第21話「急がば回れを地でいった」

 ドール、という粋人のための世界がある。


 一般的には六〇センチ程度の人形素体にウイッグや服や小物を着せ替えて悦に入るいわば大人のお人形さん遊びといえよう。


 だがお人形さん遊びと侮るなかれ。


 ドール本体自体はピンキリの値段だが、オーソドックスなものでも四万円台から六、七万円台はザラにする大人の趣味だ。


 上総たちがたどり着いた通路の両脇にはそういったドールといわれる種類である人間サイズのものがズラリと並べてあった。


「なによコレ……ガチャの次はドールってワケ?」


「わああ、姫さま姫さま。見てください。おっきなお人形さんがたっくさん並べてありますよ」


「あらあら。凄い数ですね。わたくし、これほどのたくさんのお人形さんを一度に見るのははじめてでございます」


 女性陣は三者三様の反応である。確かにここに並べてあるドールはマネキンというよりもヘッドもボディも最新の工夫を凝らした今風のモノである。上総はそれほどアニメに詳しいわけではないが、某ソシャゲのヒロインとコラボしたデザインの女性を模した人間大ドールを見て息を呑んだ。


 こういうのがあるってのがいかにもなアキバっぽい感じなのだが――。


「ううう。兄さん、なんかオレってこういうの苦手だ。早く突っ切っちまおうぜ」


 外道丸は上総の肩に乗ったままどこか気持ち悪そうにドールたちを眺めている。


 だが、薄暗い苔むしたレンガの通路狭しと敷き詰められた人形のド真ん中を歩くのはいささか度胸がいる。


「ねえ上総。いくらアンタがこういうの集めるの好きだからって感慨に耽らないでよ。あんまし時間ないんだから」


「そそそ、そんな趣味は俺にはありませんっ」


「え? てっきりひとり身の上総のことだから、こういうドールを幾つも集めてベロベロ舐めまわしたり、モエーとか叫びながら頬擦りしたり、なんかねばねばした液体ぶっかけて悦に入るのが日常風景だと思ってたのに、違うの?」


「ンなことするわけあるかーっ」

「……うっ」

「どうした?」


「なんかアンタがひとり真っ暗な部屋でそういう闇遊戯に耽っているとこ想像したら気分が悪くなってきて」


「あのなぁ。おまえ、俺をなんだと思ってるんだよ」

「変態」


 紅の疑義はクリスの「勇者さまのお部屋にお人形さんは飾ってありませんでしたよ」との証言でとりあえず晴れた。


「で。誰が最初の贄になるの。あたしはイヤよ」

「贄とかいうなよ」

「じゃあ外道丸ね。恨むのなら上総を恨むのよ」

「ひいいっ」


「おい、ナチュラルに呪印の下地を作るんじゃないよっ」

「しょうがないじゃない、あたしこれでも陰陽師の端くれなんだから」

「あ、はいはーいっ。最初は私がチャレンジしたいでーす」


 元気よく先陣を名乗り出たのはブラウンショートがよく似合うクリスである。


 だが現実とはいつも悲しいもので、彼女が挙手したと同時に通路の壁際に沿って並んでいたドールたちが一斉に両手を動かし出した。


 どこぞでモーターが回るような音とともにドールたちは無機質な瞳のまま素早く両手を振りながらその場で足踏みをしている。注意深く見るとドールたちの脚にはがっちりとした鎖が嵌められており、その場の台座からは動けない設定になっていた。


「おおおっ、なんだ?」


 と、気を取られていると通路の終わりにあるT字の分かれ道に設えてある祭壇の大きな盆の中にボッと火が灯った。


 並んでいるドールたちは左右の壁際にあるすべてをザッと見ても二〇〇体近くある。


「罠か。それとも試練なのか……」


「いやいや、どう見ても罠以外ありえないでしょう。なぜ試練? アンタどんだけファンタジー脳なの?」


 上総が聖剣を持ったまま前に進み出る。そろりそろりと摺り足で前進し、ドールの前に出た途端繋がれていた二体の足枷の鎖がはずれ襲いかかって来た。


「どわあっ」


 突然の強襲に上総は手にした聖剣を素早く振るってドールたちの顔面を真っ向から斬りつけた。


 カツッ


 と固い音が鳴ってドールは倒れ込みながら停止する。上総はもたれかかってきたドールを肩で押しやって前に出た。


 剣の切っ先がドールのいるある場所まで来ると、再び両側に並んでいた一組だけが襲いかかって来た。


 長いドレスを着た女騎士風のドールと緑系統の軍服を着た女軍人風のドールだ。今度はわかっていたので冷静に剣を振るって首と胴を両断した。


 妙だな――?


 上総はある共通点に気づき聖剣を鞘に仕舞うと後方のリリアーヌに預けた。無手のままそろりそろりと進む。


「ちょっと。丸腰でどうしようってのよ」

「ま、そういなって。ちょっと見てろよ」


 声を上げた紅を制して上総は前に出た。同時にあるポイント差しかかるとドールたちは襲いかかって来るが、足首の枷はそのままだった。


「わかったぞ。つまりこの人形たちは武器を持った侵入者には襲いかかるシステムになっているんだ」


 上総は無表情のまま掴みかかって来るドールの腕をさばきながら後方に戻った。


「なんか中途半端ね。じゃ、しゃがみながら進めばいいってことなの」


 紅の問いに応えるべく上総は両断したドールの下半身を通路の中央に投げる。ほとんど同時に両脇に並んだ悪鬼たちはかがんで下半身を掴み上げるとその凄まじい握力でバラバラに砕いてしまった。


「ダメらしいな」


「うーん、どういたしましょう勇者さま。わたくしの召喚精霊で焼き払いましょうか?」


「いや、リリアーヌの術は使ってあと一回か二回が限度だろう。動かない敵ならやりようがあるだろうし、ここは節約したいな」


「はいはーいっ。だから私に任せてくださいなってば!」


 存在を無視された格好になっていたクリスがぷんすか顔を真っ赤にして声を張り上げる。


 上総は彼女の徒手格闘能力がどれほどすぐれているかは誰よりも知っていた。


「うん、任せた」

「はい、任されました」


 クリスはふーっと息を長く吐き出すと首をぐるぐる軽く回すとウインクした。


 ちょっとダイジョブかなと思う。


「上総、今クリスのこと心配したでしょ」

「そ、そんなことはないぞ」


 三人の視線を集めていることに気づくとクリスはわずかに照れて笑った。


 それからの行動は素早かった。

 壁側に配置された二列のドールたちの間は六〇センチほどだ。


 普通に歩けば侵入者を察知して掴みかかりその剛力でたちまちに引き裂いてしまうだろう。


 クリスはたたっと小走りに駆け出すと徐々に速度を増して突っ込んでゆく。


 膨れ上がった殺気と動かない人形の表情の対比の中でクリスは巧みに両腕を動かして伸び来る腕をさばいていった。


 両者に合意があったような型を思わせる攻防はクリスがT字路のドン突きにある祭壇までそれほどかからなかった。


 華麗なダンスを踊るような徒手格闘の冴えは上総たちをしばしダンジョン内にいることさえ忘れさせるほど美しかった。


 クリスは女性として決して大柄でもなく背も高いわけではない。


 だがその動きは力強く充分に錬成され実戦で磨かれた巧みさを見る者に感じさせた。


 腕、肩、腰、指先にいたるまでくるくるくるりと回転するように動きドールたちの攻撃を一度たりとも許さなかった。


 クリスが短く呼気を吐き出すたびにドールの腕や指は破壊され粉々に砕け飛び散ってゆく。


 塩化ビニールの破片が細かく空に散らばってあたりは濛々とした白い霧に包まれた。


「はい、おしまいです」


 白煙が晴れたのち前方に視点を移すと祭壇の炎はすっかり消え失せピースサインで立っているクリスの姿があった。






 やがて上総たち一行は巨大な扉の前に到達した。


 ここまで来る道程にあった古めかしいファンタジー的なものをカケラも想起させない近代的な造りの扉である。


 一種、清潔的な都心の人気のない高層ビルの一室を思わせる造作だった。


 だが、桁外れにデカい。

 巨人が容易に出入りできるような規模の観音扉だ。


 その扉だけは妙に時代がかって古めかしく銅のような素材でできており縁には錆が浮いた鋲が打ち込まれていた。


 その扉のある一室には先客の一団があった。

 隣にいた紅がぶるりと身を震わせ一瞬で全身に鬼気を纏う。


 若い巫女たちに囲まれるようにしてダークスーツの偉丈夫が音も立てず振り向きかけていたサングラスを取った。


「岩手彦……」


 怨嗟とひと握りの情が入り混じったような声で紅は唇を強く噛み締めた。上総はクシャクシャになったくせっ毛をわしわし描きながらよく知った友人に出会ったかのような無造作な動きで前に出る。


「よっ。どこぞで会ったような気がしないでもないんですけど。なにかお困りですかな」


 ダークスーツの主人を守るようにして巫女たちはかばうように進み出る。


 岩手彦は感情を感じさせない瞳でそれを静かに制すると低く通るバリトンの声でいった。


「雪村上総だな。まさかここまでおまえたちが到達するとは、さすがに思っていなかった」


 紅がカッとなって叫ぼうとするのを上総は肩に手を置いて止めた。感情を激してもこの場ではなんの利も生まないことを察した紅は歯軋りが聞こえそうな表情のままなんとかこらえている。えらいぞ紅。人がアニマルと違ってすぐれているのは感情を制御することに長けているからだ。上総は無言のまま彼女を心の内で褒めた。


「へぇ。そういえば名乗ってなかったけど、よく俺の名前知ってるね」

「調べればわかる。ほとんどのことは」


「そのほとんどのことがわかる御仁が立ち往生してるってのはどういうワケで」


「我々は途中で敵にほとんど出くわさなかった。つまりおれとおまえたちは別ルートを通って来たということだ。察するに、この扉は特殊な鍵がなければ開かない構造になっている。結論として我々は努めて敵との交戦をさけてきたおかげでここを通るキーを手に入れ損なった。時間さえあればこの霊術的構造を持つ扉を破壊することは難しくはないが、今は地上へ戻る時間がない」


「ああ。コイツはちょっと壊すのは大儀だな」


「腹の探り合いをしている時間も惜しい。雪村上総、こちらは君の経済状況をすべて調べ上げている。今すぐここを通る方法、あるいはなんらかの迂回ルートに関する情報をこちらに譲渡してもらえるなら謝礼の用意がある」


「は。そりゃま用意周到なことで」

「二〇〇〇万。今すぐ戻ってどこのATMでも引き出せる」


 岩手彦は手にしたクレジットカードと暗証番号らしいメモを手のひらにの乗せて見せたが上総は渋い顔をした。


「あのなぁ。ガキじゃねぇんだからこんな得体の知れないもん信じるわけないでしょ」


 すると岩手彦はすぐそばの巫女に目配せして旅行用キャリーバックを引かせて上総の前に突き出した。


 パカッと開くと中には輪ゴムで乱雑に止めた札束がぞろぞろと出てくる。


 千円、五千円、一万円と種類がそろっていないところが余計に真実味を帯びさせた。


「キャッシュで七〇〇。残りは後日君のアパートに現金で届けさせる。地下迷宮の主の部屋は近いと見える。これでどうだ」


 上総はぽかんと口を開けてまばたきを激しくした。


「あ、あんた、ダンジョン攻略に現ナマ持って挑んでんのかよ……」


「地獄の沙汰も金次第といってな。今回の行動費の一部だ。我らにはこのようなものはあまり価値はないが、ときには役に立つこともある。ことを収めるのに必要とされるのは第一にスピードだ」


「な、なな、七〇〇万……?」


 上総が額に手を当てて急激に渇いてゆく喉に痛みを覚えていると、目の前のバックは生白い素足で蹴り飛ばされた。


 かがんでいた岩出組の巫女にぶち当たって悲鳴が漏れる。上総がちょっとイイなと思っていたストレートロングの銀行員のような綺麗め美女が般若のような顔で紅を睨む。


「岩手彦、アンタあたしたちが金で転ぶとでも思ってんの……? それもこんなやっすいやっすいはした金で……!」


「い、いや紅さん。これってばとんでもないすっごい大金でおじゃりますよ」


「黙って!」

「はい」


「ふん。今おれが話しているのはおまえではなく雪村上総だ。はき違えるな」


「なんですって――!」


 掴みかかろうとする紅を上総が羽交い絞めにするが、ガブリと腕を噛まれた。


「いだっ。おまえは狂犬かっ」


 たまらず援軍であるリリアーヌとクリスを呼んだ。


「ちょっ。おまえたち、紅を止めろって」

「はいはいー。クレナイさま静かにいたしましょうね」


「お行儀あまりよくありませんわ。淑女ならばもう少しお淑やかに参りましょうね」


「ふかーっ」

「ったくいきり立つなって。ンなんじゃ交渉ごとはできねーぞ」

「あんなやつと交渉なんてできるもんですかッ」


「どうどう。おい、クリス」

「はいですー」


 以心伝心。上総が目線を軽くやるとクリスは素早く紅が肩掛けカバンに仕舞ってあった黄金の鍵を取り出した。


「あ、ちょっ、コラ、勝手なことしないでよっ。あとで怖いんだからねっ」


「そういわれましてもー。すべては勇者さまの指示で行ったことなのですので、責めは勇者さまにお願いしますねー」


「上総ぁ、アンタあとで酷いからねっ」

「なんでそういきり立つんだよ。情緒不安定過ぎるぞ、おまえは」

「それは……?」


 目敏い岩手彦が黄金の鍵を見るなり表情を変えた。岩出組の巫女たちも二〇センチはあろうかという純金製の鍵に驚嘆の声を上げているが、それは別に豊富な金を使用して作った鍵だからというわけではない。


 この皇帝イルカの王冠が変化した鍵はそれ自体がかなりの霊力や神秘を備えている強力なマジックアイテムなのである。


「そ、ご明察通り。ここに来るとき途中でぶっ倒したモンスターからドロップしたアイテムだよ。岩手彦さんは小利口に敵をさけてここまで来たみたいだけど、ことわざにもるでしょ。急がば回れってね」


 そんなことをいいながら上総が黄金の鍵を持って扉の前に移動する。


 と、先ほどまではのっぺらぼうだった扉の一部にまるで黄金の鍵に合わせて出現したような鍵穴が現れた。


「おあつらえ向きってとこだな。んし」


 上総は鍵を手の中でくるりと踊らせると躊躇することなく扉の鍵穴に差し込んだ。


 くいと右に回すと硬質な音がかちりと鳴った。


 一同が見守る中で扉は重たげな音を響かせながら左右に引っ込んでゆく。


 上総たちの目の前には四方が真っ白な空間と真っ直ぐ伸びる道が出現した。


 道には黄色いっぽい敷石が規則正しく敷き詰められておりモダンである。


 白っぽい空間は目を凝らすと無限に続くわけではなく大きめの体育館ほどの広さだ。


 一〇〇メートルほど先には見た限りでは特徴のない小さな扉があった。

 おそらくあそこにダンジョンマスターがいるのだろう――。


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