第20話「ときには腹を割って話そうじゃないか」

 秋葉原ダンジョンに昼夜の違いはない。こうしてテントを張っている場所も屋根がある駅構内そのものの空間ではあるが、通常外の景色が見えるはずの中空は黒と灰とが混じったマーブル状の異空間である。


 音がない。


 聞こえるのはテントの中からわずかに感じる上総たちの身じろぎする音。


 それになんとなくぼんやり伝わる彼らの気配だけだ。

 こうして動きを止めると自分の身体が汗でべたついているのがわかる。

 紅は長い黒髪に指を通してわずかなベタつきを感じ鼻にシワを寄せた。


 腹のムカつきは上総ではなく、こうしている間にも先に進んでいるであろう岩手彦たちのことだった。


 上総たちと話したり、戦闘中や移動中にはまったく気にもならなかった岩手彦との過去のやり取りがギュッと抑えようもなく膨らんではしぼみ胸の部分がむかむかしてきた。


 自分の髪を弄びながら、数年前、姉が土産として持って帰った古風なかんざしを思い出した。


 あの方があなたにって――。


 姉のよろこびと嫉妬が混ざった複雑な視線にどこか優越感を抱いていた。


 岩手彦にとっては手駒の機嫌を取るなんでもない行為なだけだったのに。


 今思えば、自分は姉を通して岩手彦という男にどこか歪な恋情を抱いていたのだ。


 妄想の中に作られた幻は姉の無残な死とともに怒りに代わり、それらは消えうせることなくこの胸に息づいている。


 この感情がなんなのかはわからないが、少なくとも明確にあの男から一本取らねば自分は新たなステージに進むことはできないだろう。


「冷た」


 尻を直接床につけていたので、これでもかというくらいに冷えた。


 ふと、隣に置かれた簡易椅子セットに目を向け年頃の少女らしくもない「どっこらしょ」という言葉が無意識に出た。


 これじゃおばあちゃんじゃないか。丸まっていた椅子はやはり山岳用のもので、簡易かつシンプルな構造でできていた。


「あいつやたらと道具の軽さばっか重視して。タダのアウトドアオタじゃないの」


「オタじゃないぞ。どーせなら山ヤと呼んでくれ山ヤと」

「ひ! いいい、いきなり出てくるんじゃないわよ!」

「し、しーっ」


 上総が音もなくテントの中から這い出て背後に忍び寄っていたことに紅は愕然としていた。


 まったく気配を感じなかった――。


 少々気が抜けていたとはいえこれは通常ならばありえないことだ。


(あたしの勘も鈍ったものね。なんか、この男たちといると調子が狂いまくりよ)


 と、心中ではぶつくさ文句を垂れるものの、実際問題上総は紅の想像以上に善戦していた。


 それどころかお荷物となるはずのリリアーヌやクリスまでもはやいないことの考えられない戦力に達している。


 悔しいが、実力・場数ともに自分は彼や彼女らに劣っている――。


 姉の跡目を継いで甲州陰陽師の名跡白河家を継いだ紅はそれなりに自分の能力に自信があったが上総たちの戦いぶりを見れば自ずとその力の差が歴然としていることに嫌でも気づく。


「なにしに来たのよ。まだ十五分も経ってない。お姫さまやメイドの隙を突いてあたしに無理やりいやらしいことでもさせる気?」


「なっ――! ち、ちがくてぇ」


 よってこのようにひと回りも年上の青年をことあるごとにからかってしまうくらいは許されるべきであると紅の中に謎の既得権が生まれていた。


「い、いやあ、なんかさぁ。さっき機嫌悪かったみたいだから、だから気になってよ」


 くしゃりと困ったように笑うその顔は、先ほどまで縦横無尽にダンジョンモンスターたちを屠っていた身震いするような怖さも強さもない。ありふれた街にいる気弱なひとりの青年となんら変わらないものだ。


「別に。ひとつ忠告しておくけど、そうやって女の機嫌ばっかり取ろうと媚びへつらう男は自然と見下されるから、あんまやんないほうがいいわよ」


「そ、そっか。それじゃほどほどにしておくよ。紅に嫌われたくないからなぁ」


 そういうと上総は手早くバーナーを点火し鍋にぐらぐらと湯を煮立たせ出した。


「なにしてんの?」


「いや、こういうときってやっぱお茶かなって。旅に語らいと茶はつきものだろ」


 くせっ毛をクシャクシャっとやって片目をつむるその表情がやけに魅力的に見えて紅はますますしなくてもいい態度を取ってしまった。


「知んないし。第一、あたしコーヒー飲まないのよ」


「えっ、あっ。マジで? いやぁ、困ったなっていうか、俺アホだなぁ。とほほだよ」


 上総はしょぼんとして手にしたドリップコーヒーセットを前に途方に暮れていた。


(なんか、やだな。あたしって……すっごいヤなやつ)


「嘘よ。なんでも飲むわよ。ホラ、お湯が冷めないうち淹れなさいよ」

「お? おう。へへへ、喫茶雪村開店でござぁい」


 一転してよろこびの表情を見せる上総はどこか子供っぽく紅は自然と笑みを引き出され、くすりと口元をほころばせた。


「ミルクと砂糖はたっぷりにね」


 当然、注文をつけるのも忘れずに。






「で、でさぁ。なんでそんなに焦っているんだよ」


 ふと顔を上げると先ほどまでやわらいでいた紅の顔が再び凍結したかのように固まっていた。


(あっちゃあ、またやっちまったよ……)


 もうなんというか、壊滅的に自分は女心を解きほぐすのに向いていないと思う。


 はじめて会った日に改札口で出会ったダークスーツの苦み走った四十男。


 岩手彦とかいったか――とにかくあの人物が紅を危険過ぎる過度な功名に駆り立てているのは相違なかった。


 女の相手をするのが得意であれば、あるいはまた違ったやり方もあったのだろうが。


 上総はとことん自分の不器用さが嫌であった。


「ほんっと、あんたってストレートよね。いいわ。隠しても意味ないだろうし、上総が調べようと思えばいくらでも調べられるだろうから、今教えてあげる。最初にアタシたちが出会った日に、巫女たちを率いていたやつが岩手彦といって、姉さんの愛していた男なの」


「紅の姉さんの恋人? でも、それじゃあ、そんな人と争ってるなんて紅の姉さんが知ったら悲しむんじゃ」


「姉さん、ほたる姉さんはもう死んだのよ。いいえ殺されたわ。正確にはあの岩手彦に使い潰されたのよ。そう、極めてこれは単純な話なの。あの岩手彦よりもあたしが抜群の功を上げてアッといわせてやりたいの。アイツのことを終わらせればあとはどうだっていいっていう鼻っ柱をへし折ってぎゃふんといわせてやりたい。ただ、それだけのことなの。どう、失望したかしら? でも、途中で抜けるなんていわせないからね」


「姉さんの仇討ちか……でも、理由はなんだっていいじゃないか。誰かのためになればさ」


「は?」


 紅は困ったような顔で唇を尖らせた。こういう部分は酷く子供じみて、下手をしたら中学生くらいにも見えるなと上総は思った。


「そもそもこういったことは曖昧な世界平和とか、隣人愛とか、そういった偽善的なことばかりじゃ続けられないと思う。そういった意味では紅の戦う理由、先を急ぐ理由は俺の中じゃスッと胸に落ちたかな。うん。全部話してくれてありがと」


 紅は下を向くと黙った。


 気分でも急に悪くなったのだろうか。心配になって顔を近づけると、いきなり上総は鼻のてっぺんをガブリとやられた。


「ばぁか。あたし、休むからあとは頼むわよ」


 悶絶しながら片手を上げる。

 世界は理不尽だ。


 もっともその理は上総にとっていつものことだった。

 理不尽で不可解で意味不明な上に傍若無人。

 もう知っていただろうに。


 上総は赤くなった鼻の頭を撫でながら巫女が消えていった天幕をそっと見、静かに嘆息した。


 微妙に気まずい雰囲気を残しながら休憩は終わった。


「いやぁ気分スッキリパワー全回復ですっ」

「アンタはRPGの住人か」

「はにゃっ」


 んばっと両手を天に突き出しながら伸びをするクリスに紅がツッコミを入れている。


「どうしたのですかカズサさま。先ほどよりもなにかお顔の色がすぐれぬご様子ですが」


「そうだぜそうだぜ、兄さん。兄さんはパーティーの要なんだからしっかりしてくれよう」


「いや、ちょっとな……ま、こういうのは慣れてるから大丈夫だよ」


 リリアーヌとその肩に乗った外道丸はしきりに上総のことを心配していたが、先ほどの話をそう簡単に話すわけにもいかないので、適当に笑って誤魔化すしかない。


 上総は気を取り直すと再び延々と続く駅構内を歩き出した。

 変化は十分もしないうちに現れた。

 目の前に階下へ続くエスカレーターが現れたのだ。


「ここで迷っていても仕方ねぇ。行ってみるか」

「そうね」

「動く階段楽チンですー」

「これを動かしている奴隷たちはさぞかし大変でしょうね」


 上総、紅、クリス、リリアーヌの順で下に続くエスカレーターに乗り込んだ。


 降りるにつれ徐々に光が乏しくなっていくが、終点の際には変哲もない通路が左右に伸びており、天井には最新のライトが灯されており明度に支障はなかった。


「左か右か。どっちだ、外道丸」

「うーん、ちょっと待ってくれよう」


 外道丸はひょこひょことリズミカルな動きでつるつるした床をすべるように歩く。


 立ち上がってきょときょと左右を見回すとおもむろにしっぽを曲げた。


「左だよ、たぶんね」

「間違ってたらねじねじの刑だからね」

「ひぎぃ!」


「どーでもいいけど、あんまことあるごとにイジメるなよ。そいつグレるぞ」


「遅い。もうグレてるわよ」

「ひぃいいん。オレってばすっごい役立ってるのにィ」


「あらあら。おかわいそうに。おーよしよし」

「えひん、えひひひぃん」


 外道丸はぽむっとリリアーヌの胸の谷間に顔を埋めると脚としっぽをバタバタさせて哀れっぽい声を出した。


 かぎしっぽがくねるたびに豊満なリリアーヌの乳房がぽよぽよとたわんで酷く卑猥な光景に代わり上総は視線を逸らした。


「なに想像してんの? ヤらしい……」


 ハッと気づくと紅が袂で口元を隠して本気で嫌そうな顔をしていた。リアルJKの現実的な軽蔑の視線に晒され上総は深い心の傷を負った。


「ううっ。ぜんぜんそういうつもりはないのに」


「さすが姫さまですねえ。クリスにはできない超人プレイです。勇者さまの男心を鷲掴みです」


「いえいえ。こういった部分は母性の象徴ですので。カズサさまも、いつでもリリアーヌをお使いくださいね」


「お使いくださいって……ひとりの女性を性欲解消の道具扱い……上総はやっぱり女の敵ね」


「だあああっ。だから違うってのに! マジで泣くぞ」

「冗談よ。ちょっとスッとしたから先にゆきましょう」

「ううう、なんか登った梯子をはずされた感が凄すぎる……」


 外道丸の人知を越えた超絶的方向探知能力(ヤマ勘ともいう)によって一行は左の道を選んだ。


 しばらく進むと近代的な通路は消えうせてレンガが積み上がってできた古臭いダンジョンのそれへと変ってゆく。


 薄暗くなった通路の天井近くには無数のランプが据えつけられ、わずかな灯であたりを不気味に照らしている。


(また、このパターンかよ。ん?)


 幾度も曲がりくねっていた道は、不意に真っ直ぐに開け、代わりに左右へ無数の人形が配列された地点にたどり着き、上総たちは驚きの声を上げた。



 

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