第22話「魔王五星将」
「あら?」
風が動くのを感じて振り返ると岩手彦が凄まじい速さで脇をすり抜けてゆく。
「なに考えてんのよっ。先、越されちゃったじゃない!」
キョトンとダークスーツの背を見送っていると、今度は解き放たれた紅にもの凄い剣幕で詰め寄られ引っ繰り返りそうになった。
「いやぁ、別にいいじゃん。どっちが先にダンジョンマスターにたどり着いたって。協力して戦えばさぁ」
「あのね。アレを見て。あいつらは手柄をひとり占めする気よ」
頭を抱えた紅のいうとおり上総の進行方向には武装した一〇人ほどの巫女たちが勢ぞろいして一歩もここを通さないという気迫で立ちはだかっていた。
手に手に短剣や弓、錫杖や鼓に薙刀と物騒極まりない。
(別にこのカワイ子ちゃんたちと争う気は微塵もないのだが……)
岩手彦の率いる岩手組の構成員はすべて粒ぞろいの美人巫女たちだった。
どこかの女優をまとめて掻っ攫って来たかのように顔立ちが整っている。
日頃、あまりにも女性と縁がなかった上総からしてみればうらやましい限りだが、紅はむしろ自分たちの前に立ちはだかる彼女たち退魔巫女を毛虫のように忌み嫌って憎悪を隠すことなく表情へ露わにしていた。
「ここは一歩も通しませぬ」
「我ら岩手彦さまのためならばどのようなこともやってのけます」
「命が惜しくば岩手彦さまが迷宮の主を討つまでジッとしていることですね」
「そこよりわずかでも前に出ればタダの怪我ではすみませんよ」
声もいい。
上総たちの立つ位置から二〇メートルほどの距離だが綺麗な高音がよく届く。
(にしても、スゲェ美人ぞろいだなぁ。これ絶対あのオッサン顔で選んでるだろ。特にあの端のセミロングの子タイプだなぁ。ちょっとお話したいナ)
ふと、強烈な視線をうしろ頭に感じ振り返る。
上総のよからぬ思いがすべて丸聞こえだったかのように、リリアーヌとクリスの表情が硬く強張っていた。
それもあからさまに怒りを面に出しているわけではない。彼女たちふたりは薄ら笑いのまま、その皮膚の下に憤怒の塊を無理やり押さえつけ今にも爆発するのを我慢しているかのような不気味さが漂っていた。
「クリス。あの方たちはカズサさまのゆく手を阻む悪です。排除なさい」
「わかりました」
「それとすぐに終わらせてはいけませんよ。特に端の女性。彼女はカズサさまに色目を使いました。許せませんね。手心など無用と思いなさい」
「できるだけむごくですか」
「慈悲を忘れなさい」
「お任せください」
――メチャメチャ怖いんですけど。
岩手彦は白一色の道をただひとり往きながら逸る気を押さえていた。
雪村上総に関してはあとで手当てをしておけば問題ない。
残して来た巫女たちの実力からいってあの男にはかなわないだろうが時間稼ぎくらいはできるだろう。
その間にこの怪異の特異点を自分の手で除去してしまえばいい。
今回の秋葉原事件は岩手彦の知るものとは勝手が違い過ぎていた。
彼の経験に照らし合わせてまったくカケラも相違点がないあやかしたち。
危険をできるだけさけてこの階層にまで到達したのは見落としを産む結果となっており、岩手彦の中では汚点であった。
岩手彦は常にできるだけ完璧に近い仕事をなすことを信条としていた。
あくまでパーフェクトを目指してはいるがそれに達しないことは自分がよく承知している。
扉を開いて中に入るとその空気は白い空間とまるで違った別物になっていた。
空気が濃い――。
むせ返るような樹木と土の臭気に頭がくらくらした。
白い空間とは打って変わって中は赤茶けたレンガで四方が構成されていた。
「おやおや。これはぼくが待ちかねていた人物とはまるきり違う木っ端のようだね」
部屋の中央にある赤い椅子に腰かけていた女がしゃなりと緑のドレスをすべらして淫靡な表情で微笑んだ。
褐色の肌に黒々とした床にまでつきそうな長い髪が印象的だった。
パッと見はアラブ系のクッキリした彫りの深い顔立ちだ。
だが瞳は人間にはありえないほど青一色に染まっていた。
「辿りつけたんだ。でも、君は違うなあ。やっぱり」
女はくすりと蔑むように笑うと興味を失くしたかのように岩手彦から視線をはずし、悠然と手にしていたグラスをちびちびと舐めはじめる。
「おまえが秋葉原駅に怪異をもたらした元凶か?」
「そうだけど、あまり君の相手はしたくないな」
岩手彦は軽く困惑しながらも右手に持った呪符と左手の短剣を構えジリジリと距離を詰める。
「質問に答えろ」
「答えないよ」
「なぜだ」
「だってぼく、つまらないニンゲンの相手をしているほど酔狂ではないからさ」
「会話は不可能か。強引に除去させてもらうぞ」
女ははふうとくたびれた様子でため息を漏らすと片手を軽く下げて心底退屈だというような顔をした。
それが岩手彦のわずかばかりに残っていた心の熾火を大きく燃え上がらせた。
岩手組は退魔機関において一流であると自負している。
これまでいかなる案件もこなしてきたし、その座がほかの組に脅かされるなどあってはならない。
秋葉原駅一帯を浸食する怪異のわざわいは目の前の女によってもたらされたのは間違いないのだ。
畢竟、持てるすべての力を駆使して排除を行わなければならない。
岩手彦は手にした呪符にありったけの霊力を込めて女に解き放った。
彼が十二で初陣を飾ってから四十三になる今日まで幾多の怪物を仕留めた必殺の技だ。
呪符に込められた霊力は椅子に座ったままの女にぶち当たると同時に猛火を出現させた。
神水と高名な神社で清められ磨き上げられた垂涎の呪符である。
ゴーゴーと唸りを上げて燃え盛る炎はたちまち部屋の天井を焦がすほど燃え盛り岩手彦は警戒に後退すると身を護る結界をその場に張って自分の身を守らねばならぬほどだった。
凶暴な鬼や魔獣を屠って来たフェイバリットである。
この一撃はあくまで牽制のつもりであったが、やり過ぎたであろうか――。
だが、相手はこれほどまでの異界を都心のド真ん中に拵える怪物だ。
左手に握った短剣へ力を込めて敵の様子を窺おうとしたとき、耳元で小さな音を聞いた。
ぴっ
とわずかに空気を振動させて小指ほどの石が素早くこめかみのすぐそばを通り抜けた。
サングラスのツルが鳴ったかと思った瞬間岩手彦は後方へと弾き飛ばされた。
どのような回避行動を取る暇もなかった。
背中を壁際に思うさま打ちつけると目の前が赤白に明滅した。
喉元を血の塊が競り上がってほとんどこらえる間もなく吐血した。
背面を打ちつけた瞬間にアバラや脊椎を強打したのだろう。
自分の臓器が巨大な遠心分離器にかけられたと錯覚するほどに岩手彦は打ちのめされていた。
「ふぅん。まったくなにもできない雑魚虫ってワケでもないみたいだね。ぼくに防御させるなんてこの世界の魔術師もまったく見るべきトコロがないわけでもないんだ」
女の声。
岩手彦は霞む視界の向こう側で岩の塊が楽しそうに喋りながら小さく揺れるのを見た。
パキパキと細かな音が鳴って岩の塊が剥離していく。そこには岩手彦の猛火などまるでなかったかのように薄く笑う女の姿がった。
そうか。
この怪物は自分の身体を一瞬に硬い岩でコーティングすることによって炎を防いだのだ。
同時に小粒のような石を投げつけることによって、あっさりと岩手彦に強烈なダメージを与えた。
「望外だよ。でも気づかなかったのかな。ぼくは君たちが通る場所からモンスターを故意に配置しなかったんだよ。もっともそうしたところで彼以外が最下層まで到達できるとは思っていなかったんだけどな」
「ふざ、けるな……おれを、小者扱いする、気か?」
「だって小者じゃん。ぼくは小石をチョンと弾いただけなのに、もうそんなにフラフラしている。やはり普通のニンゲンじゃ楽しめないなあ。これじゃ魔王さまをお迎えするまでの暇潰しにもなりはしない」
「魔王、だと……? おまえはなにをいっているんだ」
「ここまで来れたご褒美に名前くらいは名乗ってあげてもいいかな。ぼくは魔王五星将のひとり、土のエルアドラオーネ。もっとも君はすぐ死ぬから関係ないよね」
エルアドラオーネはようやく椅子から立つと片手を上げてスッと目を細くした。
なんだ、これは――?
岩手彦にはまるで理解できないほどの霊力がエルアドラオーネの指先に集まってゆく。
かわす。
そうでなければ明白な死が目の前に迫っている。
ほとんど本能的に立ち上がると遁走を開始した。
先ほどまであった退魔士としての経験も陰陽師としての自負も、誇りも、恥も、名誉もが圧倒的な力の前には掻き消えた。
「逃げられないよ。どこまで甘い世界で生きてきたのかな、君は」
周囲の壁や天井に敷き詰められたレンガがバラバラに砕けてひとつに集約されていく
エルアドラオーネの頭上に人間大の岩の塊が出現した。
赤い光が視界灼いたかと思うとパッと花火のように弾けた。
跳んだ。
一ミリでも遠くにあの怪物から逃れたい一心だった。
砕けた岩石は機関砲のように激しく打ち出され、細かなつぶてが岩手彦の身を灼いた。
痛いと感じる暇もない。
脳裏に真っ白な閃光が出現したかと思うと岩手彦は次の瞬間地に転がっていた。
指先一本動かせそうもないほど全身が礫のシャワーで満遍なく打たれていた。
す、と頭の上にパンプスの先端が乗せられた。
「無様だね。君はこの国では一流の魔術師だろうが大陸では三日と生き延びられないよ」
死ぬ。
おれはこの女に殺される。
靴底に込められた膨大な力の根源を思えば、エルアドラオーネの気分ひとつで自分は頭を砕かれてしまうだろう。
岩手彦が自然と震えだす筋肉の反射に怒りを覚えていると、軽やかな足音が近づき後方からどこかで聞いた間の抜けた声が走った。
「ちょっと待ってもらえないかな。勝負はついてる。無意味な殺生はよくないと思うぞ」
雪村上総はそのように場違いなセリフを吐いてゆったりとした歩みで近づいて来た。
「ふんっだ。このクリスさまに歯向かおうだなんて一億万年ほど早いと知るがよいです」
上総が岩手組の退魔巫女たちと対峙してから数分後――。
彼女たちは稀代の格闘家クリスの手によってコテンパンに叩きのめされた。
多数をもってして退魔巫女たちがクリスを囲んだかと思いきや、わずかの間に勝敗は決していた。
クリスは踊るように退魔巫女たちを思うさま翻弄して、ひとりひとりをご丁寧に傷つけず昏倒させた。
美貌を誇る少女たちは目を回しながら折り重なって「きゅう」と呻いている。
おっかねぇなァ、と内心上総がメイドの少女に怯えていると、視線を感じたクリスはパタパタと駆け寄って目を輝かせていた。
「勇者さま、私にかかればあんな小娘どもはチョチョイのチョイなのです」
「あ、うん、そうだね」
クリスはしっぽでもついていれば千切れんばかりに振りそうな勢いで「褒めて褒めて」と目で訴えている。リリアーヌを見る。彼女は泰然とした様子でニッコリ微笑み無言で褒めてあげてくださいなと女主人の風格をこれでもかとばかりに醸していた。
思えばかつては上総より年上だった彼女だ。
浦島太郎ではないが、一度現代日本に戻って年齢差がわずかであったが逆転してしまった。
万感の思いを込めて撫でようと手を伸ばす。
「なっ! クリス?」
「ぎゅーっ、です」
クリスは上総が触れるよりも早く抱きつくと胸板に頬をこすりつけて来た。
リリアーヌの泰然とした表情にヒビが入り、紅は呆れたようにため息を吐いた。
「クリス? わたくし、そこまでカズサさまに褒めてもらえとはひとことも口にしておりませぬが」
「あ、ごめんなさい。私、ちょっと焦ってすべっちゃいました。主に全体的に」
「あのな――」
いいかけて上総はギクリと身体を強張らせた。岩手彦が抜け駆けて飛び込んでいった部屋から途方もない鬼気が吹きつけてきた。
間違いなくこのダンジョンに潜ってからは最大級の魔力である。上総は紅と顔を見合わせるとどちらということもなく、地を蹴って駆け出した。
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