第23話「土のエルアドラオーネ」

 遅れて部屋に突入した紅が表情を固くしたのがわかった。

 岩手彦。

 見るも無残な姿で横たわっていた。


 洒脱で折り目ひとつなかったスーツが目を背けたくなるような赤黒い血と塵埃で汚れ切っている。


 一見して生死すら定かではない。


 だが、わずかに仰向けになった胸が動いているところからすればまだ息はあるようだった。


 しかし、なによりも上総の注意を引いたのは岩手彦の傷ついた姿ではない。


「これはこれは。半ばそんなことじゃないかと思って待っていたのだが、君に再び会えるとはこの地にわざわざやって来た甲斐があるというものだよ」

 華奢そうな見た目とは裏腹な巌を思わせるような分厚くみっしりとした存在感のある桁外れな魔力。


「おまえがここのダンジョンマスターか」


「つれないね。ぼくは君のことをようっく知っているってのに、君はぼくのことなにも知らないなんて。これこそ不公平というやつじゃないかな」


「生憎とこちとら随分と美人には縁がない」

「あはっ。なんかぼく、大切な部分がゾクゾクしてきたよう」


 エルアドラオーネは自分の豊満な胸を両手で揉みし抱きながら、媚びたような視線を送って来たが上総が見るところ一部の隙もなかった。


 いつ斬りかかられても対応できるという絶対的な自信があってこその道化染みた態度だ。これほどの強者は異世界でも今までの経験からいって稀であった。ひたりと汗がシャツと背の間を流れ落ちた。


「名乗れよ」


「ふぅん。ぼくは君のご明察通りここのダンジョンマスターに違いない。魔王五星将のひとり、土のエルアドラオーネ。君に恋い焦がれていたんだよ、ロムレスの勇者くん」


「なぜ、俺のことを知っている?」


「できの悪いアニメやコミックのように問われたことをベラベラ喋ると思うかい? 君もこの国に戻ってだいぶ苦労したみたいだけど、いや、人ってのは簡単に堕落するものだね。ぼくが知る限り、魔王さまを討ったときの君はギラギラしていたよ。――それこそ飢え切った野良犬のようにね」


「野良犬とはまたいってくれるな」


 無言でリリアーヌとクリスが前に出た。両者とも元々白い肌が透き通るように蒼ざめている。上総に対するエルアドラオーネの侮辱がよほど許せなかったのだろうか。人相が鬼を思わせるような峻烈さに変貌していた。紅も岩手彦の惨憺たるありさまを見て平静ではいられないまでも、逆上したふたりに倣うかのごとく前に進み出る。


「どうする? 一斉にかかる?」

「カズサさま、この女の始末わたくしにお任せを」


「姫さまや勇者さまのお手を煩わせるまでもありません。私が――」

「おまえらは下がってろ」


 上総が断定的にいうと三人をかばうように出た。上総は基本どのようなことがあってもそれほど言葉に乱れがない男だ。よってリリアーヌたちの表情に困惑が生じた。


「コイツは魔王十三公と遜色がない。俺ひとりでやる」


 リリアーヌとクリスが電流に打たれたかのようにびくりと身体を震わせた。


「ちょっと待ってよ。なによ、その十三公っていうのは」


 紅のみが上総の言葉の意味が即座に理解できなかったのか唇を尖らせた。


「十三公とは魔王の藩屏たる強大な力を持った魔族の実力者です。かつてカズサさまは随分と苦労なされました。近距離戦が得意でないわたくしや準備が不十分なクリスでは――」


 リリアーヌはぎりと唇を悔しそうに噛み締めるとうつむく。


「そんなに、ヤバいやつなの……?」

「て、わけだ。とりあえず俺に任せてくれ」


 上総は鞘に納めた聖剣の柄に手をかけたまま距離を詰めた。すれ違いざま無様に転がった岩手彦の視線を感じたがそちらに意識をやる余裕はない。それほどまでに今までダンジョンで戦ってきた相手とは実力が隔絶していた。


(十三公とほぼ同程度の魔力だ。正直なところロートルの俺には荷が重いかもしれない)


「俺としてはこのままコアをこちらに渡してくれさえすれば無理に戦うつもりはないんだけどな」


 上総がいっているのはダンジョンコアといって迷宮空間を支配するダンジョンマスターが所持するすべてを支配する核のことだ。一種の命令権でもあるダンジョンコアを用いれば、ダンジョンを自在にデザインすることから拡張・廃棄に至るまでを行える重要アイテムである。


「冗談だろう? ぼくは名乗りを正式に上げているんだ。それに、伝説の勇者が相手となればこっちもさっきのように手を抜いて、というはずもないだろう。ゾクゾクするよ。ようやくのこと、本気で遊べる相手ができてさあ。さびしかったよ、本当にね」


 エルアドラオーネは長い指先を自分の下腹につつとすべらせながら妖艶な笑みを浮かべている。


「談判破裂か……なら実力でコアを破壊させてもらうぞ」


 上総がそういうとエルアドラオーネはくるりとその場で回転して片手をすいと頭上に上げた。


 岩手彦を軽く半死半生に至らしめたあの技だ。


 彼女の紫色をしたネイルの先端にたちまち直径二メートルほどの岩石が出現した。


 エルアドラオーネは「そぉれ」とつぶやくと指を振った。


 ごお


 と猛烈な音を響かせて岩石は飛来し上総の目の前で弾けた。


「カズサさま――!」


 リリアーヌが絶叫するのも無理はなかった。


 飛散した岩粒は機関銃の弾丸のように上総を狙って驟雨のように降りそそぐ。


 硬質な音が鳴って上総のありとあらゆる身体から白煙が立ち昇った。


 が――。


「どうした。こんな小石程度じゃ俺にゃあ傷ひとつつけられないぞ」


 顔の前で交差させていた両腕をゆっくりと解く。


 スーツは穴だらけに破損したが上総はかすり傷ひとつ負わず平然とその場で立っていた。


 岩の弾丸の貫通力が軟弱だというワケではない。


 足元の床石は跳弾によって無数に深く抉れているが聖剣の力をいかんなく発揮させている上総には爪痕ひとつつけられないのが実情だった。


 なんとか起き上がろうともがいていた岩手彦は呻きながら上総の実力に愕然としていた。


 小石の一撃でこめかみを割られるほどの破壊力を秘めているエルアドラオーネの凄さはその身でよく知っていたにもかかわらず、上総が無傷だということに納得できないのだろう。


「おまえをさっさと斃して秋葉原ダンジョンを攻略する」


 上総は聖剣を下段に構えたまま走り出した。

 距離は三〇メートル。


 常人であるならばそれなりの間合いだが上総からしてみれば一瞬で詰められる指呼の間だ。


 真っ直ぐではなく駆けながらジグザグに進んだ。


 エルアドラオーネは後方へ飛び退りながら呪文を念じて床に放った。


 敷石はみるみるうちに形を変えて巨大な腕に変化すると上総に向かって掴みかかって来た。


(なるほど。名乗りのとおり土系統魔術のプロフェッショナルってワケか)


 左右から押し迫る魔術の力で作り出された腕は込められた魔力からいって相当に上級クラスのものだろう。


 上総は唇から鋭く呼気を吐き出すと左右から自分を押し潰さんと迫る石の腕を素早く切って捨てた。


 聖剣の刀身は青白く輝くと巨大な石の腕を溶けかけのバターを切るようなたやすさでたちまちに両断し四散させる。


「ハッ。やるじゃないか。そうこなくっちゃね!」


 エルアドラオーネはますます頬をほころばせると、重力を無視した動きで天井にまで跳ね上がり右手を接着させる。


 上総は足元が波打ってたちまち巨大な凸型の岩が隆起したことに気づき、左右にステップを切ってかわした。


 が、ほぼ同時に両側の壁から長方形の柱が凄まじい速さでせり出してくるのを認め舌打ちした。


 かわせない。防御だ――。


 聖剣を持ったまま両肘を畳み込んで脇腹をガードした。


 同時に左右の壁から生えた柱に挟まれさしもの上総もこの直撃弾に呻いた。


「お、おおおっ」


 心気を合一させなんとか身体を捻じって抜け出す。


 その隙を狙ってか前方から拳大ほどの岩の弾丸が放たれたことに気づき顔を歪めた。


 がづっ


 と固い音が鳴って脳が揺れた。


「上総っ」

「カズサさまっ」

「勇者さまっ」


 紅、リリアーヌ、クリスの悲鳴がほぼ同時に響き渡った。

 パッと血煙が目の前に舞って視界が霞んだ。


 上総は額を割られたことに気づくと転がりながらもエルアドラオーネが繰り出す連弾をさけて、歯軋りをした。


 右膝を突いて上体を起こすと飛来した礫を聖剣で激しく打ち落とした。

 山砲が爆発したような音がして床が大きく穿たれた。


「なんだァ。まだ君は本気で戦おうって気にならないみたいだね。それじゃあつまんないよ」


「あいにくと、こっちはずっと全力投球だ」


 上総は額からほとばしる血潮に右眼を閉じながら片手を上げて駆け寄ろうとするリリアーヌたちを制止した。


「そうこなくっちゃ」


 正眼に構えたまま摺り足で前進する。

 途端に足元の床が奇妙にうねりはじめた。


 間違いなくエルアドラオーネが誘いをかけているのだ。容易に踏み込めば、床石を変化させた攻撃をもう一度喰らってしまう。となればどうしても慎重にならざるを得ない。


 床が激しく波打っている。


「来ないの? 来ないならこちらからいくけど」


 あえて誘いに乗った。

 聖剣を下段に構え直すと走った。


 予想通り床のあちこちから石造りの巨大な腕が出現し、上総に向かって襲いかかって来る。


 馬鹿のひとつ覚えってやつだぜ――。

 あの程度の硬度であれば幾度でも破壊する自信はあった。


 巨大な手のひら。


 聖剣を細かく使って右に左に斬り払った。

 切っ先が触れるたびに硬い音が鳴って石の腕は弾けて吹っ飛んでゆく。

 五つ目の巨大な腕に斬りかかったとき状況は一変した。


 まずい――。


 と思ったときには聖剣の半ばが呑み込まれていた。


 土属性の魔術師であるエルアドラオーネは瞬間的に錬成した石の腕を粘土質のものへと変化させていたのだ。


 ぐちゃりと切っ先が入った瞬間に聖剣は絡め取られた。

 固さがないのでは上総であっても破壊することができない。


 柄をしっかり握りしめたまま上総はこらえたが凄まじい勢いで床石から生えた巨大な腕がぷっつり千切れると身体を天井へ軽々と放られた。


 背面を強烈に打ちつけ目の前が真っ赤に染まった。

 エルアドラオーネは錬成した粘土の腕を意図的に分離したのだ。

 ずるり、と血に塗れた上総が地上へと落下した。


 リリアーヌたちが近づこうとした瞬間、間を隔てるように巨大な土の壁が出現したのを霞んだ視界に捉えた。


 上総は脳裏の中を激しく明滅する真っ赤な光と吐き気を催す激痛にこらえながらなんとか立ち上がった。


 天井近くまでせり上がった土壁の前でわあわあ叫んでいる女たちの声が聞こえた。


 どうにかして壁を破って上総を助けようとしているのだろうが、明らかにエルアドラオーネの魔力のほうが上らしくどうにもできないらしい。不快げにエルアドラオーネが片目を閉じて冷たくいった。


「ダメだよ。観客が勝手にステージに上がっちゃさ。これからようやく盛り上がるんだから、と。それにしてもイマイチな感じだよなぁ勇者くんは。もうちょっと本気を出してもらわないとこっちもやる気が起きないよ」


「きゃああっ」

「リリアーヌっ!」


 上総たちを隔てていた土壁の真ん中がぽっかりと開くと無防備に立っていたリリアーヌを土の触手が絡め取ってエルアドラオーネのそばまであっという間に運び込んだ。


 リリアーヌは床から出現した巨大な腕にギリギリと引き絞られ苦痛にあえいだ。


 剣を――!


 見ればクスクス笑うエルアドラオーネが土の触手を器用に操って聖剣ロムスティンを見せつけるようにぶんぶんと振っている。


「お探しはぁ、こーれ? さすがの勇者くんも伝説の聖剣がなけりゃパワーは半減かな? でも、もっと苦しんで欲しいんだよ。君たちが苦しめば苦しむほどその痛苦とエナジーはぼくたち魔族の糧となる」


「くそ……エルアドラオーネ。おまえたちの真の目的はなんなんだよ……?」


「いわないっていってるでしょう。でも、君たちニンゲンが予想できる最悪のケースを想定してもらえれば、遠くはないだろうね?」


「東京そのものを、ダンジョンで呑み込むつもりか……」


「ま、それができれば一番効率的なんだろうけど、こちらも駒不足でね。あっちの世界ではおくれを取ったけど、この世界のニンゲンたちは魔術を使った攻撃にはまったく無力極まりない。ええと、なんの話だったっけか。そうだ! あまりやる気の出ない勇者くんのためにこんなものを用意しておいたんだ。いわゆるサプライズプレゼントってやつだね」


 エルアドラオーネがスキップしながら指をぱちりと鳴らすと足元からごごごと鈍い音が鳴って砂をかぶった液晶モニタがせり出して来た。


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