第15話「足腰を鍛えると長生きする」

「階段ね」

「階段だな」

「階段ですね」

「階段ですよ」


 テントを撤収したのち探索を続けると、上総たちの前に上階へと続く階段が現れた。


 彼らが虚仮のように上方を見上げ同じ言葉をかわすのは特に示し合わせてのことではない。


 終わりが見えないほどに、それが続いていたからであった。


「なにこれ? もしかしてこんぴらさんをモチーフにしているのかしらね」


 紅がうんざりした風にいった。


「おまけにエスカレーターは止まっていると、来てやがる」


 外道丸が竹筒からうにょりと這い出て、長いしっぽでツンツンと停止した段差を突いている。


「これは登るしかないでしょうね」


 リリアーヌが手をかざして見上げている。さいわいなことに周囲にはモンスターの姿はない。


「おのぼりさんですねっ」


 クリスはなぜかうきうきした表情で興奮している。彼女は基本的に身体を動かすのが好きなので、こういった困難を伴う地形ほどファイトが沸いてくる性質であったことを上総は思い出した。


「クリス。それは用法が少し違うように思えるのですが」


「ええと、勇者さま。私のニホンゴ、どこかおかしな部分がございますでしょうか?」


「短期間でそれだけできれば充分だよ」


「ぶちぶちいってても段数が減ることはないわ。上総がトップでしんがりがあたしよ。登りましょ」


 こんぴらさんの愛称で知られる香川の金刀比羅宮でも一三六八段しかない。上総は巨大なザックを背負ったまますいすいと登っていった。


 斜度のある難路を走破する筋肉というものは、平らな路面を走ったりジムのような場所では鍛えて身につけることのできない部類のものだ。


 今までが清潔感あふれる通路のなめらかな道ばかりだったので、運動不足だった上総はたちまちに顎を出しそうになった。


 だが、耐えるといういう一点においては彼はどのような人間よりもすぐれていた。


「ちょ、ちょっと。上総、すっごい汗よ。ペースは落としてもあたしは構わないわ」


 紅は先頭の上総が汗を多量にかいていることに気づき声をかけた。


 それに反してリリアーヌもクリスも心配そうな素振りを見せているが決して止めようとはしない。


 彼女たちは上総が一度こうと決めたら死んでもやめない頑固さを誰よりも旅の途中で知らされてきたからだった。


「だ、大丈夫だ。登り出しは、ちょっと疲れるんで。じきに、慣れるさ」


「本当? いっておくけど、こんなところで倒れられても困るからいってるだけよ?」


 紅は真っ先に止めるかペースを落とせと進言するだろうと思っていたふたりが無言だったことに、妙な恥ずかしさを感じてそんなふうにいった。基本的に紅は善人なのだ。


(随分と冷えてきたな)


「かなり、寒くなってまいりましたわ」


 そういって上総のすぐうしろを歩くリリアーヌは特に寒そうだ。見た目からして肩も丸出し胸も谷間がくっきり見えるドレスなので鳥肌が立っていた。


 上総はマイナス五〇℃からプラス五〇℃まで計れるアナログ温度計を取り出して確認したところ、氷点下に近くなっていた。


「リリアーヌだけじゃなくみんなも上を羽織ったほうがいい」


 上総はザックを下ろすと素早くパッキングした上部からメリノウールのシャツやハードシェルを取り出して全員に配った。


「ホラ、おまえもちゃんと着ろよ」

「え、これってあたしのぶん?」


「ああ。紅だって俺たちの仲間だからな。その点は抜かりないさ」


「上総……」


 ブルーのハードシェルとフリースを受け取った紅が上目づかいにジッと見上げてくる。


(へへ、なんだかそんなふうに感動されると照れちまうな)


「あんた、あたしのサイズいつ調べたの……やだ、気持ち悪い」


「ちょっ!」


 紅は防寒着を受け取ったまま怯えを見せたので上総は激しく動揺して転びそうになった。


「嘘よ、うーそ。ありがたく着させてもらうわ」

「おいおい、勘弁してくれよぉ」


 ケラケラと笑う紅を見てホッと胸を撫で下ろす。ちょっとしたことでも、婦女子の機嫌を損なうと行動に支障をきたす。人間関係というものはとみに難しいものなのだ。


 長期の歩行、しかも気候がどのように変わるか予測のつかないダンジョン内ではレイヤリングは非常に重要になってくる。


 汗をかいたまま長時間放置すれば体調を崩す原因となる。大丈夫だ大丈夫だと無理をすればするほど人間とはあっさり身体を壊してしまうものだと、上総は歩行中、興が乗ってしまったのかベラベラと最後尾の紅に聞こえるよう演説してしまった。


「それをカズサさまが仰られますかね」


 リリアーヌが疲れたように「はふう」とため息を吐く。


「なんだよ。なんかいいたそうじゃんか」


「勇者さま勇者さま。姫さまは勇者さまが雨が降っているときでも野天で大の字になって平気で寝ていたことを思い出しておられるのですよ。あのときは私もすっごく心配したんですからね」


「はうっ。あのときは……すっげー疲れてたし。いいじゃんか、まだ十代だったし、若き日の過ちってやつですよ」


「なになにー。あたしもそのアホみたいなエピソード聞きたい」


「おい、余計なこと話すなよ……って聞いてねぇし」


 上総の言葉を無視する格好で三人はきゃいきゃいとお喋りに夢中になった。なんだかんだいって紅はリリアーヌたちと距離を取っていたみたいなので、自分が肴になったとしても不愛想にツンツンしているよりかはマシかなと思い放置した。やや距離が開いて上総が先行する形となった。


「なぁ、なぁ。兄さん。今、ちょっといいか」


「なんだ、外道丸か。おまえもたまらず逃げてきた口か」


 管狐の外道丸は顔を寄せ合ってきゃらきゃら笑う三人娘から離れてするりと上総の肩口からささやいいてきた。


「あのな。黙ってんのはさすがのオレも気分が悪いんで、こっそりいっちまうけど。あのときの、アレって……紅のブラフだからな」


「アレって、もしかして……アレのことか?」


「ああ。兄さんが紅の処女を奪って穴という穴にザーメンを流し込んだというアレか」


 上総は持ち前の自制心を総動員して大声を出すことを自制した。


 外道丸にいわれてみればもっともな話だと思えなくもない。いくら自分が酒に弱くても、初対面同然の少女を襲って幾度も強引にことを行い、それを覚えていないというのはおかしかった。


(ま、あま、そうだよな。冷静に考えて、そういうことやっちゃってまったく覚えてないなんてマンガじゃあるまいし、あり得ないよな)


 上総は胸の重しがそっくり取り除かれたのを気づかれぬよう、平然と外道丸に応対した。


「は。わかってたよ。わかってたうえで、演技をしたのさ。外道丸。俺はもう三十近いんだぜ。紅のような小娘の口車にあっさり乗るほどお人好しってわけじゃない。大人をなめんな」


「じゃ、じゃあ、なんで唯々諾々と紅のいうことを聞くんだよ。カズサ兄さんほどの腕前ならあんなはした金で動く必要が」


「バカだな外道丸。俺は俺でだな、この国の治安を守るため、むしろ事情通の紅を利用するくらいの勢いで――ちょ、今、なんつった? はした金? 日当二万ぞ。国家予算並みじゃないか?」


「この国の国家予算はそれほどチンケじゃないと思うが。二万てのは相場から見て相当に安いぞ。紅は陰陽機関からそれなりの賃金を支給されてるけど、この秋葉原駅が使えないことによってどれだけ鉄道会社が損を出してると思ってるんだい? ちなみに、昨日オレたちが合流する前に折衝した時点で、少なくともこんだけは動いてたぞ」


 外道丸がボディランゲージを駆使して、上総に紅が受け取っている鉄道会社からの「補助金額」を理解して愕然となり、次に妙な声を上げようとしたところで喉の中にしっぽを突きこまれた。


「ば、ばかばかっ。しーっ、しーっ。紅のやつに気づかれたらオレが絞め殺されちまうっての」


「そ、そんなん、下手すれば練馬区の一戸建て住宅が買えてしまう値段じゃないか」


「あのなー。紅の名誉のためにいっとくけど。彼女、もらった金はこういった事件に巻き込まれた人たちに寄付して回ってるぞ。あいつは、性格きついけど、生まれは甲府の上流階級のお嬢さんなんだよ。ちょっといろいろあってこんな仕事してるし、とてもじゃないがまっとうとはいえないけど、本当はとってもやさしい子なんだ。そこはわかって欲しくてよ」


「そういやおまえは紅に育てられたんだってな」


「退魔巫女が方術のひとつとして管狐を使役するのは珍しいことじゃないが、あいつはやさしすぎるんだ。だからオレを戦闘用には育てなかったからさ。オレは本当はあいつのために戦ってやりたいんだけど、上手くいかねぇし、たぶんあいつの顔見ていえねぇや」


「そっか。外道丸にとって紅はオフクロさんみたいなもんなんだな」


「兄さんならわかってもらえると思ったぜ。それに、紅は兄さんに会って変わったよ。前はほかの誰かと会ってもよ、ロクすっぽ口も利かねーし。ガッコじゃぶすーっとして友だちもできねえし。こりゃなんとなくだけど、紅は兄さんのことが気に入ってんだ。できれば、嫁にもらってやって欲しいけど、兄さんにゃもう決まった女がいるみたいだしなぁ」


「ば、ばかっ。俺がガキに手ぇだすわけねーだろっ」


「うん? オレぁ狐だから違ってるかもしんねーが、あのリリアーヌとクリスってお嬢ちゃんは紅とたいして歳変わんないだろ? それにメスってのは頼れる年上の力のあるオスに惹かれるもんだって。兄さんはたまたまついてなくて金に縁がないだけで、これからはいっくらだって稼げるって。もしダメでも、紅やオレが食い扶持くらいは稼ぐからよう。少し、考えてやっちゃくれねぇか。なあ」


「……おまえは本当に紅のことが好きなんだなぁ」


「カッ。よしてくれって。オレは紅が行き遅れたらカワイソウだからって、そんだけよっ」


「ま、あいつが行き遅れたら俺が面倒みるよ。紅は全力で嫌がるだろうがな」


 外道丸は「ホントか! ホントなんだなっ!」と叫びながらよろこんであたりを跳ねている。


 管狐の年齢など上総にはよくわからないが、こうやって無邪気にはしゃぎまわるところを見ると、まだ幼い少年くらいの純真さがあった。


 騒いでいる上総たちに反応して下段に固まって話していたリリアーヌたちが不思議そうに見上げてきた。


 首を巨大なザックごと揺すって背後を見やると胸のあたりにチリチリとした不快な視線を感じ、叫んだ。


「跳べ、外道丸ッ」


 間を置かずして外道丸が背後に跳び退り上総の胸元目がけて、しゅるっと長い縄のようなものが壁の中から弾け飛んできた。


 腕を曲げて咄嗟にガードする。


 しゅるりと左腕に長い暗褐色のそれが巻きつき、重機で引かれるように上総の身体がガクンと前にかしいだ。


「おおっ」


 喉から野太い呼気を吐き出し、壁へと気合の塊をぶつけた。


「カズサさま。フローズンケロッグですっ」


 リリアーヌがいうように上総の気をまともに喰らった壁中から青白い身体をした巨大なカエルが姿を現した。


 上総の左腕に巻きついているのはフローズンケロッグと呼ばれる周辺に体色を同化させる能力を持つモンスターである。


 斜度がきつくなった階段では態勢を保つことが難しいはずであったが、上総はカエルの舌に絡めとられた左腕を水平にしたまま絶妙なバランスでその場にピタリと静止した。


(こんな雑魚にやられるほどまだ耄碌はしていないってっての……あれ? あ、そういえば聖剣は)


 上総は十年前のように腰の剣を引き抜いて目の前の巨大ガエルを切り刻もうとしたが、頼みの綱は警察に危険物として没収され無腰であることを思い出した。


「あーくそ、なんだってここまで来て大ポカをしでかすんだよ、俺は」


 仕方がないので左腕をぐいと引きつけてフローズンケロッグの巨体を宙に浮かせた。


 やや、身体を反り返らせながら後方へと放り投げる。


 大ガエルはたまらず上総の腕から舌をゆるめて下方へ向かって飛んでゆく。


「てやっ」


 フローズンケロッグが一行の頭上を通り過ぎる瞬間、クリスが身を翻して飛び上がった。


 靴の爪先が矢のように鋭く大ガエルの無防備な腹を蹴りつけた。


 フローズンケロッグはちょっとした子牛ほどもある大きさだが毬のようにポーンと弾けた。


 素早く一番後方にいた紅が護符にまじないをかけてフローズンケロッグに放った。


 真っ白な護符はたちまち鋭い風の刃と化して大ガエルの身体を粉微塵に切り刻んだ。


「って、あなたすごい身のこなしねっ」


 紅は肉片と化した大ガエルの死骸を見ながらいった。


「ふふーん、私、こう見えても旧職は神官騎士だったのですよ。職業選択の自由ジョブチェンジによって今はメイドをやっておりますが。中々の腕前でしょう」


「クレナイさま、クリスは歌って踊って戦える万能メイドですのよ」


 クリスは狭い階段で器用にくるくると踊って見せた。


「……うん。それは、まあ、どうでもいいかな」


「たいそう酷いです。私のチャームポイントなのに」


「仲よくお喋りもいいが、少しは前を見たほうがいいと思うぞ」


 正面を指差す。上方からぴょんこぴょんことフローズンケロッグたちが群れを成して迫って来ていた。


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