第04話「暴飲暴食のツケがおまえを裁く」
同時刻。
東京都千代田区秋葉原UDX裏通り――。
北山則武(28)はようやく手に入れたフィギュアを手に駅へと向かっていた。
時刻は午前十一時三十四分を過ぎていたが空腹感はない。
北山は交代勤務のため平日が休みなため、夜勤明けで眠らずこの街に直行していた。
「へ、へへへ。やっと手に入れた魔法幼女まのかフィギュアだ。これでようやく保存用、観賞用、実戦用の三体がそろったゾ」
まだ二十代後半というのに体重は一〇〇キロをオーバーしている。
タルタルのシャツに、最後にいつ散髪したかわからないぼうぼうの髪をバンダナで留めている。
季節は晩秋というのに北山の額には大粒の汗が光っていた。
くうと、腹が鳴った。朝飯抜きで動き回っていたため急激に空腹を覚え、北山の脚が止まった。
ここでなにか腹に軽く入れておくべきか。そう思って歩を進めようとした瞬間、右足に強烈な痛みが走った。
「いでぇっ」
なんだよ。もしかして、また痛風が再発したのかよ、クソが。
若いが常日頃から偏った食事を続け、ロクに運動というものをしたことがない北山は痛風を患っていた。
主な患部は右足首に頻発しており、場所は右足のくるぶしと足の人差し指の先端が特に酷かった。
特に足の人差し指はぷっくらと爪が浮き上がるほど膨らむことが多く、日によっては朝激痛と目覚めることが多い。
靴下を履くにも難渋し、内科に行ったところで痛み止めを処方されるだけで、医者には食事療法を進められるだけだった。
なんでだよ。せっかくいい気分で眠りにつけると思ったのにィ。
北山が激しく舌打ちしながら足元を見る。そこには、まったくもって思ってもみなかった光景が広がっていた。
「はえあ!」
黒のコンバースの上にどろりとした青みがかった粘液質の物体がのしかかっていたのだ。
声を出そうとしたが、肺が掴まれたように息ができない。
なんでだ。なんで俺がこんな目に会わなきゃならないんだよ。不幸だ。不幸すぎるよ。
はじめにあった強烈な痛みはすでにない。まるで冗談のように思えるが、そのスライムのような物体はじゅくじゅくと白煙を上げながら北山の右足首を完全に溶かし切っていた。
「や、やべ、やべて。どいて、誰か、助け――」
くるぶしから下は完全に感覚がない。あたりまえだ。
青いスライムは北山の足首を完全に消化しきると、うぞうぞと触手を伸ばしながら、今度はふくらはぎを喰いはじめた。
ぺたんと尻餅をつく。
もう立つことはできない。路上には通行人がいるが、なにかパフォーマンスでもやっているのかと思ったのか、ロクに北山を見ず、さけて通っていく。
「ひ。アンタ、なにをやってるんだ」
スーツを着た三十前後のあばた面の男がようやく異変に気づいたのか声をかけてくれた。
ああ。これでやっと助かったのか、俺は。
「アンタ、その足、どうしたんだ?」
男に聞かれ、北山は自分の足を見た。
スライムはすでに右足を完全に喰いつくして巨大化し、胸のあたりまで広がっていた。
強い吐き気がする。北山は鋭く呻くと胃の内容物を残らず吐き出した。
びちゃびちゃとぬるまった血が上半身を濡らすが、それが呼び水となったのか。
長方形に刈り込まれた植込みの影から幾つもの青やら緑やらピンクやらの物体がドバっと飛び出して一斉に北山の全身を覆っていった。
呼吸が止まる。スーツの男が悲鳴を上げて遠ざかってゆく。
北山は視界をあたたかい粘液質なものに包まれながら、ゆっくりと深い混沌へと落ち込んでいった。
「えーと、結論として君たちをこのまま部屋に閉じ込めていても精神衛生上よくないので、地上世界に連れ出す決断を下しました」
「わー。さすがカズサさまっ。英雄にふさわしい殿御ですわっ」
「それでこそ勇者さま。私は真の主を仰ぎ見た気がします」
上総はリリアーヌとクリスをひとっところに閉じ込めておくほうが危険と判断し、外界へと連れ出すことにした。
ま、どっちにしろ言葉は通じないし、ちょっとコスプレが好きな外人さんとして押し通せば特に問題はないだろう。
「てかさ。おまえら俺の部屋漁ってただろ。いってみ? 怒んないからさ」
「ぎくぎくっ。カズサさま。わたくしがそのような不埒な真似をするような女だとお思いですかっ。ねえ、クリス」
「ええ、そうですそうです姫さまの仰られるとおりですよ酷いです勇者さま」
「クリスの頭、ホコリだらけだぞ」
「はっ」
「くううっ。謀りましたわね。非道ですわ、ずるっ子ですわ」
「だから怒らないっていっただろ。見られて困るようなものなんか置いてないし。ただ、変なもんへ不用意に触ってリリアーヌたちが怪我したら心配だしさ」
上総は特に狙いなく素直な気持ちを吐露した。
するとふたりはバツが悪そうな顔で唇を歪め同時に下を向く。なんだろうか。反省でもしているのかな。
「わたくしたちだっていいたいことは山のようにありますけど、それをこらえていることをカズサさまにもわかって欲しいですの」
リリアーヌは餅のようにぷーっと白い頬を膨らませ不平不満を口にした。
「いいたいこと? なんでもいってよ。俺、聞かないとわかんないし」
「わたくしは、リリアーヌはカズサさまにとってどういう存在なのでしょうか!」
「そんなもん決まってる。リリアーヌとクリスは俺にとって世界よりも大事な女だ!」
間髪入れずにいった。もちろんおべんちゃらや嘘偽りのない言葉である。上総にとってふたりは心底を露わにして語ることができる数少ない人物なのだ。
(ふたりがいないと俺はこの大東京砂漠でぼっちだしね)
上総の気持ちはともかくふたりはいいほうにその言葉を取ったのか。カッと頬を赤らめとろけた表情になった。
「カズサさま……リリアーヌは一生ついてゆきますう」
「クリスもお供しますよう」
「お、おう。とりあえず、なんかわかってもらえたみたいでうれしいけどさ。さっき精霊に焼かせてたのはいったいぜんたいなんだったんだい?」
「ぷい」
「ぷぷいぷい」
「おーい、そっぽむくなー。そこは拒否かよ」
(とりあえず晩飯の食材調達も兼ねて、あそこに行こうか)
上総は部屋着からシャツとチノパンに着替えると、ふたりを連れて家を出た。
時刻は午後四時を回っている。晩秋の都心も日の暮れ方は早い。平日とあってか人の動きは少ないものの、リリアーヌとクリスはさすがにそびえ立つビル群に目を丸くしていた。
「え、ええと。カズサさま、この建物たちはいったい」
「す、すごく高くて、人もたっくさん歩いてます。今日はお祭りかなんかですかね」
「いや、まだ会社帰りの人が少ないから、今はすいてる時間帯だよ」
上総たちは当然のことながら共通ロムレス語といわれる言語で話しているので、道行く人は時折チラと視線を投げるくらいだった。
都会の人間はよほどのことがい限り、他人とは接触しようとしないのだ。東京ならばそれはなおさら顕著である。
真っ白なドレスとメイド服を着た白人の少女が歩いていても「ああ、外国人がいるな」ですんでしまう。これが上総の田舎であれば、反応は一段上であったろうが……。
「あの、そこをぶおんぶおん大きな音で走っているのは、カズサさまが昔お話してくだすった“じどうしゃ”という乗り物でしょうか」
「そうだよ。その広い道は自動車の走る場所だから人間は歩道を歩いてね」
リリアーヌもクリスも片側三車線を走る鉄の塊に圧倒され上総に隠れるようにして怯えていた。
「こ、怖いですわ。なにか、すごく大きくて。戦馬や竜車よりも強そうです」
リリアーヌは上総から顔をひょこひょこ覗かせ、やや渋滞気味の道を走るワーゲンを畏怖の表情で眺めていた。
「あれ、のろのろ走っていますけど、ぜんぶ鉄ですよね。この街は鉄鋼業が盛んなのですね」
一方、クリスは恐怖よりも好奇心が勝っているのかわりと積極的に車道に近づき動く車たちを物珍しそうに眺めている。
車の助手席の窓からは、私立幼稚園の制服を着た女の子がクリスの姿を見つけニコニコ笑いながら手を振っているのが見えた。クリスもやや強張りかけた表情をゆるめ和やかに手を振り返すが、空いた手はギュッと上総のシャツの裾を掴んでいた。
「姫さま。あのような幼子も平気で乗っておりますので、それほど怯えなくても大丈夫ですよう」
「そ、そうなのでしょうかカズサさま?」
怯えるような瞳がどこか犬っぽくてカワイイ。
上総はリリアーヌを軽く身体に引きつけ「怖くないよ」というように、そっと手をにぎにぎした。
「とりあえず俺の指示に従ってれば害はないけど。車は本当に危険だから。道を移動するときは充分に気をつけてね」
「はいっ。リリアーヌはカズサさまにこの命を託しますわ!」
「私も勇者さまにすべてを預けますっ」
――そこまでせんでもええわ。
「で、カズサさま。わたくしたちは今からどこへ向かっているのでしょうか」
「んー。とりあえずこれからは自炊がメインになると思うから近所のスーパーに買い出しだな」
「失礼ですが勇者さま。すでに日は夕暮れどきでございます。市はとうに閉まっているのではないでしょうか。あ、それとも懇意のお店が食材を留め置いてくれてあるのでしょうか?」
「確かにロムレスでは朝に市がはじまって遅くても、昼過ぎにはほとんど売り切れだったもんなぁ」
「それでは屋台ですか? わたくし以前上総さまが連れて行って下すった屋台のお食事、すごく素敵でした」
ぽわぽわと、リリアーヌは黒目がちな瞳を潤ませ、両手を顔の前で合わせながら思い出を反芻していた。
ああ、そんなこともあったっけかな。上総は以前何度か冒険の途中で寄った街や村で屋台のジャンク料理を買い食いして楽しんだことを思い出した。
王族であり、旅の途中では専属の料理人がついていたリリアーヌはそういった土地土地のものをあまり口にしたことがなかったのでひどくよろこんでいた。
「屋台じゃないよ。とにかく、着けばわかるって」
上総はニッと笑うとちょっと得意げな感じでふたりの手を引いて目の前に見えるスーパーに進路を速めた。
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