第05話「退魔巫女と陰陽機関」

 スーパーで首尾よく食材を買い込んだ上総たちは日がとっぷり暮れた街の夜景を眺めながら、徒歩十分程度の道のりを三十分ほどかけて帰った。


 店内では予想通りリリアーヌもクリスも「中が冷たいですの!」や「姫さま肉がぴかぴかです!」と大仰に驚いてくれたが、本筋とは離れるのでここでは割愛する。


 夕飯は日本初日ということでふたりを歓迎して上総が料理の腕を振るった。


「といってもタダの水炊きなんだけどね」


 鶏肉にシイタケ、春菊、白菜、つみれ団子をだし汁でコトコト煮込んで味ぽんで食べるだけだが、あっさり味はふたりに好評だった。


 キッチンではなくベッドのある自室にコンロを用いて土鍋をかけ、楽しく三人でつつく。


 上総は金がなくてもこういったささやかなことで充分しあわせな気持ちになれる男だった。


「カズサさまはお料理も得意でございましたのね。わたくし、なにもかも負けているので、すごく傷つきました」


「ん。ってリリアーヌ、おまえも飲んじゃったの? まずいな。日本じゃ未成年の飲酒は禁止なのに」


 見れば安い発泡酒の空があちこちに転がっている。


 上総は自分が酒に弱いことを自覚していたので、ちびちびやっていたのだが、ちょっとコンビニに出かけた隙にかなりの量を飲まれていることに愕然とした。


「ねーえ、聞いてますう? わたくしのハートは傷ついちゃったんですよぉ。どうしてくれるのですかぁ、このっ。このっ。ひどいひと」


 酔っぱらったリリアーヌがしなだれかかって熱い息を吐きかけてくる。


 胸元に深く切れ込みの入ったドレスを着ているので豊満な乳房がこぼれ落ちそうになり、自然な反応として視線が落ちてしまう。


「ちょ、また騒がしくしたら近所に迷惑だっての」


「心配しなくても、この部屋には魔術をかけておきましたので完全防音れすよーだっ」


「だああっ。胸が、おっぱいが、乳房が、いろいろとヤバい状況に――! おい、クリス。早く姫さまをなんとかしてくれっての」


 そういえば静かだなと思っていると、クリスはスカートをまくり上げて半ケツを晒した状態でうつ伏せに寝入っていた。


 あたりには燗をした日本酒の徳利が転がっている。


「おいクリス。クリスさーん。大丈夫ですかぁ……?」


「くぴくぴ……わらしはへいきれす……くぴくぴ……」


 白目を剥いたままなにごとかをつぶやき、口からはだらあっとよだれを垂らしている。


 一部マニアはよろこびそうであるが、完全に酔い潰れていると判断していい。


「ねええ、かずしゃしゃまぁ。リリとイイことしましょうよう。よう、よう」


 リリアーヌがぐにゃっと身体をくねらせながら、フェロモンむんむんで迫ってくるが上総は鋼のような自制心で耐えた。できるならばシラフのときにいい思い出を作りたかった。


「俺は酔っ払いとはえっちしないの。ったく」


 纏わりつくリリアーヌを敢えて跳ね除けずその若い身体の感触を楽しみつつ、クールにいい放った。


 本心は酒が入っているので肝心のときに役に立たなかったら恥ずかしいという気持ちが強いせいだった。


 リモコンを操作してテレビ画面をつけると、ド派手なニューステロップが踊る。


「んんん。なになに、現在秋葉原駅周辺で集団傷害事件発生――ってマジかよ! 明日、山手線どーなんだ?」


 ニュースは秋葉原駅付近で起きた連続傷害事件を詳しく報道していた。


 上総も見たことがある複合型オフィス近くの路上で次々と無差別に人が襲われているらしい。


 被害者のすべては今朝から夕方にかけて、正体不明の化学薬品で重度の熱傷を受け、合計で四十八人もの人間が都内の各病院に搬送されているとのことだった。


「死亡者もすでに十八名を数えており、現在警視庁では事件について捜査を行っているとのこと――」


「はぁー。マジか。そういや、昨日っからゴタゴタでテレビをまともに見てなかったなぁ。テロかぁ? 怖いねぇ、物騒だねぇ日本も」


 ぴっぴことリモコンをザッピングさせてもどこの民放も特別番組としてこの事件を報道していた。


「ま、動く動かないは天が定めるってことで、俺は明日もあるからそろそろ寝ますかね」


「うにょりー。ゆうしゃさまぁー、そんなところさわっちゃイヤン」


「だめぇん、かずしゃしゃまぁ。あかちゃんできちゃいますう」


「うっせうっせ。どっこも触ってねーだろーがよ」


 上総はしあわせそうに寝ているクリスとリリアーヌに毛布をかけると、鍋やら食器やらを片づけ出した。


 このままほろ酔い加減のいい気持で明日の業務に立ち向かえる。


 ――そんな思いを打ち砕いたのは、スマホに届いた一通の無慈悲なメールで打ち砕かれた。






 夜、十時三十七分――。


 件の連続傷害事件があった現場をひとりの年若い少女がこともなげに闊歩していた。


 警察によって封鎖線が引かれた区域であったが、ものともせずに歩く少女の姿はまた時代ががっていた。


 夜目でもひと際目立つ巫女装束。


 上半身の白衣に光沢のある緋袴はここがアキバと思えばコスプレと見るのが妥当であるが、少女のそれは使っている材質そのものが違った。


 腰まで届く長く艶やかな黒髪と整った容貌が神秘さをいやにも増していた。


 小さめであるが整った鼻梁はかわいらしく、やや吊り上がった瞳はどこか猫を思わせるように鋭い。


 肩からは実用を重視した軍用品を思わせる重厚なショルダーバックを下げており、袴には真っ白な小刀が無造作にぶち込んである。


 右肩から吊っている青い竹筒の用途は不明だが、少女は道をゆっくり歩きながらなにごとかを竹筒に話しているかのようだった。


外道丸げどうまる。ここが例の事件現場だけど。確かに、ちょっとヤバそうね」


「おいおい。さてもの退魔巫女であらせられるくれないさまがビビってんのかよー。オレさま、そんなんじゃ悲しいぜー」


 青竹の筒からはにょろりとした白い獣が顔を覗かせひっひと声を上げて笑った。


 人語を操るこの怪物は、名を外道丸げどうまるという。妖怪専門のハンター、退魔巫女である白河紅しらかわくれないが使役する管狐という一種の使い魔だった。


「見て。この場所。溶かされた人の肉片と、妖気がすっごく濃い」


 内閣調査室特別預、京都陰陽機関所属――。


 それがこの美貌の少女を表すすべてだった。


 現代の科学では立証できないことがらを秘密裏に処理する、この国に古くから伝わる退魔機関。


 紅は十六歳にして不世出の天才と呼ばれた呪力を持つ、生粋の妖怪ハンターであった。


「紅ー。オレさまの鼻によると、コイツはたしたことないぜー。そんなん気にすることねーっての。今までだって、これ以上のバケモンばんばんやっつけてきたじゃんか。ちょっと、気ィ小さすぎ――あ、ぐう」


 ぺらぺらと喋る外道丸の首根っこを紅は掴むと情け容赦なく引き絞った。


「うるっさいわね。敵は未知数よ。どれほど弱っちくても用心し過ぎてし過ぎるってことはないの。そもそもあたしはあんたの親同然なのよ。目の見えないうちから育ててもらって、恩もロクに返さず死ぬなんて親不孝じゃなくって?」


「あ――ぐあぐ、ちょっ、マジ悪かった――オレが悪かったから、それ以上絞めないでよぉ――ホント死んじゃうって、ママぁん!」


 紅は細めた瞳を元に戻すとそっと外道丸から手を放した。


「まったく親より先に死ぬのは最大の不幸っていっているのに。気をつけなさいよね。ばか」


「こ、殺そうとした相手にいわれたくないよぉ、鬼ィ」


「て、あんまり遊んでる暇はないのよね。明日も学校があるのだし。こっちだってパパッと片づけて早く寝たいのよ。小テストの勉強もしなきゃ、それに睡眠不足は美容に悪いの」


「そんなもん気にしたって見せる相手がいるわけでもなし――わー、嘘嘘っ。オレっち紅さまの美貌のために精一杯気張らせていただきまーっす」


 外道丸はにょろりと筒から出ると、事件のあった植込み部分をくんくん嗅ぎはじめた。


「ねえ。まだ? とっとと見つけなさいよね。いくらあたしが天涯孤独で学費を機関に負担してもらってるからって、平日の真ん中で呼び出されるの、すっごーい迷惑なの」


「ンなそう簡単に見つかれば世話ないっての! って、これ。もしかしてヤバくね?」


 紅は外道丸が探っていた下草の一部がわずかに揺れるのを感じ、身構えた。


 開いてあったバックから呪印を書き込んであった護符を引きずり出すと、鋭く吠えた。


「だっ。来た来た来た来たよーっ」

「下がってなさい、不肖の息子」


 甲高い紅の気合とともに、どこに潜んでいたのか、植込みやタイルの隙間、建物の影や止めてあった車両の下から色とりどりの物体がバッと虚空に舞って紅と外道丸目がけて襲いかかってきた。


 視線を切らず紅は飛びかかって来る個体を視た。

 数は、十七。

 大きさは中型犬から大型犬といったところか。

 もちろん、同時にさばけない数ではない。


「と、はああっ」


 気合一閃。


 手にした呪符を四方八方から襲ってくる個体へと一斉にバラ撒いた。


 闇夜に、カッと光が灯り、同時に紅を襲ったスライムの群れは真っ赤な炎を上げて、ぼろぼろとあちこちに吹っ飛んだ。


 火術の方術である。


 護符によって発火した粘液質の怪物たちはうぞうぞと蠢きながらもやがて燃え尽きた。


「な、なんだよー、コイツらっ」

「気を抜かないで。大物がそこにいるわ」


 紅が建物の隙間を凝視すると、やがてのその怪物は姿を現した。


 粘液質の怪物が積み重なったそれは、パッと見て三メートルを超えた人型をした異形だった。


 離れているのにもかかわらず、魚の腐臭めいた毒気が漂って来る。


 紅はこういった臭気には慣れたもので眉ひとつ動かさず、


 ぞろりぞろり


 と音を立て近づくそれから視線を切らない。


「ひ」


 外道丸は強張った声で悲鳴を上げるとしゅぽんと青竹の中に隠れてしまう。


 無理もない。彼は元々探査用に育てた管狐なので妖物と戦う力は持ち合わせていない。


「妖怪っていうよりはB級ホラー怪物ね」


 ドロドロにとろけた妖物――紅は心の中で密かにヘドロゾンビと命名――はグズグズに足元のコンクリートを溶解させながら、ずっ、ずっと一歩ずつ迫って来る。


 敵は強烈な溶解液で身体を構成させている。近づいて戦うのは不利。そう見た紅は小ウサギのように素早い動きでバックステップを刻む。


「どうやら苦戦しているようだな」


 は、と気づく。


 背後を見やると、そこには十人ほどのダークスーツを纏った男が手に手にナイフや護符を持って、陣形を描いていた。


「この獲物。手に余るようなら、こちらで引き取らせてもらう」


 スッと男が独特の家紋をしるした提灯を突き出してきた。それを目にした途端、紅の形相が狼にも似た剣呑なものへと一変した。


「あんたたち岩手組ね。いまさらのこのこ顔出してどういうつもり。ここはあたしが仕切っているの。余計なことをするなら、殺すわよ」


 紅の声の温度がスッと下がった。


 が、男たちはそれに答えることなくゆっくりと距離を詰めてくる。


 ――殺してしまおうかしら。


 退魔巫女にとって猟場を荒らされるのは無理やり押し倒されて身体を穢されるのと同等に屈辱である。


 それよりもなによりも紅は、目の前の男たちを率いる「岩手彦いわてひこ」という退魔士に特別な感情を持ち合わせており、不快感や忌避感は通常よりもはるかに強かった。


「なあに。それほど時間はとらせない。そもそも陰陽機関同士、殺し合いはご法度のはず」


 頭だった男が顎を引くと、扇状に広がっていた配下たちが一斉にヘドロゾンビへと飛びかかった。


「ちょっ、待ちなさいよ――! 不用意に近づいてはダメ」


 紅の忠告もむなしく、男たちは自分の獲物を振りかざして、鈍重に見える妖物へと斬りかかってゆく。


 威勢がいいのはそこまでだった。


 ヘドロゾンビは突如として陽炎のようにゆらめくと、地をすべるようにして動き、向かっていった男たちを一蹴した。


 じゅっと肉が焦げるような嫌な臭いが紅の鼻を横合いから殴りつけた。


 安易に攻撃した男たちはヘドロゾンビの拳で五体を焼かれ、弾かれたように吹っ飛んであちこちで悶絶しはじめた。


「あああ」


 顔を手で押さえて絶叫していた男はみるみるうちにヘドロゾンビの強烈な毒で細胞を浸食され、日向に置いたアイスクリームのようにドロドロに溶けていった。


 ある者は腕を、ある者は脇腹を、ある者は手や足を焼かれ冷たいコンクリートの上で七転八倒している。


「だからダメだといったでしょう。あなた、早く結解の外に出て救急隊を呼びなさい。その間、あたしがコイツをひきつけておくわ」


「そんなこと、死んでもできるはずがないだろう」


 岩手組の頭――。


 紅が知るに岩手彦の右腕と呼ばれていた男は独鈷杵に似た法具を掴むと雄たけびを上げながら突っ込んでいった。


 男には男なりの誇りがあるのであろうが、それは妖物にとってみればどうだっていいことだ。


 退魔士にとってもっとも重要なのは、生きて仕事を達成することにある。


「く――」


 紅は甘いと思いながらも、手にした護符にありったけの念を込めて男を援護するように放ったが、ヘドロゾンビの手は想像以上に長かった。


 距離にして、まだ十メートルはあっただろう。

 それを一瞬でゼロにしたのだ。


 男は得意の武器を一度も使うことなく、ヘドロゾンビの腕であっさり顔面を掴まれた。


 耳を覆いたくなるような絶叫が木霊した。


 じゅおおお


 と、肉を鉄板で一気に焼くような鮮烈な音が響き渡った。


 こうなれば、情けをかけるだけ自分の命が危うくなる。


 そう判断した紅は投げつけた護符に念を送って敢えて反らすことはせず、むしろ捕まった男の身体を薪代わりに使うことでヘドロゾンビへと強烈な炎を浴びせることにした。


 男の背中が一瞬でオレンジ色の火の玉に変化した。


 同時にヘドロゾンビの長い手は導火線の役目を果たし、紅の火術の熱を本体まで容易に伝道させ、見事に焼却することに成功した。


「悪いわね。でも犬死によりはマシじゃない」

「ひでー女」


「なにかママに文句があるのかしら」

「ありましぇーん」


 外道丸と軽口を叩きながら紅は自分の準備不足を呪っていた。


(もう少し、上位の武器を持っていればなにか別の方法があったかもしれないけど)


 不意にぞくりと足元から怖気を催すような強烈な悪気を感じ、紅は整った容貌を曇らせた。


「な、なあ紅。ともあれ敵を倒したんだから、もちっとハッピーな顔をしようぜ。ほらほら、スマイル、スマーイル」


 外道丸はにょこにょこと青竹から這い出るとおどけて口元をゆるめて見せた。


「ハッピーな気分になりたいのは山々だけど。ちょっと気が早いかもね」


「え」


 みるみるうちに紅たちの周囲を今しがた倒したはずのヘドロゾンビたちが埋め尽くしてゆく。


 その数、少なく見積もっても五十は超えていた。


「無限リポップね。ゲームと違ってあたしは弱体することはあっても強くはならないケド」


「あ、あはは。でもさでもさ。こいつら、先月奈良でやっつけた鬼よか強くないだろ。だったら――」


「ないのよ」

「へ」

「単純に道具の持ち合わせが」


「お、おいおいおい。あの神経質な紅さんが、そりゃないだろうよぉ」


「外道丸、できれば考えておいてもらえるかしら」

「な、なにをだい?」

「辞世の句」


 外道丸の顔がベソ面になったところで紅はようやく溜飲が下がり、この場を撤退するため血路を開くため意識を集中させた。


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