第17話「迫りくるイルカ軍団の恐怖」

 歩を進めるごとに構内の湿度はグングンとうなぎのぼりに上がり、上総は強い日差しの下をあてどなくうろつく野良犬のように舌を出して喘いだ。


 プラットホームの天井には当然ながら屋根があるのだが、それもダンジョンの一部のためだろうか異常なまでの厚みがある。


 通常の駅ならば空が見渡せるのであるが上総の目に映る周囲の空間は黒と灰とが混じったような混沌とした闇に包まれていた。


 対面側には遮蔽物はなにもなく、ただ、ただたっぷりとした水だけが広がっている。


 上総は大きくため息を吐くと額にぐっしょりと浮いた汗を手のひらでぬぐった。


 大きく呼吸をすると真夏の砂浜のように喉が焼ける。


 激しく咳き込むと背後から呆れたような紅の声がかかった。


「なっさけないわねぇ。あんたそれでも男なの? 根性出しなさいよ」


「う、うるさいなー。こんなに暑かったら弱音のひとつやふたつくらい――」


 紅の声に振り向く。


 背後ではのしのしと歩く巨大な雪だるまを引き連れて涼しい顔をする娘三人衆を目にし上総は激しく顔を歪めた。


「んだよ、それは」

「雪ん子の式神よ。あんまり暑いから出したの」


 紅がしれっとした顔でいった。人間大の雪だるまは炭で作った眉と目玉をくりくり動かしながら、ひんやりとした冷気を地味に放射しているようだった。


「カズサさま、とっても涼しくて心地よいですの」

「ああん、姫さま。この子ほっぺくっつけるとひやーっとしますよ」


 リリアーヌとクリスは雪だるまに抱きつきながら涼を取ってご満悦の様子だ。

 クリスにいたっては雪だるまの腹に自分の頬をぴたっと接着させ融解させている。


(まぁ、まぁさ。いいんだけど、いいんだけどぉ。気づかない俺が悪いんだろうけど、こういうの出したんならひとこといってくれよ。くすん)


「わ、悪かったわよ。上総も涼んでいいからそんな顔しないで。あたしがイジメてるみたいじゃない」


「いいのかっ。じゃ、さっそく。おおーっ。こりゃ冷たくて気持ちいいな」


 上総は雪だるまに両手をくっつけて火照った身体を冷ましにかかった。


 ここは駅構内だというのにまるで終わりが見えない。上総たちはプラットホームに上がってから延々と終わりのない直線を歩き続けていた。


「ねぇ外道丸。ホントにこっちの方向で道合ってるんでしょうね? もう、半日以上歩いてるのよ。もし間違ってたら――」


「紅、頼むからそこで言葉を切るのはやめてやってくれないか。マジで外道丸がメチャ怯えてるから」


 紅はふーんだっと唇を尖らせると怒りのぶつけ場所に困ったのか罪のない雪だるまを執拗に蹴りはじめた。


 彼女が裾から細い脚を伸ばして小刻みにキックを放つたび、どこか雪だるまの顔が悲しそうに歪んでゆく。


 悪い、雪ん子の式神よ。俺にはおまえを助けられそうにもない。


「おやめくださいませクレナイさま。クリスはユキダルマさまがおかわいそうで見ておられませんっ」


 クリスが止めに入ると紅は頭を左右に振って痺れを切らし、だんどんと地団太を踏みはじめる。


 見かけが華奢な美少女巫女なだけに落差が激しく上総はかなり引いていたが、外道丸は「いつものこいつものこと」とリリアーヌの肩に乗りながら達観した目をしていた。


「にしても、ホントにここ都内なの? 延々とプールサイドを歩かされてるみたいで、あああっ」


「いきなり叫ぶんじゃねーよ」


「寒い次はあっついし、もーやだ。あたし空調のないエリアじゃ生きていけないか弱い生き物なのよ」


「オレっちクレナイは地球がアルマゲドン状態になっても余裕で生き残ってると思うけど」


「ほーら外道丸ちゃん。ママがお風呂に入れてあげますからねー」

「やだあああっ」


 紅はぼそりと呟いたか弱きイタチのしっぽを持って軌道内を満面と埋め尽くす水の上にぶらーんぶらーんと逆さにして振り出した。非道である。


「あのな……紅、あまり小動物をイジメるんじゃないよ。そのうち動物愛護団体がな――」


 上総があまりにかわいそうな外道丸をヘルプしようと白線ギリギリで親子の対話を楽しむふたりに近づくが、咄嗟に顔色を変えた。


「紅っ」

「わかってるわよっ」


 上総は後方に飛び退った紅と外道丸を左手で抱き留めてくるりと背に回すと、水面にこんもりと浮かんだ邪悪な気の塊に意識を集中し右手のピッケルを振り上げた。


 ドッと透明度の高い水面が割れて飛び出したのは、巨大な剣を持ったイルカだった。


「くっ」


 半ば予想していたので対応は充分間に合った。


 上総はピッケルを下方から勢いよく振り上げると、きらりと光った刃に合わせた。


 がきん


 と、固い硬質な音が鳴ってイルカは左方に跳ね飛んだ。


「たああっ!」


 それを黙って見ているクリスではない。


 彼女は怪鳥のような気合を喉元からほとばしらせると無防備なイルカの脇腹に回し蹴りをすかさず叩き込んだ。


 イルカはくえーっと奇怪な断末魔を響かせると、ホームをだんっどんっと音を立てて転がり口から血泡を吐き出して絶命した。


「イルカだ……! 上京してすぐのとき俺がエウリアンに売りつけられたイルカの絵にそっくりなやつだ!」


「騙されてんじゃないわよっ」


 エウリアンとは――。


 文字通り都会の繁華街で無防備な田舎者を言葉巧みに引っかけ、なんら価値のない複製画をそれこそ車が一台買えるほどの暴利で売りつける悪質絵画販売業者のことを意味した。


「あの女、この絵を部屋に飾っておけば運が開けるって、出世が約束されるっていっていたのに……! 残ったのは陳腐な版画と強烈なローンだけだった。ド畜生が!」


「どんだけ騙されやすいのよ、あんたは」


 がくがくと首根っこを紅に揺すられながら、上総は若き日の過ちを苦い思いとともに反芻していた。


「あ、カズサさま。とかいっているうちに、あっちにもこっちにも青いお魚さんがたっくさん現れましたわっ」


 リリアーヌが開いた扇の先に指し示す場所には、剣を持ったイルカの怪物――ソードイルカが七体ほど水面にその姿を現していた。


「姫さま、あれはお魚さんではございませんよ。クリス、えほんなるもので勉強いたしました。あれはイルカさんといってお乳を飲む動物さんなのですよ」


「ええっ。でもクリス、わたくしこれと同じイルカなるものの切り身がお魚屋さんで売られているのを見ましたわ」


「リリアーヌ。君は別に間違っちゃいない。そしてクリスも同じくな。イルカさんは牛馬と同じく動物さんだが切り身は魚屋さんで売っているんだよ」


「イルカってあたし変なニオイがするから好きじゃないのよね」


「ンなこといってる場合じゃないっての。兄さん、来るっ。あわわ、来るってば!」


「じゃあ、とりあえずサクサクっと退治しますかね」


 上総はゆるりとした動きで前に進み出ると、飛びかかって来た三体のソードイルカを迎え撃った。


 きらりと刃先を連ねて上空から落下して来るイルカたちの間を踊るように通り抜ける。


 数瞬のち――。


 剣を手にしていたソードイルカたちはそれぞれ額から血潮をドッと噴水のように撒き散らしながらあたりに転がって動かなくなった。


 上総が手にしたピッケルを振るとピックの部分から赤黒い血がしたたり落ちて床を汚した。


 目にも止まらぬ速さでイルカたちの脳天を打ったのだ。


 それが証拠に動かなくなったイルカたちの額には機械で刻んだような菱形の傷口からピンク色の肉が露出していた。


「やるじゃない」


 あっという間に三体の仲間をやられたのを見て警戒したのか、残りの四体はホームに上がると剣を構えたまま攻め寄せようとせず固まっている。


「む?」


 ふと、新たに盛り上がった水面の気配に上総が鼻を蠢かすと、ばしゃしゃっという景気のよい音とともに、今度は巨大な盾を持ったイルカ――シールドイルカが五体ほど現れ密集隊形を取った。


 上総が姿勢を低くして飛びかかるタイミングを計っていると、今度は逆側からソードイルカ五体とシールドイルカ三体が現れ、都合十七体の敵に左右から挟まれた形となった。


「マズイわね。一気に飛びかかられたら面倒だわ」


 紅は小太刀を引き抜くとささやくようにいった。


「リリアーヌ、クリス。片方を頼んだ。こっち側は俺と紅で片づける」

「任せてくださいませっ」

「姫さまはクリスがお守りいたします」


 シールドイルカはどのような方法かはわからないが、とにかくも短い手で機動隊が持つような大きさの長方形の盾をズンと据えて後方で備える剣士たちを守っている。


 紅がチラリと王女とメイドを気にしている素振りを見せたが、仮にも彼女たちがこの程度の敵に遅れを取るなどとは思わない。


(いや、むしろ危険なのは俺のほうかもしんない)


 リリアーヌや紅たちが十代バリバリの現役であることに比べて、どうして三十路前の上総は全盛期を思えば、反射速度も、集中力も、体力も劣る。


 事実としては、確かに魔王討伐戦に挑んだときと比較すればやや弱体化はしていたが、それでも上総の身体能力は雑魚モンスターに敗れるほど衰えてはいなかった。


 ここに、本人と肉体と世界との齟齬があり、当然ながら上総はかつて自分が持っていた蛮勇を発揮した。


「あ――こら!」


 紅が止めるのも聞かず、上総はほとんど無謀とも思われるような動きで敵に斬り込んでいった。


 これにはイルカモンスターたちも虚を突かれたのか、ぎくりと、一瞬だけ動きが静止した。


 だが、その刹那だけで充分。


「るおおおっ」


 上総は手にしたピッケルに魔力をそそぎ込むと、大気を割って水平に薙いだ。

 ありえないほどの力技である。


 シールドイルカたちが持つ盾は地下迷宮の魔鉱石から作られダンジョンマスターから与えられた逸品である。


 機関銃の銃弾ですら弾く硬度を持つそれは横合いから唸って迫る魔力を纏って迫る特大の刃風によって、いともたやすく千切られた。


 溶けかけたバターをナイフで削ぐようなものだ。


 三体のシールドイルカは盾ごと己の胴体を薙ぎ払われ、特大の朱線をびっと横に引かれ血潮であたりを霧に染めながら吹っ飛んだ。


 が、代償は大きかった。


「くっ――」


 上総の手にしたピッケルは衝撃に耐えられず粉々に砕け散った。

 元より滑落停止道具である。


 市販品のそれは打ち合いに耐えうる強度を持ちようがなかった。

 上総の手の中にはへし折れた柄だけが寂しく残る。


 隙ありと勢いづいたソードイルカたちが眼を爛々と光らせ前に出る気配を見せた。


「あとは任せなさいよ――はっ」


 うしろで備えていた紅が手にした巫力を仕込んだ切り紙を指先から放った。


 その切り紙はたちまち幾つもの紙の燕に姿を変えると、剣を構えたソードイルカの周囲をぐるぐると回って盛んに切りつけはじめた。


 時間とともに式神の燕のスピードは常人の動体視力では捉えきれなくなるものとなった。


 イルカたちの絶叫も虚しく燕はますます飛翔速度を幾何級数的に増大させ竜巻のようになって荒れ狂った。


 わずかののち。


 五体のソードイルカたちは手にした剣をガランと取り落とすと、膾に刻まれて失血した。


「やったな」

「いいえ、まだよ。リリアーヌたちがっ!」


 紅がおそらくは苦戦しているであろうと思われる仲間たちのほうへと振り返ったとき――。


 すでに勝敗は決していた。


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