第18話「侮りがたしアキバカルチャー」

 リリアーヌたちが受け持っていたイルカモンスターたちの群れは、彼女が召喚魔術で異世界より呼び出した七十二柱のうちのひとりマルコシアスによって打ち倒されていた。


 マルコシアスは翼と蛇の尾を持つ巨大なオオカミである。


 雄牛ほどの巨大な身体を持つ黒々としたマルコシアスはリリアーヌたちが受け持っていた八体のイルカたちをこともなげに斃すと、転がったイルカたちを三時のおやつでも貪るような気やすさでバリバリと頭からかじっていた。


「いえいっ。さすが姫さまの召喚術ですっ」   


「こら、クリス。すごいのはわたくしではありませんわ。これもみな祖先の高徳と精霊たちのお力添えにほかなりません。ありがとうございます、マルコシアス」


 リリアーヌは感謝に耐えぬといった様子でマルコシアスのクマよりも頑丈そうな黒い毛皮をそっと撫でている。マルコシアスはくすぐったそうに身体をぶるりと震わすと霧のように消えていった。


「な。だから大丈夫だろ」


 上総はくしゃくしゃの自分の癖毛をかき回しながら、絶句している紅に声をかけた。


「あ、あのね。あんたたち、こういう奥の手があるんならさっさと使いなさいよ」


「てか、いわなかったか。リリアーヌの召喚術は極めつけに強力だが、使用回数に限度があるって。それに雑魚はともかく、まだ敵の親玉は出番を待ちかねてるみたいだ」


「な!」


 そういった上総の肩越しに紅が視線を向けたとき――。


 なにもなかったプラットホームの中央に巨大な階段が突如として出現し、のしのしと重たげな巨体を引きずって目を疑うような怪物が姿を露わにした。


 ほとんど人工的なビビッドピンクな肌を持つ、全長四メートルはあるかという巨大イルカが生臭い風を呼び起こしながら上総たちの前に立った。


「ニンゲンたちよ。よくぞ我が精鋭たちを残らず屠って見せた。その勇は称賛に値する、が、儂がここにいる以上、この先には一歩たりとも歩を進められないと思うがよい」


 ピンクイルカは頭の上に金色に輝く王冠を乗せ、手には先端が三つに分かれた穂先のあるトライデントを持っていた。


 声質は落ち着いたバリトンであり深い渋みと耳にするものを落ち着かせる威厳が備わっていた。


「な――なんなのよあんたは」


「む。小娘よ。儂はダンジョンマスターにはこのエリアで皇帝の称号を与えられている。そうだな、便宜的にイルカ皇帝と名乗っておこう」


 紅の震え声に悠然と答えたイルカ皇帝はなるほど、そう名乗るだけの気迫と強さが備わっていた。


「下がっているんだ紅。どうやらコイツの相手は俺じゃなきゃちょっと無理そうだ」


「すみませんカズサさま。魔力さえ尽きてないければ、わたくしが平らげてみせますのに」


「いいって、さ、リリアーヌもうしろへ」


 案じて駆け寄って来たリリアーヌを下がるように指示する。同時に敵に気を呑まれていたことを急に恥じた様子の紅が食ってかかって来た。


「って、なにカッコつけちゃってんのよっ。時代がかった騎士じゃあるまいし、こういう中ボス的存在はみんなで囲んでフルボッコに決まってんでしょーが! だいたい、上総っ。あんたはもう丸腰でしょっ」


「なんだ……心配してくれてんのか? ありがとな」


「ちっがーうっ。だいたいバケモノイルカっ。あんたもあたしたちがお喋りしている間に奇襲攻撃のひとつやふたつしなさいったら。これはゲームのイベントムービーじゃなくって、現実の勝負なのよ。そこんところホントにホントにわかってんの?」


「む……? いや、儂は皇帝の称号にかけて不意打ちなどはしない」


「さすがイルカでも皇帝だけのことはありますねっ。クリスは感じ入りました」


「クリス。わたくしもこの皇帝イルカさん、敵にしては中々天晴れな心意気かと思いますわ」


「ですよねですよねーっ?」


「って、あたしをほっぽってほのぼのするんじゃなーいっ。そもそも上総が丸腰の件はまったくもって解決してないじゃないっ。あんたたちはあの男がイルカの矛でぐさぐさされてもいいのっ? ホントにいいのっ? お腹からさっき食べたおまんじゅうとかがポロポロ出たり、休憩時間に食べたパスタがうにょろうにょろ出てくるかもしんないわよっ」


「はっ! それはとっても困るのです。クリス、カズサさまのお腹が穴ポコだらけになってしまわれたときの用意は――?」


「はいっ。ぬかりなく木工用のボンドと100均で買い求めたるびにるてーぷを持参しておりますゆえ。おっけ、かと」


「それならよいのです、ほっ」

「てか、そんなもの食べてたくだりあったかしらっ!」


「あのさ、おまえらの気がすんだらそろそろ話を進めていいかな」


「あのね。いくらあんたが強くったって素手であのバケモンとやり合う気なの?」


「しょーがねーだろ。だいたいおまえがロムスティンを用意して来ないからだな――」


「あんたが街中であんな物騒なもの振り回すからいけないんでしょーがっ」


「だから、今すぐ武器は用意する」

「え?」


 上総はスーツの上着をばさりと脱ぐと、そばに控えていたクリスに手渡した。


 秋葉原駅構内は今やダンジョンマスターの魔力によって異空間に包まれている。


 通常空が見えていた部分はマーブル状の黒と灰で埋め尽くされ出口は階段のみに限定されていた。


 聖剣と勇者は雌雄一対。


 勇者があるところに聖剣は無限に存在し、剣なくして勇者は力を十全に発揮することはできない。


 ぐっと右腕を頭上に伸ばす。

 目蓋を見開いて眼前のイルカを凝視しながら聖剣のことを思った。


 握りからツバ、剣身の隅々から切っ先まで目の前にあるよう思い浮かべることができた。


 幾多の敵を斬り伏せ、豪雨の中抱いて眠った唯一の相棒にして命を託すに足るもの。


「来い――ロムスティン」


 恋人を、妻を、父母を、子を愛するように上総はそれの名を呼んだ。


 きいぃん


 と、澄み切った金属音が異界に高々と鳴り響いてそれは姿を現した。


 空間を切り裂くとか光を纏って輝くとか、そのような仰々しい気配は微塵も見せず、最初から上総が携えていたかのように、聖剣はその手の内にあった。


 聖剣ロムスティン。


 薄っすら青白く光る片刃の剣は上総の腕の延長上のように握られていた。


「それでこそ、我が矛にかけるに相応しい相手なり」


 皇帝イルカは頭上の王冠をふるふると揺らめかせ、手にしたトライデントを構えて喜悦に満ちた瞳で進み出た。


 上総は聖剣を正眼に構えたままずいと前に出た。

 両者の距離が縮まる。

 潮合が極まった。


「だっ」


 上総は裂帛の気合を込めて聖剣を大上段から振るった。


 きいん


 と澄み切った金属音が響く。


 皇帝イルカのトライデントは長さ五メートルにも達する長大なものだった。


「ぬ、ぬぬっ」


 皇帝イルカは上総の聖剣を矛で絡め取ってくるりと回し、刃を折り割ろうと試みるもその場にぴたりと留まって耐える上総に動揺を隠しきれない様子だった。


 通常であるならば、三つ又の分厚い切っ先に掴まった刀身は皇帝イルカ自慢の剛力をもってすれば容易にねじ切ることは可能なはずなのに、微動だにしない。


 それもそのはず聖剣ロムスティンはただの鉄の塊というわけではなく、勇者が邪悪を討ち滅ぼすときにのみ顕現する一種の概念であるのだ。


 その力を振るう対象の魔王が滅んだといえども、この日本に現れた「悪意」の塊であるダンジョンマスターの存在を知ったとき、上総とその対である聖剣も徐々にであるが本来の力を取り戻しつつあった。


 武器破壊はならず――。


 そう知った皇帝イルカはトライデントから聖剣を離すと、すぐさまその間合いを生かして上総の身体を傷つけにかかった。


 ごお


 と、ぬるまった空気を振り払うかのように正面から無数の突きが繰り出される。


 上総は気負いなくその場でわずかに両足をバランスよく開くとこれを迎え撃った。


 大車輪のように激しく打ち振るわれるトライデントの切っ先を聖剣を使ってさばく。


 烈光のような突きや薙ぎ払いを華麗にいなしながらジリジリと徐々に間合いを詰めつつ、ついに上総は反撃に出た。


 ぐっと腰を落とし込むと、打ち返したトライデントの重みで皇帝イルカがわずかにバランスを崩したのを見逃さない。


 臍下丹田に溜め込んだ気合を唇から鋭くほとばしらせながら聖剣を斜めに振るった。


 ず――


 と切っ先はトライデントの中央部に当たると見事に両断してのけた。


 皇帝イルカがふたつに割れたトライデントに気を奪われている最中、上総は聖剣を背負うようにして高々と飛翔した。


 刃は吸い込まれるように皇帝イルカの脳天から胴体部、さらには床で自重を支えていた尾の先端部まで見事に走った。


「ローグ流、神極の太刀」


 異世界ロムレスに伝わる古流の秘剣である。


 片膝立ちになった上総の正面に静止したピンクの巨体があった。


 皇帝イルカの頭上から尾の先までは真っ直ぐな朱色の線が走り、それはみるみるうちに太く巨大になると、やがて真っ赤に裂けて血潮をドッとあふれさせた。


「ふうっと。一丁上がりだ」


 皇帝イルカは頭上に乗せていた王冠をからんと取り落とすとふたつになって絶命した。


「やりましたわ。さすがカズサさまですっ」


「ふふふ。イルカはよく味噌で煮て食うといい。ゴボウといっしょがベターだ」


 上総は首っ玉に抱きついて来るリリアーヌにキスをされながら照れ隠しにそんなことをいった。


「うわぁ。あんた、ほとんど性犯罪者のオッサンの顔よ? 国際問題にならない?」


「な、ならねーよっ」


 軽口を飛ばす紅も上総が大敵を見事に屠ったことで、表情は明るかった。


「さっすが兄さんだぜ。オレっちは絶対勝つとわかってたもんね」

「その割には戦闘中貝のように押し黙っていたわね」

「そりゃあねぇぜ! たはっ」


 皇帝イルカの死骸を前に和気あいあいとじゃれ合う。ニコニコ顔で見守っていたクリスは落ちていた王冠をそっと拾うと高々と頭上に持ち上げた。


「じゃっじゃじゃーんっ。カズサさま、戦利品でございますよう。わわっ?」


 と、同時に金色の王冠はぐにょらぐにょらととろけた飴のようにクリスの手の中で変化をはじめた。


「なにやってんのよっ。クリス、それとっとと捨てなさいよっ」


「やーん、カズサさまっ。クレナイさまあっ。怖いですう。ぱすっ、ぱすですっ」


「ちょ、おい――落ち着けって」


「そうですよクリス。まずは深呼吸をしましょう。さ、わたくしの真似をして。すーう、はぁーっ」


「きゃああっ。こっち来ないでよっ」


 すったもんだの挙句。


 やがて王冠は二〇センチほどの鍵に姿を変えると、輝きを一層増して光った。


「は、はれ? あ、なんだか助かっちゃったみたいですう」

「あ、あのねぇ。クリス、人騒がせもほどほどに――」


「ニンゲンたちよ」


「わっ。まだ生きてたんかっ」


 上総たちが真っ二つになった皇帝イルカの残骸から距離を取ると、もはや目鼻もなくなっている肉塊はゆっくりと最後の言葉を紡ぎ出した。


「それは……この先に……進むにあたって……絶対に必要になる……儂に勝利した証じゃ……持ってゆくが……よい……」


 ――最後までわけわかんない生き物だったな。


「勇者さま、これ」

「ん。とりあえず、なんか重要そうなもんだな」


 変化した黄金の鍵は特大に太く、どこかオモチャのようにも思えるが手にしたところ普通ではない魔力の反応を感じ上総は眉間にシワを寄せた。


(今、金が一グラム五〇〇〇円くらいだとすると、これの重さ、どう考えても五、六キロあるとすると、えーと二五〇〇万円くらい?)


「ねぇ」

「ぎ、ぎくうっ。な、なにかな。紅くぅん?」


「あんた、またよからぬことを考えてるんじゃないでしょうね」

「ば、ばーかな。このわたしが、はは。ありえんだろぉ」


「怪しいわね。とりあえずこの鍵はダンジョン攻略に必要そうだからあたしが預かっておくわね」


「ああん。お宝ぁー」


 未練がましく手を伸ばすと紅は吊り上がった目で激しく睨みつけてきた。


「なに?」

「なにも」


「勇者さま。お気を落とさずっ。クレナイさまの隙を見て私がぱぱっと取り返してあげますからねっ」


「聞こえてるわよクリス」

「ああんっ。お尻つねっちゃいやですう。ご無体なー」





 とにかく皇帝イルカを斃したことで無限に続くと思われた迷宮に一筋の光明が見えた。


 上総たちは、勇躍、目の前の階段を足取りも軽く上ってゆくと、予想に反してすぐに終わりが見えた。


 妙だな――。


「おかしいわね。さっきはあんなにいやらしく長ったらしかったのに」


「クレナイさま。物ごとはいい方向に考えましょう。わたくし、これもみなの頑張りを見ていてくだすった天上の神々が与えたもうた恩寵だと――」


「悪い、リリアーヌ。どうやらそういったボーナスステージをここのダンジョンマスターは用意するつもりは微塵もないらしいな」


「はぇ?」


 頬にかかった髪を指先で払いながらリリアーヌがちょっと抜けた声を出した。


 上総はすでに鞘から抜きはらった聖剣を階段の終わりに現れた奇怪な物体に向けていた。


 それはパッと見で高さ三メートルほどはあろうかというカプセルトイであった。


「ガチャガチャだ」

「ガチャね」


 上総と紅が油断なく構えながら目前に突如として現れた四角い物体に警戒態勢を取った。


 ガチャとは。


 秋葉原だけでなく、日本全国どこでも見ることができるカプセル自動販売機の総称だ。


 音もなく現れた巨大自販機は一行の行く手を阻むように立ちふさがり、なにやら陰鬱な気を機体から四方に放射していた。


「あのお、カズサさま。ガチャガチャってなんですか?」


 リリアーヌがぷっくりとした形のいい自分の唇に人差し指を当てながら、上総の上着をくいくいと引っ張って問うた。


「あ、はーいっ。私知ってますよ。すーぱーに置いてありました。硬貨を入れると中からオモチャが出てくるんですよう姫さま」


 上総の代わりにクリスがへへーんと自慢げに答える。リリアーヌは黒真珠のような瞳をきらきらさせながら手を叩いて感嘆した。


「さすがですクリス……わたくしそこまで気を配って商店を見てはおりませなんだ。さすが、我が王国の至宝たるメイドです」


「えへへ、そんなふうに褒められると照れちゃいますよう」


「って、んなアホな姫とメイドの漫才はどうでもいいのよっ。来たわ!」


 紅の叫びが響くと同時に頭上に佇立するガチャガチャマシーンはツマミを勢いよく右に捻ると、放出口からバレーボールサイズのカプセルを次から次へと吐き出しはじめた。


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