第06話「休日にスマホは切っておくのが吉」

 上総は激怒した。


 無論のこと上司から不意打ちの呼び出しを喰らったことに起因している。


 ――人を休みの日まで呼びつけやがって。あいつは糞オブ糞だな。


 久方ぶりにいい気持ちで休日を終えられるかと思ったが、そんなことはなかったぜ!


 飲み屋で管を巻く上司から「お、明日有休取ることにしたんや、がはは」といわれ、どうでもいい理由でどうでもいい書類を預かるため山手線に乗った自分の怒りはどうなるのだ。


「あーあ。いい気分で明日を迎えられると思ったのになぁ。でも」


 上総は疲れ切って目を閉じる車内のオヤジたちを睥睨しながら優越感に浸った。


 たとえ俺の務めている会社がブラックだとしても、うちにはプリンセスとメイドがいる。


「フフフ。その点においてはこの俺は超越種であるといえよう。やっててよかった勇者業」


 ――あの血みどろの過去に感謝する日が来るとはな。


 上総が多幸感に浸っていると、ぞくぞくと骨盤から頭のてっぺんまで強烈な電流にも似た悪寒が鋭く駆けた。


 かつて、あの旅で幾度も己の命を救った超感覚だ。見れば、久々に自分の胸には勇者の紋章が青白く煌々と光を放っている。


 瞬時に、上総はどのような異変にも対応できるよう身構えて全身にプロテクションの魔術をかけた。


 来る。必ずそれは来る――。


 異変は次の瞬間、列車ごと上総たち乗客を襲った。


(って、ここってば例の曰くつきのアキバじゃねえか)


 悪い勘は当たるもの。


 上総たちの乗った列車は秋葉原駅に到達すると同時に強烈な揺れに襲われ、誰もがいかなる回避行動を取る間もなく、上下左右へと強烈にシェイクされた。


 怒号と絶叫が車内に満ちて阿鼻叫喚の地獄絵図が瞬時に列車内に広がった。


「ぐ、ううっ」


 上総とて、瞬間的に防御態勢を取らなければ相当なダメージを喰らっていただろう強烈な衝撃だった。


 列車は横転しながら構内に乗り上げると、意志を持った巨人の腕で捩じくられるように、


 みきみき


 と奇怪な轟音を立てて絞り上げられた。


 ――数秒のち。


 上総は割れた窓枠を握っていた超人的な力をふとゆるめた。


 車内のあちこちからは呻き声も聞こえない。

 あの力の余波ではまず全員即死であろう。


 列車の本体は奇怪なほど捻じれていた。上総は力業で鋼鉄の車体を曲げながら、散らばった突起に身体を引き裂かれぬよう留意しなんとか外へ這い出ることに成功した。


「たまんねーな。こりゃ」


 そっと両手を合わせる。同乗していた人々は運が悪かったとしかいいようがない。


 仏の姿は見えずとも鉄の棺桶から染み出す強烈な血と糞便の入り混じった強烈な死の臭いが上総の魂を虚しくさせた。


「なんとか弔ってやりたいが、今はできそうもない。そのうちなんとかしてやるからさ。化けて出ないでくれよな」


 右手を突き出し念のため車体に生体反応がないかサーチした。


 結果は、予想通りだった。

 生存者ゼロ。


 無意識のうちに唇を喰いしばったため口中が鉄錆に似た臭気で満たされた。


 まず疑ったのはテロのたぐいであるが、列車から降りてすぐそうではないことが上総にはすぐわかった。


 プラットフォームから見えるはずの景色がマーブル状にうずを描いてぐねぐねと歪んでいる。


 濃密な魔力に満ちた空間は、ロムレスで幾度も潜った、魔物たちが棲むダンジョンそのものだった。


「くそ、勘弁してくれよ。よりにもよって寝る寸前に」


 上着についたガラス片を払いのけるとまずは状況把握を行う。


 車内の乗客たちの死は悲しいことだが、すぐに切り替えていかなければ生き延びることは不可能だ。


 意識を集中して周囲をサーチする。


 捩じられた雑巾の様相を呈している列車内には当然生命反応はなかったが、ぐねりながら下へと無限に続いていそうな階段からはいくつもの生命エネルギーを感じ取ることができた。


「ゲルデーモンか」


 つぶやきと同時に、全身をヘドロで覆われた異形の魔人が五体ほど姿を現した。


 ダンジョンの中層に住む、熟練の冒険者でなければてこずってしまうレベルのモンスターである。


 彼らはゲル種と呼ばれるロムレス各地に生息する雑魚モンスターの気が凝り固まって発生したといわれ、体表には常に強烈な毒を持った液体が循環し、主に中型から小型の野生動物を襲って糧にしている。


 素手でやりあっても問題はないが。


 それでも人型をした灰色のモンスターを目にすると躊躇してしまう。


「やっぱ、背広が汚れると嫌だからやめよう」


 上総は構内にあるゴミ箱を片手でヒョイと持ち上げると、後方にぶおんと振った。


「ま、これでいいか」


 もう片方の手で燃えるゴミの箱を取った。

 当然ながら防御用だ。

 構えを取った。


 あとは近づいて来る敵に向かって随時投げつけるのみだ。


 三体のゲルデーモンが襲って来る。


 三メートルを超す巨体に似合わぬ素早い攻撃だ。


 上総は差し伸ばされたゲルデーモンの右腕を無造作に左のゴミ箱でカチ上げると、ぐっと身体を前のめりにして駆けた。


 力を込めてゴミ箱を投げた。

 距離はそれほど離れていない。


 風圧でベコンと音を立てゴミ箱は飛翔しながら変形した。


 そのままゲルデーモンを巻き込むと階下へ吹っ飛んでいった。


 鈍い音とともにゲルデーモンの肉片が階段に飛び散った。


「ゴミ、散らかしちゃったな」


 だが、投げたゴミ箱に重みがなかったせいか、直撃をさけた二体がずるずるとしつこく近づいてくる。


「もう、しつけーな」


 上総はキオスクに設置されたジュース類が入った冷蔵庫を無理やり引き抜くと、今度はしっかりフォームを意識して投擲した。


 飲み物を四散させながら箱はひゅるひゅると飛びゲルデーモンを直撃した。


「ストライク」


 がこん、がこん、がこん、と軽やかに音を鳴らして冷蔵庫は魔物とともに闇の中へと墜落してゆく。


「さて、いつまでこうしていても次発が来るわけでもなし」


 上総は変質した駅の階段をゆっくりと降りて行った。


 ポケットからスマホを出すが時刻は午後十一時十三分で停止している。アンテナは一本だけ立っている。


 反射的にリリアーヌたちに連絡を取ろうとして、彼女たちがスマホを持っていないことに気づき苦笑した。


 だいぶ現代に毒されている。落ち着けよ、上総。そんなこっちゃこれから先、生きて家まで戻れるかわからねぇぜ。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 カツカツと靴音を立て階段を下るがいつまで経っても底が見えてこないのだ。


 当然のように隣のエスカレーターも命を失ったようにピクリとも稼働していない。


 照明がすべて落ちているので異様に暗いのだ。


 かつては闇夜でも自在に動き回れたのだが、こうも灯りのある現代生活に慣れると急遽、視界を切り替えることは不可能だろう。経験と勘でなんとか戦うしかない。


 側面の白くすべすべした壁が次第に隆起した岩肌に変わってゆく。


 普通ならば動揺のひとつもしておかしくないのだが、むしろ上総は帰るべき場所へ戻ってきたような、懐かしい気持ちで胸が一杯になり、むしろ皮膚下を這い回るなんともいえない快感に笑い出しそうになっていた。


 これだよ、これ。長く忘れていた野蛮な血が全身に吹き上がりそうになる。


 現代日本では到底味わうことのできなかった、未知の冒険と自分の力を全力でぶつけ合うことができる強靭な生物がこの先にいることを、知っている。いいや、知っていた。


 コンクリートの階段。もはやいいわけの利かない、野卑で土臭い岩盤とゴロ石に変化している。


 歩行もままならない悪路を見た途端、上総は踊り出したくなるような気分で背筋がゾクゾクしていた。


 1Fのコンコースに降り立った。


 目の前には、親の顔よりもはるかに見慣れた真っ暗で視界の利かない、己がもっとも愛したダンジョンが広がっていた。


「マジかよ、まいったな、こりゃ」


 鏡を見なくても自分の目が血走っていることがわかった。濡れた岩と土と湿った独特の空気がツンと鼻を突く。獣が生まれ故郷に戻ったかのように、酷く身体が馴染んでいた。


 お、おおおー

 お、おお、あー

 獣の唸り声のような。

 地響きのような。


 奇妙な吠え声とともに、遠方から轟音が鳴って多数の生命体がまっしぐらに駆けてくるのを理解した。


「やめてくれよな。今の俺はただのサラリーマンなんだぜ」


 語尾が震えた。同時に胸元の紋章が光ってエネミーが近づいて来ていること知らせる。


 上総は口元で灯りの呪文を唱えると、手のひらサイズの光の玉をポンポンと宙に打ち出した。


 珍しいことに、上総は歴代勇者でもほとんど類を見ないことだが、魔術適正を持っていた。


 敵を攻撃して撃滅する力は持たないものの、ちょっとした明度を得るには充分なまじないだ。


 光の玉は弾けるとあたりを昼間のように照らし出した。


 魔術の効果は少なくとも小一時間は消えないだろう。


 充分だ。


 駆けてくる集団は、峻烈な赤い笠に黄色い粒の玉を持つ歩くキノコの化け物たちだった。


 ポイズンマタンゴ。


 ロムレス全土の地下に棲息し、毒のある胞子を飛散させ小動物を媒介し子を増やすモンスターである。


 目鼻がなく、身長は一五〇センチ前後だが、初級の冒険者は高価な解毒薬など持ち合わせていない上、ヒーラーがパーティーにいないため高確率でこれに会うと死んでゆく。


 ぎぎっ、とポイズンマタンゴが奇妙な音を立てた。


 かのモンスターには発声器官がなく鳴くことはできないのだが、上総にはそれが彼らの歓迎の言葉のように聞こえ、自然と前に飛び出していた。


 生物の習性として体温のある上総を感知し、襲って来たのだろう。


 ポイズンマタンゴとしては多数で上総を取り囲んで押さえつけ、自分たちの胞子を植えつけ仲間を増やす苗床にする。そうなるはずだった。


 が、上総は自ら駆けて距離を狭めると、唇から鋭く息を吐き出しながら手刀を素早く打ち振るった。


 コンコース一杯に広がって駆けてきたポイズンマタンゴの数は三〇を超えていたのだろうが、上総が素早くその群れを駆け抜けたとき、半ばが縦に引き裂かれ弾けたように四散していた。


 魔力を右手に纏わせたまま剣のように振るったのだ。


 レベルカンストした勇者が初期のダンジョンに潜ればこうなるという手本のような激突だった。


 くるりと上総が向き直ったとき、残りが斜めに裂けたり、真っ二つになったりと多種多様な死にざまを見せた。


 上総が倒れてのたうつマタンゴたちを静かに見下ろしていると、さらに後方から甲高い女の叫び声が響いた。その声の場違いな明るさに呆気に取られ、反射的に振り向いていた。


「なに突っ立ってんのよ、アンタ。どいて、そこ! どいてったら――!」


 そこには、先ほどを倍するキノコの群れに追われる緋袴が目を引く年若い巫女が血相を変えてこちらに向かい駆けてくるのが見えた。


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