第12話「皆はひとりのためにひとりは皆のために」
――つーことで、アンタたちは明日の夜八時に九段下駅前のロイホに集合。
どういった意図であるかはわからないが、上総たちは冒険の準備を整えると指揮官である紅の指示に従って、そのときを待った。
「……来ないな、紅のやつ」
バカでかいザックを背負いながら、白いドレスを着た少女とメイドを従える上総はひたすら人目を引いた。
「飯でも食って待つか」
「わ、賛成ですわ。ね、クリス」
「トウキョウ名物ってのを私も食べてみたいです」
別に名物ではないが、と思いつつもロイホに入ってビーフハンバーグをひとつ注文し仲よくつついていると、やがて巫女姿の紅が現れた。
「待たせて悪かったわね。って、こっちは朝から走り回ってんのに」
「俺らもいろいろとやることがあるんだってば」
「てか、なんで三人でハンバーグひとつなのよ。支度金はちょっとだけどあげたでしょ」
「もう、使い切った」
紅はテーブルの横に置いてある巨大ザックを見ると形容し難い表情になった。
「まあ、使い道にどうこうはいわないけどさぁ」
「クレナイさま。ため息を吐くとしあわせが逃げてしまいますわ。ニコリと笑っていたほうが淑女は殿方によろこばれますの」
「あたしは男の玩弄品じゃない……ねえ、あなた、もしかして日本語喋ってない?」
「はいっ。一夜漬けというやつで頑張りましたわ」
「ひええっ。ほ、本当だーっ!」
「ずっといっしょにいるあんたが驚いてどーすんのよっ。だいたい他言語が一日で習得できるわけ――」
「頑張りましたのっ」
「姫さま、クリスが鍛えた甲斐がございましたね」
「もう、いい。上総もそうだけど、あんたたち全員変わってるわ。そういえば、昨日はまともにあいさつもしないで悪かったわね。あたしは白河紅よ。黒髪のほうがリリアーヌで茶色のがクリスだっけ?」
「はい。リリアーヌ・フォン・ロムレス。十七でございますわ」
「クリスタル・ザラでございます。二十です」
「なんだ。あんまウチら歳変わんないじゃん」
「俺は二十八だぞ」
「おっさんには聞いてないんだけど」
「ひでーよ」
「とにかく、のんびりご飯してる場合じゃないわよ。今日一日、いろいろと駆けずり回って。んとにもー。大変だったのよぉ」
「ま、こっちもこっちで把握しているよ」
上総はフォークで肉片を口に運びながらスマホのユーチューブに映った秋葉原周辺の封鎖映像を停止させた。
「死傷者は五十人を超えている。山手線は再開の目途が立っていないし、この経済的損失が延々と続けば東京都自体が揺るぎかねないわ」
「死んだやつらは警察の封鎖線を乗り越えて勝手に自滅した阿呆だろう」
「意外とドライなのね。もっと憤るのかと思ったけど」
「罪もなく巻き添えを喰らうならともかく、罠に飛び込んで死に至るバカまで面倒は見切れないな。世界はそれほど暇でもやさしくもない」
「カズサさま……」
リリアーヌがテーブルの端を掴む上総の手のひらに自分の指をそっと重ねた。厚みのある茶色のテーブルに亀裂が入るほど上総の指がめり込んでいた。
「あんたも随分と素直じゃないのね」
紅が視線を和らげて組んでいた腕をほどいた。
「ところで皆さま方。これからわたくしたちは、ともに志を同じゅうする間柄。ダンジョン攻略に向かうまえでありますが、ひとつ固めの儀式を執り行いませんか?」
沈んだ雰囲気を慮ってリリアーヌがそんな提案をした。
「まあ、まあ! さすが姫さまでございます。大変素晴らしい提案だと私は思いますが。勇者さまもクレナイさまもいかがでしょうか」
「異存ないぞ」
「ま、いいんじゃないの」
紅は赤ワインを注文すると、手ずから四人分をデキャンタからそそいだ。
「四人はひとつ、切っても切れぬ、か」
上総がたゆたう血のような赤を見つめながらつぶやくと紅がふふ、と微笑む。
「まるでできそこないの三銃士ね」
「さしずめダルタニャンはおまえさ」
特に芝居がかった言葉はまじえず、四人はかつんとワイングラスをテーブル中央で合わせると、中身を静かに呷った。
「じゃ、行くか」
「さっきっから気になってるんだけど、すっごい大荷物ね」
紅が上総の担いでいた特大ザックに手をかけ持ち上げようとするがピクリとも動かない。
「なにこれ、ちょっと重すぎ。こんなの担いで探索なんてできると思ってるの?」
上総はノルウェーブランドの特大ザックをこともなげに背負うと、首を左右にコキコキ鳴らして余裕綽々の表情を見せた。
「こんなもん。背負ってるのを忘れちまうくらいの重さだよ」
上総が背負うのは他の追随を許さない北欧ブランドの特大ザック、ベルガンスアルピニストラージ130だ。このザック自体が重さは四キロを超えるが、優に四、五〇キロは荷物を搭載できるまさしく長期縦走を主眼としたアルピニストや探検家のために作られたマストバイといえる。
「ある程度拡張性も兼ね備えて丈夫となると、モロに趣味が反映されるんでね」
いまどき一〇〇リットルを超えるザックはシェルパくらいしか担がない。
「あたしが背負うんじゃないからいいけど。中身はなにが入ってるのよ」
「水、食料、シュラフ、登攀具とか。いろいろだよ。備えあれば憂いなしってね」
「雪山に行くんじゃないんだけどね」
上総はロイホの前に停めてあった白いバンに乗り込んだ。紅がいうには、すでに秋葉原駅周囲一帯は一キロ以上に渡って封鎖線が敷かれており、徒歩では向かえないとのことだった。
機関の人間が運転する車両は、幾度かの警察の検問を通過すると四人を駅からかなり離れた地点で降ろした。
空気が濁っている。
車両を降りてすぐに感じた。リリアーヌもクリスも周囲に漂う色濃い妖気に気づき、すでにあたりへと油断なく視線を配っている。
それを横目で見ていた紅がほう、というような顔つきになった。
「そこのふたりもとりあえず、まったくの素人ってわけでもないらしいわね。いっておくけど足手まといになってもいちいち助けたりしないから。もしものときは諦めてちょうだい」
「あいにくとわたくしたち」
「諦めだけは悪いのですよ」
リリアーヌとクリスが息の合ったユニゾンで応じると紅が悔しそうに眉間へとシワを寄せた。
「ぐぬぬ。ま、いいわ。せいぜい化けの皮を剥がれないようにするがいいわ。ホラ、上総。あんたは盾なんだから前を歩くッ」
「ちょ、なんでいきなり八つ当たりなんだよっ」
げしげしとザックを蹴られながら上総は一行の一番前を進んだ。
しばらくゆくと、ダンジョンの奇怪な魚類と戦うため犠牲になった改札口付近に差しかかった。上総と紅が時計を見ると、前回を同じく時刻はピタリと止まっていた。
「これじゃ時間経過がわからなくて不便ね」
「じゃじゃじゃーん。こんなこともあろうかと思って、特別に私が姫さまの命でご用意しましたーっ」
クリスが金色に光る丸い据え置き型の時計を差し出してきた。
「おお、コイツは懐かしいな」
「なによこれは?」
「カズサさま。精霊のダンジョンで沼地の魔女から貰い受けた魔法の時計でございますよ」
リリアーヌが補足すると上総は目を細めてかつての青春時代を懐古した。一方、すべてが妄想だと決めつけている紅は口をふにゃふにゃさせて疲れたように肩を落とした。
「またその妄想? はいはいラノベ脳ラノベ脳。異世界と魔王と勇者の話はおいておいて、そんなそのへんで適当に買ったようなアンティーク風味の目覚まし時計がこの異界の中で役立つわけが……って、ちゃんと動いてるし!」
「どうでございますか、クレナイさま」
「むふふ。えっへんですわ」
クリスは目覚まし時計を持ったままくるりくるりとダンスを踊り、リリアーヌは腰に手を当ててたわわな胸をぷるんと震わせ悦に入った。
「とりあえず、すっごく助かるわ。ありがとう、とだけいっておきます」
「おお、紅があっさりふたりの功績を認めるとは」
リリアーヌとクリスは「いぇーい」と両手をぱちっとタッチさせ手を繋いで円を描くようにぐるぐると踊る。本当に仲よしなふたり組だ。
「あー、ここで遊んでてもあれなんで。そろそろ行こうぜ」
駅構内に入る。電気はしっかり来ているのか、中は普通の状態と同じように煌々と灯りがついていた。
「わ。すごいですね、カズサさま。とっても綺麗でロムレスの宮殿にも引けを取りませぬ」
「姫さま、姫さま。このような状態でもトウキョウの民は清掃を欠かさぬのではありませぬか」
「そんなことあるわけないじゃないのよ、もお」
リリアーヌのいうとおり、これほど清潔でいて人気がない人工物はどこか異常で恐怖心がジワジワとこみ上げてくる。
「でも、あのとき倒したロムレスアブラボウズの死骸までないのはおかしいな」
「あの怪魚ならサンプルとして陰陽機関がすべて持ち帰ったわ。それだけでも、この異界に脚を踏み込むのは充分に危険な行為には違いないものね。ホラ、外道丸。あんたもそろそろ寝てばっかいないで、仕事をはじめなさいよ」
「ちょ、やめっ。紅よう。オレの部屋をそうコツコツ叩かないでくれよ。中はうんと響くんだ」
紅が腰に下げた竹筒を拳で殴ると困ったような声で管狐の外道丸が姿を見せた。
「ところでさ、紅。ひとつ思ったんだけど、そいつってば後生大事にいつも下げてるけど、いったいどんな役に立つんだよ」
「あっ、ひどっ。兄さんらしからぬ酷いいいようっ。紅ッ。いったって、いったって!」
「そうね。あたしもこれがあまり役に立ってる部分を見たことがないわ。強いていえば情?」
「ちょっ。ないぜー、そりゃないぜー紅よう。オレちん悲しい」
「クレナイさま、特に必要がないのならそれくださいません? 姫さまがおよろこびになると思いますので」
「どきどき」
「オレ、ただのペットじゃないんだからねっ」
外道丸はするりと一行の前に出ると率先して歩き出した。
「なんだ、なんだ?」
「まあ見てなって。オレという管狐界切っての出来物具合を――!」
とりあえずお手並み拝見ということで一行はずんずんと先に進んだ。
まもなく灯りがまぶしいコンコースを抜けると、リリアーヌたちにも馴染み深い岩肌がゴツゴツした迷宮そのものの場所へと地形が切り替わってゆく。
「カズサさま。これはもしかして、ロムレスにおけるダンジョンの一部がこちら側の世界へ転移している可能性があるやもしれませぬ」
リリアーヌが日本語から共通ロムレス語に切り替え小さな声で話かけてきた。
「なにか心当たりがあるのか、リリアーヌ」
「いえ、確定ではありませぬが。わたくしたちが魔王を討ったあと、つまりカズサさまがロムレスの地から消えたのちに、残党の一部が叛徒を糾合して辺境の村々を襲った際に、とある魔道書を奪ったという事件がありまして。なんでもそれはロードエルフが古代にしるした次元の狭間についての研究だったそうで」
「魔王の残党が、それを奪った。つまりは異世界転移の方法を調べていた節がある、と?」
「これをいうのは迷いましたが、この際ハッキリ伝えておくことにいたします。残党たちの敵意のほとんどは、ロムレスの勇者――つまりカズサさまに強烈な殺意を持っていたことが判明しているのです」
「それじゃあ、今回の事件で犠牲になった人たちの責任は日本に逃げ帰った俺にあるってことじゃないか」
「いえ、一概にそうとはいえませんよ。なぜなら、異世界に転移したのは役目を終えたカズサさまだけではなく、裏切り者であった和平派の魔王の娘の姿も――あったのですから」
思考がうねり意識がゆっくりと捻じれてゆく。
上総はどこか儚げな表情で薄く笑うフェリシアの顔を思い、もう忘れたはずの胸の痛みがやって来るのを感じていた。
魔王の娘にして最後まで人間たちと和平を図ろうと苦慮していた薄幸の姫君――。
「生きて、いたのか――フェリシアは」
「はい、ですが。それがわかったときにカズサさまは」
リリアーヌは自分がいったことを後悔したように、そっと身を寄せて泣きそうな顔をした。
「ゆきません、よね。カズサさまは、あの女のところになどゆきませんよね?」
追い詰められたような表情のリリアーヌ。不憫になってカズサはむしろ快活なまでに明るく笑って見せると、彼女の髪をくしゃりと撫でた。
「ばか。もうそんな気はないよ。俺は君たちと生きると決めた。まずは、目の前のダンジョンを攻略してみんなの危険を取り除かなきゃな」
「はいっ、はいっ!」
「なんだ。いきなり甘えっこになっちゃったのか、リリアーヌは」
「はい。リリアーヌはカズサさまの前では甘えっこです」
――確かにある時期上総は魔王の姫であるフェリシアに魅かれた時期があったのは抗弁することのできない事実だが、それは彼女の懇願を振り切って魔王を討つことによりリリアーヌの不安を完全に払拭したと思っていたのだが。
(俺は、やはりダメだな)
「ちょっと、イチャイチャするのは別に構わないんだけど、歩くときはきちんと前を見なさいよね。そうでなきゃ――死ぬわよ」
「おわっち」
右隣に立っていた紅が冷たい声を出した。気づけば上総は駅構内の狭い連絡通路に差しかかっていた。
道は二股に分かれている。足元にはやけに神妙な顔つきで四つん這いで外道丸の様子を窺うクリスの形のいい丸い臀部が見える。
「紅。右はダメだ」
「そう」
外道丸が顔を上げていうと紅がやや素っ気なく答えて手に握った石ころを放った。
石ころは外道丸がバツを出した右路に転がると、いくらもゆかない内に「カチッ」と鳴る音を引き出した。
通路に設置されたコインロッカーから無数の鋭い槍が唸りを上げて飛び出してきた。
槍は古びていたが貫通力は凄まじく対面の壁に突き刺さると深々と埋没し轟音を立てた。
ぎりいっ、ぎりりっとコンクリートをほじって嫌な音が耳にこれでもかと響く。
「あなたのラノベ脳丸出しのロジックはともかく、どうやら今の秋葉原駅は下手なRPGに負けないほどリアル志向に偏った感じらしいわ」
紅の声。驚きと同時に恐怖や未知へと果敢に挑む冒険者と同じものを上総は感じていた。
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