第13話「地下迷宮探索は骨が折れる」

 時間にして十五時間ほど行動した時点で、上総たちは休憩を取ることにした。


 秋葉原ダンジョンは、想定していた以上に、情け容赦なく、長い。果てなど見えないのだ。


 ここまで危惧していた洞窟御用達モンスターとエンカウントしない。


 上総は照明があって明るく、左右が見渡せる場所にテントを張ることにした。


 野営に使うのはモンベルのムーンライトテントの5番だ。


 日本の気候に合わせたすぐれた通気性・防水性を兼ね備えており無雪期登山には最適だ。


 上総は手慣れた動作で順序良くアルミフレームを組み合わせ設営しフライを張った。


「なによ。プロ並みじゃない。三分かかってないわよ。趣味がアウトドアなの?」


「オヤジが山ヤだったもんでね。ガキの頃はよくアルプスを縦走したもんだ」


 紅は新品のテントをどこか楽しそうに眺めながらうきうきした様子を隠そうともしなかった。


「カズサさまはテント設営のプロフェッショナルなのでございますよ」


「ロムレスでは熟練の猟師や案内人も舌を巻くほど野外の術に長けていらしたのです」


 リリアーヌは簡易チェアに腰を下ろすと、淹れたばかりの茶をそっと差し出してきた。


 すぐそばでは、イワタニのガスバーナーでクリスが器用に食事の用意をはじめている。


 分厚いまな板で食材を刻み、さながらBBQに来ているような錯覚を起こさせる。


「おご飯ならレトルトで充分じゃない?」


「クレナイさま! 腹が減ってはいくさはできぬ。いい肉を食わせぬと猟犬は仕事をしない、です。戦いの前にはしっかりとおご飯を食べて身体を作らねばいい仕事はできませんよー」


 クリスが包丁を構えたまま力強く力説する。紅はうっと呻くと袋からジャガイモを取り出して片目をつむった。


「じゃ、あたしも皮むきくらい手伝うわよ」


「力を合わせてひとつことを成す。素晴らしい光景ですわね、カズサさま」


 無論のこと、王族であるリリアーヌが作業を手伝うはずもなかった。


 こうまで素材や食事にこだわるクリスがあたためて出すだけのアルファ米の存在を野外であるとはいえ許すわけがない。


 バーナーの火がゴーゴーと青白い音を立て鍋を揺すっている。米はササニシキで芯からふっくら炊き上げるという念の入りようだ。


「ニホンの道具は随分と便利ですね。これなら、薪を拾って来る手間も省けますし、メイドも泣いてよろこびますよう」


 クリスはフライパン(通称山パン)に鶏肉をゴロリゴロリとぶち込み、油を使ってじゅうじゅうと焼く。皮を焼く際にはフライ返しで押さえつけ器用に焦げ目をつけてゆく。


「んで。メイドさんよぉ、今日のメニューはなんなんだい?」


 外道丸がごくりと生唾を飲み干しフライパンを覗き込んでいる。クリスは「めっ」と白い管狐を叱る真似をすると、カレーの箱を取り出して笑顔で応えた。


「チキンカレーです。今日の昼、はじめて作ったんですけどおうちでは好評だったんですよ」


 クリスはリンゴをおろし金ですりおろし、玉ねぎ、にんにくを細かく刻んでボウルで合わせ、少量の水を入れてこねこねした。


 その間に適当に焼いた鶏肉の塊を山パンから取り出すと、キッチンペーパーに乗せて適度に油を取ったのち、小さく切り分けて今度は油を少量張った新規の鍋に入れて焼いてゆく。


 次いで、切ったじゃがいも、ニンジンを入れ、ボウルに取ったリンゴたちのペーストを合わせて、コンソメを乗せ蓋をする。


「カレールーはいつ入れるの?」

「ちょっと様子を見てからですよ」


 紅に応えながらクリスは熟練の腕前でカレールーをパキパキ割ってペーストに投入してゆく。


 ぐう、と上総の腹が鳴った。


 美味しいカレーは三食食べてもまったく飽きないのだ。


「はい、クリス特性チキンカレーのできあがりですっ」


 待ってましたとばかりに上総は盛られたカレーに飛びついた。スプーンを持つと、リリアーヌが自然な動きで上総の上着を脱がせてゆく。


「てか、あんたはここでもスーツなのね。謎のこだわりを感じるわ」


「気にするな。それに背広は男の戦闘服だろ」


「カズサさまはスーツがお似合いなので、いいのですよ」


 リリアーヌはうっとりとした様子で抱いた上総のスーツに顔を埋めた。彼女はなにげに制服フェチだった。


「んなことはどうでもいいだろ。今はカレーさんを食べないと」


 上総は黄色味を帯びたカレーをきらきらと輝く白米と合一させ、たっぷりとすくうと一気に頬張った。


 脳を貫く電流のような芳醇な香りが鼻腔一杯に広がり、次いで噛み締めた鶏肉と米のハーモニーが全意識を奪ってゆく。


「う、美味いって、これ!」

「あら」

「美味しいですわ」


 三者三様クリスの腕前をことごとく褒めちぎる。上総は追っかけて、カレーをわしわしと頬張って、ここがダンジョン内であることも忘れてカレーの官能に酔いしれた。


(甘い。とろっとろにすりおろしたリンゴの甘みが隠し味になって、チキンカレーの旨みがなんというかメチャクチャに引き立っている。お米も炊き立てだし、ふっくらとした銀シャリが強いルーの力に負けないくらい拮抗して、両者が相乗効果でこのカレーを一段上のものへと押し上げているんだ!)


 ちなみにクリスは本屋で立ち読みしたレシピを上総が適当に解説しただけであっさりと覚え込み、あまつさえチキンカレーを作るのが生涯で二度目だというのにこれほどまでの高みに仕上げてきた。


「ふうっ。ごっそさん、と」


 上総はクリスと紅が食器を片している間に、テント内で眠る準備をはじめた。


 もちろんリリアーヌはお姫さまのでテントの吹き流しに入る上総にニコニコと手を振るだけだ。


「ねえ、鍋やフライパンはトイレットペーパーで拭えばいいの?」


「もちろん、水でゆすぐのですが。お水はこういった閉鎖空間では貴重ですから。川が見つかればそこで綺麗に洗っちゃうつもりですよ」


「アキバの駅に川があったかしら……?」


 テント内にはエクスペドのダウンマットを膨らませてよっつほど並べた。


 今回テントを張った場所は平らなコンクリートの上だが、やはり緩衝材を置くことによって地下から直接伝わる冷気を遮断することは快適さに伝わるのだ。


「あとは、みんなのぶんのシュラフを並べて、と」


 秋葉原駅はマップがまるで役立たない迷宮化してしまった。このような人工物はこの地にこれほどのダンジョンを生み出したダンジョンマスターの魔力によって構成されているので、異様に広大ではあるが、基本的に一度作られた道はダンジョンマスターといえど破棄して作り直すのは不可能に近い。それほど魔力を使用すると、ダンジョンマスターの命にまで危険性が及ぶからだ。


(頭の中を整理しよう。ロムレスから日本に転移したダンジョンマスターは魔王の残党のそのまた生き残りで、これほど広範囲のダンジョンを構築する実力者だ。意図は……なんだ? 


 リリアーヌがいうように魔王の娘であるフェリシアや日本に戻った俺が目当てならば、このダンジョンは魔族として勢力範囲を広めるとともに、間違いなく実力者の攻略を待っているはずだ……どちらにせよ、なまなかなやり方では底を見ることは難しい)


 思えば上総は日本に馴染もうと必死でこの十年生きてきたが、たかだか数日でその決意と努力自体が嘲弄されるような事態に陥っていた。


 本来、ダンジョンとは侵入する生命体の命を奪って成長するものだ。現代の科学で秋葉原駅ごと破壊しようとしても、魔術結解を物理的ロジックで書き換えることは不可能だ。


「ねえ、上総。も、ももも、もしかして今日はここで雑魚寝するつもりなの? あ、あんたは別テント、ってわけでもないのよね」


「あ、悪い。おまえの存在忘れてたわ」


 紅は不満そうに唇を尖らせる。思えば、この巫女娘が所属する陰陽機関の実力のほどもあまりよくわからない。前回、ポイズンマタンゴ数十匹を殲滅する実力を思い返せばあれほどの人員がそろうと中々侮れない勢力と考えられる。


「あのね。イヤってわけじゃないけど、寝るときの並びはどうするのかしら? ま、あのふたりが強硬に拒否するのなら、もう、そういう仲であることだし……あたしが隣でもいいわよ」


 ポンポンとシュラフの位置を直していると、そっと耳元で紅がささやいてくる。


 あ。完全に忘れてたわ。

 どうしようか。あの不始末は。

 隣で膝立ちになっていた紅と目が合った。


 若い。


 目つきが若干鋭いといえ、自分からしてみればまったくの子供なのだ。


 不意にとてつもない罪悪感がこみ上げてきた。


 紅が慈母のような表情で微笑みながら、ひたりと頬に手を触れてきた。


「ねえ、どうしたの? なにかいいたいことがあったら、目を見てキチンといって」


 あの日の紅の白い肌や、脱ぎ散らかされた白衣や緋袴が目蓋の裏にチラついた。同時に上総はずいと顔を近づけてきた紅にとてつもない恐怖感に似たものを感じた。


「あああああっ!」


 反射的に叫んでいた。頭を抱えると同時にテントの中へリリアーヌとクリスが飛び込んできた。


「どうしたのですか、カズサさまっ」

「勇者さま、敵襲ですかっ」


 う。気まずい。これじゃあ、まるっきり変な人だ。いや、自分はどっからどう見ても変なやつだよなぁ。上総はことさら明るく振る舞って笑い飛ばして見せた。


「は! あ、あはは。なんでもなんでもない、よ」


「ダメねぇ上総は。いきなりそんな大声出したらみんな驚くじゃないの」


 紅が唇を歪めてにっこりと微笑んだ。


 その顔はなにもかもふたりの秘密であることを強要しているかのように思えて、上総は軽い吐き気のようなものを覚えた。


 寝る支度が整えば特にやることは残っていなかった。


 万が一に備えてふたり一組で順番に見張りを務めることにした。リリアーヌが強硬に上総と組むことを希望した。


 だが上総は紅の無言の視線にたえかね妙な理屈をつけて、リリアーヌ・クリス組、上総・紅組と分かれるよう配慮してしまった。


「わ、悪い。みんな、今日は初日だし、とりあえず休もうか」


 最初の四時間は上総たちの組である。上総はぶるりと身体を震わせると小用をすませるため、駅構内のトイレに向かった。


 ダンジョンの自然増殖に伴って構内のトイレも無数に増えているので排便に関しては問題がない。電源は来ているので灯りには困らなかったが、その代わりといってはなんだが水は流れていなかった。


 小便器に立ちながら社会の窓をオープンにして排尿を開始する。水が流せないのはマナー違反だが、そのあたりは目をつむるしかない。


 上総は貴重な水を少量使って手を浸す程度に清めると、清潔感あふれる白い段差を降りつつわずかに緊張をゆるめた。


 と、天井あたりの空気が途端に強く動いたのが肌で感じ取れた。


「マジかよっ」


 本能的に危険を察知してテントに戻ると、そこはすでに黒い巨大な蝙蝠の群れに襲われている一行の姿があった。


 羽を広げると九〇センチほどに達するそれはダンジョンバットと呼ばれるロムレス大陸各地の洞穴に棲息する下級モンスターだ。


「上総、うしろよ!」


 護符を投げて防戦していた紅がよく通る声で叫んだ。咄嗟に振り向いて顔が引き攣った。


「のわっと」


 シャーッと空を切り裂く音を響かせダンジョンバットが首筋目がけて襲いかかってくる。


 こいつらは攻撃力自体はたいしたことはないが、好んで小動物の血を吸って滋養としている。


 おまけに彼らの牙は非常に不衛生で吸血行為自体よりも媒介する病気のほうが恐ろしい。


 ――ていうか、ボヤボヤしている間に数がドンドン増えていってる気がするんですけど。


 通路を埋め尽くさんばかりの黒蝙蝠がテントを挟み撃ちするようにして湧いて出てきた。


 上総は飛びかかってくるダンジョンバットを脱いだ上着で撃ち落とした。


 指先から魔力を込め硬度を増した上着は鞭のようにしなって蝙蝠を墜落させる。


 どうってことのない敵だが素手戦うのは相当に躊躇われる不潔さが充満している。


 なんちゅーか、見てるだけでゲロが出そうだ、おえっ。


「カズサさま。しゃがんでくださいませ、今すぐ一掃いたしますっ。ろーむ、ろむろむ、ろむ、れむす。我、ロムスの直系にしてその血を継ぐものなり、我が呼びかけに応えて契約に基づきその姿をあらわしたまえ、地獄の大公よ――」


 リリアーヌが唇をキッと引き結び得意の召喚魔術で契約した精霊を呼び出している。


 彼女は上総を日本から異世界に呼び出したほどの実力を持つ召喚士だ。


「きゃー。姫さま、カッコいいです!」

「ちょ、なによ、それはっ?」


 巨大な真紅の召喚陣とともに豹頭を持つ凛々しい精霊が現世に顕現した。


 ロムレス王家と契約を結んだ七十二柱のひとりハウレスである。


 双眸に紅蓮の赤を宿した炎を自在に操る大精霊は、リリアーヌの求めに応じて飛びかう蝙蝠たちに対して。そっと指先を伸ばしなにごとかをつぶやいた。


 咄嗟に伏せて目をつむった。頭の上を巨大な火柱が唸りを上げて赤い波濤のようにダンジョンバットの群れへと襲いかかってゆく。


 目を閉じているのにもかかわらず、キツク閉じた目蓋を通して白い強烈な光を感じた。


 物が焦げる臭気を一切感じさせないほど強烈な魔力の火が迫りくる飛行物の一切合切を毛ほども残さず焼き払った。


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