第07話「聖地秋葉原ダンジョン」

 休日の夜に上司から資料を受け取りに行った帰り、電車が秋葉原で横転して九死に一生を得たかと思ったら駅が異世界のダンジョンに変化して、あまつさえその途中でお化けキノコの大軍から逃げ惑う巫女に出くわした――。


「なにをいっているかわからないが、ここはとにかくよけないと」


「だーかーら、どきなさいってのっ」


 あえぎながら巫女姿の少女が突っ込んで来る。

 さけるには間に合わない状況だった。


「だあっ。この状況でよけられねーだろって!」

「きゃっ」


 上総は駈け込んで来る巫女を抱きかかえると、ふわり、という擬音が似合うゆるやかな動きで高々と飛翔した。


 天井近くまで飛び上がると、放物線を描いて落下する。


 上総は彼女の重さなどないように寄せ来るポイズンマタンゴの群れをひとっ飛びに超えると、華麗に着地した。


 たっ、と軽やかに着地。

 少女を抱きかかえたまま背後を見やる。


 ポイズンマタンゴの群れは標的を見失って後方へと駆け去ってゆく。


「な――なにを、あなた」

「ふう。とりあえずよけらたかな、と」


「とりあえずじゃないっ。気安く触るんじゃないわよっ」


「ひでぶっ」


 十五、六くらいの若い巫女は上総の腕の中でジタバタもがくと、がりがりっと顔を爪で引っ掻き猫のように身を丸めて上総の腕から逃れた。


 ピンク系に彩られたネイルが縦横無尽に顔面を走った。


 たまらず顔を押さえて座り込むと、ぐっと腕を引かれた。


「じゃなくて。そんなところに座り込まない。とっととこの場所を離れないと」


「おまえがやったんだろーが」


 ともあれ巫女のいうとおりだ。上手いこと襲撃をかわされたキノコ軍たちが反転して追っかけてくる。自分は特に問題などないが、この娘が毒胞子を喰らえばまず命はないだろう。


「俺は雪村上総ゆきむらかずさだ。アンタは?」


「か、勝手に名乗らないでよ。あたしは白河紅しらかわくれない。退魔巫女よ。あなたがどこの組かは知らないけど、今は一時休戦にしましょう。って、あれっ。外道丸げどうまるがいないっ」


 紅は自分の足元をキョロキョロと見回し出した。


「なんのことだ――あれか」


 走りながら紅がわたわたと自分の身体をまさぐっている。上総が後方に視線を向けると、ポイズンマタンゴの真っただ中に落ちた青竹の先から白っぽい生き物が顔を出していた。


 あれが紅と名乗った少女にとってどういう存在かはわからないが、放っておけばキノコの毒にやられて死ぬのは必定。


 瞬間、紅の手を切って反転して駆け出し、叫んだ。


「イタチは俺に任せて君は逃げろ」


「ばっ、そんなことできるわけ――ちょ、行くなってば」


 上総はキノコの群れにタックルするように身を低くして飛び込んだ。


 コンマゼロ秒の差で竹筒と奇妙なイタチのような生き物を確保すると、胸の中に抱えて四つん這いになった。


 もごもごと白いイタチが喋ったような気がするが、構ってはいられない。


 防護の術を唱えて身を縮める。隙を見て転がって離脱すれば、奉仕の毒がこの獣に回らない可能性もある。


 もちろん、自分が毒を吸うことなど念頭にない行動だった。


「誰がそんなことしてくれって頼んだのよ――は!」


 紅の叫び声。同時にギュッとつむった視界の裏に強烈な炎の熱を感じた。


 激しく咳き込みながらなんとか顔を上げた。


 紅が虚空に投じた白札がたちまち増殖してコンコースを覆い尽くした。


 驟雨のように降り積もった、無数の護符が火花を散らしてゴーゴーと烈火のごとく燃え出した。


 日輪が目蓋の裏に顕現する。炎の滝が上総たちを絶妙なポイントさけて流れ落ち、キノコの魔物たちを焼却していった。


 毒の胞子が熱に焼かれて霧散してゆく。周囲の安全を完全に確認してから上総は竹筒ごとフレットに似た黒目がちの生物を持ち上げニッと笑った。


「ようし。もう大丈夫だぞう。はは。こうして見ると結構かわいいやつだな」


「お、おまえ。どうしてオレを助け――」

「うっわ、喋った。気持ちわるっ」


「うおい! オレさまを投げ捨てんなっての、酷ッ!」


 上総は急に人語を操った白イタチを放り投げた。紅がとたたっと軽やかに焼け焦げたポイズンマタンゴの残骸を駆け抜けキャッチする。


「おい、そこの巫女JK! その生き物喋ってんぞ。噛むかもしんないかな触るなって」


「外道丸を助けてもらっておいてなんだけど、気持ち悪いとか醜いとか安易に口に出さないでちょうだい。この子が傷つくわ」


 紅は竹筒を腰の帯につけ直すとツンとそっぽを向いた。


「紅の言葉でオレは一番傷ついてるよ」


「へ。もしかして、その生き物、君のペットなのか?」


「不本意ながらね」


「不本意とかゆーなっ。オレは紅の相棒だよな。相棒にして使い魔の外道丸さまだよな?」


「最近のイタチって喋るのか。珍しいな」


「わかってていってるんでしょうけど、一応、コレあたしが飼ってる管狐だから」


「管狐――ま、世の中いろんな人がいるからねぇ」


 紅は「しらばっくれちゃって」とか「下手な芝居」とかつぶやいているが、上総はイマイチ言葉の意味がわからなかったので沈黙を守った。


(世界は広い。異世界とか魔術とかあるから陰陽師とかそういった和物テイストのマギウスがいても問題ないだろ)


 このようなことを考えるのは異世界召喚の経験がある上総だけが納得できる理由だった。


 外道丸という名の管狐はぴょこぴょこ竹筒から頭を出して頻りに視線を送ってきている。


 感謝の意を示しているのだろうか。畜生のやることはよくわからん――。


「なんかすっごい自己主張してるけど。ま、助かってよかったな」


「とりあえず礼をいっておくわね。でも余計なことしてくれちゃってとか本当は思っているの」


「オレ、やっぱ余計だったの? 紅にとってはその程度の存在なの!」


「あー、冗談はさておき。もうそのくらいにしとこうぜ。あまり小動物を虐めるのは好きくないんだ」


「え? あたしは至って本気だけど」


「オレ、この兄さんとこにデューダしてもいいですかねぇ?」


「……と、これ以上話の腰を折り続けても仕方ないので戻すけど。それで、今さらながら聞くけど、オジサンはとりあえず岩手彦の繋がりってわけじゃないのよね」


「お、オジサン……俺はまだ二十八なんだけど……」


 上総は強烈なショックを受けて激しい立ちくらみを感じた。


 だって俺、まだ二十八だよ。バンバンジャリジャリ若造の範疇じゃない? などと激しく葛藤するのは十年ぶりに再会したリリアーヌたちが、かつてまだ十代だったときとまったく同じノリで接してくれたので、自分が世間的な女子高生から見ればロートルでないと思い込んでいったことにあった。


「……まあ、そこはいいか。うん。君がなにを心配しているかは知らないけど、その岩手なんちゃらってのは知らない。それよりも説明してくれよ。この駅の中なんでこんなんなってるんだよ。それと退魔巫女ってのはなんだ? なんか今日はアキバで大がかりなイベントでもやってたのかよ」


 上総がわちゃわちゃと焦って手を振ると、紅は周りをくるくると回ってなついた犬がするように、クンクンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐような素振りを見せた。


「うん。とりあえずあなたの身体からは方術たぐいの臭いはしないわね。本気でしらばってくれてるってわけじゃないみたいだし。でも、ホントにさっきの手並みからして、別流派の退魔士じゃないっていい切るのは無理があるのだと思うけど。上総」


「ぐ。いきなり呼び捨てかよ。とにかく俺はそんな中二病真っ盛りの設定なんか持ってない。都内に住んでる普通のリーマンだっての」


「普通のサラリーマンが、あの妖物たちを目にして冷静でいられるはずないでしょう。外道丸を見てもちっとも驚かないし」


「だって喋るオウムだっているし、もしかしたら遺伝子改造されたミュータントかもしんないだろ」


「その設定のほうが怖いわよっ」

「ところでな、白河さん。その――」


「気持ち悪いから紅でいいわよ。あたしもあんたのこと上総って呼ぶから」


 JKのあまりの馴れ馴れしさに上総は白目になった。


「で、なにかいいかけたけど。なに?」


「いや、なにっていわれても。ちょっとは言葉のキャッチボールをだな」


「それにあの超人的な跳躍力はあたしが知らない術のなにかでしょうし。ま、とりあえず敵じゃないってわかればこっちは問題ないんだけど」


 紅は視線を落とすと上総の言葉をまったく聞いていない様子で自己完結した判断を下しはじめていた。


(あー、これアカン子だわ)


「カズサの兄さん。紅はどうもコミュ症の節があってな。呆れないで辛抱強くつき合ってくれるとオレも肩の荷が下りるんだが」


「このイタチのいうことは十割気にしないでいいから」


 紅が外道丸の首をキュッと締めるのを見て上総はこの娘が恒常的に小動物を虐待しているのことを知り戦慄した。


「その退魔巫女とか退魔士ってのがわけわかんないんだよ」


「退魔巫女も退魔士も陰陽機関に所属する方術使いの総称よ。こっちの世界じゃ女は巫女で男は士で単純に分けてるだけ。やることは、さっきみたいなモンスターたちを人知れずぶっ倒すのがお仕事。もう、いちいちわかりきってることをこと細かく説明させないで欲しいわね」


 ――退魔巫女と退魔士。新たに出現したワードに上総は激しい面倒くささを感じずにはいられなかった。


「えーと、それってもしかして家業で世界のモンスターをやっつけてる系?」


「まさか。あたしはこう見えても歴とした国家公務員よ。国に雇われてお給料をもらってこの仕事をしているの。伊達や酔狂でやってるわけないじゃない」


「女子高生国家公務員――!」


 ブラック企業のブラック正社員である上総は格の違いをまざまざと見せつけられ片膝を突いた。


 ダメージは甚大だ。


「なによ。それに上総。あんたさっきからあたしのこと遠慮なくジロジロ見まくって。キモ」


「……安易に人にキモいとかいうなよ。だいたい男のほうが女より自殺する傾向が高いんだぞ」


 上総はたたみかえるような痛烈なダメージを受けてガックリと四つん這いになった。


 紅はちょっと、いや、かなりドン引きで距離を取った。


「ま、あなたのようないかにもモテなさそうな男があたしのような巫女服の似合う美少女と会話する機会なんて早々ないでしょうから。仕方がないといえば仕方のないことなんでしょうけどね」


(く、悔しい。けど、この娘、結構な美人さんだぜ)


 紅は自分で豪語するだけあって整った容貌を持つ美少女であった。


 たっぷりとした黒髪はさらさらと艶めいており、魔術の灯りで照らされた目鼻立ちは神秘さを感じさせるものだ。


 リリアーヌやクリスと違って、やはりどこかバタ臭さのある顔立ちではなく純和風である。


「お、俺をディスって満足ですかい」

「と、立ち話している暇なんてなかったっけ」


(挙句無視かよ)


「ねえ、あなた素性を隠しているのはともかく、それなりに腕が立つのは確かなのだからここは共同戦線とゆきましょうよ」


「共同戦線?」


「あたしは若年でも退魔に関してはちょっとしたものよ。よければ、こっちが譲歩してあなたを臨時雇いで組下にしてあげてもいいっていってるのよ」


「紅ー。ここは素直に心細いから一緒に行こうっていえないのかねぇ」


「黙れ」

「ぎぎぎ、ぐるじぃ」


 紅は余計な差し出口をした外道丸を物理的にシメた。


「……あー。とりあえず、俺もこのダンジョンから出なきゃならないのは同じだからさ。そういったことなら、協力させてくれないかな」


「そ、そう。そこまでいうのならば、面倒見て上げなくもないわよ」


 かくして上総は謎の女子高生退魔巫女白河紅とともに地上脱出を目指すことにした。


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