第24話「ダンジョンマスターの嘆きが聞こえる」

「アキバはなんでもあるんだねー。この世界のニンゲンはとってもヨワヨワだけど、工人の技術はロムレスとは比べものにならないよ。ホラ、80インチってのは中々いい大きさのテレビでしょ」


「いったいなにがしたいんだよ――」

「まぁまぁそう焦らずに」


 エルアドラオーネがリモコンの電源を入れると民放が特別番組をやっていた。


 秋葉原駅周辺、末広町、小川町、岩本町、小伝馬町、馬喰町、神田和泉町周辺で正体不明の被害者が続出しているらしかった。


 アナウンサーは血相を変えて現場の状況をまくし立てており、流れるテロップは「ガス漏れか、あるいはテロか?」と人々の恐怖を煽るような文言がしきりに踊っていた。


 秋葉原駅周辺は特別警戒区域に指定され立ち入りは許可されていないが、テレビを見る限りはバンバン報道のヘリがギリギリの空域にまで飛んでいるのがわかる。


 画面には救急車で運ばれる多数の都民たちが青白い顔で痙攣したり、中には白目を剥いて叫び出し明らかに発狂しているものまで映っていた。


 推定被害者は現在九〇〇〇人を超える――。


 消防車や警察や医療機関の人間、ついには自衛隊まで出動しての大混乱に陥っていた。


「現在入手した最新の情報によりますと、死者はすでに五〇〇名を超え、今もなおその数は増え続けており、現場は各機関が原因の解明を一刻も早く究明――」


 人相の悪い中年のアナウンサーはノースフェイスのダウンジャケットにしたたり落ちる汗を拭いながら、突如として両眼を見開いた。


「おぶえっ」


 喉元を押さえ手にしていた書類をバラ撒くと仰け反って引っ繰り返る。


「沢村さん? 沢村さーんっ! おいっ、タンカだっ」


 沢村アナはスタッフに囲まれながらげぇげぇと黄色い吐瀉物を吐き散らかしながら激しく呻いていた。


 想像を絶する陰惨な光景に上総は絶句するがエルアドラオーネはからからと真っ赤な喉を見せて楽しそうに笑っている。


 画面左隅に映るLIVEという文字が上総には歪んで見えた。


「なん、だよこれ。なんのつもりだよ、これ」


「うん。やろうやろうと思ってたけど絶妙なタイミングだったよね。わかりやすくいえば、このダンジョン周辺に住んでいるニンゲンたちのマナを吸収させてもらったんだ」


 青い瞳を一層輝かせてエルアドラオーネは赤く輝くダンジョンコアの球体を手のひらで転がした。


 マナとは魔力の根源にして人間の誰もが持っている生体エネルギーのことだ。エルアドラオーネは秋葉原ダンジョンの勢力範囲を広めることによって都民の命を好き勝手に奪い出したのである。


「ふざけん、なよ……もう、五〇〇人も死んでるんだぞ」


「たった五〇〇人でしょ。戦争じゃ誤差程度に過ぎない。勇者くんだってロムレスの兵隊を顎を使って動かして今まで何十万人殺して来たんだい。批判されるのは心外だな」


「罪なき人々を手にかけたのはあなたたち魔族でしょう! カズサさまのお心などなにひとつ知らないくせにっ。恥を知りなさい!」


 巨大な石の腕に握られていたリリアーヌが叫んだ。


 エルアドラオーネは興が削がれたというふうに肩眉を上げると不機嫌な声を漏らす。


「――うるさいなぁ」

「あっ……ぐっ……っ」


 その声と同時にリリアーヌの身体は巨大な腕によってギリギリと締めつけられていく。


「ぼくさぁ。今、勇者くんと話してるんだよね。リリアーヌだっけ? 君って後方支援が主だったくせに、ノコノコとこうやって前面に出てくるから痛い目に合うんだよ。メサイアパーティーのときだって強いお仲間たちに守られていたから活躍できたのに。あまり調子に乗らないで欲しいな。でないと――死ぬよ?」


 長いリリアーヌの黒髪が流れて波打った。


 エルアドラオーネは念動力で奪った聖剣を宙でくるくると躍らすと、切っ先をリリアーヌの胸元に突きつけた。


 ぷつりと先端がリリアーヌの白い肌を傷つける。


「ああっ……ううっ……んあっ……!」


 徐々に身体を絞り上げられ皮膚を薄く切り裂かれたたわわな乳房のほとんどが露わになり、つうと赤い血のしずくが切っ先に伝って落ちた。


「大きくていやらしい胸だな。君はこの肉で勇者くんを堕落させたんだろう? いけないなァ。王女たるものがそのようなことをしてはダメだよ。君は国の模範にならないと。あ、そうだ! このまま勇者くんたちを屠ったあとは、王女、君を洗脳してあのテレビに映った憐れな民草たちの慰み者にするっていうのはどうかな。この世界は、実にいいね。布告を出して民衆を集めなくても、かのロムレス王女が野卑な男たちにオモチャにされるさまを、あっという間に世界中に広げることができるのだから」


 エルアドラオーネは自らの思いつきに酔いしれて、身をよじって高笑いを続ける。


「――なせ」


「え?」


 上総の声。地の底から響くようにくぐもって響いた。エルアドラオーネは目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら顔をひょいと前に突き出した。


「放せっていったんだよ」


 瞬間、閃光が走った。

 上総の胸元に輝く勇者の証である紋章が白く輝いたのだ。


 一瞬で彼我の間合いをゼロにすると上総は一気に地を蹴って飛翔。


 リリアーヌの胸元を傷つけていた聖剣を奪い返すと同時に巨大な石の腕をこれでもかとばかりに切り刻んだ。


 このときばかりは材質など関係ない。

 怒りが上総の力を限界まで引き出し、全盛期の動きを取り戻させたのだ。


 バラバラに砕け散った文字通り敵の手の中からリリアーヌを救い出すと、返す刀で無防備なまま棒立ちになるエルアドラオーネへ聖剣を叩きつけた。


 光量の少ない地下世界に太陽が顕現する。


 上総は左脇にリリアーヌを抱えながらものの見事にエルアドラオーネを袈裟懸けに斬って捨てた。


 振るった剣はエルアドラオーネの右肩から左腰までを見事なまでに両断した。


「な、ば、バカな……こんな……」


 わけがわからないといったふうにエルアドラオーネは驚愕の表情のままその場に凍りつき、次の瞬間ごとりと上半身を床へと落下させた。


 赤黒い血がドッとあふれてその場に池を作る。


「傷が、傷がふさがらない……なぜ……なぜ?」


 斜めに切り分けられたエルアドラオーネはずるずると血溜まりを這いながらなんとか傷を回復させようと試みるがそれは不可能というものだ。


 聖剣ロムスティンには邪を打ち払い魔を清める神聖な力が宿っている。


 神代の時代より伝わった超金属で打たれた剣はこの世のものであってそうでない。


「コアは破壊させてもらうぞ」


 上総は左手でしっかりとリリアーヌを抱き寄せながら、握ったダンジョンコアを強く握り締めた。


 白く輝く球体にぴしりと亀裂が入りたちまち曇った。


 次いで上総の手のひらの球から膨大な魔力が飛散して室内は荒れ狂うような暴風で目も開けていられなくなるほどに変化した。リリアーヌは怯えてギュッと上総に抱きついて来る。上総は静謐を湛えた澄み切った瞳でエルアドラオーネの動きをジッと凝視した。


「ぎざまぁああ……なんで、なんでごどおおおっ……!」


 エルアドラオーネはドス黒い表情のまま絶叫すると、次の瞬間喉から真っ白な煙を吐いて目くらましを放って来た。


 さすがに上総もまともにそれを喰らうほど気を抜いてはいなかった。後退してよけると、強烈な破砕音とともに部屋のあちこちが強烈に揺れ出し崩壊の調べを奏ではじめた。


「カズサさま。部屋が、ダンジョンがっ」


「見ろ、リリアーヌ。エルアドラオーネは地上に逃げたぞ。ここはもうもたない。皆を連れて脱出だ」


 天井に嵌め込まれた石が次々に剥落し、周りの壁という壁が崩れ出した。上総がダンジョンコアを破壊したためにすべてが終わりに向かって動き出したのだ。


「上総っ」

「カズサさまに姫さま、お怪我は――!」


 上総たちを隔てていた土壁はダンジョンマスターの逃走によって砕け散っていた。


 紅とクリスは無事な上総たちを目にすると、跳ねるように駆け寄って来る。

 そのはるか後方では人事不省に陥った岩手彦を介抱する巫女たちの姿が見える。


 上総はすでに固まった額の血の塊をゴシゴシこすり落とすと、リリアーヌを見やって軽く目くばせをした。ツーカーの仲である。リリアーヌはやや疲れた表情であるが、瞳に籠る意志はむしろ強みを増し頼もしいくらいの光を帯びていた。


「リリアーヌ。疲れているところ悪い。このままじゃ、全員に地下に生き埋めだ。できるな?」


「はいっ、お任せください。すべては御心のままに」

 リリアーヌは替えの上着を羽織りながら力強く応えた。






 しばらくして――。


 上総たちはリリアーヌが召喚した精霊七十二柱のひとりであるバシンの力によって秋葉原駅電気街口にまで一瞬で移動していた。


 バシンは蒼ざめた馬に乗った蛇の尾を持つ壮年の騎士の姿をしていた。


 この精霊の力によって、上総たちと岩手彦率いる岩手組の巫女たちは崩落するダンジョンに呑み込まれることなく地上に戻っていた。


「よくやってくれたリリアーヌ。ありがとな」

「ふふふ、このくらいどうってことないですわ」


 強がるリリアーヌであるがほとんど蒼白である。秋葉原ダンジョンにおける異空の壁を力業で打ち破るのはリリアーヌに残った魔力を根こそぎ持っていったのか、相当な疲労度であった。


「な、なによこれ」

「一瞬で、地上に?」

「うそ、ありえないわ、こんなの」


 岩手組の退魔巫女たちはポカンとした表情で上総たちを見やっていた。


 ロムレス王家の血を引くリリアーヌであるからこそ可能な召喚魔術の粋であるが、日本の退魔士ではこれほど強力な術を行使できる人物など聞いたことも見たこともないのだろう。人間、自分の想像を超える範囲のできごとが起これば思考停止に陥ってしまうことが多々ある。


(それよりもなによりも――なんだこの空気は。事態はまったくもって終わっちゃいない気がする)


 確かにダンジョンマスターである魔王五星将である土のエルアドラオーネを斃したはずであるが、駅周辺を包んでいる鬼気は薄れるどころか一層強みを増していた。


 駅周辺には警備の警官が配置されているはずなのに、人の気配というものが一切ない。


 静謐という感じではなく死に絶えた街というフレーズがぴったりしていた。


 異常な雰囲気には慣れているはずの岩出組の巫女たちも想像を絶する事象の連続に神経が耐えきれないのか、しくしく声を殺して泣き出したりその場にしゃがみ込んで動けなくなっているものが多数いた。


 上総は抜き身の聖剣を構えたまま電気街口をにじり出た。左手にダイビル、右手に駅を臨む広場まで到達すると遅れて紅がとたたっと肩に外道丸を乗せ軽やかに駆け寄って来る。


 その怪物はUDXに続く階段の半ばにあった。


 血塗れで息も絶え絶えなエルアドラオーネは瞳を真っ赤に燃やしながら上総のみを真っ直ぐ睨みつけている。


 上総が無言でこの異世界の怪物に対峙しているとリリアーヌとクリス、それに岩出組の巫女たちが後方で留まり小さな悲鳴を上げた。


「よくもやってくれたよね。これで計画が後退したよ。う、くっ。まさかこんな深手を負わされるとは……だが、この程度で終わったと思われちゃぼくも立つ瀬がないんでね」


「エルアドラオーネ。もうおまえの負けだ。そこまで魔力を減じた状態で勝負になると思うのか。せめて苦しませずに一刀で終わらせてやる」


 上総の言葉を無視するかのようにエルアドラオーネは懐から四〇センチほどであるドールの素体を取り出した。上総が怪訝そうに眉を顰めると、横合いから半死半生であったはずの岩手彦がいきなり飛び出して手にした呪符をエルアドラオーネに向かって投げつけた。


 電雷を帯びた呪符は青白く発光しながら真っ直ぐ飛ぶが、エルアドラオーネの目の前にある見えないバリアで弾き落とされた。


「くっ……!」


 せめて一矢報いてやると気張ったらしかったが岩手彦の攻撃は手負いの魔人をさらに怒らせただけに過ぎなかった。


「なんなんだよ、おまえは……! 今はぼくと勇者くんが話しているんだよ。雑魚がいちいち首を突っ込むなよ。ん? ふふふ、いいね。君の頭の中にある彼女、少し使わせてもらうよ」


 エルアドラオーネはそっと左手を岩手彦に向かって差し向けた。


「な――はぐっ」


 同時に岩手彦は頭を抱えるとその場に跪き激しく苦悶し苦しみの声を響かせる。


「どうしたんだよっ。おい、しっかりしろ!」


 上総が右膝を突いて岩手彦の身体を揺する。相当な苦痛が彼を襲っているのか、喰いしばった歯の間から真っ赤な血がドロドロと流れ出していた。


「なによ、あれは……」


 紅の声。見ればエルアドラオーネが所持していたドールはいつの間にか常人と変らぬ程度の女性に変化していた。


 遠目であるが黒いお仕着せを着たメイドであるとわかる。


「記憶、拝借させてもらったよ」


 メイドの発する霊気からエルアドラオーネが作成した魔力を込めた人造人間――ゴーレムであるだろうと推測できた。


 が、ゴーレムを目にした紅と岩手彦の反応はあからさまにおかしかった。


「顔のないゴーレムでもよかったんだけど、せっかくなら君たちの知っている人物のほうが盛り上がると思ってさ。スーツの雑魚と勇者くんのお気に入りの巫女が大事にしている思い出を借用させてもらったよ。勇者くん、君は自分よりも大切な他者を傷つけるほうが堪えるみたいだしねぇ」


 エルアドラオーネが、ニヤと笑う。


 真っ赤な瞳がこれからはじまる殺戮を思ってか歓喜に濡れていた。


「そんな……ほたる姉さん」


 感情のない瞳で静かに立っているゴーレムを見つめたまま、紅はただ立ち尽くしていた。



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