紅に助けられたんだろ。まず礼をいうのが筋じゃねえのかよ!


 報奨金及び白河組という退魔士の一員にして正式な国家公務員に任命される式場の場で上総は岩手彦を手加減なしで殴りつけていた。


 それからあとは乱闘となった。


 上総を制止しようとする職員とその場に居合わせた退魔士の各組員を無我夢中で千切っては投げの格闘戦。


 ただ、どうしても上総は席を通りすがりに岩手彦が投げつけた言葉が許せなかった。


 ――姉に助けられたな。


 どんな気持ちで紅が姉とそっくりのゴーレムを破壊しろと自分に頼んだのか。

 白河組の領袖になったのは紅が望んでのことではないとわかっているはずなのに。


 姉が死んだことを彼女がどこまで嘆き悲しんでいるかは、つき合いの長い岩手彦のほうがよくわかっているはずなのに。


 今回の表彰で常勝を誇っていた岩出組が実質正規メンバーひとりの白河組に負けたことがよほど自尊心を傷つけたのだろうか。


 だが、それらを加味しても――。

 紅の胸中を慮れば岩手彦の心無い言葉は絶対にありえなかった。

 ねえ怒らないで。あたしは大丈夫だから、さ。


 蒼ざめた表情で屈辱と怒りに耐える紅を見れば上総は胸に湧き上がる烈火のような怒りを押し留めることができなかったのだ。


 あのあとに現れたお偉いさんに事情を説明したのであるが、これでもはや夢の公務員推挙は実質上不可能だろう。


 あとから壮年の男性が追いかけてなにごとかをいってくれていたが、自分がどう受け応えしたかも覚えていない。


 拳をジッと見る。岩手彦の砕けて刺さった歯の痕も勇者の紋章の力ですでに治癒していたが、行った暴挙は消えてなくならない。


 ため息も出ようものだ。


「ねえ、ちょっと。ちょっと待ってよ!」

「紅か」


 振り返る。そこには息せき切って肩を上下させる可憐な女子高生の姿があった。


 市ヶ谷駅にリリアーヌとクリスを待たせている。無職であることが完全に確定した今となっては顔を会わせづらいのだ。ならば多少気まずくても紅と一緒のほうがいいか。


 上総は自然と隣に並んだ彼女に歩調を合わせた。


「なんで、あんなことしたのよ……」

「いやぁ、なんででしょうね」


 耐えるのが大人だというのに自分は本当になにをやっているのだろうか。よくわからないがスッキリしたことだけは確かだった。本当に自分はダメな人間である。


「これでアンタ就職もパーじゃん。明日からどうすんのよ」

「いやぁ、どうすればいいんでしょうかね」

「いやぁじゃないでしょうよ」


 そのまま連れ立ってしばらく無言で歩いた。ルクセンブルク大使館を右に折れてとぼとぼ歩くと市ヶ谷の駅が見えて来た。前方から特徴的な女性ふたり組が駆けて来る。間違いなくリリアーヌとクリスだった。


 さあ、どういいわけしようかな。戸惑っているとリリアーヌとクリスは互いに顔を見合わせ、ふんわりとした表情を作り上総の言葉を待った。


「いやぁ、なんか就職ダメになっちまった」


 肩を落としながらいった。しばらく目をつむっていたが、ええいままよと片目を開ける。


「カズサさま、お疲れさまでした」


 リリアーヌは怒るでもなく嘆くでもなくすべてを包み込むような笑顔で楽しそうに微笑んでいる。


「あのね。怒りなさいよ。コイツは一時の感情を抑えきれずなにもかもダメにした大馬鹿野郎よ! 後先顧みないこんこんちきなの!」


 紅が目を三角にして吠えた。リリアーヌとクリスは顔を見合わせくすくす笑う。


「ひでェ」

「あたしのことなんて……放っておけばいいのに」

「でも、それがカズサさまですから」


 リリアーヌは目を細めて頬をゆるめる。


「お金のことはご心配なさらずにっ。勇者さまは正しいと思ったことをおやりになってくださればよいのです」


 クリスは両手を両足をバッと広げ元気よく声を張り上げた。通行人がなにごとかと一瞬足を止め、すぐに歩き出す。


「紅。俺はあのとき岩手彦をぶん殴ったことに後悔なんてないんだ」


 紅は両目を見開くと唇を震わせ顔をクシャクシャにした。


「バカよ、アンタたち、ホントバカなんだから……」


 外道丸は人混みの中なので口を利くこともできずに紅の肩に乗って困ったようにしっぽを揺らしていた。だが、その目は確かに上総の行為を褒め称えていた。


 紅は両手で顔を覆うと手のひらの隙間からぽろぽろと涙を垂れ落ちさせた。


 流れ落ちる涙はぼたぼたと地面を濡らしシミを広げていく。

 リリアーヌが紅を抱き寄せ頬擦りしながら慰める。


「でも、ありがとうね」


 紅の言葉。上総の胸に染み入った。


 輝くような笑顔を目にし、上総は照れ臭げにあちこち跳ねたくせっ毛を掻く。


 上総は明日から絶対に割のいいバイトを探そうと固く心に誓っていた。

 



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